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ハサミが言うには

 熱が下がると、フィオリーナの体調は瞬く間に回復した。満足に食事をとれるようになったからだろう。

 食事まで食べさせようとしてくるネーヴェを、早く部屋から追い出したかったこともある。

 いっぺんの曇りもない笑顔で甲斐甲斐しくスプーンを差し向けられるのはこれきりにしたい。

 ネーヴェのほうはフィオリーナにひとつも看病させなかったというのに、彼はどこまでもずるいのだ。

 フィオリーナが畑へ出かけることを許されたのは熱を出してから三日後だった。


「……本当にこの実が食べられるのですか?」


 ミレアの助言もあってつやつやとした実をつけた苗だったが、フィオリーナは麦わら帽子の下で眉根を寄せる。

 花芽から無事に果実が成熟したのだが、問題はその奇抜な色だった。


「話には聞いていましたが、見事な赤ですね」


 畑に膝をついて実の様子を見ていたネーヴェも物珍しそうにしげしげと眺めている。

 枝に連なるようにして成っていたその実は、見たこともないほど真っ赤な実だった。

 フィオリーナが目にしたことのある野菜といえば緑から黄色がほとんどで、華やかといえどくすんだ橙がせいぜいだ。これも黄色に近い。

 この赤い実は色だけ見るなら、野菜というよりも果物に近いように思われた。


「とりあえず、食べてみましょうか」


 ネーヴェはハサミでぱちんぱちんと実を収穫しては平たいカゴに入れていく。手際のいい様子を見ていたフィオリーナがなんとなく手持ちぶさたでいると「やってみますか」とハサミを渡してくれた。

 少し重たくて大きなハサミは、柄を動かすだけでも少し苦労した。ネーヴェがあれほど簡単に動かしていたのは、彼の手が大きいからだったのだ。

 それでもなんとかハサミの先を実のへたの上に差し入れて、切る。ぱちんと小気味いい音とともに実が落ちる。あっと思ったときには実は地面へ落ちていく。


「おっと」


 そばで見ていたネーヴェが実を見事に捕らえてくれた。どうぞ、と実を渡されると、フィオリーナの両手に赤い実がおさまった。思っていたより大きな実だ。


「どうやって食べるのですか?」


「デイランドでは煮込み料理に使うそうです。あちらの料理は肉でも野菜でも油で煮ますからね」


 いくつかの実を収穫してから、ネーヴェは庭先で実を洗う。ポンプから吐き出された冷たい水で赤い実はいっそうつやつやと輝いた。


「生でも食べられるそうですよ」


 そう言って実を手に取るネーヴェに、フィオリーナは目を丸くする。

 この国では野菜を生で食べることはない。作られている作物が根菜類が多いこともあるが、そもそも生のまま食物を食べる習慣がないのだ。

 ネーヴェもこの国で生まれているはずなのに、赤い実を適当に布巾で拭くとそのままガブリとかじりついた。

 赤い汁がこぼれて、彼の口元をわずかに汚す。しゃくしゃくと小気味いい音をたてて咀嚼しながら、唇を指でぬぐう。

 形の良い唇がしずくをまとう様子は見てはいけないもののように妙になまめかしい。

 思わず目をそらしたフィオリーナだったが、ネーヴェには上品に形作られた唇を気遣う様子もない。


「うーん…」


 当のネーヴェは実の味に首を傾げている。


「……どうですか?」


 フィオリーナが尋ねても、ネーヴェは考えをまとめるように思案しながら答えた。


「一度食べてみたほうが話が早いかもしれませんね」


 カリニたちにも食べてもらおうということになって、厨房へ向かう。

 昼食の準備をしていたホーネットに実を預けると、彼女もフィオリーナと同じように奇妙な顔になってカゴを受け取る。


「薄い皮がついていますが、取ったほうがよろしいんですか?」


 フィオリーナと共に厨房の戸口で待っているネーヴェにホーネットが包丁を持って尋ねてくる。


「さっき食べてみたけれど、皮はあんまり気にならない。強いていうなら芋の皮みたいかな」


「またはしたないことをなさって。大きな虫が食べたのかと思いましたよ」


 ネーヴェの食べかけを見てホーネットは笑うと、別の実を櫛型に切ってくれた。皿に載せるとフォークをつけて寄越してくれる。


「ホーネットも食べてみてくれ。感想を聞きたい」


 ネーヴェに言われてホーネットもフォークを手にする。ちょうど顔を出したカリニにもフォークを渡して、フィオリーナを含めた三人に切った実を行き渡らせた。ひとり先に食べたからか皿を持ったネーヴェは「どうぞ」と催促してくる。

 ネーヴェが感想をいっこうに言わないので、味がまったく想像できない。

 甘いのか、辛いのか、それとも苦いのか。

 フィオリーナたちはほとんど同時に実にかじりつく。

 口に入れた瞬間、思わずうめきそうになった。

 どうにか口の中で噛んで、飲み込む。


「……酸っぱい」


 こんなに赤いのに、まるで熟していないかのような酸味がある。瑞々しいといえば聞こえはいいが、野菜特有の青臭さもあった。


「元はもっと酸味の強い植物で、それを食用にここまで改良したものだそうです」


 ネーヴェはそう言って、残った実を見る。

 実の中はとろりとした果汁と種がほとんどで、薄い皮に沿って果肉がついている。


「青臭いと感じたのは、真ん中の種の部分のようですね」


 フィオリーナがそう言うと、ホーネットもうなずく。


「そうかもしれません。果肉のほうは少しだけ甘みもあります」


 ホーネットに続いてカリニも表情を変えずにうなずいた。


「果肉の部分だけならば、果物のようです」


「この野菜を果物としている地域もあるらしいよ」


 ネーヴェはそう言って残っていた実をつまんで食べてしまう。


「どう思う? 食べられそうか?」


 すっかり食べてしまってから、ネーヴェはホーネットに改めて尋ねる。尋ねられたホーネットはうなった。


「……このままでは酸味が強いですね。この野菜が食べられている地域での調理法はないのですか?」


「これが作られている地域では油で煮るそうだよ」


「油で煮る……」


 ネーヴェの答えにホーネットはますます眉根を寄せたが、「やってみましょう」と彼から皿を引き取った。




 それからホーネットが昼食のテーブルに載せたのは、


「これがさっきの実?」


 すっかりしなびてもっと真っ赤になった実だった。申し訳程度に香草が添えてあるが、ホーネットが調理したにしては見てくれはよくない。


「油で煮たんだね」


 ネーヴェが言うと、ホーネットは苦笑した。


「見た目はよくないのですが、一度召し上がってみてください」


 ネーヴェがしたように感想を避けたホーネットに促されて、フィオリーナもネーヴェと共に実にナイフを入れる。

 とろりとした果汁は水気を含んで、縮んだ実はしわしわだ。けれど、香辛料と油の良いかおりがした。


「……うん。甘くなってる」


 先に口に入れたネーヴェが少し満足そうに言う。

 続いて食べたフィオリーナも驚いた。あれだけ酸っぱい実が甘くなっていた。


「火を通すと甘くなるようです。果実は溶けてしまうかもしれませんが、今度はスープなどに入れてみたいと思います」


 どことなく自慢げなホーネットにネーヴェもうなずいた。


「調べたレシピも火を通すものが多かったから、たぶんそういう調理法が正解なんだろう。あとで調べたものを渡すよ」


「ありがとうございます。では、そのレシピを元に旦那様とお嬢様のお口にあうよう改良してみますね」


 そう笑うホーネットに、フィオリーナもうなずいた。


「楽しみにしています。収穫は任せて」


 そう笑ったフィオリーナに、ホーネットも笑った。


       ▽


「なんだいこりゃ! 酸っぱいね!」


 あはは、とミレアは大笑いする。彼女もネーヴェと同じようにその場で実を洗っただけでかぶりついた。

 フィオリーナの様子を見に来たという彼女に、実を収穫したと伝えるとさっそく食べたいと言ってくれたのだ。


「火を通すと甘くなるようです。いくつか持って帰って食べてみるといい」


 ネーヴェが収穫した実をカゴごと差し出すと、ミレアも遠慮なく受け取った。


「ありがとう。ちょうど弟家族が遊びに来てるんだよ」


 いい土産だとミレアは笑う。


「弟さんがいらしているの?」


「ああ」とフィオリーナに答えて、ミレアは曖昧に口の端を上げた。その顔は笑みのようで、複雑な表情だった。


「弟のこども……孫が来たってうちの親も喜んでいてね」


 喜んでいるのはミレアも含まれているはずなのに、家族の中に彼女は自分を入れていないような口ぶりだった。


「せっかくご家族がそろっているのですもの。よろしければカリニさんのおやつをお持ちにならない?」


 フィオリーナの一存で決められることではないが、それが良いような気がした。足りないのなら、フィオリーナの分としてわけられているものをミレアに譲るつもりだ。


「ネーヴェさん、よろしいですか?」


 勝手に約束を取り付けてしまったが、ネーヴェは笑ってうなずいた。


「カリニが、ミレアが来ると知って多めに作っているはずですから、待っていれば出来立てを持たせてくれますよ」


 そう言われてみれば、畑にまで甘いかおりが漂ってきている。


「鼻は効くほうなんです」


 それに、とネーヴェは口の端を上げた。


「お得意さまは大切にしたいですからね」


 ネーヴェがそう言って笑うので、フィオリーナもつられて笑ってしまった。ネーヴェは領主としてミレアからは税金の代わりに食料を現物で受け取っている。それをお得意さまと称するならその通りだ。


「……まったくお人好しばかりだね」


 ミレアはそう苦笑すると、次には憂鬱を破るように息をつく。


「ありがたくもらっていくよ。次の納品は楽しみにしていてくれ。色を付けてやる」


 そう言って、いつものように豪快に笑った。 





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