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椅子が言うには

 やってきたブラッドリーは、診察を終えるとすぐに診断をくだした。


「疲れが出たな。熱が下がるまでゆっくり寝てろ」


 応接間で分厚いガウンを羽織らされたフィオリーナは「はい」とかすれた声で答えた。

 騒動の翌日、フィオリーナはベッドから起きあがることができなかったのだ。

 どうやらサンルームでフィオリーナが泣き疲れて寝てしまったあと、熱に気付いたネーヴェがホーネットを呼んだらしい。らしい、というのは熱で朦朧としていてあまり覚えていないからだ。

 夢うつつの中で、フィオリーナを抱いたまま静かな声がホーネットと話しているのを聞いていた。


 ──まったく! お嬢様に無理をさせて。

 ──誤解だから早く着替えさせてやってくれ。


 どういう誤解なのか、あとでネーヴェに聞かなければ。

 そんなことを考えているうちに、フィオリーナは気が付けばベッドで寝ていたのだ。


「病人は動かすなと言わなかったか? ネーヴェ」


 診察鞄に聴診器などを片付けながら、ブラッドリーは応接間のソファの背もたれに腰掛けて背中を向けているネーヴェを睨んだ。

 ネーヴェはフィオリーナが診察を受けているあいだ、ずっとそばにいたのに背中を向けていたのだ。

 万が一にもフィオリーナの肌を見ないように、という理由だったが、さすがにフィオリーナも納得はできない。普通は席を外してくれるはずだ。それに診察はすべて服の上からで、ブラッドリーが触れたのは喉と額ぐらいだった。


「やっと終わりましたね」


 ブラッドリーの苦言を受け流して、ネーヴェは振り返る。


「フィオリーナの部屋は大人が三人も入ると狭いんですよ。それにここのほうが明るいでしょう?」


「たしかに明るいが……おまえまさか自分がお嬢ちゃんの部屋に入れないからここにしたのか」


 あきれ顔のブラッドリーに、ネーヴェは不思議そうに首を傾げる。


「ずっとベッドの上では飽きるでしょう」


「おまえといっしょにするな」


 ブラッドリーの意見にフィオリーナも同意だが、きっとネーヴェは本気だ。フィオリーナはまだ熱でぼんやりしながら、ガウンの前をかき合わせた。


「あの……ネーヴェさんのほうはもう大丈夫なのですか?」


 本来ならブラッドリーはネーヴェの診察にやってきたはずだ。フィオリーナまで診ることになって手間をとらせてしまった。

 フィオリーナのかすれた声に、ブラッドリーはあきれた顔をする。


「そいつはバカみたいに怪我をするが殺したって死なないさ。お嬢ちゃんは自分の心配をしてていいんだ」


 殺したって死なないと言われたネーヴェは、フィオリーナのとなりからソファにもたれて大げさに溜息をつく。


「そのとおり、とは言いませんが……あなたのほうが心配ですよ。フィオリーナ」


 フィオリーナが納得するかどうかは関係ないのか、「さて」とネーヴェはこちらへ回り込んでくる。


「部屋へ戻りましょうか」


 そう言うと、ほとんど抵抗もできないフィオリーナを軽々と抱き上げてしまう。たしかに自力での移動は億劫なほど体はつらいが、部屋を出るときはずっとネーヴェに抱えられている。


「……わたくしの足が溶けて無くなってしまいそうです」


 このまま歩けなくなってしまいそうなほどネーヴェは過保護だ。ネーヴェのほうは何が楽しいのか軽く笑う。


「あなたが歩けなければ、どこへ行くにもいっしょにいられますね」


 想像するだけでもぞっとする未来だ。


「……ネーヴェさんと歩けなくなるのは嫌です」


 フィオリーナはネーヴェといっしょに歩くことが楽しいのであって、抱えられていっしょにいたいわけではない。

 そう伝えると、ネーヴェはますます楽しげに笑った。


「では、早く良くなるように今日は休んでくださいね」


 結局言いくるめられて抱き上げられたままになってしまう。

 フィオリーナはあきらめてブラッドリーにお礼だけ告げる。


「……ありがとうございました。診療代はまた今度お支払いいたします」


 ブラッドリーはフィオリーナに苦笑すると、早く行けと言わんばかりに手を振った。


「手間賃なら、お嬢ちゃんの椅子からもらうから気にするな」


 椅子と呼ばれたネーヴェは笑って肩を竦めると、今度こそフィオリーナを連れて二階へと上がった。

 フィオリーナを抱えたまま、器用にドアを開けるとそのままベッドへ向かう。ネーヴェの痩身のどこにそんな力があるのか、人ひとりを抱えているというのに重そうな素振りも危うげもない。ドアノブを回すときにはほとんど片手でフィオリーナを抱えている。

 ネーヴェはゆっくりとフィオリーナをベッドへ降ろすと、そっとキルトをかけてくれた。

 その様子はいかにも紳士的だったのに、ネーヴェはベッドのふちに腰掛ける。

 ぎしりとベッドが長身に軋んで、ふたり分の重みをフィオリーナに感じさせた。


「無理をさせてすみません」


 そう言ってネーヴェはベッドサイドにおいた洗面器の水に浸していた布巾を絞ってフィオリーナの額に乗せる。熱がすこしだけ和らいで、フィオリーナはほっと息をついた。

 ブラッドリーの往診に、カリニやホーネットの反対を押し切ってフィオリーナをほとんど無理矢理、応接間へ連れて行ったのは誰であろうネーヴェだった。


「……どうして、この部屋にブラッドリーさんが入ってはいけなかったのですか?」


 ブラッドリーは男性だが医者だ。ホーネットが付き添ってくれていたらそれで済んだはずだった。

 枕に頭を預けるフィオリーナの整えていない髪の先を、ネーヴェはくるりと長い指でもてあそぶ。


「あなたの部屋に入れたくなかっただけですよ」


 まして、とネーヴェは溜息のように続ける。


「ベッドの上なんて最悪です」


 どうして最悪なのか。たしかに体調を崩しているフィオリーナは最悪の気分ではあるけれど、ネーヴェの言いたいことはそうではないのは感じられた。

 フィオリーナがよくわかっていないことなど百も承知なのか、ネーヴェは菫色の瞳で見下ろして笑った。


「椅子の独り言ですよ」


 ひた、と大きな手が布巾越しに額に当てられる。


「……ネーヴェさんは、部屋に入ってもいいのですか?」


 熱のせいかいつもよりもフィオリーナの思考が幼い気がしたが、ネーヴェは笑っただけだった。


「今日の私はあなたの椅子で、紳士の教育を受けていますからね」


 紳士は女性を最大限に尊重するものだという。椅子になったり、ハンカチになったり忙しい人だ。


「……ネーヴェさんは何の役でなくてもいいです」


 額を撫でられているとぼんやりと眠気がやってきた。今にもまぶたが落ちそうなフィオリーナにネーヴェはささやく。


「何者でもない私なんて、ただの獣ですよ」


 苦笑するような声を聞きながら、フィオリーナは枕に任せて目を閉じた。


「…ネーヴェさんが猫なら、きっと綺麗です…」


 眠りの中の暗闇でやわらかな笑い声がする。


「……では、元気になったら撫でてくださいね」


 そう額を撫でる猫の声が聞こえた気がした。




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