図面が言うには
クリストフの迎えが来たのは夕方になってからだった。
「何かあれば連絡してくれ。夜会の招待状はまた送る」
それから、とホコリは払ったもののすっかりくたびれてしまったタキシードのジャケットを着ながら、クリストフはネーヴェに向き直る。
「ここの風呂! あの仕組みはやっぱりいいな。今度技術者を寄越すから教えろ」
風呂上がりにワインをたらふく飲みながら、クリストフはネーヴェに言い募っていた。たしかにいつでもお湯が出る仕組みは便利だ。けれど詳しく聞き出そうとうするクリストフに、ネーヴェはすこし早い晩酌に付き合いながら始終あきれ顔だった。
「ハルディンフィルドの給湯器に手を加えただけの簡単なものだ。特別なものじゃない」
「あの給湯器は魔力を加えないと動かないだろう? この国じゃ魔術師でもない限り扱えないし面倒なんだよ。何をしたんだ?」
熱心なクリストフの好奇心に負けたのか、ネーヴェは渋々といった様子で「簡単に言えば」と口を開く。
「日光を集めてそれを魔力に変換するようにしたんだ。せっかく湯を沸かせるのに私が風呂釜の魔力板にいちいち魔力を充填させるのは面倒だからな」
そう言ってネーヴェは面倒臭そうに人差し指を天井に向けて続ける。
「風呂の屋根に反射板を設置して集めた日光の熱を給湯器で魔力に変換して一定量蓄積させるようにした。その魔力で給湯器を起動させてタンクに貯めた水で湯を沸かす。タンクの水を沸かすには時間がかかるから、薪を使ってボイラーを回すより時間はかかるし魔力の導線はすこし複雑だが、あらゆる手間は省ける。コックをひねれば誰でも湯を沸かせるんだからな。温度調節はあらかじめ湯沸かし用のタンクに魔力の蓄積上限を設定して……」
「わかった。やっぱり技術者を送るからそいつに説明してくれ」
説明を止めたクリストフは賢明だった。となりで聞いていたフィオリーナももちろんわからなかった。ネーヴェだけは「面倒臭い」と顔をしかめている。
「忙しいから図面だけ送る」
「そんな面倒そうな仕組みを図面だけで分かるか」
今度はクリストフが顔をしかめるが、ネーヴェは涼しい顔だ。
「じゃあ、本職の魔術師を雇って解析させろ。屋敷に押しかけてこられたら仕事の邪魔だ」
にべもないネーヴェに、クリストフは溜息を一度ついてから「あのな」と切り返す。
「魔術師を呼ぶぐらいなら今すぐこの技術を塔に届けて独立技術権を取れ。そうでないならその魔術師に横取りされて使用料が取れないぞ」
魔術師の研究機関である“塔”に独自に開発した仕組みなどを登録すれば、技術使用料として金銭が受け取れるようになるという。それが魔術師の収入源となっているらしい。
伯爵領を取りまわしているクリストフの視点はさすがだった。けれど、当のネーヴェはうんざり顔だ。
「こんなこと、私だけが思いついているはずがないだろう」
「少なくとも俺は初めて見たからやれるだけやってみろ。金は無いよりあったほうがいいに決まってる」
そう言ってクリストフはなぜかフィオリーナを見る。つられるようにネーヴェも見つめてくるから居心地が悪い。それを好機と見たのか、クリストフは畳みかけた。
「手続き書類ぐらいは送ってやる。それでもって申請が通ったらうちの城につけてくれ」
「……おまえの城に行くのはごめんだが、独立技術権をとるのはとりあえず考えておく」
ネーヴェが珍しく折れたところで、カリニが玄関のドアを開けた。相変わらず完璧な仕事だ。
クリストフは戸口で手を振った。
「訴訟に勝ったら何かおごってくれ」
「今日うちのワインを何本飲んだと思ってる」
嫌そうな顔をするネーヴェに、クリストフは笑った。
「ワインならケースでうまい年のものを送ってやる。申請書類と一緒にな」
ああそうだ、とクリストフはフィオリーナに目を向けた。
「君は自分の心配だけしていればいい。面倒事はネーヴェが解決してくれる」
迷惑をかけているのはフィオリーナもクリストフと同じなので曖昧に笑って返した。そんなフィオリーナにクリストフはあきれ顔をする。
「そんなことじゃあ、すぐ食べられてしまうぞ。君はいつでも狼の腹の中にいることを忘れるなよ」
じゃあな、とクリストフは言いたいことだけ言って帰っていった。
嵐が去ったような脱力感で、フィオリーナはネーヴェとともに息をつく。
「……狼のおなかの中とはどういうことでしょうか?」
ふと気になったことをとなりのネーヴェに尋ねてみるが、彼は「さぁ?」と肩を竦めた。
「オルミ領に狼はいませんよ」
そう言って笑うネーヴェは、眼鏡をはずしたときのように狼によく似ていた。




