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マッチが言うには

「え……」


 エルミスは家のために女性の身で戦場に赴いたはずだ。フィオリーナが息を詰めるのを見ると、ネーヴェは眉を下げた。


「……あのころは、よくある話でした。特に貴族だったエルミスは、戦場で活躍するような娘は嫁ぎ先もないからと、家のために出て行ってくれと言われたそうです」


「そんな……」


 その家を守ったのは紛れもなくエルミスだろう。家を守った当の娘を放り出す親がいるということだ。改めて貴族の娘の立場の危うさにぞっとしてしまう。家のためならばいくらでも切り捨てられてしまうのだ。


「行くあてもないというので、しばらくここに滞在してもらうことにしたんです。……あのときの彼女は本当にひどい状態だったので」


 毎日泣いては眠り、起きては泣きを繰り返す。そんな状態の彼女をネーヴェは放っておくことはできなかったという。医者であるブラッドリーも心の問題であるから、根気よく付き合えとしか言えず手の打ちようがなかった。


「ちょうど、カミルヴァルトの本家からオルミ領へカリニとホーネットを寄越してもらったところだったので、どうにか生活はできていましたが……本当にどうにもならない状態でした」


 昨夜カリニに聞いた話だと、ネーヴェ自身も慣れない生活に戸惑っていたはずだ。


「……どうしたらいいのか分からなくて、色々なことを試しましたよ。ホーネットの提案でピクニックに連れ出したり、食事に連れ出したり……カリニの提案で、ヒースグリッドにも何度も買い物に行きましたね」


 そうやって人間らしい暮らしをしているうちに、エルミスは少しずつ自分を取り戻していったという。

 かいがいしくエルミスに寄り添っている姿は、たしかに恋人に見えただろう。

 それはエルミスもそのように思うのではないだろうか。


「……エルミス様は、どのように思われていたのですか?」


 フィオリーナの問いかけに、ネーヴェは困ったように口の端をあげた。あまり答えたくないことなのだ。それでも、フィオリーナが待っていると小さく息を吐いて口を開いた。


「──たぶん、私のことを恋人だと思っていましたよ。体の関係も求めてきましたから」


 具体的なことまで答えられて、フィオリーナのほうが戸惑ってしまった。だが当のネーヴェはすこし視線を逸らせたぐらいだった。

「信じてもらえないかもしれませんが」と溜息をつくようにネーヴェは続ける。


「さすがにベッドへのお誘いは断りましたよ。部下に手を出すような最低の上司になりたくなかったので、従軍中も部隊内の女性とは関係を持たないと決めていましたから」


 絞り出すような声が無理矢理答えさせてしまったことを物語っていて、後悔しても遅かった。

 フィオリーナとの約束を作ったときに、頑なに男女の関係を持たないと決めたのは、エルミスとのことがあったからだろう。

 ネーヴェは何かを吐き出すように深く溜息をついた。


「……こういうことは、私にとってあまり珍しいことではないんです」


 どこか自嘲するように、ネーヴェは口元を歪める。


「戦場では女性も物寂しくなるようで、そういった相手によく選ばれていましたから」


 ネーヴェはお世辞を抜きにしても端正な顔立ちだ。それに、応対は冷たくとも横暴なふるまいもしないので、女性に人気があったはずだ。

 でも、ネーヴェの告白したことはもっと直接的なことなのだろう。

 きっとネーヴェに迫った女性たちは一夜限りの関係でも、ネーヴェの恋人を名乗ったのだ。

 ネーヴェはどこか遠い記憶を探るような顔で、ソファのひじ掛けに肘をつくと頬杖をついた。


「ひとり特別な人を作れば、しばらくは他からのアプローチを極力避けることができるので、彼女たちにとっても、私にも都合が良かったんです」


 女性というだけで、男所帯の軍隊の中では生きにくい。

 だから、女性たちはネーヴェの恋人という名前に守られるようにして、戦場を生き残った。


「今思えば、共生関係だったんでしょうね。そういう関係に私も抵抗を覚えなかったので」


 いつだったか、ネーヴェが言っていたことだ。

 ──女性からの誘いは断らない。

 彼にとってはそれが日常だったのだ。


「……きっと、根っからの娼婦の子なんですよ。──それなりに大事にしても、唯一にはならない」


 唯一にはならない、という言葉がもの悲しくて、フィオリーナもつい目線を下げてしまう。

 ネーヴェが自分を娼婦の子だと言ってはばからない理由が、こんなことで知れてしまうとは思ってもみなかった。

 それはフィオリーナの想像以上に根深く彼の人生に絡まっているものだった。


「──こんな私を恋人だと思っていたのなら、エルミスはつらかったと思いますよ」


 ネーヴェにとってエルミスに付き添っていたのは保護であって、恋人という名前をつけていたとしてもエルミスの気持ちとは異なってしまっただろう。


「一年も経たないうちにエルミスはここを出て行きました。それで、ようやく愛想を尽かされたんだなと気付きましたよ」


 行くあてもなかったエルミスにとっては、オルミ領を出ることは一大決心だっただろうが、ネーヴェにとっては愛想を尽かされただけのことだった。そのことがいっそう彼らの気持ちの違いを浮き彫りにしているようだった。


「それから、隣領のランベルディで保護したとクリストフから連絡が入って、それきりだったんです。しばらく経ってクリストフ伝いに、平民として働きだしたと聞いていました」


 宝石商としてやってきたことが、本当に久しぶりの再会だったのだ。


「今は元気にやっているようで、安心しましたよ」


 そうやって微笑むネーヴェは、本当に友人の快復を喜ぶ顔だった。

 ここまで話してくれるとは思っていなかった。

 ただの友人なのだと言われて、体よく丸め込まれてしまうとも考えていたからだ。

 赤裸々に語られた彼らの戦後をフィオリーナには想像もできないし、話を聞いても実感がわかない。

 それでも、ネーヴェは手の内側のひとつを見せてくれたのだ。

 ネーヴェがどう感じていても、傍目からみればエルミスとは恋人同士だっただろう。

 それでも、特別になれないと嘆くだけの、フィオリーナの子供のようなわがままはどこかへ消えていた。

 だからこそ不思議に思った。


「……ネーヴェさんは、どうしてわたくしにここまで話してくださったのですか?」


 ネーヴェは本当にとことんまでフィオリーナに誠実であろうとする。それは痛みをともなって身のうちを捌くようだ。今も身を切るようにして過去を話してくれた。

 そうまでしなくても、フィオリーナのような世間知らずの娘を騙す方法などいくらでもある。

 あなただけが恋人なのだとでも言って甘い言葉で宥めておけば、きっとフィオリーナも騙されていたに違いない。

 フィオリーナの問いに、ネーヴェは本当に困ったように苦笑する。


「……あなたに話したくないことなんて、まだたくさんありますからね。嘘は少ないほうがいいんですよ」


 エルミスのことがフィオリーナに知れたとあれだけ怒ったのだ。フィオリーナには知られたくない最たるものだったのだろう。

 それとも、これ以上知られたくないことがあるというのか。


「こればかりは頼まれても言いません」


 秘密です、とネーヴェは繰り返して、ひと息つきたいのか煙草を取り出した。フィオリーナもすっかり冷めた紅茶のカップを手に取る。

 ぬるくなった紅茶に口をつけながら、煙草に火をつける様子を見つめていると、ネーヴェは「なにが面白いんですか」と笑う。


「……いつも器用に片手でマッチを擦って火をつけられるので、なんだか魔法みたいで」


 フィオリーナの言葉に「こう見えて魔術師なので」とネーヴェはうそぶいて笑うと煙を吐いた。

 思えば、ネーヴェはフィオリーナの突拍子もない言葉に怒ったことなどないし、邪険にすることもない。

 フィオリーナのわがままをそのまま助長するかといえばそうでもないというのに、許されていると感じるのは、こうやってうなずいてくれるからだろう。


「私の話ばかりでつまらないですね。今度はあなたの話をしてください。フィオリーナ」


 たしかにネーヴェの話ばかり聞いているが、フィオリーナには彼のような体験──とくに恋愛体験などない。親切な軍人への初恋話は話したが、あれは恋愛というよりフィオリーナの憧れに近かったと今ではわかる。

 そのほかの話といっても、フィオリーナにあるのは本当につまらない話だけだ。


「……実は、昨夜の夜会で元婚約者の友人である方をお会いしたのです。──破談したあとでも、前の婚約者に迷惑をかけないでくれと忠告されました」


 彼には元婚約者であるシリウスを気遣うよう、どう考えても理不尽なことを言われたのだが、思い返せばシリウスも彼のような人だった。それが彼らの普通なのだ。



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