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ワインボトルが言うには

「……フィオリーナ」


 無機質な声は、ガラスに爪を立てる音のほうが温かみがあると思われるほど冷たかった。


「弁解はあとでいいですか」


「え?」


 フィオリーナが聞き返したのも束の間、ネーヴェはサンルームを足早に出て行ってしまった。

 何がおこったのか分からなくてフィオリーナが椅子に座り込んでいたのは、ほんの少しのあいだだけだっただろう。

 しかし、屋敷を揺さぶるようなすさまじい音が聞こえてきて、慌ててサンルームを飛び出した。

 短い廊下に叫び声とひどい物音が響きわたっている。

 ようやく辿りついた応接間はひどい有様になっていた。

 けっして部屋の中ではありえないほどの暴風が吹き荒れている。グラスやワインボトルはサイドテーブルの上で散乱し、ソファまで逆さになっている。家具が壊れていないのが不思議なほどの惨状だ。


「やめろ、ネーヴェ!」


 ブラッドリーの叫び声も、ばちばちというひどい火花にかき消される。

 部屋の中であろうことか目の眩むような火花が飛び散っている。


「八つ当たりはやめろ、ネーヴェ!」


 光の壁で火花を退けているのはクリストフだ。叫ぶクリストフに様々な火花や魔術が襲いかかっている。


「八つ当たり? おまえが元凶だろう」


 いっそ穏やかな声でクリストフに攻撃を繰り返しているのは、顔色ひとつ変えないままクリストフを睥睨しているネーヴェだ。

 ネーヴェは手も掲げていないのに火花をまとって、魔術を繰り出しているのだ。さまざまな形の光の円が彼の周りを飛び回り、次々と糸や火花が吐き出されていく。


「くそっ! なんで俺がこんな目に…っ」


 クリストフも目にも止まらぬ勢いで光の壁を作り出しているが、ネーヴェの魔術のほうが起動が早い。次々と壁を突破されてその腕に攻撃がかすっている。


「おまえはしばらく寝ていろ」


 ネーヴェの温度のない声と共にクリストフの周りに光の結晶が表れる。あれは、昨夜散々見た魔術の棺桶だ。戦場で捕虜を生きたまま捕らえるという恐ろしい魔術が、人体に問題がないわけがない。


「ネーヴェさん!」


 とにかく止めなければ。

 蒼白になりながらもフィオリーナは火花の中に飛び込んでいた。

 完全に不意をつかれたのか、菫色の瞳がわずかに振り返る。

 ばちばちとひどい音が周りで踊り回る。それでもフィオリーナは手を伸ばす。

 そのまま長身の脇腹にしがみつく。

 何かしらの衝撃を覚悟してきつく目を閉じた。

 けれど、ふわりと風が舞ったかと思えば、凶悪なほど作られていた光の円が消えていた。


「……フィオリーナ」


 フィオリーナがやっと息をついていると、あきれ顔でネーヴェがこちらを見下ろしている。

 ネーヴェは脇腹のフィオリーナを腕を上げて避けるようにして、溜息をつく。


「危ないですよ」


 さっきまで人を害しかけていたとは思えないほどの白々さだ。


「危ないのは、あなたです!」


 その場にいたネーヴェ以外の同意は得たはずだが、当人はしかめっ面だ。


「もう少し待ってください。すぐ済みます」


 そう言って魔術を展開させようとするので、フィオリーナはネーヴェの腕にしがみつかなければならなかった。


「何をなさるおつもりですか!」


「殺しはしません。拘束するだけですよ。……一ヶ月ほど」


 ぼそりと聞き逃してはいけない言葉が付け足された。一ヶ月も人を拘束すれば立派な犯罪になってしまう。

 フィオリーナはネーヴェの腕に必死にしがみついているというのに、彼のほうは猫にでもしがみつかれたほどにしか感じていないのか、涼しい顔で続けた。


「あなたを傷つけたのにのうのうと生きていていいはずがないでしょう」


 絶対に倫理観を間違えているというのに、ネーヴェはさも当然のように平然としている。


「わたくしは、ネーヴェさんとエルミス様とのことを聞いただけです!」


 たしかにクリストフは口を滑らせたのかもしれないが、言及したのはフィオリーナだ。それに、傷つけているというのならそれはクリストフではない。

 クリストフがうっかり漏らしたことまでほとんど一瞬で見抜いてしまうのに、ネーヴェはエルミスとの関係をまったく否定していないのだ。それが答えだった。


「……エルミス様とネーヴェさんが恋人同士だったことは、本当のことなのでしょう?……ネーヴェさんが怒る理由なんてどこにもありません」


 傷つけているというのなら、こうしてこんなことをフィオリーナに言わせているネーヴェに傷つけられている。


「恋人? おまえらしばらく同棲してただけじゃないのか」


 ブラッドリーの怪訝な顔に、クリストフは反論する。


「恋人だろ! わざわざふたりでヒースグリッドに来てドレス選んで宝石まで買ってやってたんだぞ、この冷血漢が!」


 余計な情報まで飛び交って、ネーヴェは片手で顔を覆った。


「……やっぱり麻痺毒漬けにしてやる」


 ふたたび魔術を展開させようとするネーヴェを押しとどめながら、フィオリーナは本当に泣きたい気分になってしまう。昨夜よりも泣き叫びたい気分だ。どうして失恋したようなひどい気持ちのまま、当のネーヴェを宥めなければならないのだろう。

 ネーヴェはクリストフやブラッドリーが口々に止めろと叫んでいるのに耳を貸す様子もない。

 目の前にひときわ大きな光の円が描き出されて、いっそう泣きたくなってしまう。

 どうしてネーヴェは普段は落ち着いた大人なのに、時々とんでもないのだろう。


「いっそのこと、わたくしを棺桶に入れてください……! そうすれば、あなたはもう思い悩まなくて済むのではないですか……!」


 口に出してからいっそそれが名案のような気がした。フィオリーナが邪魔なら初めからそう言えばいいのだ。

 光の円がかき消えた。

 風が舞い上がって、ようやく静かになる。

 火花も収まり、あとには嵐が横断したかのような応接間だけが残されている。

 ほっと足から力が抜けて、フィオリーナは床に座り込んでしまいそうになる。

 それを大きな手がすくい上げるようにして、片手でフィオリーナを支えた。

 腰を支えられる形で腕にすがると、瞠目している菫色の瞳とかち合った。

 まるでとうてい理解できないことでも聞いたように、ネーヴェが絶句している。

 そんなネーヴェはもちろん見たことがなくて、言葉が出てこない彼も初めてだった。

 しかしあまりにもじっと見つめられていると次第に居心地が悪くなってくる。

 そんなフィオリーナに小さく息が落とされる。


「……わかりました。止めます」


 小さいが、たしかに呟かれた言葉に跳ねるように見上げると、白皙の顔が居心地悪そうに眉根を寄せている。まるで叱られた子供のようだ。


「……ただし、私の言い分を聞いてください」


 こんなに大暴れしておいて、まだ自分の意見を通そうというのだから本当にどういう神経をしているのだろうか。ネーヴェが冷血漢と呼ばれているのも何となく理解できた気がした。

 承諾するまで離してくれそうにもなかったのでフィオリーナが渋々うなずくと、ネーヴェは支えながら立たせてくれる。こうやってちゃんと優しい心を持っているのに、本当にどうしてこうもめちゃくちゃなのだろう。


「お話はまとまったようですね」


 呼びかけてきたのはカリニだ。彼は手にした箒とちりとりをネーヴェの前に差し出す。


「これよりあとのお話し合いは、片付けの後でお願いいたします」


 ネーヴェは掃除道具を受け取って、大きく溜息をついた。



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