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庭が言うには

 兄たちを見送った日は、ネーヴェとお茶を飲んで、執事のカリニが焼いたというミートパイを食べてから寝てしまった。

 ひどく疲れていたようで、フィオリーナが起きたのは翌日の早朝だった。

 フィオリーナにあてがわれた二階の客室からは庭がよく見える。

 カーテンを開けて望むと、朝日を受けた庭の木々や花々がきらきらと輝いていた。

 あまりにきらきらとしているから朝日が本物の飛沫となっているのかと錯覚してしまったが、よく見ればネーヴェが庭木に水をやっている。

 フィオリーナは身支度を整えて、庭へ出てみることにした。



 

 フィオリーナが庭へ出ると、ネーヴェはかがんで何やら庭木の様子を見ていた。


「おはようございます」


 声をかけてから、しまったとフィオリーナは立ち止まる。身分が上の人間に声をかけられるまで話しかけないのがマナーだ。

 けれど、ネーヴェは気分を害した様子もなく、こちらに振り返る。


「おはようございます。よく眠れましたか?」


 ネーヴェは長身を少し丸めるようにして立つと、手を少し払う。今日の彼もズボンにシャツ、ベストだけの軽装で、髪も適当に結って右側に垂らしているだけだ。けれど、朝日を受けた彼の髪色はあざやかな葡萄色に透けて今日もきれいだった。


「手が汚れているので、淑女への挨拶はご勘弁ください」


 淑女への挨拶は、紳士が敬愛をこめて女性の手をとり、手の甲に唇を近付けることだ。

 古式ゆかしいこの作法は、今ではよほど親密でないとやらない。


「……からかわないでください」


 フィオリーナが思わず睨むと、ネーヴェは「はは」と軽く笑った。今までのやりとりで分かっていたことだが、彼は人をからかう悪癖がある。

 ネーヴェは何かをあげつらうわけではないので、とくべつ不快にはならないが、慣れないフィオリーナでは扱いに困ってしまう。


「……あまりわたくしをからかわないでください。その…こういうやりとりには慣れていないのです」


 人付き合いに慣れないフィオリーナでは、ネーヴェのからかいに気の利いた言葉を返せない。今まで人付き合いから逃げていた代償なのだと自嘲してみるが、それがひどく情けなかった。

 フィオリーナの様子にネーヴェは少し首をかしげて、


「嫌なことは怒って良いんですよ」


 悪びれもせずそんなことを言う。

 元凶のネーヴェに言われても、フィオリーナが困っているのを楽しんでいるようにしか見えない。


「今、私のからかいを不快だと言ってくれたでしょう? あなたのせいではないのですから、自分を情けなく思う必要なんてありませんよ」


 まるでフィオリーナの自責を覗いたようなネーヴェに、すっかり煙に巻かれたような心地になってしまう。


「……なんだか、うまく丸め込まれたような気がします」

「いい調子ですね。嫌なことは教えてください」


 ネーヴェは納得いかないフィオリーナをからかうように笑った。やっぱり変わった人だ。

「庭を見てみますか」とフィオリーナを誘ってくれたので、大人しくネーヴェの後をついていく。

 朝日に照らされた庭は明るい緑でいっぱいになっている。その緑を縫うようにして小径が迷路のようになっていた。

 大小さまざまな草木はほとんどが薬草だ。

 目に付いた薬草の名前を子供の遊びのように呟いていると、そんなフィオリーナをネーヴェは意外そうに見た。


「よくご存知ですね。ご実家で育てていらっしゃったんですか?」

「……草花が好きなのですが、薬草の本物を見たのは実は初めてです」


 フィオリーナの実家では、園芸用の花は庭にあるが、薬草はあまり無い。


「ここには図鑑で見た薬草がたくさんあって、目移りしそうです」


 図鑑の絵だけでは分からない、現実の薬草の存在感を確かめるように見ていたが、


「……この季節にこの花?」


 図鑑で見た限り、この薬草の花の時期はもう終わったはずだ。


「この庭は年中こうなんですよ。妖精が住んでいますから」


 妖精が住んでいるから、花が咲く時期や枯れる時期すらもめちゃくちゃなのだという。


「妖精…」


 妖精などと言われても、フィオリーナは生まれてこのかた妖精など見たことも触れたこともない。絵本の中の人物だ。


(でも、もしかしたら魔術師にとっては当たり前のものなのかもしれない……?)


 フィオリーナはおそるおそるネーヴェを見上げる。そして「あっ」と思わず声を上げた。

 ネーヴェがにやにやと笑っていたのだ。


「ま、またからかいましたね!」

「ははは」


 フィオリーナをひとしきりからかって、ネーヴェはあたりを見回した。


「この庭には薬草ぐらいしかありませんが、好きに見て回って構いませんよ。──ただし、夕方以降は駄目です」


 またからかっているのかとフィオリーナはネーヴェをにらんだが、今度の彼は笑っていなかった。


「水やりぐらいは構いませんが、新しく花を植えたりするなら相談してください。ちょっと気難しい庭なので」

「気難しい…」


 植物を育てることが難しい土壌なのだろうか。そういう土地があるのだと本で読んだことがある。


「あの…他に気をつけることはありますか?」


 フィオリーナは花壇で花を育てていただけで植物の専門家ではない。何か手違いがあってはいけないと尋ねたのだが、ネーヴェは何やら考えるようにしてこちらを見ていた。

「どうかしましたか」とフィオリーナが問い直したが、菫色の瞳は面白がるように目を細めて「庭で気を付けることでしたね」と話を戻した。


「そうですね……夕方以降は庭に入らない。新しい花を植えるときは相談する。あとは──何か呼びかけられた気がしても決して返事をしないこと」

「返事をしないこと?」


「ええ」とネーヴェは肯いて、庭を見渡すように足を止めた。フィオリーナも彼に倣って庭を眺めてみる。整然と整えられた花壇と違って、様々な草木がいっしょくたになって我先にと伸び放題に伸びている自由な庭だ。そのせいか、明るい場所と暗い場所がはっきりとしている。


「木の陰、草の陰、少し暗いなと思うようなところに入るのもやめた方がいいですね。庭を一人で歩くのなら明るい場所を歩いてください。そういえば、日傘か帽子を持っていますか?」


 日中歩くのなら日除けになるものが必要だという。  

 ボンネットは持っているが、日傘は旅ではかさばるからと持ってこなかった。

 他にも、生活に必要なものを揃えなくてはならないだろう。


「では、今日やることは決まりましたね。約束したでしょう?」


 ネーヴェに言われて、フィオリーナは「あっ」と小さく口を開けた。

 ネーヴェとの約束の最後のひとつ。これは提案という形だったが、フィオリーナは毎日やりたいことをひとつ見つけること。

 何か家の手伝いをしたいというフィオリーナに、ネーヴェが提案したのだ。生活に必要なことは執事のカリニとメイドのホーネットの仕事であるし、ネーヴェにはネーヴェの仕事がある。フィオリーナが誰かの仕事の手伝いをして漫然と過ごすより自分で何かを見つける方がよほど有意義だ。


「今日は…買い物に行きたいと思います」


 フィオリーナがそう宣言すると、ネーヴェは「はい」と頷いた。


「さしあたっては、まずは朝食にしましょうか」


 彼が指した方角では、メイドのホーネットが苦笑いで庭の端で待ちかまえていた。



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