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採掘師が言うには

暴力・流血表現あり

 それまで大してうまくいっていたわけじゃない。

 貧しい村に生まれ、家の仕事を引き継いで育ってきた。

 鉱山師は鉱脈が当たれば稼ぎになるが、鉱脈が尽きれば即廃業となる。

 賭博にも似たこの職を淡々とこなしていた父をずっと見てきた。

 時に採掘師の荒くれ者と対峙し、怪我をした職人に親身に寄り添い、けっして穏やかな職とはいえない鉱山師の父の仕事はやさしく丁寧で、たくましかった。

 そんな父の背中をずっと追っていくのだとトランは信じて疑わなかった。


「……もう少しだからがんばってくれ」


 父を背負いながら、かたわらの母を励ますとめっきりしわの増えた顔を母は不安そうに歪めた。ランプを持つ手が震えている。


「…本当なのかい? 村が襲われるなんて…」


 何度もそう問われて、トランは思わず口を滑らせそうになるのをこらえた。


「……大丈夫。村には俺の仲間が知らせに行ってくれているから」


 父と母が住む村はずれが一番危ないのだと説いて聞かせて、ようやく連れ出したのだ。ここで引き返すわけにはいかなかった。

 たとえ村へ知らせるという嘘がバレたとしても。

 村の人々が悪いとは思わない。けれど今まで鉱山師として父が村人たちに多くをもたらしてきたというのに、未だに父母だけが病や薬の犠牲になり続けている事実が許せなかった。

 誰もが報いを受けるべきなのだ。

 トランはそう信じて疑わなかった。


「…まさかオルミが盗賊に襲われるなんて…」


 信じられないと母はこぼして暗い森をランプでかざした。


「……元々ティエリ領の一部だったのに、分割なんかされたせいだ」


 そう口にして、ティエリ領だった頃が今とどう違うのかと心の中でトランは自嘲する。

 今も昔もオルミは貧しい村だ。

 食べ物は乏しく、村人が食べるものしか作られず、牧畜だけが生きるすべだった。そんなオルミの山を学者が掘り返して不思議な石を発見し、月鉱石と名付けた。

 長年ほとんど放置されていた鉱山が再び脚光を浴びたのは、月鉱石が魔術を使った機器に有用だと再発見されたからだ。

 父はそんな過渡期にやってきた鉱山師だ。領主の依頼で調査に来たのが最初だった。

 それからは本当にオルミは劇的に変化した。鉱山の発掘のために村人は採掘師となることを強制され、なれない者も採掘に駆り出された。女や子供も関係ない。

 労働税として課されたこの苦役は本当に過酷で、大昔には奴隷や犯罪者の仕事だったという。

 ただの鉱山師だった父は領主の方針など変えられるはずもなかったが、女子供の仕事の負荷を減らし、鉱山の整備に努めたのだ。それは自らが奇病にかかってからも変わらなかった。

 それなのに、新しくやってきた領主は奇病を理由に鉱山すべてを閉鎖した。

 領民であるかぎり、所詮領主の持ち物でしかない。住む場所を保障される代わりに、何もかもを差し出さなければ生きていけなかった。

 それが事実だとしても住む領地を選ぶことはできる。

 トランはそのためにこの恐ろしい計画に手を貸した。

 苦労して生きてきた者が報われないなど、あってはならないのだ。


「……トラン」


 背負った父に呼ばれ、トランはわずかに緊張する。


「おまえ、何か隠しているだろう」


 年をとった父はすっかり軽くなった。どっしりとしていた身体は枯れ枝のようになり、奇病に侵された手足は固く、今にも崩れ落ちそうだった。

 それでも父の声は明朗にトランの耳に届いた。


「トラン」


 こらえきれなくなって父を振り返りかけた。


「おい」


 別の声に呼びかけられて、トランは前に向き直る。森の奥から、こちらと同じようにランプを掲げる男たちがいる。

 父の顔を見なくて良かった。そんな自分勝手な安堵でトランの足は速くなる。

 遅れ気味だった母がようやく追いついてきたのを見ると、ランプの明かりに照らされた男はあからさまに歪んだ。トランにこの計画を持ちかけてきた男だ。両親は助けていいという話だったからそれを信じたのだ。


「本当に連れてきたのか」


「そういう約束だ」


 トランの答えに男はあきれた顔をする。


「足手まといを増やしてどうする」


 男は自分の男のうしろの男たちに顎で指す。


「やれ」


 男たちはそれぞれ腰の剣を抜くと、トランたちへと向かってくる。

 それは、まるで家畜を処分するような仕草だった。


「話が違う!」


「じゃあ、おまえがやれ」


 男は自分の腰に佩いていた剣を抜いて、トランに持たせようとしてくる。


「足手まといはいらない。自分の親をおまえがどうしようが勝手だろ?」


 歪んだ笑いを向けられて、トランはやっと男たちの意図を理解した気がした。


「……俺を殺さないのは、採掘師だからか!」


 トランの叫びに男は溜息をついた。


「当たり前だ。それに、おまえはもう俺たちと共犯なんだ。死ぬまで好きなだけ山を掘っていればいい」


 一生な、と笑う男をトランは信じられない思いで睨んだ。

 そんな仕事は奴隷と変わらない。


「……逃げろ、トラン!」


 背中で静かに話を聞いていた父が、トランの背から飛び降りる。

 押し出された力は驚くほど弱かった。

 どうしようもなく弱い力だったというのに、トランだけが放り出される。

 地面に倒れた父に駆け寄った母の手をとるが、母も首を横に振って叫ぶ。


「早く行くんだ!」


 トランの手を振り払って、母は父をかばうように痩せた身体を重ねるようにして抱きついた。

 男たちが剣先を両親に向けている。

 震える足を殴りつけるようにして、トランは両親と剣のあいだに走り込んだ。

 その様子を見ていた男は少し考えるような仕草をしてから手を振った。


「もういい。いっしょに始末しろ」


 長剣の先がトランにも向けられる。

 喧嘩ならいくらでも経験がある。だが、彼らはそこらへんのゴロツキとは明らかに違っていた。

 対峙すれば分かった。彼らは軍人なのだ。

 命令があればどんな卑劣なこともためらわない。


(勝てない)


 唐突に理解してトランの足は竦んだ。

 ちくしょう、とかろうじて悪態を吐き出しても間に合わない。

 もう何もかも間に合わないのだ。

 冷たく有無を言わせない切っ先が襲いかかってくる。


「──やっと見つけた」


 キン、と甲高い音が長剣を弾いた。

 弾かれた長剣と共に、長い髪が軌跡をたどるようにして流れる。

 夏の終わりだというのに冬用のコートが翻り、手にした短剣が長剣をからめ取るのが見えた。

 ガキンといびつな音を立てて長剣が折れる。よく見れば、短剣には細かい溝が彫られている。武器破壊に特化したソードブレイカーという悪名高い武器とはトランは知らなかったが、いとも簡単に長剣をあしらった長身を信じられない思いで見た。


「クソっ!」


 武器を取られた男ともうひとりが襲いかかる。

 コートの長身は武器のない男の拳をかわすと、そのまま容赦なく短剣の柄を喉へとたたき込む。かまわず切り込んできた長剣を短剣で受けると、また凶刃をからめ取るようにして溝へと走らせた。

 バキン、という嫌な音と共に男の顔に肘鉄を食らわせている。

 あっという間にふたりを地面に転がして、残った男を振り返る。

 ランプをかざして様子を見ていた男は、舌打ちをしてランプを捨てると踵を返して森へと走った。

 暗闇に逃げ込んだ男をコートの長身は追うこともせず、自分の前で拳を握ったかと思えば、手には小さな光の輪ができた。

 それを放り投げるようにして空中へ飛ばすと、ほどなく森は静かになる。

 その行く先に興味もないのか、今度は倒した男たちに光の輪を投げる。光の輪は男たちの四肢を拘束した。


「あんたは……」


 あまりのことに言葉を失っていたトランだったが、両親をかばったままようやく声が出た。

 コートの長身が振り返る。落ちたランプの明かりに照らされたのは、狼のような目だった。背を流れる髪は闇を溶かしたように長く、無造作に襟元でくくられている。美しい女に見えるほど整った顔立ちだが、その長身は痩せているくせにコート越しにもわかるほど膂力を備えていると分かった。

 荒々しい力を備えているのに、その姿はひどく整っている。まるで原野に生きる狼のような男だ。

 トランたちを見下ろしていた男は、ふと気付いたように顔に手をかざす。光の粒子がぱらぱらと散って男の顔を覆ったかと思えば、見覚えのある男の顔になった。


「──やぁ、無事かい?」


 眼鏡をわずかに指で直して、彼は少し笑う。


「あ、あんたは……オルミ卿!」


 狼の男と同じコートを着たネーヴェはゆっくりとトランたちに向き直る。


「家に居るものだとばかり思っていたから、探すのに手間取ったよ」


「どうして……」


 呆然と返すトランに、ネーヴェはいつもの軽薄な笑みを消した。


「それは君がよく知っているはずだ」


 はっと息を呑んで両親を見ると、父と母が難しい顔でトランを見ていた。


「今は君が引き込んだ賊を捕らえるのに忙しくてね。君を捕まえるのはあとにするよ」


 家へ帰って待っているといい、と言ってネーヴェはさっさと踵を返す。その背を母が追いすがった。


「領主さま……この子は騙されていただけなんだ! どうか、許してくれないかい…!」


 そんな母にネーヴェは振り返ると、困ったように眉根を下げる。


「それはできない相談だ」


 揺るがない声に母が息を呑む。


「トランはオルミ領に盗賊を引き込む手引きをした。これは許されないことだ。他のオルミの人たちを危険にさらしたんだからね」


 はっきりとした声は、たしかにネーヴェが領主なのだと知らしめるようだった。

 そんな、と母はトランを見つめる。


「おまえ、他の人にも知らせたって……」


 嘘がバレてもいいとは思っていたが、こんなときにバレるなんて本当についていない。

 悲しそうな母を見ていられなくなって、トランはネーヴェを睨んだ。


「…あんたが悪いんだ! オルミを分割なんてするから…っ」


 ネーヴェは静かにトランを見下ろして、「そうだな」などとうそぶく。

 そういう態度が気に入らなかった。自分が悪いと認めながら、弁解もしない態度がよけいにトランを惨めにするからだ。


「トラン」


 不意にうしろから声をかけられて、振り返ると父がトランをまっすぐ見ていた。


「俺は、分割されて良かったと思っているんだ」


 それは父から幾度となく聞かされた言葉だ。


「どうしてなんだ…! ティエリ領のほうがここよりずっと大きい領だ。採掘師には特別な手当もつくし、保障もある。大きな病院だってある。安全に暮らせるんだ!」


 こんな田舎で石になっていく身体を見つめて生きなくてもいいのだ。

 トランが両親に幾度となく繰り返してきた言葉だった。

 けれど父は首を横に振る。


「そうじゃない。……そうじゃないんだ。ティエリの領主さまはな、俺たちの病気をずっと世間から隠してきたんだ」


「どういうことだ……?」


 それは初めて聞く話だった。

 父は苦々しい顔で吐き出すように話し始めた。


「俺たちの病気はな、もう本当にずいぶん前から出ていたものなんだ」


 父たちがかかった病気の原因も、月鉱石の採掘だということはもうずいぶん前にわかっていたことだという。明確な病因は分からずとも、毎日鉱山へ入る関係者なら月鉱石が原因だと感づいてもおかしくない。


「何か対策をしなければならなかったが、何度ティエリの領主さまに訴えても何も変わらなかった。……月鉱石はいい稼ぎになったからな。ティエリ領としては病気なんか認めるはずがなかったのさ」


 領主は鉱山師の父の意見を無視し続け、月鉱石の増産だけを命じ続けた。

 だから、鉱脈が尽きればオルミは元の何の価値もない土地になったのだ。

 そして鉱山による傷病者を押し込めるようにして、オルミは分割された。


「……採掘師を手厚く保障するのは、鉱山で長く働かせるためだ。それはおまえが死んで、おまえの子供の世代になっても同じだろう」


 おまえと同じように、とトランを指されて愕然とする。

 自分で選んだと思っていた道さえ、月鉱石の利益のために進まされていたというのか。


「……子供の罪は親の罪。トラン、俺たちがおまえの罪を背負ってやる」


 低い父の声にはっとすると、となりで話を聞いていたはずの母がいない。

 足の悪い父の代わりに、母がネーヴェに突き出しているのは、さっきネーヴェが折った剣の残骸だった。

 節くれた指からは血がしたたり落ちているというのに、握り込んだ剣を手にネーヴェめがけて走っていく。


「逃げな、トラン!」


 刺さるはずもないと思った母の剣はネーヴェに手ごと捕らえられる。


「おふくろ!」


 からん、と剣の残骸が落ちて母の手から血がこぼれ落ちる。トランが思わず母に近寄ると、ネーヴェはそのまま母の身体をトランへと預けて膝をつくと、節くれた手に手をかざす。

 すると光の粒子が細い糸になったかと思うと母の手を包んだ。


「ただの応急処置だから、早くブラッドリー医師に診せたほうがいい。こういう傷を治すのが得意だからね」


 そう冷静に言うネーヴェはどこか悲しそうに笑んだ。


「……恨むなら私を恨めばいい。恨まれることには慣れている」


 そう言ってネーヴェが腕を振るうと、残されていた剣の残骸が倒れて拘束されていた男と共にふわりと宙に吊される。

 そして甲高い音と共に棺桶のような結晶が現れたかと思えば、男をひとりずつ納めて森に浮かんだ。棺桶の中には男の足下から液体が溢れ始めて、意識のない身体を折れた剣と共に沈めていく。

 まるで人間の標本だ。

 ぞっとするような光景を背にネーヴェは立ち上がって、トランたちを見下ろした。


「トランを止められなくて、すまなかった」


 マケット、と呼ばれて父は顔をゆがめた。


「……あんたは、家族でもないだろうに」


 父の言葉にネーヴェは今度はいつものように「そうだな」とゆるやかに笑った。

 すると、彼のうしろから影が抜け出すようにして大きな猫が現れた。黒いしなやかな身体でネーヴェの足にまとわりついてゴロゴロと喉を鳴らす。


「なんだ、おまえが来たのか」


 狼ほどもある猫の頭をゆっくりと撫でて、ネーヴェは今度こそトランたちに背を向ける。


「あとはこいつが護衛してくれる。監視も兼ねているから、家まで連れていってやってくれ」


 ネーヴェの言葉に大きな猫がトランたちへと寄ってくる。大きな牙と爪を備えているというのに、ネーヴェの言葉にきちんと従うようで襲ってくるような気配はなかった。

 長身が森の闇へと向かう。その足跡を残すような声が聞こえた。


「私は、家族と過ごした記憶がなくてね。──君たちがうらやましかったんだ」


 それだけだよ、と声は闇に消えた。


「……バカなやつだ」


 トランの吐き捨てた言葉も地面に落ちて、吸い込まれていった。       

  



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