鳩が言うには
暴力・流血表現あり
「──人形遣い?」
フィオリーナが口にすると、クリストフは「そう」とうなずいた。
「戦時中のネーヴェのあだ名」
猛然と馬車が夜道を走っているというのに、馬車の中は不自然なほど静かだった。
夜会の会場を出たあと、クリストフたちの行動は速かった。クリストフは自分の従者たちに護衛を集めさせ、マーレたちは馬車を車寄せに引き出してあっという間にフィオリーナを乗せた。
そしてその馬車にクリストフも相乗りすることになったのだ。クリストフ所有の馬車はすぐ後ろからこちらの馬車を追いかけている。
車輪の音がどこか遠く、緊迫した空気の中でクリストフはいつもと変わらず軽やかに口を開いた。
「あいつはね、天才なんだ」
ネーヴェの名前は、魔術師のあいだでは異端の天才として知られていた。それは、彼が魔術師の長い歴史の中でも異様ともいえる魔術を作り出したからだという。
「妖精を使って兵士を作り出す魔術を、ネーヴェは弱冠六歳で作り出した」
フィオリーナは思わず息を呑んだ。クリストフの言うその魔術とは、ネーヴェがアクアたちを作り出した魔術にほかならない。
「それまで人型を作るには人形や土みたいな物体が必要とされていたけれど、ネーヴェの魔術は魔力の残滓体となっている妖精をその場で集めて物質にした」
それは画期的な魔術だったという。ネーヴェにはあらかじめ用意しておくべき人形などの物体がいらないのだ。けれど、結局その魔術はネーヴェにしか扱えなかった。
当然のことだ。今の世ではネーヴェにしか妖精は見えない。いくら術式があったところで、肝心の妖精が見えなければ扱えない。
そのため、これはネーヴェだけの魔術となった。
「……わたくしたちが同じように扱えるのは、旦那様の魔術だからなのです」
ひとりフィオリーナたちと同乗したアクアが重たい口を開いた。
御者台で馬車を駆っているマーレとラーゴを気にするように窓をちらりと見たあと、アクアはフィオリーナたちに向き直る。
「わたくしたちができることは、旦那様ができることなのです。日常生活、知識、魔術、体術……基礎的なことはすべて旦那様と共有しています」
淡々と話すアクアに、クリストフは「ちょっと待ってくれ」と口を挟んだ。
「じゃあ、君たちが学んだことはネーヴェに還元されるのか?」
クリストフの問いにアクアは首を横に振る。
「わたくしたちはすでに個人として人格があるので、わたくしたち自身が学んだことを旦那様に共有することはできません。……共有されるのは、もっと身体的なものです」
「身体的なこと?」
となりのフィオリーナが問うと、アクアは顔を歪めた。その今にも泣きそうな顔が、彼女たちにとっての最大の秘密を物語っているようだった。
共有できるではなく、共有されるというのなら、それはきっとネーヴェにとっても良くないことだ。
ここまで話してくれようとしているアクアの不安をどうにか和らげたくて、フィオリーナは彼女の膝の上の手に自分の手を重ねる。けれど、それはフィオリーナの不安も彼女に伝わってしまったようで、アクアは逆にフィオリーナを安心させるように苦笑した。
安心させるつもりが気を遣わせてしまった。
それでも手を離したくなくてアクアの手を握ると、彼女はそっとフィオリーナの手を撫でて息をついた。
「……わたくしたちのような、旦那様の魔術で作られたものが傷つけば、旦那様の身体も傷つくのです」
それは、どういうことなのか。
クリストフの顔がざぁっと音を立てるように青ざめた。
「…あいつは…バカだ…っ!」
クリストフは頭を抱えるようにして吐き捨てる。
「今まで数百体以上は作っては殺されてきた人形の傷を、自分ひとりで負っていたのか……!」
クリストフに明確に言われて、ようやくフィオリーナはぞっと鳥肌が立った。
クリストフの言葉が正しいのならば、ネーヴェはおびたたしい数の自分の分身の傷をひとりで受け続けてきたことになる。
彼の人形たちが殺されるとき、ネーヴェも同じように殺されるのだ。
それがどういう感覚なのか、フィオリーナでは想像もできなかった。
そんなものを受け続けて、はたして人間が耐えられるものなのだろうか。
「……とうてい正気で耐えられるものではありません。分身は本人ではないので造りによって傷の度合いは違いますが、戦時中は鎮痛剤をご自分で調合してはずっと噛んでいました」
ネーヴェの食が細いのは、後遺症のためか胃が食べ物を受け付けなくなっているためだという。
しかし生き物である限り食べなければならない。そういうときは無理矢理食べては薬で消化させているらしい。ひどい時は医者に頼んで点滴を打つ。
自分で調合する煙草もネーヴェにとっては鎮痛剤の一種であるという。
「……こんなこと、他に知っている者はいるのか? エルミスは?」
青ざめたクリストフが思わずと言った様子でアクアを問いつめる。問われたアクアは困ったようにフィオリーナを横目で見て、溜息をついた。
「……アレナスフィル侯爵だけご存じです。一番長く戦場を共にしておりました方ですので」
ベロニカはネーヴェと同じほど長く戦場に居たという。ではどうしてここでエルミスの名前が出るのか。
「リカルドか……。たしかにあいつなら口は堅いからな」
繕うことも忘れたのかベロニカの本名を口にして、クリストフはそう渋面で溜息をついてから、ふと我に返ったようにはす向かいのフィオリーナを見た。
「…あー…エルミスは…その…」
珍しく動揺して目を泳がせたクリストフの様子で、鈍いフィオリーナにも事情がわかってしまった。となりでアクアが額に手を当てている。彼らはフィオリーナにこれを言うつもりはなかったのだろう。
「……エルミス様とネーヴェさんは、恋人同士だったのですね」
そう口にしてしまうと、エルミスとネーヴェのあいだにある元部下と上司というにはもっと気安く──親密な空気も納得できてしまった。
「いや……たしかもう別れたはずだ。……そうだよな?」
クリストフは藁にもすがるようにアクアを見つめるが、彼女は冷たく彼を見返した。
「旦那様は軍関係者との連絡はほとんど絶たれておりましたので、再会されたのはフィオリーナ様の宝石の件でのことです」
アクアはそう言ってクリストフを突き放すと、フィオリーナに向き直って少し微笑んだ。
「……くわしいことは旦那様にお尋ねになってください。わたくしの口から聞かれるよりもずっと良いと思いますから」
アクアが否定しないということは、ネーヴェがエルミスと親密な関係を持っていたということは事実のようだ。その事実は動かしようがないというのに、今更フィオリーナが何を訊けば良いのだろうか。
どれほど言葉や行動を尽くしたところでフィオリーナはネーヴェの恋人ではなく、ただの同居人なのだ。
急激に頭が冴えていく感覚に、フィオリーナは膝の上に置いた手を見つめた。
元々ネーヴェとの関係は悪女の噂と同じく見せかけだけだ。
それでも、ただのお嬢様でしかないフィオリーナはネーヴェに釣り合わないと目の前に突きつけられることは、疲れた心にこたえた。
ウィート領でのことに続いて、また勝手に失恋したような気分だ。
「……どうしよう。俺は殺されると思うか?」
ひそひそとクリストフがしつこくアクアに食い下がる。アクアのほうはわずらわしそうに眉をひそめた。
「それだけ動揺されたのだとお見受けします」
「待ってくれ。交渉の余地がないじゃないか」
「話してしまったことは戻りませんので」
「じゃあ、なにか。俺がネーヴェに八つ裂きにされても文句ひとつ言うなって?」
「仕方がないのでは」
「前から思っていたけれど、俺のことなんかいつ死んでもいいと思ってないか? 伯爵なんだけど」
「わたくしには判断しかねます」
クリストフとアクアが口論がいよいよ止まらなくなってきたところで、がたんと馬車が止まった。
何があったのかと窓を覗くと、箱が夜空に浮いていた。
半透明のそれは淡く光ってゆっくりと空中で回っている。まるで不思議な誘蛾灯のようだ。けれどその大きさは人の等身ほど、例えるなら棺桶のような形をしている。
棺桶の中は淡く光る液体がなみなみとたたえられていて、その中には人の足のようなものが見えた。
「フィオリーナ嬢」
クリストフが手で窓を遮るようにしてフィオリーナを遠ざけた。
「見ないほうがいい」
クリストフは「何か見た?」とすかさず尋ねてくるので、フィオリーナは素直に答えた。
「棺桶の中に、人の足のようなものが……」
「忘れたほうがいい。──ここはもうネーヴェが片付けたあとのようだな」
そうクリストフに水を向けられて、アクアはうなずく。
「様子を見て参ります。馬車から出ないでください」
アクアはそう言って馬車を出ると、すでに馬車を降りていたマーレやラーゴと合流して話し合う様子が窓から見えた。
「……あれはいったい何なのですか?」
フィオリーナの問いに、クリストフは苦笑した。
「忘れたほうがいいが……あれは拘束魔術だよ。ああやって捕虜を吊しておくんだ」
戦場では捕虜交換の際に使われた魔術だという。
クリストフの説明で、フィオリーナは彼の言う戦場という言葉の意味をようやく思い知った心地だった。
ネーヴェはずっとこんな殺伐とした場所で生きてきたのだ。
「ネーヴェは襲撃者を全員捕らえるつもりなんだろう。……首謀者が分かっているんだ」
そう言ってクリストフが窓に目を向けると、マーレの元に大きな鴉が舞い降りるところだった。
クリストフがフィオリーナに目配せしてから、馬車の窓を開けるとマーレたちの会話が聞こえてきた。
「──こちらの状況は以上だ」
マーレは腕に留まった鴉にそう言うと、鴉は首を振った。まるで人間が溜息をつくような仕草だ。
『──おまえたちが思っていた以上にバカだということはわかったよ』
苦笑するような声は、たしかに聞き覚えのあるものだった。
「……ネーヴェさん?」
小さなフィオリーナのつぶやきをとらえたのだろうか。鴉がフィオリーナを振り返ったように思えた。
「俺たちの力を戻せ。ネーヴェ」
マーレの言葉にまた鴉は溜息をついた。
『だからおまえたちはバカだと言うんだ。せめて尾行を撒いてから来い』
そう言い残して鴉はマーレの腕から飛び上がる。すると、マーレたちの足下に光る円が灯されて、文字が走ったかと思えばすぐに消えた。
『……まぁいい。やってしまったものは仕方ない。手が足りないからここを片付けたら手伝ってくれ』
鴉はいっそう高く飛び上がって、夜の闇に消えていなくなった。
『──あとで私も顔を出す』
声もふわりと闇夜に消えて、クリストフは馬車の窓を閉めた。
そして手を握ったかと思えば、手の中に光を集めたような浮かぶ立方体を作り出す。
「ランベルディから尾行されていたんだろうな。俺たちがオルミに戻るか監視していたんだ。──聞こえるか。ここから先はオルミだ。アクアたちを手伝ってやれ」
どうやら立方体はうしろから馬車でついてきていた護衛たちに繋がっているらしい。
クリストフがさらに立方体を手の中で増やしていると、窓から鳩がすり抜けて入ってきた。文字通り、淡い光を放つ鳩がガラスを通り抜けたのだ。
『ラザルノ卿。あとはわたくし共にお任せください』
アクアの声だった。
鳩は馬車の座席にちんまりと座って居座ってしまう。クリストフが窓を見やるので、フィオリーナも窓の外を覗く。
アクアの足下に光る文字が流れたかと思えば、彼女が手をかざすとともに無数の光の球体が浮かび上がる。それは意思を持つように、いっせいに闇夜へ飛び出していく。
反対側ではラーゴの手から光の円が浮かび上がり、その円から鳩が次々と生まれては飛び立っていった。
マーレの足下の影からどろりと這い出てきたのは、黒い猫のような生き物だ。猫のようにしなやかな体つきだが、その大きさは狼ほどもある。次々と六匹の猫が這い出てくると、これもまた一斉に飛び出していった。
「南方の森にいる、黒豹って生き物らしいよ」
外の様子を眺めていたクリストフがそう言って補足してくれる。南方の森に棲む肉食の獣で、猫の仲間らしい。頑丈な牙と爪を持っていて、時には人間も襲うという。
「ネーヴェは捕らえているんだから、殺すなよ」
クリストフが座席の鳩に言うと、鳩はのんびりと口を開いた。
『──当然です』
今度はラーゴの声だ。彼は「ただし」と鳩らしからぬ低い声で笑う。
『このオルミを襲ったことは後悔してもらいますよ』




