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扇子が言うには

 久しぶりの夜会だからと会場にやってきたのは、クリストフだった。


「やぁ、久しぶり! いい夜だね」


 今夜の夜会はランベルディ領、ヒースグリッドの近くで行われているが、主催はクリストフではない。彼が所有する城のひとつを避暑にやってきた貴族に貸し出したという。クリストフが呼ばれたのは城主であるからだ。そのクリストフの友人という枠でフィオリーナも招待された。

 今日のクリストフはタキシードに黒のウエストコートとボウタイ姿で、招待客だからか主催だったときよりも襟もタイもシンプルだった。鳶色の髪も前髪だけ撫でつけて軽くうしろに流しているので、姿形はさわやかな青年貴族にしか見えない。けれど、


「今日もいい悪女ぶりだ。中身はどうかな」


 挨拶もそこそこにそんなことを言われては、せっかくのさわやかな見た目も台無しだ。

 今日のフィオリーナは深緑のドレス姿だ。クリストフ主催の夜会のときと同じもので、宝石と髪型を変えることにした。ネックレスは網のように連なったカットビーズが首もとで巻き付けるようなものに、イヤリングは小振りで飾りが動くもの。髪型は髪を巻き付けるようにして結い上げる夜会巻きにして、宝石のついた髪飾りをつけた。化粧は目尻を切れ長に見えるように描いて、ランプのあかりに映えるよう真珠の入ったおしろいを惜しげもなく使った。肌が白く、艶めいて見えるという。手袋は黒に近い濃緑、口紅は明るい朱色だ。

 見た目だけは流し目の美しい女性になっている。


「今日は扇子も持ったのか。いいと思うよ。話を誤魔化せるからね!」


 クリストフの指摘は悔しいが的を射ていた。会話に困ったらこの羽のついた扇子を広げて誤魔化そうとわざわざ購入したのだ。

 マナー違反ではないが、フィオリーナの年齢ではあまり扇子を持つ女性はいない。デビューから日の浅い少女たちにはたいてい婚約者かその候補がそばにいて、彼女たちの手をダンス以外で離さない。そうでなくても家族が付き添っているものなので、ひとりで世間話に応対する女性は少ないのだ。扇子を持たなければならなくなるのは、夜会に従者を連れてひとりで参加するようなもっと年上の女性だ。

 扇子に慣れようと、フィオリーナは夜会用のイブニンググローブで扇子を開け閉めする練習もした。

 その練習の成果でぱっと扇子を開けて、フィオリーナはクリストフにひそひそと話しかけた。


「……ラザルノ卿、わたくしの噂は今どうなっているのでしょうか?」


 それと言うのも、会場に入場すると共に舞踏会でもないのにさまざまな人に話しかけられたからだ。

 それは男性も女性も関係なく、皆一様に当たり障りのない自己紹介と世間話をして「では、また別の会場で」と去っていく。ひとりひとりは大した時間ではないが、見計らったように人がやってくるのでフィオリーナは休憩用の椅子に逃げてきた。

 こうして休んでいる女性には家族か友人か、それこそ恋人ぐらいしか声をかけてはならないマナーがあるからだ。


「伯爵家や子爵家、その身分に縁ある方に比較的お声をかけていただいていたようです」


 従者として控えていたラーゴが口を挟んだ。今日も美しいプラチナブロンドにタキシードを身につけている。クリストフと比べても少し痩身だが、ラーゴは青年従者として十分目立っていた。


「……ラーゴがお目に留まったのかしら」


 身分ある人は見目の良い従者をそばに置きたがるという。けれど、フィオリーナの推測にラーゴは笑った。


「お忘れですか。私たちはふつうの人間にはまともに容姿を判別できないのですよ」


 美醜ぐらいはわかりますけれどね、と付け足されて、そうだったとフィオリーナも思い出す。ラーゴたち、妖精は姿をいくらでも変えられるために、条件が揃わなければ容姿もわからないのだ。


「ああ、フィオリーナもラーゴたちを見分けられるようになったのか」


 クリストフは北部戦線でラーゴたちと共にいたので、容姿を判別できるらしい。


「それに、ラーゴの噂ならもう出ている。ウィート領でネーヴェを連れていったんだろう? そのときにラーゴの容姿がバレたらしい」


 道理でラーゴに化けたネーヴェが声をかけられていたはずだ。ネーヴェは妖精ではなく人間だから、人の目にもその容姿が見えてしまったのだろう。妖精でなくともネーヴェの容姿は目立つのだ。ネーヴェを模したラーゴが話題になるのは必然だった。


「そのラーゴの噂込みで、君の噂も広がっているのさ。噂の悪女さまがやたら美しい従者を連れて現れたって」


 クリストフはにやりと笑って、そのままフィオリーナのとなりに腰かける。


「ほかの噂も順調に広まっているよ。ネーヴェと婚約関係にあってオルミにすでに住んでいることとか、ベロニカのドレスを着ていることとかね」


 婚約以外はほとんど事実だが、誰も姿を見たことがなかった噂の悪女がフィオリーナと近づいたのはたしかだ。


「だからね、これはいい傾向なんだ」


 クリストフはフィオリーナに体を寄せるようにして囁いた。

 椅子はそれほど広くない。肩が当たるほど近い距離なので、形だけならフィオリーナと親密な距離だ。恋人の距離といってもいいほどの距離だが、クリストフはまるで意中の女性に声をかける軽薄な紳士の様子のまま、声を低くする。


「付き添いが従者だけの時に話しかけてきたっていうのもいい兆候だ。彼らは文字通り君の顔を見に来たんだ。噂の悪女が本物かどうか」


 噂は本当かどうか。

 クリストフは小声で付け足した。


「噂の出所はみんなが気にしてる。君ほど美しい女性が今まで噂にものぼらないなんてありえない。だからことの真相を探ろうというやつが出てきたっておかしくない」


 フィオリーナは母の言葉を思い返していた。兄のアーラントが調べたところによれば、噂の出所は王都。


「一番貴族が活発に動いているシーズンに、真相を探ろうとする者が多ければ多いほど、事態が動くかもしれない」


 もしも噂を流した犯人がいるのなら、この事態を黙って見てはいられなくなるかもしれないということだ。


「君を招待した俺にも探りを入れてくる者が増えた。下世話な噂好きな連中が君の正体と噂の真相を知りたくてたまらないのさ」


 クリストフはそう笑ったが、フィオリーナはあまり笑うことができなかった。


「何かあった?」


 珍しく気遣わしげなクリストフに、今度はフィオリーナのほうが苦笑してしまった。だから正直に話すことにする。


「……先ほど、話しかけられた人の中に昔の友人がいたのです」


 彼女は、友人たちがフィオリーナの噂を影で楽しんでいるとわざわざ教えてくれた友人だった。

 久しぶり、と挨拶もそこそこに、フィオリーナのドレスを誉めたかと思えば、けらけらと笑って言った。


「……前のわたくしよりも、今のわたくしのほうがずっと良いのだそうです」


 以前のフィオリーナは良い淑女だったが女性としてはつまらなくて、悪女として振る舞うフィオリーナのほうがずっと話しやすいのだと彼女は笑った。

 フィオリーナが豪華なドレスを着ていることを挙げて、噂のおかげで良い婚約者を見つけたのだから、自分も悪女と呼ばれてみたいとまで口にした。

 良い婚約者を得るためにどんな手管を使ったのか、今度教えてくれと一方的に話して去っていった。


「それで、お茶会にでも行くのかい?」


 クリストフのあきれたような声が今のフィオリーナにはありがたかった。同情などして欲しくなかった。

 社交界とはこういう場所なのだと再確認できたところだったのだ。

 フィオリーナは口元だけ微笑んで首を横に振る。


「──いいえ。これでも忙しい身ですので」


 オルミ領へ帰ればネーヴェの手伝いをしたいし、観察日記をつけなければならない。そろそろ苗の実も成るのだ。ミレアに麦わら帽子に新しいリボンをつけたと報告もしたい。


「まぁ、俺も今の君のほうがいいな。もっとも、俺は君の噂をして自分の評価を上げる必要なんかないけどね」


 クリストフはそう言って椅子から立ち上がる。不思議そうなフィオリーナにクリストフは笑った。


「元ご友人のように他人なんかうまく使ってしまえ。俺もベロニカも、領地で留守番してるあいつも」


 仕事部屋でくしゃみをしているかもしれない葡萄色を思って、フィオリーナは扇子の裏で笑ってしまった。

 そんなフィオリーナを見下ろして、クリストフはわずかに屈んで彼女に顔を近づける。

 見る角度によってはまるでキスをしているように見えるかもしれない。


「──これで君は俺とも親密な仲だ。せいぜい次の動向を見守ることにしようじゃないか」


 そう囁くと「友人に挨拶してくる」とクリストフはきびすを返す。あとでいっしょに帰るよ、と付け足すのも忘れなかった。


「……あの方が女性から人気だというのも分かる気がしますね」


 かたわらで黙って聞いていたラーゴがあきれるように言う。フィオリーナもラーゴの言葉にうなずく。

 親密な様子を演出する手管に驚きはしたが、クリストフならどんな振る舞いも女性たちに許されてしまいそうだ。

 ラーゴもさもあらんと言わんばかりに肩をすくめて笑う。


「飲み物でも取って参りましょう。こちらでお待ちください」


 クリストフは人付き合いの上手な人だが、常に距離をはかっていなければならない相手だ。ラーゴはフィオリーナが気を張って少し疲れてしまったことを察してくれたらしい。

 フィオリーナがうなずくと、ラーゴは優雅に黙礼だけして会場の中へと入っていった。

 その背中を見送ってから、フィオリーナは椅子を立った。もう少し涼しい窓際へ移ろうと思ったのだ。


「──フィオリーナ嬢」


 席を立った途端に男性に声をかけられた。



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