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麦わら帽子が言うには

 ミレアを見送ったあと、ネーヴェは庭へ行くというのでフィオリーナもついていくことにした。もちろん先ほどもらった麦わら帽子をかぶる。

 子供のようにはしゃぐフィオリーナに、ネーヴェはいつものようにのんびりと微笑んだ。


「良かったですね」


「はい」


 フィオリーナはこれまで麦わら帽子というものはかぶったことはなかったが、なかなか涼しくて快適だ。それにミレアがくれたものなのだ。大切にしたいと心から思った。


「それに……このあいだエルミス様に言われてしまって」


 今度参加する夜会のための衣装会わせに来たエルミスに、少し日焼けしたのではないかと言われてしまったのだ。

 淑女の肌は白いほうが良いとされていて、フィオリーナも常に気をつけていたものの、自分では気付けなかった。


「今度は夜会なので、おしろいで誤魔化せると言われたのですが……」


 それでもよりいっそう気をつけるに越したことはない。だからミレアの麦わら帽子はありがたかった。


「十分白いと思いますが……毎日畑に出ていますから、そういうこともあるんでしょうね」


 そう言って庭の薬草を確かめているネーヴェの手は透けるように白い。


「…ネーヴェさんもいっしょに外へ出ているはずなのに…」


 頻度で言うならネーヴェのほうがずっと長い時間、庭や畑で雑草を抜いたり肥料をやったりとせわしなく作業をしている。フィオリーナも雑草を抜いたり水をやったりはするが、力のいる仕事のほとんどはネーヴェの仕事として取り上げられていた。

 フィオリーナが薬草の葉に触れる手をじっと見ていると、くすぐったいとでも言うようにネーヴェは笑った。


「私は日に焼けて色黒になるより先に、赤くなって痛くなるんですよ」


 その肌が焼ける感覚が嫌で、南の海沿いの街などには行きたくないとネーヴェは苦笑した。


「オルミも港が近いですが、それほど暑くはなりませんからね。代わりに冬には雪が降りますが」


 山に囲まれたオルミは地形の関係か近くの他の地域よりも多くの雪が降るらしい。ふくらはぎ辺りまで埋まる高さほど降るというから、フィオリーナは驚いた。


「ザカリーニでは寒い日に小雪が降るぐらいなのです」


 ブーツの先が埋まるほど雪が積もることはあるが、路面が凍結するほうがずっと多い。


「土も凍りますよ。山の上の湖なんかは冬のあいだは凍り付いているので人が歩けます」


 ネーヴェのことだ。人づてに聞いたのではなく自分で歩いてみたのだろう。


「冬は魔力の蓄積もおさまるので、すこし仕事も楽なんですよ」


 土や水に含まれる石の粒は凍ることでその流れが止まるらしい。


「……思ったのですが、土や水に含まれるということは、このオルミで育った食物にも何かしらの影響があるのではありませんか?」


 マケット夫妻やミレアの両親に見られるような症状が食物を通じて表れないだろうか。

 フィオリーナの疑問はすでにネーヴェも気付いていたようだ。


「ええ。私もそれが気になって影響を調べているところです。今のところ、魔力の量が増えるぐらいですね。オルミ領に住んでいる住民は元々魔力の保有量の多い者が多いので、体調の変化は無いようです」


 人にはそれぞれ魔力を保有する容量というものがあって、オルミの人々はそれが多い者が多いらしい。それに、採掘に長年従事していてじかに粉塵に触れている者と、採掘に携わっていない者とではあきらかに症状が違うという。


「症状の軽い者は採掘から離れれば症状は収まります。元から採掘に携わっていない者に症状は出ません。血中に含まれる魔力の量が増えているぐらいなんです」


 それはどういう人を調べているのかというと、主にネーヴェ自身で調べているという。


「私は魔術師ですからね。魔力の増減がわかりやすいですし、体質的に魔力が溜まりやすいんです。実際、このオルミに来てから持て余す魔力が増えた感覚があります」


 その経過観察も毎日つけているというから、ネーヴェの仕事量は増えていく一方だろう。

 今も、仕事をする前に庭を見て回っているだけだ。これから夕食の前までネーヴェは仕事部屋から出てこない。

 未だに場所を知らないその部屋に、ネーヴェはフィオリーナを近づけようとはしなかった。カリニもホーネットも教えないよう言い含められているようだ。


「──ネーヴェさん」


 薬草の花の付き方を見ていたネーヴェはフィオリーナの声に振り返る。


「どうしました?」


 そう言ってわずかに長身を傾けてくれる。

 忘れていたわけではないけれど、今更ながらに母の言った言葉が蘇る。

 ──あなたの声を近くで聞きたいから丸くなっているだけなのよ。

 ネーヴェの近くまで行くと、フィオリーナにより合わせて高いところにあった顔が降りてくるようだった。

 もう一歩踏み出すけれど、フィオリーナは麦わら帽子に遮られてしまった。

「はは」と少し笑って帽子を大きな手が少しずらす。


「どうしたんですか、フィオリーナ」


 見上げるとほとんどネーヴェの胸元で、彼は額を合わせるほど近くにいた。

「ん?」と子供をあやすように笑うネーヴェには、フィオリーナに向かってわざわざ屈んでいる自覚もないかのようだ。

 恋しい気持ちなんてフィオリーナにはわからない。

 貴族の娘として生まれた以上、自分の好き嫌いよりも先に義務を愛さなければならなかった。

 元婚約者に対しても、結婚相手となるならばそういうものだと思っていたぐらいだ。結婚相手であるから愛情を当然持っていると思っていた。しかし、いざ離れてみると婚約者ではないシリウスはいないも同然だった。

 そんなフィオリーナが愛想を尽かされたのなら、それは必然だったと今では思ってしまう。

 恋なんて分からないというのに、今ここで帽子越しに撫でられていることに胸が痛くなるのはどうしてだろうか。


「……お仕事、無理をなさらないでください」


 煙草の匂いが染み着いたワイシャツとベストを見ながら小さく言う。今日は農作業をするからとネクタイもしていない。かろうじて出した小さな声だというのに、頭の上からは「はい」と律儀な返事が聞こえる。


「フィオリーナ」


 さら、と帽子越しに頭が撫でられる。


「顔を見せてくれないんですか?」


 まるで猫をくすぐるような声だ。こんな声を向けられていたなんて、本当は気付いてはいけなかったのかもしれない。


「……あまり見せたくありません」


 言葉とは裏腹にフィオリーナが視線をわずかに上げると、帽子の舳先で菫色の瞳が微笑んだ。


「それは困りましたね」


 宝物でも見つけたみたいに菫色の瞳がきらきらと輝いて見えた。そして、きっとフィオリーナの瞳も同じように宝物を見つけている。たとえ錯覚だとしても、本当の宝物だと思いこんでしまえるほど菫色の瞳は綺麗だった。

 ミレアの言うとおりだ。

 ネーヴェは悪い男の人だ。

 フィオリーナの気持ちなんてお構いなしに心の中に居座って、我が物顔で笑っている。

 だから本当にどうかしているのだ。

 恋をするなら、この人がいいと思ってしまうのは。



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