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糸車が言うには

 しばらく母と過ごしていたが、いつまで経ってもネーヴェは帰ってこなかった。

 そろそろ帰ろうかということになって母と部屋を出ると、待っていた夫人と母が話し込んでしまった。友人とはいえ一年に一度会うかどうかという機会しかないのだ。

 フィオリーナはひとりでオープンテラスまで出ることにした。会場の喧噪はだいぶ収まっていて、楽団の音楽は和やかなものに変わっていた。


「フィオリーナ?」


 聞き覚えのある声に呼びかけられて振り返ると、同じ年頃のブルネットの女性が近寄ってくるところだった。


「まぁ……お久しぶりね」


 フィオリーナが引きこもる前まで仲が良かった友人だ。午後のお茶の席でフィオリーナの噂をしていた友人のひとりだった。どうしてそんなことを知っているのかというと、彼女が噂をしていると、また別の友人がわざわざ教えてくれたのだ。

 あのころはこんなことばかりが続いてすっかり滅入ってしまった。

 恨みがましい気持ちがないとは言えなくて、フィオリーナは顔がこわばるのを感じた。

 けれど向こうは何でもないような顔で「お元気そうね」などと言ってくる。


「オルミ領へ行ったと聞いたのだけれど、婚約されたって本当?」


 オルミ領へ行ったということまで知っているのなら、フィオリーナが悪女だという噂も当然知っているのだろう。フィオリーナが今どうやって過ごしているのか確かめに声をかけたというところだろうか。


「オルミ卿にはよくしていただいているわ」


 そう答えて微笑むと、彼女はフィオリーナの姿を眺めて納得するようにうなずいた。


「たしかに素敵なドレスね! 大事にされているのがよく分かるわ」


 そう褒める彼女の目がフィオリーナの周囲を探している。当のオルミ卿を探しているのだ。婚約したなら婚約者と共に社交場に参加するのが一般的だ。婚約者を伴わないで参加することも認められているが、あまりよくない噂を立てられてしまうことが多い。きっと彼女は今度のお茶会の席で、フィオリーナがひとりで参加していたと触れ回るのだろう。

 友人だと思っていた彼女をこんな風に見てしまう自分がとても嫌だった。けれど、それをフィオリーナはおくびにも出さずに微笑んだ。

 するともうすこし踏み込んでも許されると思ったのか、彼女は声を低くして続けた。


「……あなたに変な噂が立っていたでしょう? それで心配していたのよ」


「噂? いったいどんな噂だったの?」


 彼女と同じように声をひそめて尋ねると、彼女は大仰に眉をひそめて答えた。


「あなたが悪女だって噂よ。男性をたぶらかして、怪しい魔術を使うって」


「まぁ、怖い。そんな女性が本当にいるの?」


 フィオリーナが調子を合わせて驚いてみせると、彼女も「そうよね」とうなずく。


「シリウス様もこんな噂を信じてしまうなんて……」


 久しぶりに聞いた元婚約者の名前に心臓のあたりが掴まれたような気がしたが、フィオリーナは耐えて微笑んだ。ネーヴェが貸してくれたハンカチを、お守りのようにして手の中で知らないうちに握り込んでいた。


「わたくし、このあいだ夜会でシリウス様を見かけたのよ。てっきり、おひとりだと思っていたけれど」


 女性といらしたのよ。

 夜会で待ち合わせしているようで、ふたりで庭へ忍んでいかれて。

 歪んだ笑い声といっしょに上滑りする言葉を捕まえるようにして、フィオリーナはハンカチを握った。


「それでわたくし、この前のお茶会でこんなことを聞いてしまったの」


 糸車のようによく回る彼女の口を塞いでしまいたくなるのを、フィオリーナは彼女の口元を見ることで耐えた。


「シリウス様があなたはとんでもない悪女だと、ご友人に言いふらしていたのですって」


 もう無理だと顔が崩れそうになる。

 握り込んだハンカチがおかしな音を立てそうになる。


「──お嬢様」


 聞き慣れた声が聞こえたかと思えば、そばに長身が立っていた。


「そろそろお時間です」


 プラチナブロンドに髪色を変えたネーヴェが従者としてフィオリーナのそばで目を伏せている。

 突然現れた美しい従者に、くるくるとよく回っていた口がようやく止まった。

 柔らかな笑顔で絡めとるようにして、かりそめの従者は彼女に視線を向けた。だが、黙礼しただけで何も言わない。その仕草だけでおしゃべりな糸車がぴくりとも動かなくなるのだから恐ろしい手管だ。何も言われないことで同じように口を閉じてしまう。

 きっとこの仕草で彼に憧れる淑女たちを残酷に手玉にとってきたのだろう。そう思うと複雑な気分になったが、今だけはすこしだけ胸が軽くなるような思いがした。自分でも嫌になるほど意地の悪い気持ちだ。


「馬車が参りましたのでこちらへ」


 ネーヴェに差し出された手にフィオリーナが指を載せると、ハンカチごと優しく握られた。涙が出そうになるが、なんとかこらえる。


「……そろそろ帰らなくては」


 まだ何か言い足りないような彼女に、フィオリーナは振り返って微笑む。


「楽しいお話をありがとう。ごきげんよう」


 また会いましょう、とはどうしても言えなかった。



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