変装が言うには
翌朝、フィオリーナたちはさっそく準備を始めた。
ウィート領の会場はアレナスフィル領から近いが、馬車で一時間はかかる。
そしてドレスの準備はさらに時間がかかるのだ。
「その髪型も良いけれど、髪留めで留めてしまったほうが良いわ」
コルネリアが指揮をとって、フィオリーナは準備を整えた。
今日のドレスは明るい黄色のドレスだ。ふんわりとした生地とレースはとても可愛らしいが、背中が大胆に開いていて蠱惑的だ。
レースで覆われているもののその大胆な背中を魅力的に見せるために、髪を少し下ろす予定だったのを結い上げるようコルネリアは助言してくれたのだ。
「おくれ毛があると魅力的だけれど、このドレスにはだらしなく見えてしまうわ。どうせ目指すのなら、身だしなみの完璧な悪女を目指しましょ」
身だしなみの完璧な悪女というものがどういうものか想像がつかなかったが、変に乱してもフィオリーナには似合わないという。
急遽髪を結い上げることにして、すっきりとまとめることにした。
化粧は華やかなピンクを中心に、目元は少しだけ垂れたように見せた。宝石はビーズで編んだかわいいチョーカーと少し大ぶりのイヤリング。
出来上がったフィオリーナは、見事に可愛らしい大人の女性となっていた。
「とても素敵よ、フィオリーナ様」
ふっくらとしたコルネリアが微笑むと、これから会う母を思い出してしまった。
少しうつむいてしまったフィオリーナにコルネリアが手を重ね合わせた。
「大丈夫よ。だって、今日はあなたの王子様がついているのですもの」
見に行ってみましょう、とコルネリアに手を引かれて部屋を出ると、向かいの部屋がうっすらと開いていた。
「あの、王子様って……」
保護者はいるが、彼は間違っても王子様ではないはずだ。
コルネリアは「いいから」と向かいの部屋のドアを開けてしまう。
最初に目に入ったのはジャケットだった。白に近い鼠色のジャケットは襟が色違いの灰色になっている。トラウザーズは濃鼠色。靴はチャコールグレイのギリーシューズ。
手首のカフスボタンを留めながら、彼はゆっくりと振り返った。葡萄色の髪は昨日散々嫌がったのに頭のうしろで結っていて、黄色いリボンまで揺れている。
立ち襟の白いシャツの首もとには古めかしい淡い黄色のアスコットタイ。ベストは青みがかった灰色。
いつもの眼鏡が邪魔になりそうなほど華やかな装いだ。
これではまるで、
「まぁ、花婿みたいね!」
コルネリアが歓声を上げた。
黄色いの声に、彼は整った顔立ちを思い切り嫌そうに歪める。
「勘弁してください」
ネーヴェはうんざりしたように首を振る。
「似合わないのは分かっていますから」
猫背を止めて、普通に立っているだけで見栄えがする長身だ。その上、髪を結っただけで整った顔立ちが見違えて見える。
コルネリアに「いらっしゃい」と言われて手を引かれるまま、フィオリーナは彼の前に立たされてしまう。
「いい出来でしょ」
彼のとなりで満足そうに笑ったベロニカは今日も襟元がすばらしく派手なレースで飾られた少し灰色がかったピンクのスーツドレスだ。
並ぶと身長はほとんど変わらないが、いっそベロニカのほうが彼に見合うのではないか。そう思ってしまうほど、今日の彼は華やかだった。
どうすればいいのか分からなくなって視線をさまよわせていると、
「フィオリーナ」
いつもの声がして顔を上げる。
眼鏡の奥の菫色の瞳が苦笑する。
「似合わないでしょう?」
どうしてそんなことが言えてしまうのだろうか。なんだか悔しくなってフィオリーナはにらみつけてしまった。
「……ネーヴェさんは、わたくしのことを馬鹿になさっているのだわ」
「馬鹿に……?」
怪訝顔のネーヴェに言いたくもないことをフィオリーナは口走っていた。
「わ、わたくしはこんなに準備がたいへんなのに、…こんなに簡単に素敵になって…ずるいです!」
フィオリーナの支度はそれこそひと月がかりだというのに、ネーヴェときたら衣装をそろえて着替えるだけで見違えてしまうのだ。ずるいとしか思えなかった。
理不尽な言葉をぶつけられたネーヴェは目を白黒させている。
「なじられているのか、褒められているのか…」
「褒めているんです!」
フィオリーナが半ば叫ぶと、ネーヴェは「ええ?」と本当にどうしたらいいのか分からないといった顔をする。
「やだ、本当に面白いわ」
「だめよ笑っちゃ、本人たちは大まじめなんだから」
すっかり外野に回ったベロニカ夫妻を、ネーヴェはひと睨みすると大きく溜息をつく。
「……この格好は変装なんですよ。フィオリーナ」
「変装?」
いつものネーヴェと比べればこの格好も変装といっていいだろうが、彼の特徴的な葡萄色の髪と菫色の瞳はそのままだ。
「いいですか」とネーヴェは自分の顔に手をかざす。
するとみるみるうちに髪色が変わり、白皙の顔立ちが露わになっていく。変化が終わるとすっかり印象が変わってしまった。
眼鏡をかけてはいるものの、顔はもうネーヴェではなかった。
「……ラーゴ?」
はい、とうなずく声はネーヴェのものだった。
「うまくいったようですね」と言う彼は、ラーゴになっていた。
明るいプラチナブロンドに青銀の双眸の華やかな青年だ。けれど、そうやって初めて見る容姿がどうしてラーゴだと思ったのか分からなかった。
首を傾げるフィオリーナにラーゴの姿をしたネーヴェは笑う。
「ああ…私がこの姿になったので、ラーゴたちを認識できるようになったんですね」
そう言ってネーヴェが部屋の隅でひかえているマーレを指すので彼を見ると、少し暗いプラチナブロンドに褐色の肌の大柄な青年が立っていた。どうしてこんなに目立つ青年の容姿が今まで分からなかったのだろうか。
「お嬢様」と呼ばれて振り返ると、輝く湖面のようなプラチナブロンドの髪をヘッドドレスで飾ったメイド姿の美しい女性が立っている。
「アクア?」
「はい」
美女がメイド姿で微笑んだ。美しい女性だということは分かっていたのに、彼女もどういうわけか初めて見たような気がするのだ。
今までたしかにいっしょに過ごしていたというのに、姿だけ認識できていなかったような。
「分からなかったのは仕方ありませんよ。そういうものですから」
プラチナブロンドの美しい青年がのんびりと笑うのでフィオリーナは落ち着かない気分になる。
「これなら私だとバレないでしょう?」
バレないとは思うが、別の意味で心配になる。
フィオリーナは答えられなくてベロニカに助けを求めるが、彼も肩をすくめただけだった。
「ネーヴェの正体を隠すにはこれが手っ取り早いのよ。……美意識についてはあきらめて」
ベロニカも苦笑するほど、ネーヴェの容姿への無頓着さは折り紙つきのようだ。
「じゃあ、行きましょうか。──お嬢様」
とりあえず問題はないと判断したのか、ネーヴェはフィオリーナに手を差し出してくる。
おずおずと重ねると、やっぱりラーゴとは違うと分かった。
けれど、かたわらに並んだ顔立ちを見上げると、見分けられるようになったラーゴの容姿は不思議なことにネーヴェにどこか似ていた。




