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偏屈な領主が言うには

 まだ見ぬ結婚相手の領地は遠かった。

 馬車を乗り継ぎ、王都を経由し、港から船に乗り、また馬車の旅。ほとんど国を一周するのではないかと思うほどの旅程だ。

 付き添いに兄と馴染みのメイドがいなければ、フィオリーナは旅路を諦めてしまったかもしれない。

 ようやくたどり着いたその地は、どこまでもなだらかな丘と森に囲まれていた。

 住民は少ないのか歩く人の姿は見あたらず、牛が自由に闊歩し、馬車の前をニワトリが走っていく。

 道の舗装は行き届いていないし、轍も少なくて、馬車は大きく揺れた。

 兄が地図を確認しながら御者と話し合って、農家の住民に聞き出してやっと見つけた領主の家は、


「小さいな」


 兄の簡潔な感想がぴったりの家だった。

 庭はそこそこ広いが伸び放題の庭木や花に囲まれて、屋敷へ続く道が見えにくい。その先にまるで別荘のような小さな家がぽつんと建っている。二階建ての屋敷は窓から数えて部屋は左右に二つずつ。客を迎える玄関ポーチは先ほど見かけた牛が雨宿りに入ればいっぱいになってしまうだろう。

 それほど裕福でもないザカリーニの屋敷もこの屋敷の倍の広さはある。

 領主の屋敷というにはあまりにもこぢんまりとした家だ。

 前へ立った兄が年代物のドアノックを叩く。ドアも家の大きさに見合ってそれほど大きくない。

 コツコツと見た目よりも重いノックを受けて案内に現れたのは、老齢の執事だった。まるで自分の皮膚の一部のようにフロックコートを着こなす様子は、熟練の手腕を物語るようだ。


「お待ちしておりました。ザカリーニ様」

「ああ」


 兄の返事に執事は流れるように帽子と杖を引き取り、荷物を受け取り、フィオリーナや付き添いのメイド共々、応接間へと通してくれた。


「少々こちらでお待ちください」


 応接間は明るかった。小さな家ながら間取りは広く、大きく取られた窓からは明るい庭が見えた。調度品は古めかしいものが多かったが、どれも丁寧に磨かれている。


(落ち着くわ)


 古い木と柔らかな日差しの香りが漂う応接間は、まるで祖父母が暮らしていたカントリーハウスを思い起こさせた。

 今は亡き祖父母もあまり派手な生活は好まず、領民と共に暮らして過ごしていた。日当たりの良いサンルームで祖父が本を読み、祖母が隣で編み物をしていたのをフィオリーナはよく覚えている。

 待っているあいだ、中年の女性メイドが温かいお茶を出してくれた。

 長旅でやはり相当疲れていたようで、お茶を飲むとどこか冷えていた体が温まるような気がした。


「お待たせいたしました」


 応接間に戻ってきた執事が連れていたのは、ずいぶんと背の高い人だった。

 もしかしたらヒゲを剃ってきたのかもしれない。顔のほとんどを覆う前髪が濡れている。

 肩より長めの髪は首の横でやんわりと結われていて、引きこもりの学者のようだ。

 その目は分厚いメガネをかけていて表情はよく分からない。おろしたてのワイシャツと上等そうなジレとズボンが妙に釣り合っていない。たぶんそれは彼が少し猫背のせいだろう。長身を丸めるような姿勢だから、大きな木がうなだれているように見える。

 そして彼の髪は、深い紫色だった。

 物陰にいると葡萄色をもっと濃くしたような、黒に近い髪色で、日に透けるとあざやかな葡萄酒色になる。


(不思議な色)


 魔術師は魔力が強くなれば強くなるほど、変わった髪色や瞳の色になると聞いたことがある。

 魔力を持たないフィオリーナの一家は一族のほとんどが一般的な焦げ茶や栗色だ。


(あ)


 ぼんやりとザカリーニの人々を眺めていた彼と目が合った。

 メガネの奥にほんのりと見えたのは、菫のような紫の瞳だった。


(失礼なことをしてしまったわ)


 きっと、じっと観察してしまっていたことが知られてしまったのだ。     


(でも)


 きれいな瞳だった。瞳の色の希少価値はフィオリーナには分からない。けれど、こんなに鮮やかな菫色の瞳は他で見たことも聞いたこともない。

 この背の高い人と目が合ったのはその一瞬だけで、彼は特に気にもかけない様子でフィオリーナたちとは反対側の一人掛けソファに腰掛けた。そして、けっして話し上手ではなさそうな外見に似合わず、柔らかくなめらかな声でぶっきらぼうに切り出した。


「遠い辺境までようこそ。私が、ネーヴェ・オルミ・カミルヴァルトです」


 彼こそが、フィオリーナの結婚相手であるらしい。

 兄がフィオリーナと共に席を立って挨拶しようとしたが、彼はそれを手を小さく挙げて止めた。


「堅苦しいのは苦手なので、座ったままでお願いします」


 そう言って、ネーヴェはメイドが用意した入れ立ての紅茶を手に取っている。

 本来ならネーヴェはここにいる誰より身分が高い。兄は伯爵家を継ぐ予定だが兄自身は男爵位だ。爵位の下の者が挨拶も口上も立って行うのが礼儀とされている。


「……では、オルミ卿のご厚意に甘えまして」


 実を言えば兄もフィオリーナも長い旅で疲れ切っている。それを見透かされたのかもしれない。


「アーラント・テスタ・ザカリーニと申します。遠方のため、父の名代として参りました。そして、こちらがお話をさせていただいていた、末妹のフィオリーナです」


 兄に紹介されて背筋を伸ばしてみたが、ネーヴェはのんびりと口をつけていたカップをサイドテーブルに置いただけだった。


「お話は伺っております、テスタ卿。──ずいぶんとご無理をなさったのではありませんか」


 ネーヴェののんびりとした声に、アーラントが少しだけ肩を揺らした。母譲りの灰色の瞳を少しすがめている。カミソリにたとえられるほど鋭い眼光を受けても、ネーヴェの方は表情も変えずに話を続ける。


「私の親族や色々な者に、随分足もとを見られ、頭を下げられたのではありませんか。妹御の結婚相手を見つけるために」

「オルミ卿」


 不敬になるほど声を低くしたに向かって、ネーヴェは姿勢を崩さない。


「隠し事はよくありません。あなた方のような仲の良い家族ならなおさら」


 隠し事。それは、当然フィオリーナの噂についてのことだろう。


「お兄さま」


 思わずフィオリーナがとなりの兄の袖に手をかけると、アーラントは渋々といった様子で眉をしかめた。これは、兄が嘘をつきたいときによくやる癖だった。だが、観念したのか深くため息をついて兄は重い口を開いた。


「……そうだ。おまえの結婚相手を見つけるために、いくらかの司法取引を手引きした」


 もちろん法には触れていない、と兄は付け足したが、アーラントは優秀な文官だ。いくらかの弱みを握られてしまったようなものではないのか。


「そんな…」


 フィオリーナが引きこもっているあいだに一番恐れていた事態にすでになっているなんて、思いも寄らなかった。自分のふがいなさに目も当てられない。


「おまえは気にしなくていい。長男の私の仕事の一つだ」


 アーラントにとって仕事の一つであろうと、フィオリーナが負担となっているのは一目瞭然だ。本当なら、あの噂が流れた時点でフィオリーナは自分で身の振り方を決めなくてはならなかったのに、家族に頼りきりになってしまった。


「──フィオリーナ嬢」


 申し訳なさにいっぱいになっているフィオリーナに静かな声がかけられた。


「お兄さまに申し訳ないと思われているのなら、ここで暮らしてみませんか」


 そう言うネーヴェの瞳と目が合う。菫色の瞳がじっとこちらを見つめて、微笑みもしないのに穏やかな声で彼は続けた。


「お聞きおよびのとおり、お兄さまはあなたの結婚相手を探すためにたいへんご苦労されたようです」


 フィオリーナの様子を観察するような菫色の双眸を見つめ返して、フィオリーナは考える。迷惑をかけてしまった自分には何ができるのだろうか。


「そのご苦労に報いたいのなら、しばらくここで暮らしてみませんか。きっと、隠棲して引きこもるより、お兄さまも安心されるのではありませんか?」


 ネーヴェはそこまで言って、長身を崩すようにしてソファの背もたれにもたれかかる。


「私と結婚しろと言っているのではありません。あなたは私のことなど何も知らないでしょう? 知らない相手といきなり結婚するなど恐ろしいことです」


 貴族の娘ならば、半分は親の決めた知らない相手と結婚する。お見合いをできるのはわりと恵まれた方だ。まして、フィオリーナのように婚約相手と自由に話し合えるのは稀なことだった。


(でも、それはお相手も同じことなのだわ)


 知らない娘と結婚させられるのは、相手の子息も同じことなのだ。家同士の取り決めとはそういうものだと思っていたが、考えてみればおかしなことではないのか。

 フィオリーナは急に外に放り出されたような心地になった。

 目の前には穏やかな午後の光と、菫色の瞳。

 そして彼は、フィオリーナ自身の答えを待ってくれている。

 貴族の娘は自分から発言することは恥ずかしいことだと教えられて育つ。フィオリーナももれなくそう教えられてきたし、節度あることを常に求められてきた。

 けれど、そうやって誰かに頼りきりでは、きっと今のように誰かの重荷になるばかりになってしまうのだ。


「……わたくし」


 声が震えている。こんなことは初めてだった。声を発するだけで、目の前が明るくなっていくような気がするのは。


「わたくしが、こちらでお世話になることで、オルミ卿のご迷惑にはならないのですか?」


 フィオリーナの応えに、ネーヴェはふふ、とわずかに息を吐くように笑った。


「私の名誉など、元から地に落ちておりますから」

「……変わり者で頑固者だと、嫌われてしまうのですか?」


 双方嫌いなら丸くおさまる気もしなくはないが、人と違うということだけで嫌われてしまうのは少し哀しい気がした。少なくとも、ネーヴェはフィオリーナに対して誠実な人だからだ。

 フィオリーナの懸念を前に、ネーヴェは今度は隠しもしないで笑った。


「変わり者で頑固者だと、大抵の場合は嫌われてしまいますね。その上、私は怪しい研究に精を出す、悪い魔法使いだと世間ではもっぱらの噂ですから」


 ご存じありませんか、と問われてフィオリーナは首を横に振る。


「王都ではこう噂されているそうです。──侯爵に取り入った汚らわしい娼婦の子。社交界でつまはじきにされたことを恨んで田舎で怪しげな研究を続けている」


 ネーヴェはまるで他人事のことのように言うが、フィオリーナも噂が目の前の彼と合致しなくて不思議に思った。


「……怪しげな研究をされているのですか?」


 フィオリーナの質問にネーヴェは笑った。


「まさか。しかし、魔術の研究というものはおおむね怪しいと思われるのでしょうね」


 魔術のことはフィオリーナには分からない。今更なことだが、自分でも驚くほどネーヴェのことをフィオリーナは知らないのだ。


(この人のことを知ってみたい)


 今まで、こんな風に知ってみたいと思った人はいなかった。


「……あの」

「はい」


 フィオリーナのつたない言葉にも、ネーヴェは律儀に応じてくれる。それだけで、フィオリーナが小さく救われていくのだと彼は知っているかのようだ。


「どうして、このように親身になってくださるのですか。……オルミ卿は、わたくしの噂をご存じなのでしょう?」


 ネーヴェは自分の噂を正確に把握していた。彼は隠者として生活をしているが、世事に疎いわけではないのだ。

 フィオリーナの問いに、ネーヴェは面白がるような態度を改めて、ソファにきちんと掛け直した。


「あなたがここに居てもらえると、私にとって好都合だからです」

「好都合…ですか?」


 居て欲しい、居てもいい、ではなく好都合。意図の感じる言葉をネーヴェはわざと使ったのだ。フィオリーナに「ええ」とネーヴェは肯いた。


「私の親族は、自分たちに都合のいいご令嬢を私と結婚させようと必死になっていましてね。今のところ、爵位の継承順位は私が一番高いので」


 それは兄からも聞いたことだ。フィオリーナが肯くと、ネーヴェは話を続ける。


「ご存じかもしれませんが、継承権というものは当主が遺言や生前の手続きでもしない限り順位は変わりませんからね。困ったことに私よりも現当主に近しい親族がいないのですよ」


 親戚たちはネーヴェを自分たちに近い、もっといえば操り易い娘と結婚させようとしているという。貴族の夫人となれば、内外ともに当主に次ぐ力が持てる。家の中をすべて取り仕切るのは夫人なのだ。妻の座に据えてしまえば、あとはどのような扱いにもできる。


「そんな事情がありまして、あなたがここに居てくれるだけで私はありがたいのです」


 フィオリーナは彼の親族たちの権力争いから一番遠い娘だ。兄はネーヴェの親族たちに頼み込んで紹介してもらったが、結婚をしない限りザカリーニ家はカミルヴァルト家の一族ではない。

 きっと、親族たちはフィオリーナがネーヴェの目に止まらなくても良かったのだ。ネーヴェがフィオリーナを嫌って放り出せば、そのような娘よりこちらの娘をと勧めることができるし、迎え入れたとしてもその娘を迎え入れるのならば次にこの娘をと言い出すのだろう。要はシーズンにも顔を出さないネーヴェに自分たちが口を挟めるきっかけが欲しいのだ。

 そして、ネーヴェはそれを逆手に取りたいのだ。決まった相手が誰もいないときよりも、フィオリーナがいるのだから他の娘は遠慮したいと言えば格段に断りやすくなる。

 けれど、フィオリーナには気になることがある。


「……オルミ卿は、ご結婚なさらないおつもりなのですか?」


 好きでもないフィオリーナをここに置きたいということは、手段を選べないほど困っているということだ。

 そう考えれば、彼の心情はすぐに分かる。

 ネーヴェはすでに答えを得たフィオリーナに満足したように微笑んだ。


「ええ。私はどなたとも結婚するつもりはありませんから」


 明るい庭のようなあけすけな答えは、どこか淋しかった。



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