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嘲笑が言うには

 そろそろ会場へ戻ろうということになって、休憩所からクリストフたちに連れられて外へ出ると、そこには二人の女性たちが待ちかまえていた。

 どう見てもクリストフを待っていたように思えたが、彼女たちが声をかけてきたのはフィオリーナだった。


「先ほどお見かけしたとき、とても素敵な方だと思ってお待ちしておりましたの。お名前をうかがってもよろしいかしら」


 女性たちはフィオリーナよりも二つほど年下のように見えた。そんな年齢で避暑地にやってきているということは、すでに婚約者も決まり、結婚まで暇を持て余しているのだ。

 フィオリーナは女性たちへ向かって丁寧に顔を作って微笑んだ。これからはどんなことがあっても崩れない、鉄壁の笑顔を作っていくと決めている。


「まぁ、嬉しいですわ。まずはそちらのお名前を伺ってもよろしいかしら」


 名前を尋ねると、女性たちはすこし嬉しそうに名乗り始めた。

 マナーでは、目上の者が名乗らなければ目下の者は名乗れない。だから、目上の者に名前を先に尋ねられるのは、先に名乗ることを名誉とする貴族にとって、実はとても優越感に浸れることだ。

 フィオリーナが主催であるクリストフやアレナスフィル侯であるベロニカと懇意だということはもう会場中に知れ渡っている。少し憶測する者なら、彼らの目に留まるほど身分ある家の者なのだろうと噂しただろう。そんなフィオリーナに名前を尋ねられたのだ。フィオリーナを謙虚で優しい婦人だと判断した女性たちは無邪気に名乗ってくれた。

 フィオリーナはひとりずつ名前をしっかりと覚えて微笑む。


「──ありがとうございます。わたくしは、フィオリーナ・テスタ・ザカリーニと申します」


 初めまして、と添えると女性たちの顔色が一斉に変わった。


「まぁ…あのフィオリーナ様でしたの…」


 笑顔の中に侮蔑めいた色が混じって、彼女たちの笑い声が甲高くなった。

 この笑い声をフィオリーナは耳に馴染むほどよく知っている。

 今までたくさん聞いてきた。──嘲笑だ。

 彼女たちはフィオリーナの名前と噂を知っている。そして今ここで話したことを見境なく話して回るのだろう。

 これまでならばフィオリーナはこの声を聞くたびにうつむいてしまっていた。

 嘲笑を響かせる人の顔はひどく歪んで恐ろしい。

 これが本当に人の顔かと思うほど、悲しいほど醜いのだ。


 ──大丈夫。


 このランベルディの城へ来る前、そうかけられた声を思い出す。

 あなたは大丈夫。そう繰り返した温かい声がフィオリーナの背を正してくれる。

 フィオリーナは少し目を伏せてから、改めて相手を見返した。


「──まぁ、わたくしをご存じでしたの? どこかでお会いしたでしょうか」


 目の前の女性をフィオリーナはひたと見つめた。小麦色の髪が美しい女性だ。驚いたような顔はきっと一度会えばおぼえている。けれど、彼女とは確実に初対面だった。


「……お噂をうかがっていましたのよ。わたくしたち」


 とても口には出せないような、と歪んだ笑みを浮かべたのは小麦色の女性のとなり。アッシュブロンドの髪の女性だ。


「まぁ、そうでしたの。どんな噂なのかしら?」


 フィオリーナが首を傾げると、女性たちが顔色を変えた。だからあらかじめ決めていた言葉をフィオリーナは口にする。


「わたくし、噂があることも存じ上げませんでしたのよ」


 でも、と続ける。


「あなたがたのお名前はしっかり覚えましたわ」





 ほとんど鼻白むようにしてフィオリーナから去っていく女性たちを、フィオリーナはなかば呆然と見送った。

 そうでしたの、と口々にさえずったかと思えば「持病のしゃくが…」などと言って次々と去っていったのだ。


「……今の、ネーヴェの入れ知恵ね」


 緞帳のうしろで様子を窺っていたらしいベロニカが顔をひきつらせて現れた。


「はい……」


 フィオリーナは青ざめてベロニカに振り返った。

 緞帳の奥ではソファの上でクリストフがうずくまっていた。肩が微妙に震えている。どう見ても笑い転げている。

 フィオリーナは今すぐネーヴェを問いただしたい気分で手で顔を覆った。

 ランベルディへ向かう前、フィオリーナにネーヴェが教えてくれたのだ。

 人と話していて嫌な予感がしたらこう言えばいいと、いつもの穏やかな口調でフィオリーナに聞かせてくれた。

 何を聞かれようと「知らない」と言うこと。

 そして相手の名前は先に聞き出して確実に覚えること。

 フィオリーナにも社交界での経験がある。だから彼女たちの興味本位の悪意にはすぐに気付いたが、まさかネーヴェの言うとおりにしたことでこんなことになるとは思っていなかった。

 きっと彼女たちは恐ろしい魔術を使うという悪女に名前を知られたと恐怖したのだ。

 これではとんでもない悪女という噂を補強しているだけではないだろうか。

 ハリボテの悪女という見てくれは、フィオリーナには想像以上に荷が重い。


「……お望みの悪女として、良いデビューだったと思えばいいんじゃないかしら」


 顔を上げて見ると、慰めを言うベロニカの口もひきつっている。笑いをこらえているのだ。このあいだのマーレの気持ちがよく理解できた。いっそ笑ってほしい。


「いやいや、上出来だ! よし、この調子でいこう」


 先ほどまで緞帳のうしろで笑い転げていたクリストフが身なりを整えてやってきた。


「さぁ、どんどんいこう。夜は長いぞ!」


 手慣れた動作でさっとフィオリーナの手を取ったクリストフは、優雅に会場へと向かう。これから会場でフィオリーナを紹介して回ろうというのだろう。

 ベロニカを仰ぎ見るが、彼も首を横に振って肩を竦めた。


「とりあえず、あの調子でいいと思うわ」


 かたわらのラーゴを見るが、彼はいい仕事をしたとばかりに微笑むばかりだった。いつの間にか味方がいない。 

 フィオリーナは売られる子牛のような気分でクリストフについて会場へと踏み出した。



 結果として、フィオリーナはこの夜会で大いに顔を売ることができた。

 クリストフが隣にいたということもあるだろうが、誰もフィオリーナを嘲ったりすることはなかった。

 ただ、紹介された者は誰も名前を教えてはくれなかった。




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