赤ワインが言うには
視察から数日後、大きな箱でドレスが届いた。
ベロニカの使者たちが広くはない応接間へ箱を運び込んできたときには、さすがのネーヴェもフィオリーナといっしょに見物に来た。
ドレスは全部で三着あって、どれもすでにフィオリーナにぴったりに作られてあった。ベロニカが太るなと言った意味が身に染みてよくわかった。
宝石商にも連絡しておいた、と手回しの良いベロニカの手紙あったとおり、荷物が届いて二日後にファルケノ商会のふたりがやってきた。オネストとエルミスだ。借りていた宝石の返却と、新たな宝石を貸してもらうため、今回もふたりは仰々しい護衛付きの馬車での来訪だ。
今回のドレスも鮮やかだった。
深い緑のドレスは腰から下の長いドレープと胸元や手首の艶やかなレースが特徴的な神秘的な夜会用のドレス。胸元に小さな白い花を集めたコサージュがつけられている。
明るい黄色のドレスはリボンとふっくらした袖が印象的だが、背中が大きく開いてそこにレースがあしらわれた蠱惑的な昼用のドレス。胸元には黄色い大きな花弁が五枚つらなった華やかな花のコサージュ。
そして最後は、
「これはまた……挑戦的なドレスですね」
根っからの商人のオネストがそう言葉を選んでしまうほど、たしかに挑戦的なドレスだった。
そのドレスはいくつものひだを丁寧に重ねて作られていて、胸元から首にかけて繊細なレースで彩られている。問題はその色だった。
昼間の明るい応接間では、まるで黒に見えるほど暗い紫なのだ。喪服にも見える黒に限りなく近い紫は、夜のランプの明かりでようやくこのドレスが闇色めいた妖しい魅力をもつ色だとわかるようになっていた。胸元には細かな花びらが何重にも重なった淡い紫の花のコサージュが飾られている。
どのドレスも派手すぎず、けれど花の意匠も必ず胸元にあしらわれた、一輪だけで存在感のあるドレスだ。それは、“悪女”としてのフィオリーナがイメージされているとすぐにわかった。
まだ合わせただけのフィオリーナにも、これを身につけた自分が人の目にどう映るのかはっきりとわかるほどだった。
見た目はきっと人々が思うような完璧な悪女となれるだろう。
あとはフィオリーナ次第なのだ。
▽
今回もエルミスとアクアに手伝ってもらって、ドレスと宝石合わせをすることになった。
やはり一度着てみなければ、ドレスはきちんと合わない。
「あら…失礼ですが、腕や腰まわりが少し固くなられました?」
エルミスがフィオリーナにドレスを着せながら言うので、フィオリーナはパッと笑顔になる。
「少しは筋肉がついたと思われますか?」
「筋肉……」
嬉しそうなフィオリーナに対してエルミスは微妙な顔をした。
「ベロニカ様に言われたのです。女性も美しくあるためには筋肉をつけるべきだと」
ベロニカには筋肉をつけるために走ったり飛んだり、何でもいいから運動をするべきだと言われていた。
しかし走ることなどもってのほかだと教わってきたフィオリーナには、ベロニカのいう訓練めいた運動などに触れたこともなかった。
「実家で走ることといえば、馬に乗るぐらいでしたので…」
乗馬も立派な運動だと言われているが、このオルミでは馬に乗る機会などない。
「でも、最近良い運動法を見つけたのです」
それが、農作業だった。
土を作るには重い肥料を運ばなければならないし、土を耕すにも鍬をふるうには力がいる。苗の世話は立ったり座ったりと忙しいし、毎日の水やりはけっこうな重労働だ。
「やっと肥料をいっぱいに入れたバケツをひとりで運べるようになりました」
にこにこと話すフィオリーナのそばで、アクアが額に手をあて首を横に振る。
エルミスも同じような神妙な顔でこめかみに指を当てた。
「……わかりました。あとでネーヴェ様を問いただすことにいたします」
それよりドレスのことだとエルミスとアクアにうながされるまま、衣装合わせを再開した。
サイズは変わっていなかったが、ウエストが少し減ったと言われてフィオリーナは満足だった。
▽
衣装合わせを終えて、エルミスがネーヴェを捕まえに行くのを見送ってから、応接間での休憩でオネストは弁解を口にした。
「アレナスフィル侯……ベロニカ様はいろいろと振り切れた方なのでアドバイスを取り入れるのはほどほどにされたほうが良いと思われますよ」
丁寧だが気安さも感じさせる話し方だ。オネストもベロニカと知己なのだろうか。尋ねるとオネストは笑ってうなずく。
「ベロニカ様もネーヴェ様の部隊におられました。私とエルミス、それからあのクリストフもです」
では、フィオリーナが今まで出会ったネーヴェの知人たちはみんな戦友だったということか。彼らの身分を越えた絆を見た思いがした。フィオリーナでは決して入ることのできない固い絆だ。
「……戦友だからといって、あまり構えないでください」
オネストは少し黙り込んだフィオリーナに何かを感じたのか、苦笑をにじませた。
「ああいう人ですからね。フィオリーナ様のことが無ければもう会うこともなかったと思いますよ」
ネーヴェは戦後、部下たちひとりひとりの身の振り方を案じて面倒を見て回っていたが、それが落ち着くと自分はオルミ領に引きこもってぱったりと連絡を絶った。
だから、オネストの元へ仕事という形であっても連絡がきたことに、エルミスと共に驚いたという。
「こういう有様でしたから、フィオリーナ様には我々、元部下一同感謝しているのです。──ありがとうございます」
オネストはまるで友人のように、親しみをこめて微笑んでくれる。こうやって穏やかな時間を友人と過ごせるようになったのだとしたら、またひとつ、ネーヴェの役に立っているのだと実感できた。
そうやってオネストとお茶を飲んでいると、応接間に怒声が響いてきた。エルミスがネーヴェに苦言をまくしたてているのだ。ネーヴェはどうやら庭にいたらしい。廊下を通して声が響いている。
「お嬢様に肥料を持たせるなど、あなたは何を考えているのですか!」
「今度からは水だけにするよ。もう畝はできたから」
「そういう話をしているのではありません! だいたいあなたは昔からそうなのです。興味がないからといって貴族の慣習のことなどまったくおぼえないで…」
「ああ、あれか……何だっけ。女性の靴が見えたら卒倒しなきゃいけないんだったかな。貴族の男って」
「違います! 靴は服と同じ扱いなのです! ですから、異性の前で靴を脱ぐことは服を脱ぐことと同じぐらい恥ずかしいことで…」
「あれ? だったら……」
応接間にやってきたネーヴェと目が合う。今日もネーヴェはおざなりなジレにスラックス、ワイシャツ姿で、作業の邪魔だからかネクタイもしていない。
会話はすべて丸聞こえだったと知れたのだろう。みるみるうちに顔を真っ赤にするフィオリーナを見てネーヴェは首を傾げた。
「この前、外の洗い場でフィオリーナが靴を脱いだのは…」
「ネーヴェさん!」
慌てて叫んでももう遅い。はしたないと分かっていてもフィオリーナはネーヴェに駆け寄らずにはいられなかった。
「あれは、そう! 応急処置です! 靴の泥を落とさなければいけませんでしたし、わたくしも足が疲れていて…!」
もう支離滅裂なのは重々承知だ。けれど、フィオリーナも何かまくしたてなければ落ち着かない。
気がつけばネーヴェのジレをつかんでいた。
もう言い訳も思いつかなかった。
人の胸元をつかむなど、はしたないを通り越してただの乱暴だ。
「フィオリーナ」
思っていた以上に声が近い。
大きな手の気配がフィオリーナの肩にかかる。
思わず肩を竦めて、目をきつく閉じる。
吐息が額をかすめたのを感じて、驚いてジレから指は離れた。
どこかさまよった腕の気配が唐突に離れて、フィオリーナはつられるようにして目を開ける。
見上げると、降参というように両手を上げたネーヴェは苦笑していた。
「……すみません。我慢してくれたんですね」
申し訳なさそうに菫色の瞳が細くなる。たしかにそうだが、そうではないのだと言いかけて喉がつっかえる。
かろうじて絞り出したのは「いえ……」という当たり障りのない答えだけだった。
(抱きしめられるかと思った)
どうしてそう思ったのかはわからない。けれど、長い腕がフィオリーナの体を一瞬包みかけたのではないかと錯覚して身を竦めたのだ。
「知らなかったとはいえ、恥ずかしい思いをさせてすみませんでした」
フィオリーナ、と呼ぶ声は優しいのに心が痛いと感じるのは、フィオリーナの耳がおかしくなってしまったからだろうか。
靴を脱ぐことが恥ずかしかったのは事実だが、ああやってネーヴェと過ごすことが悪いことだとは思えなかった。
畑仕事を手伝っている以上、これからもああして泥を落とすことはあるだろう。
「……たまに、ああやって水に足をひたしてもいいですか?……その、内緒で」
いけないことだと言われるのなら、せめてフィオリーナひとりでやるならば、咎められてもネーヴェの責任にはならない。
いつの間にか落ちていた視線を上げると、菫色の瞳がじっとこちらを見下ろしていた。
フィオリーナと目が合うと、ゆっくりと細められる。
「いつでもどうぞ。──もちろん、秘密で」
秘密で、と言われると心が浮かぶほど嬉しくなって、フィオリーナは微笑んだ。
本当に、ネーヴェの前ではフィオリーナの気持ちはあきれるほど乱高下するのだ。
「カリニさん、濃いめの紅茶をいただけますか」
かたわらでふたりの様子を眺めていたオネストがそんな風にカリニに声をかけると、カリニも心得たもので「承知しました」とうなずく。
「お仕事中でしょうから、ブランデーを多めに入れておきます」
それを聞いたエルミスも「私にも」と手を挙げた。
「本当は、フルボディの赤ワインが飲みたい気分ですけれどね」




