店主が言うには
オルミ領は三方を山に囲まれている。
大きな街道は四つあるが、地元の人間が使う馬車道のようなもので整備されているとは言い難い。地図を作るにあたって便宜的に街道として登録されたという。
オルミ領にある村は二つだけ。そのちょうどあいだに小さな商店などが並ぶ町がある。その町で農家で作った野菜や果物、他の領から仕入れた日用品などを売っているらしい。
ネーヴェはまずその町に寄るという。
「町といってもランベルディと違って本当に何もありませんがね」
見てみますか、とフィオリーナを連れて入った店でネーヴェがそんな風に言う。出迎えた壮年の主人は苦笑した。
「この町の領主さまが言うことですかい」
「いいじゃないですか。恵まれていては嫉まれるだけですから」
ネーヴェの返す言葉に店主も「違いない」と笑った。
「それで、転送機の調子を見て欲しいということでしたが」
「ああ、そうだった。手紙も新聞も問題なく送られてくるんだが、どうもおかしな音が鳴るんですよ」
店主にそう言われてネーヴェは「何でしょうねぇ」と顎をさすりながらカウンターの奥へと入っていく。
カウンターと簡単な棚しかない店だと思ったが、奥にはなにやら荷物が積み上げてある。カウンターの奥の部屋は広いようで、かまどのようにも暖炉のようにも見える機械が置かれていた。
ネーヴェはその機械の横腹にあるキャビネットのような扉を開けて不思議な基盤を確かめだした。
すっかりネーヴェに置いていかれてしまったフィオリーナだったが、店主がこちらを見ていることにようやく気付いた。
「あの……このお店はどういったお店なのですか?」
話しかけられるとは思っていなかったようで、店主は目をぱちぱちとさせてから顔にしわを刻んで笑う。
「ああ、申し訳ない。作法ってものを知らなくて。この店は転送屋ですよ」
「転送屋……?」
今度はフィオリーナが不思議そうな顔をすると、店主は「あれ、そういう店は都会にはないのか」と首をかしげる。
「転送機で手紙を送ったり、新聞を送ってもらったりしたものをここから配達するんですよ」
転送機は魔術で手紙や新聞を送ることのできる機械だ。魔術師ではないフィオリーナではくわしい仕組みはよくわからないが、情報を魔術で転送するらしい。どうやって届け先に送るのかと思っていたが、転送機のそばに印刷機が置いてある。これで送られた情報を印刷して新聞や手紙にするのだろう。
転送機は複雑な機構の機械なので魔術局の管轄となっていて、各領にある分局で管理しているものだったはずだ。そうフィオリーナが口にすると、「そうなんですかい」と店主は感心したように言う。
「こんな田舎には魔術局の分局なんてものはなくてね、前までは隣の領まで行って借りなきゃならなかったんですよ」
昔は手紙や新聞も陸路で運ばれていたので、最大一ヶ月は遅れて新聞がきていたそうだ。
「今でも転送機がない村や領は多いよ。でも、うちの領主さまが毎朝新聞が読みたいとかでオルミに転送機を置いたんですよ」
ネーヴェ自ら整備するから、とまで言って魔術局を説き伏せたという。オルミ領へやってきて一番最初にこれをやったというからネーヴェの執念の賜物というべきか。
「今じゃあ新聞は毎日読めるし、遠い地域と手紙のやりとりができる。領主さまのわがままサマサマってところかな」
ははは、と店主は笑って、
「まぁ、こんな田舎じゃあ字の読めない者もまだ多いがね。でも、新聞が気軽に手に入るから読んでみようかって者も増えてきたよ。村学校も盛況になったらしい」
領民の識字率の低さは文官である兄も頭を痛めていた問題だ。ザカリーニ領でも学校は作ったものの、さまざま理由をつけて子供を学校へ入れたがらない親が多い。農家や商家では子供も大事な働き手だからだ。商家では家庭教師を雇う家もあるが、農家はそうはいかない。食べていくのがやっとという小作人も多いからだ。
奥の部屋ではネーヴェがなにやら熱心に基盤を調べている。
魔術師だとは知っているが、彼が魔術を使っているところはまだ見たことがない。
(ふしぎな人)
ネーヴェは魔術も使わずに、魔法のようなことをしてみせる。
「それで…お嬢様は領主さまとはどういったご関係で?」
店主から水を向けられてフィオリーナは思わず言葉に詰まってしまう。
同盟者、同居人、どれも言葉が上滑りしそうだった。
(友人…)
それぐらいの親しみは感じてくれているのだろうか。
「領主さまの家に、若いお嬢さんが住み始めたってことはもうみんな知ってるよ」
狭い領だからねぇ、と言われてますます言葉に窮してしまう。
「──私の大事な人ですよ」
奥から声が響いたかと思えば、長身がまっすぐこちらへやってくる。
「あまり困らせないでください。私のような男のところに来てくれた優しい人なんですから」
木がそっと寄り添うようにしてフィオリーナのそばに立つと、ネーヴェは菫色の瞳を細めた。フィオリーナの顔が赤いことなどお見通しのようだった。
その様子を驚いたように見ていた店主はそのまま大笑いする。
「はっはっはっ! そりゃあ悪かったよ。大事なお嬢さんなんだな」
「ええ」と涼しい顔でネーヴェはうなずいている。フィオリーナのような動揺なんてひとかけらもない。
それどころか話をさっさと切り上げるようにして「それで」と店主に話し始めてしまう。
「転送機ですが、異常はありませんでしたよ。でも、これからも少し動作がおかしい日があるかもしれない」
「どういうことですかい?」
不思議そうな店主にネーヴェは「そうだなぁ」と言って、
「まぁ、気にしなくていいってことですよ」
「はぁ…」
店主を煙に巻いてネーヴェは笑う。
「機械自体に問題はなかったからいいじゃないですか」
「そりゃあ、問題ないならそれでいいですけどね…。それよりいつになったら敬語をやめてくれるんですかい。領主さまにうやまわられちゃあ居心地が悪いってんでしょうが」
本当に居心地が悪そうな店主に、フィオリーナも今更ながら気付いた。ネーヴェは店主にずっと敬語だ。
「性分でしてね、慣れてください。転送機でも何でも困りごとがあればまたご贔屓に」
それじゃあ、とネーヴェは踵を返しながらフィオリーナに手を差し出した。その手にはハンカチが乗っている。この上に手を載せろということだろうか。
おずおずと指先を重ねるとハンカチ越しに指先が握られる。正解だったようだが、複雑な気分だ。
「お嬢様」
店主に呼びかけられてフィオリーナも振り返る。
「変わったお人だけど、大事にしてやってくれな」
苦笑する店主にフィオリーナも思わず微笑んだ。
「はい」
ネーヴェが大切だと言ってくれたのだ。フィオリーナも彼を大事にしたいことだけは確かだ。
▽
二人を見送った店主はなんだかこみ上げてくる笑いもそのままつぶやいた。
「少なくとも悪女には見えなかったなぁ」




