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ブーツが言うには

 クリストフから次の夜会について手紙が届いたのは、侯爵家から帰って三日後のことだった。

 次の夜会は一ヶ月後。準備をしておくようにということと、また会おうとだけ書いてあった。

 クリストフの手紙を追うようにしてベロニカからも手紙と荷物が届いた。荷物は先日の夜会のドレスと着替えたフィオリーナとネーヴェの服一式だ。次のドレスもベロニカが用意してくれるという。近日中に届けるのでくれぐれも太らないようにと書かれてあった。

 そしてこれがベロニカからの手紙に書かれてあるのはおかしなことだが、クリストフはこれから頻繁に園遊会や夜会の参加リストにフィオリーナを加えていくという。おそらくクリストフはこのことをフィオリーナに話すつもりはなかったのだろう。フィオリーナを驚かせたいという以外に理由はないように思われた。貴族を悪意で煮過ぎたような人なのだ。

 付き添いには必ずラーゴをつけることが指名されていた。夜会や園遊会にかならずクリストフやベロニカが居るとは限らないからだという。

 それから、ネーヴェはなるべく連れて行かないようにと注意書きがされていた。


 応接間でベロニカの手紙を読んでいたフィオリーナはかたわらにちらりと視線を向ける。少し離れた日陰寄りのソファではネーヴェが居座ってのんびりと本を読んでいる。


 ベロニカからの手紙によれば、ネーヴェがこのあいだのベロニカの園遊会に少しだけ姿を現しただけでまことしやかな噂になったらしい。

 ベロニカが選んだ親しい人々だけが参加していた園遊会でさえ噂になるのだから、もっと大きな集まりになれば噂の的がフィオリーナではなくネーヴェになってしまいそうだ。

 これについての詳しい話は今度夜会で会ったら話してくれると追記してあった。

 フィオリーナは極力なんでもない顔をして手紙をたたむ。

 王都では偏屈で恐ろしい魔術師だと噂されているネーヴェがどうしてそれほど噂になるのか。フィオリーナだけで判断するには情報が少なすぎる。

 それに、と手紙を持つ手がわずかに震える。

 噂の的はフィオリーナひとりで十分だ。静かに暮らしているだけの人には極力迷惑をかけたくない。

 他人の手紙を勝手に読むようなネーヴェではないと思うが、フィオリーナは手紙を持って席を立つ。

 すると朝食の片付けを終えたカリニが応接間にやってきた。


「旦那様。そろそろお時間です」


 カリニの声にようやくネーヴェは本から視線を上げる。


「ああ…そんな時間か」


 億劫そうだが素直にソファから立つ様子はネーヴェにしては珍しいことだった。彼は時間があるときはこの応接間で本を読んで過ごすことが多い。この家の応接間は一番日当たりが良くて心地いいのだ。


「フィオリーナ」


 呼びかけられてフィオリーナが振り返ると、ネーヴェとはちょうど人ひとり分の距離があいていた。


「これからちょっと視察に出かけてきます。遅くなるかもしれないので、昼食も夕食も先に食べてください」

「……はい。わかりました。お気をつけて」


 ネーヴェのやわらかい声は変わらない。

 けれど、スカートの影の舳先にすらネーヴェの靴のつま先はかからない。

 フィオリーナが怒ってしまった日から、ネーヴェは決して彼女に近付かないのだ。

 応接間から去っていく長身を見送って、フィオリーナは少し息をつく。これが正しい距離なのだと理解しようとしても、ネーヴェと居るとどうすればいいのか分からなくなる。


「お嬢様」


 てっきりネーヴェの準備についていったと思っていたカリニがフィオリーナのそばで微笑んでいた。


「旦那様はこれから馬車で少し遠出をなさいます。町への訪問と、果樹園と農地の視察をされるご予定です」


 のんびり過ごしているように見えてネーヴェの仕事は案外忙しいのだ。カリニの話の意図が読めなくて、フィオリーナが不思議そうにすると、彼はゆっくりとうなずく。


「オルミは観光地などない土地柄ですが、景色は良いところです。お出かけなさって自然と触れあってみてはいかがでしょうか。──お嬢様のお願いを、旦那様はお断りにならないと思いますよ」


 少し沈んでいた応接間の空気が軽くなったような気がした。

 どうして忘れていたのだろう。

 自分で動かなければ何も変わらないことはとっくの昔に分かっていたのに。


「はい。ありがとうございます、カリニさん!」


 フィオリーナは急いで準備をするべく、自分の部屋へと駆け上がった。

 

 ▽


 日傘とボンネット、それから薄いケープを持って、ハンカチとソーイングセットだけドレスの隠しポケットへ入れる。ドレスは普段着のままでいい。化粧は薄く、顔にも手にも日焼け止め。その上から夏用のレースの手袋を身に付けた。靴は外歩き用の編み上げのブーツにした。

 階段を駆け下りていくと、ホーネットが屋敷へ帰ってきたところだった。

 フィオリーナを見つけてホーネットはふくよかな頬をゆるめるようにして笑う。


「いってらっしゃいませ」


 どこへ行くのかも尋ねてこないということは、ホーネットはすでにカリニから伝えられているらしい。


「ありがとうございます。行って参ります!」


 二人に感謝してフィオリーナは外へと駆けて出た。

 庭を横切って小さな門を出たところで、馬車はまだ停まっている。

 御者台のとなりで立っていた長身の男性がフィオリーナを見つけてのっそりと彼女の前に立った。威圧感のある人だ。威風堂々という言葉を形にしたような容姿には、御者用の丈夫なジャケットがまったく似合っていない。前髪を撫でつけているので、広い額で男性的なしっかりとした眉が少し動く様子がすぐ見て取れた。鷹のように鋭い双眸でフィオリーナを確かめたかと思えば、静かに目を伏せる。


「初めてお目にかかる、フィオリーナ嬢。私は従者のひとり、マーレ。以後お見知りおきを」


 従者というよりも無骨な騎士のようだ。彼もカミルヴァルト本家の使用人なのだろうか。


「よ、よろしくお願いいたします」


 挨拶を返すフィオリーナをマーレは無遠慮に眺めて「まぁ、いいだろう」と勝手に納得して馬車の戸を叩いた。


「ネーヴェ、そろそろ出るぞ」


 使用人とは思えないほどの気安さだ。驚いているフィオリーナをよそに、さぁと馬車の戸を開いてくれる。

 彼も協力してくれるというのだ。


「……ありがとうございます」


 フィオリーナがそう返すと、マーレが楽しげに口の端を少し上げた。生真面目そうな見た目だが、案外皮肉屋なのかもしれない。

 馬車の中はもう煙だらけだった。

 煙をかきわけるようにフィオリーナが馬車に乗り込みかけると、眼鏡の奥で菫色の瞳をまん丸にしたネーヴェと目が合う。


「フィオリーナ」


 あきれたような声といっしょに、大きな手が差し出された。手袋のない手はかさついていて、少し冷たい。しっかりと握られると、じんわりと温かくなった気がした。

 馬車に乗り込んでネーヴェの隣に座ると、苦笑が振ってくる。


「とんだお転婆だ」


 今日のネーヴェはいつもの格好にゆるく髪を結ってジャケットを羽織っただけだ。足下だけは見慣れない頑丈そうなブーツを履いている。

 視察と聞いて、編み上げのブーツを履いてきたのは正解だったのだ。


「町や農地へ行かれると聞きました。領地ではわたくしもよく父の視察に同行しておりましたので、お邪魔はいたしません。ご一緒させてください」


 領地の視察に同行していたのは本当だ。お嬢様の物見遊山だと言われていたが、今思えば父はそれを許してくれていたのだ。

 まっすぐに菫色の瞳を見つめると、困ったように細められた。煙の元だった煙草をネーヴェは手にしていた小箱のような缶の灰皿に放り込む。


「……道理で、ホーネットが寄越した弁当が大きすぎると思いましたよ」


 ネーヴェの隣に置かれたバスケットは、たしかに彼ひとりで食べるには大きすぎる。ネーヴェは長身で体格も悪くないくせに食が細いのだ。


「では、やっぱりわたくしも連れて行ってくださいませ」


 ほとんど身を乗り出すようなフィオリーナに、ネーヴェはようやく笑った。


「退屈でしょうけれど、それでもいいのなら」


 ネーヴェが馬車の窓を開けると、午前のさわやかな風が煙と舞う。


「ホーネットさんの作る料理はどれもおいしいですから、昼食が楽しみです」


 フィオリーナが笑うと、ネーヴェも「そうですね」と答えて笑った。

 二人の声が届いたのか、馬車はゆっくりと走り出した。 


   

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