同類が言うには
不遜を極めた元上司は、馬車に乗り込んですぐ煙草をくわえて火をつける。この様子をぜひザカリーニの人々に見せてやりたい。
そんなことはできないとわずかに残った良心に従ってクリストフは向かいの煙を目で追った。薬草臭い煙草は趣味じゃない。
夕食会で思い知ったが、一応家族というものに触れてきたクリストフでも居心地が悪くなるほどザカリーニの人々は善良ですばらしい家族なのだ。温かい家庭など見たこともないネーヴェはさぞ痒くなった背中をかきむしっていたことだろう。よく王都にいるあいだ、あの家に滞在したものだ。クリストフなら三日と待たずに音を上げた。
ネーヴェは今や上司でもなく、身分の上ではクリストフのほうが上だ。遠慮なく自分の懐からシガーケースを取り出して、細葉巻をくわえて火をつける。
「……まったく。俺がお膳立てしてやらなきゃ、家庭教師にもなれなかったとはね」
煙混じりに笑うと、正面からも煙を吐かれた。
「お前が来なければ私は影に徹していられたんだよ」
なるほど、とクリストフは葉巻をくわえた。この男は正攻法でフィオリーナを留学させる気がなかったのだ。
第一王子殿下がカスケードに話を流して推薦させたことも、フィオリーナが留学生候補に挙がることも、すべて利用して彼女を出国させるつもりだったのだ。
クリストフでも追えないほどの伝手を駆使して、裏からフィオリーナを留学生に仕立て上げるつもりだったのだろう。もともとそういう手腕に優れた男だ。
それがクリストフの助言とフィオリーナの決断で邪魔されてしまった。
フィオリーナの決断の速さにはクリストフも驚かされた。一日は時間をくれとでも言われると思っていたからだ。一日でも時間があればネーヴェは王都を離れていただろうし、フィオリーナが望むならオルミ領まで押しかけさせてやればいいと考えていた。
だから、王都でネーヴェを捕まえたのはフィオリーナの功績なのだ。
「いいじゃないか。お姫さまとの時間が増える」
クリストフの嘲笑に、ネーヴェは短くなった煙草を携帯灰皿に押し付けた。
「お前が入れ知恵したことは許さない」
ネーヴェはそう言って懐からシガーケースを取り出して開けたが、煙草は空になっていた。この一日で何本吸ったのか。それを見誤るほどネーヴェにとっても予想外のことだったのだろう。
クリストフは細葉巻を勧めるが、ネーヴェは手を振って断った。
ネーヴェは息をついて、馬車の窓に寄りかかるようにして怪物にふさわしい紫の目を夜の街に向けた。
「……でも、フィオリーナが望むなら私はそれを叶えるだけだ」
フィオリーナも言ったとおり、ネーヴェは優秀な男だ。出来ないことでも出来ないと愚痴をこぼしたことさえない。
だから、彼らの顛末をクリストフは見届けてやりたかった。
この怪物は単純なことばかりできないのだ。
フィオリーナをさらって閉じ込めて、毎日愛していると囁けばそのとおりになる。
だがそんな単純なことをすれば、フィオリーナを壊してしまうと分かっているのだ。
クリストフには手に取るように分かってしまう。それが手っ取り早くて容易いと知っているからだ。そしてそれがこの世で一番つまらないことも知っている。
細葉巻の軽い酒のような煙を呑んで吐く。
「お姫さまをエスコートするなら、獣道は止めておけってことさ」
クリストフの忠言をネーヴェは横目で睨んだ。本当は分かっていたはずだ。ズルをして留学しても、フィオリーナは授業にすらついていけない。大国は裕福であるがゆえに誘惑も多い。世間知らずでは無駄な金と時間を浪費して人生を踏み外すだろう。最高の環境で学べる機会を有意義に過ごすには優秀な家庭教師が必要不可欠だ。
ネーヴェは九番街の手前で降ろせと言い、眠そうな門番をたたき起こして門を開けさせた。
「またオルミに行ってやるよ。今度はワインがいいか?」
馬車の上から呼びかけたクリストフをネーヴェは一瞥して、
「もう来るな。邪魔だ」
不機嫌に言い残して九番区画の暗い道を振り返りもしないで帰っていった。
フィオリーナを助けるためには人手がいる。その手のひとつがクリストフであることは分かっている。彼女がオルミへ来る前はどんな連絡も無視されていた。それが無視されないということはそういうことなのだ。
今度は赤ワインでも用意してやろうと考えながら、クリストフは御者に屋敷へ戻るよう指示した。
ネーヴェとは出自も生い立ちもまったく違う。だが、クリストフも頭のどこかにある人間として大事なものが欠けているのは分かっている。それが父親に家のために死ねと言われたからか、凄惨で泥のような戦争のせいなのか、原因はもう分からない。
伯爵家を継いだ日から、クリストフは冷たい城で冨と享楽を恋人に死ぬと決めてしまった。
だからこそ、このネーヴェという怪物とあのお姫さまのおとぎ話の顛末が知りたいのだ。




