紅茶が言うには
とりあえず見てくれはこの出来で十分だという話になって、園遊会の前日はアクアとホーネットが準備を手伝ってくれることになった。
話がまとまったあともアクアやホーネット、カリニまで誉めてくれた。エルミスにいたってはネーヴェにいささか失望した様子で、
「あのように配慮の足りない方とは思いませんでした」
少しネーヴェがかわいそうになる評価をくだして帰っていった。
オネストの方は心中複雑そうな顔で、
「男というものはときどき言葉足らずなものだと、ご理解いただけるとさいわいです」
貸し出した宝石は園遊会のあとに回収にくると、商人らしい約束をしてエルミスを追いかけていった。
試作のお披露目を終えてフィオリーナが化粧を落としたころには、すっかり夕方となっていた。
そろそろ夕食の準備だとホーネットを自室から見送ると、フィオリーナは改めてトルソーに飾られた深紅のドレスを見つめる。どこかやりきった充足感と園遊会への期待が膨らんでいく。
頑張ろうと思う反面、これで本当に後戻りできないのだという少しの不安が、暗い場所と明るい場所をくっきりと分ける夕暮れのように押し寄せてくる。
(それでも頑張ろう)
エルミスたちは十分だと誉めてくれたのだ。──ネーヴェは誉めてくれなかっただけで。
そのことが自分でも意外なほどがっかりしていることに、フィオリーナは少し驚いた。
少し前まで知ることもなかった人に誉めてもらいたかったなど、まるで子供のかんしゃくのようではないか。
夕食の時間を知らせるホーネットがふたたびやってくるまで、フィオリーナは自問自答していた。
夕食までのわずかな時間にもネーヴェは仕事をしていたようで、少し遅れてやってきた。
思えば、日中のほとんどをフィオリーナのために使ってしまったのだ。
いくら小さな領とはいえ、ネーヴェの仕事の邪魔をしてしまったのだと考えれば、昼間に誉められなかったことぐらい呑み込んでしまうのが淑女というものだ。
けれど、今日はいい魚が入ったといってカリニが腕をふるった淡水魚のムニエルはどこか味気なかった。
ほとんど無言で夕食を終えると、ネーヴェは食後に白ワインを一杯だけ飲み、フィオリーナは紅茶を飲む。
この数日に作られるようになった貴重な歓談の時間だが、ぽつぽつとネーヴェが明日の予定を伝えてくるのに相づちを打つだけになってしまった。
すっかりうわの空になってしまった奇妙な罪悪感と共にお開きになってしまったが、席を立ったネーヴェは「ああ、そうだ」と思い出したようにフィオリーナを振り返った。
「きれいでしたよ」
「え?」
目を丸くして見つめ返すフィオリーナに、ネーヴェはその菫色の瞳を細めた。
「あの姿のあなたが園遊会に行くのかと思うと、少し心配になってしまいました。……どこにでも、悪い男というものはいますからね」
菫の瞳にフィオリーナが映っている。そんなことがいたたまれないほど恥ずかしくなってきたのは気のせいではなかった。
先ほどまでのどこか拗ねていた気持ちがはるか彼方へ消えていく。
「やはり、あなたには虫除けをつけましょう。悪女のふりではなく、むやみに人を寄せ付ける本物になってしまっては私が困りますから」
眼鏡の奥の顔が本当に少し困っていて、フィオリーナの子供じみたかんしゃくもすっかりなりを潜めてしまう。
「あの……虫除けとはどういう…?」
しどろもどろになってフィオリーナが尋ねると、ネーヴェは得心したように答えてくれた。
「男の従者です。園遊会では、あなたのエスコートをさせましょう」
人選は任せてください、とネーヴェは食堂をさっさと踵を返してしまう。
このあとも仕事をするのかも、とか。
ネーヴェは園遊会は一緒に来てくれないのか、とか。
フィオリーナの悪女姿をきれいだと言ってくれた、とか。
奇妙な不安と嬉しさがフィオリーナの中で渦巻いていく。
かんしゃくだけは不思議なほどさっぱり消えて、フィオリーナはとっさにネーヴェを引き留めるために声を上げていた。
「あの…!」
自分でもびっくりするほど大きな声だった。
こんなにはしたないことは、子供のころにもやったかどうか。
それでもネーヴェを足止めするには成功した。
彼はなにごとかとゆっくり振り返る。もう食堂から出て行ってしまうところだったので、本当にきわどいところだった。フィオリーナはネーヴェの部屋を未だに知らないのだ。
「どうしました?」
先ほど、取りようによっては情熱的なほど褒めてくれたとは思えないほどネーヴェの顔は平静そのものだ。
「あの…」
何か話したいことがあったはずなのに、うまく思い出せない。
けれど、助けを求めて紅茶のカップを目にしてエルミスを思い出した。
そう、エルミスが復員したのならば、ネーヴェも同じなのだ。
「──エルミス様から、北部戦線のお話をうかがいました。同じ部隊だったそうですね」
フィオリーナの言葉に、ネーヴェはゆっくりとこちらへ戻ってくる。
「ええ。……エルミスが話すとは意外でした」
親しげな呼び方を聞いて、心のどこかがざわめいた。フィオリーナだけが親しく呼ばれているのではなかったのだと、また子供のような心が騒ぎだす。
それは今、関係のないことだとフィオリーナはむりやり押し込めた。
「オネスト様もご一緒だったとか。──今更ではありますが、本当にみなさま無事にご帰還され、こうしてお会いすることができて嬉しく思います」
ネーヴェはフィオリーナの言葉にすこし目を丸くする。
驚くような言葉ではなかったはずだ。
けれど、ネーヴェは照れたように苦笑する。
「なにごとかと思えば……エルミスにもそのように言われたんですか?」
苦笑するネーヴェにフィオリーナは首を傾げる。
「はい…何かおかしい言葉でしたでしょうか?」
「おかしいことはありません。……でも、改まって言われるとこそばゆいですね」
ひとしきり静かに笑って、ネーヴェはフィオリーナを見つめる。
その菫色の瞳はどこか寂しそうに細められた。
「あたたかい言葉というものは、本当に嬉しいものです。……きっと、エルミスも心からあなたの言葉に喜んでいたのだと思いますよ」
どこか薄っぺらだと思っていたフィオリーナの言葉を拾い上げてくれる。
フィオリーナの逆に救われたような気持ちを、エルミスも感じてくれていたのなら嬉しい。
(でも)
そうやって人の気持ちばかりをおもんばかるネーヴェの心は見えてこない。
それがもどかしいと思うのは、フィオリーナのわがままなのだろうか。
考え込むフィオリーナに、ネーヴェは優しく微笑んだ。
「見かけは悪女となっても、あなたの素直で優しい心は大切にしてもらえると、私はありがたいですよ」
それはフィオリーナが子供だということだろうか。
もちろん、ネーヴェたちよりは年齢は下かもしれないが、フィオリーナは立派な淑女のつもりなのだ。
思わずネーヴェを睨むと、彼は心得たようににやりと笑う。
「からかいましたね!」
「いえいえ、そのままのあなたであって欲しいのは本当ですよ」
家族にさえこんなに怒鳴ったことがないというのに、ネーヴェといるとフィオリーナはいつも度を越してしまう。
食堂にはネーヴェの笑い声とフィオリーナの声が響き、執事のカリニがなにごとかと覗きに来るほど賑やかになってしまった。
カリニにたしなめられてようやく大笑いをおさめたネーヴェは、フィオリーナに睨まれながら部屋へ帰っていった。
わがままを言ってみせるのが悪女らしいというのなら、フィオリーナをここまで振り回すネーヴェのいささかずるい性格を変えて欲しいと思うのは、悪女らしいわがままになるだろうか。
ネーヴェを見送って、フィオリーナは自分でも気づかないほど子供っぽく口をとがらせた。




