心配性の宝石商が言うには
このとんでもなく優秀で怪物とまで呼ばれるこの人は、他人に感謝することも惜しまない。
そんなことさえ忘れかけるほど離れていたのだと、オネストは月日の流れを実感した。
戦場では本当に人間かと思われるほど冷徹だというのに、ネーヴェという人は不器用で無骨だったのだ。
「そういえば忘れるところだった」と個室を出るところでネーヴェがエルミスを呼び止める。
ジャケットの上着から取り出したのは、精霊祭の露店でよく売られている吊り飾りだ。
「君の子供に」
今までネーヴェとフィオリーナを冷やかしまじりで微笑ましそうに見送っていたエルミスが、笑顔を引きつらせて止めた。
「……知っていたのですか?」
「何を?」
ネーヴェは不思議そうに、睨んでくるエルミスに飾りを渡した。
「ちょうど持っていて良かった。リカルドの息子たちにもやったんだよ。いくつか買ったから君の子供にも」
「そういうことではなくて!」
飾りを受け取ったもののエルミスは今にも怒鳴り散らしそうなほど目を吊り上げる。オネストといっしょにフィオリーナも啞然としているというのに、ネーヴェだけは平然と首を傾げた。
「だから、君の子供にやってくれって。クリストフの領内から出て行ったあと、ここで産まれた子なんだろう」
これ以上、ドアを開けて話せる話ではない。オネストは全員をひっくるめて個室に押し戻し、ドアにカギをかけた。ついでに盗聴防止用の魔術も展開させる。
オネストの慌てようにようやくネーヴェも「ああ」と気付いたように頷いた。
「まだ認知されていなかったか」
「そ…」
「そういう話じゃないでしょう!」
ネーヴェを咎めようとしたエルミスよりも大きな声が出た。オネストに一斉に注目が集まるが、それでも声を荒げるのを止められなかった。
「それはあなたでしょう! どう考えてもあなたが父親だというのに…!」
フィオリーナが口を覆って顔を青ざめさせたのが見えた。けれど今更止められない。この三年、ずっと言ってやりたかったことだ。
しかしネーヴェが何か言うより先に、エルミスが手を挙げた。
パン、と頬を打つ音が部屋に響く。
打たれたのは、オネストだった。
「……どうして」
頬は赤くなったが、それほど痛くはない。けれど、エルミスの軽蔑するような目がオネストに突き刺さる。
「違うって言ってるでしょう! 何度言えばいいのよ!」
エルミスは今度こそ顔を真っ赤にして怒鳴った。母親になってからはすっかり落ち着いたが、エルミスは元々勝気な女性だ。
「これ以上、隊長に変な疑惑を向けるなら本気であなたに父親になってもらうからね!」
それはどういう脅しなのだろうか。しかしエルミスがここまで反論するのも珍しいことだった。オネストの怒気がすっかり抜けたことを確認すると、エルミスは大きく溜息をついたかと思えば、思い切り息を吸って、声を響かせた。
「私は! 本当に隊長とは一度も寝てない!」
あけすけな告白はどう考えても昼間の個室にふさわしくなかったが、オネストがネーヴェを見遣ると彼も「そうだよ」と肯く。
「君は私をとんだ色魔のように思っているようだが、どんな色魔でも抱きもせず妊娠させるのは不可能だ」
本当にこの人たちと遠慮なく会話をすると、戦時の談話室になってしまう。頭を抱えたオネストにネーヴェは「この際だから言っておくが」となおも続ける。
「エルミスはオルミに来たとき、すでに妊娠二か月目だったんだよ」
ネーヴェがエルミスを引き取り、オルミ領で診療所を開いたばかりのブラッドリーの診察でようやく妊娠が分かったらしい。それからは妊娠の初期症状で苦しむエルミスの面倒をネーヴェの家人たちと見ていたという。
「五ヶ月目になったところで、エルミスが私の家を飛び出して行ったんだ」
そんな身体で飛び出すエルミスもエルミスだが、クリストフがエルミスを保護しても手を出さないはずだ。
「……でも、クリストフもエルミスの相手はあなただと…」
オネストが半ば呆然と言うと、ネーヴェは溜息をついた。
「あいつは私が自分の子供ではなくても認知すると思っているからだよ」
本当に呆れた奴だ、とネーヴェは柳眉をしかめる。
「私が認知するはずないだろう。君たちはカミルヴァルト家を舐めすぎだ」
ネーヴェは戦時でよく見られた冷酷そのものの顔で「エルミス」と呼ぶ。
「君が今ここで生きていられるのは、私が君を受け入れなかったからだ」
さすがのエルミスも怪訝に顔をしかめる。
「カミルヴァルトという家は、魔術師の血と家格を至上命題としている家なんだよ。後ろ盾も何もない君たち親子など、私が関係を持ったと分かった時点で今ここにはいない」
ネーヴェの偽りなく冷徹な言葉にオネストの背筋も寒くなる。
カミルヴァルト家が厳格な魔術師の家だということは知っていたが、そこまで人間味のない家だということか。そんな家と戦って生き抜いてきたネーヴェが怪物と呼ばれる所以を改めて目の当たりにした心地だった。
「……では、エルミス様のお相手というのは…?」
今まで口を塞いでいたフィオリーナが青ざめた顔で思わずといった様子で口走った。
そうだ。ネーヴェでもなく、クリストフでもなく、当然オネストも父親ではないのなら、エルミスの相手は誰だったのか。
注目を浴びたエルミスは「だから言っているでしょう」と息をつく。
「街で声をかけられてそのまま同棲していた人! 名前も偽名だったわ」
その偽名の男はある日ふっつりと居なくなり、待っていたエルミスは彼の知人だという詐欺師に騙されたという。
「詐欺師に騙されて無一文になったところを娼館に売られそうになって、隊長に助けられたの」
この話何度すればいいのよ、とエルミスが苦虫を潰したところで、ネーヴェが話を継いだ。
「キトラドに連絡をもらってね。見慣れた人が娼館に居るから迎えに来いと」
キトラドは貧民街で孤児院を開いた元同僚だ。ネーヴェがその開設を手伝っていたことは知っていたが、そんな繋がりがあったとは知らなかった。
「じゃあ、エルミスもその偽名の男の行方は知らないのか」
「知らないわよ。二度と会うこともないでしょうけれど」
「もしも今更現れたらボコボコにしてやるわ」とエルミスはそう答えると、オネストを睨んだ。エルミスは38小隊の生き残りだ。彼女なら冗談でもなく八つ裂きぐらいは簡単にやれてしまう。
「こんな話絶対するつもりなかったのに、よくも喋らせたわね!」
オネストを一方的に怒鳴ると、紅茶を入れ直してくると言ってエルミスは部屋を出て行ってしまう。頭を冷やすのだろう。オネストも氷水でもかぶりたい気分だった。
「あの……ひとまず少し休まれては」
もっとも部外者であるフィオリーナに気遣われてしまった。彼女が一番居心地が悪いはずだ。
「あなたも休んでください。疲れたでしょう」
ネーヴェがそうフィオリーナをソファへエスコートするので、続いてオネストも向かいに座らせてもらうことにした。
「……でも、本当に分からないんですか?」
エルミスは知りたくもないと言うが、オネストにはどうしても気にかかることがある。
「──あなたは、相手をもう知っているのでは?」
ネーヴェはまだ認知されていないのかと言ったのだ。相手を知っていなければ出てこない言葉だ。
オネストの向かいでネーヴェはこちらをじっと見るが、「まぁいいか」とひとりで肯いて口を開いた。
「商人の君の口の堅さは私も知るところだしね」
ネーヴェはそう前置きして言う。
「エルミスの子供は、金髪で特別な目をしているんだろう?」
ネーヴェは生まれた子供には一度も会っていないはずだ。言い当てられて肯定も否定もしないオネストにネーヴェは続ける。
「エルミスはその髪色と目の色を隠したがっていて、信頼できる人以外にその子供の本当の髪色は知らない」
本当にこの人の目はどこについているのか。エルミスがこの三年苦心してきたことをあっさりと言い当てる。
「この国で、金髪や目の色が珍しいことはあまり重要なことではないし、それ自体は珍しいことではない。だから、髪色と目の色の組み合わせが最悪なんだろう?」
オネストはもう観念して項垂れた。それが問題なのだとエルミスは絶対に口外するなと言っていたのだ。そんなオネストを眺めて、ネーヴェは溜息をついた。
「髪の色は珍しい色ではない。でも瞳の色がたとえば、クリスタルブルーだったら問題だろうな」
今度は隣で話を聞いていたフィオリーナが声を上げそうになって、細い指で口を塞いだ。
青い瞳は珍しい色ではない。髪の色もエルミスの亜麻色を受けついで、金髪といってもヒマワリのような明るい色なのだ。
問題はクリスタルブルーの瞳だった。
特殊な血筋に時折表れる瞳で、昼日中では何の変哲もない青い瞳が暗闇では淡く光るのだ。それは光を蓄積する石のようであることから、水晶眼と呼ばれていて、現在そのクリスタルブルーの瞳を持つのはこの国で一人しかいなかった。
どうして今まで気づかなかったのか。
(……第一王子殿下)
グラスラウンド王国レムミリアス第一王子とオネスト達が所属していた38小隊との関係といえば、戦時に時折ネーヴェが護衛についていたことぐらいだ。
(いったいどうしてエルミスが)
オネストはここ最近でも類を見ないほどの頭痛に頭を抱えた。
「……エルミスは知っているのですか」
苦しむ魚のようなオネストを見ながら、さすがに憐れだと思ったのかネーヴェは眉根を寄せる。
「特別な瞳だということ以外は知らないだろうな。エルミスはデビュタントにはなれなかったから」
デビュタントであれば一度は王宮に招かれて、王族とも言葉を交わす機会があるためフィオリーナは知っているのだ。
エルミスはデビュタントとなれずに徴兵された。復員後、すぐに実家から縁を切られたエルミスにはかなわなかった未来だ。
オネストが第一王子の瞳の色を知っているのは、父と共に商談をしたことがあるからだった。
(……商談?)
ファルケノ商会は父が一代爵位を持っているものの大きな商会ではない。伯爵位から以下の貴族が常連客のような実直で誠実な商売をしている。少なくとも普段は王族に接することさえできない。
(あのときは、うちが珍しい宝石を手に入れたからという話で)
そもそもそんな宝石をどうしてファルケノ商会が手に入れることができたのか。
青ざめながらオネストが顔を上げると、ネーヴェが平然と肯いた。
「認知していない、ということはそういうことだ。君たちの家に預けているんだろう」
第一王子もネーヴェとは種類の違う怪物だということなのだ。知りたくもなかった事実を知ってしまった。
これからどうやってこの秘密を腹に抱えていこうかとオネストは丁寧に整えている頭を掻きむしった。
「忘れたいのなら、魔術で記憶をいじってやってもいいが」
ネーヴェの非人道的な誘いも今ならすがってしまいそうだった。




