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不機嫌な元上官が言うには

 舞踏会の翌日の朝、あわただしく届いた手紙のせいでリカルドは早々に馬車を用意するよう申し付けなければならなかった。

 今日は息子たちと貴族街の広場にある遊園地へ行く予定だったが、この手紙ばかりは無視するわけにはいかなかったのだ。

 コルネリアには事情を話したが、当然息子二人は拗ねてしまった。あとで渡すつもりだったネーヴェからの土産でいくらか機嫌を持ち直したのは本当に助かった。

 軍服か三つ揃いかで迷ったが、今のリカルドは軍人ではない。三つ揃いで出向くことにした。

 馬車を走らせて向かったザカリーニ邸では、リカルド以上に不機嫌な元上官が煙草をくわえて待っていた。

 慌てて手紙を持たせて先に走らせた使いが功を奏した。あの様子では手紙でくれぐれも待つよう念を押していなければ、リカルドの馬車を待たずに使いの馬を口八丁で取り上げて王城まで馬で乗り付け怒鳴り込むような真似をしていたに違いない。

 ネーヴェという男は平時でもそれぐらいには常識のない男なのだ。

 リカルドが家人への挨拶のためにザカリーニ邸の玄関で馬車を降りようとするが、それも許さないほどには。


「話はした。早く出せ」


 それだけ言い放って問答無用で馬車に乗り込むと、ネーヴェはどっかりとリカルドの向かいに座る。相変わらず端正な容姿を無視したような古びたスーツだがジャケットを着ているだけマシというものだ。きっとザカリーニ邸ではこの男なりに気を使って過ごしていたのだと知れて、少しだけ見直した心地だった。

 それほどネーヴェは自分の容姿にも見た目にも興味がない。物心つく頃からの厳しい教育のおかげで身繕いを整えることまで叩き込まれているから、身綺麗さは戦場でも変わらなかったがそれ以外は本当に無関心だ。


「それで、今朝の手紙だが」


 御者に合図して馬車を走らせてからリカルドも無駄な挨拶は省いて切り出すと、ネーヴェは不機嫌を隠そうともしないで煙草をくわえて火をつける。最上級に機嫌が悪い証拠だ。


「私への忠告と脅迫のつもりだろう。──第一王子殿下はそういう人だ」


 早朝送られてきた手紙は第一王子からだった。

 内容は、鉱山訴訟の認知と協力、そしてフィオリーナ嬢への謝辞。そしてそれらを説明するために面会したいという申し出だ。

 手紙には妹殿下である第三王女のしでかしたことへの謝罪と説明の機会をということだったが、わざわざ自分が手を回したということを隠さないでいるのだ。

 それは第一王子殿下が第三王女の噂を利用してフィオリーナを貶めたと白状したも同然だった。

 当然その話をするのだろうと思ったが、そんな分かりきったことでネーヴェは不機嫌になったりしない。


「これからフィオリーナ嬢への配慮は最大限約束すると明記してあるが」


 リカルドの言葉に眉根を寄せたネーヴェが溜息をつくように煙を吐く。


「フィオリーナを利用したんだ。……私をこの国にとどめておくために」


「まさか」


「昨日聞いたフィオリーナの話ではっきりした」


 ネーヴェの話ではこうだった。

 フィオリーナは十四歳のデビュタントで王城で迷ったという。デビュタントの迷子は珍しくないが、たったひとりで放り出されることはない。

 デビュタントの衣装は白と決まっていて分かり易いからだ。

 王城はたしかに魔窟と呼ばれる場所ではあるが、舞踏会でデビュタントを食い物にするような恥知らずは招待されない。

 だから、デビュタントの娘がたったひとりでネーヴェが居たという裏庭までたどり着けてしまったということ自体が異常だった。

 迷子になると分かっている娘を案内係がひとりにすることがまず考えられないし、たとえ案内係がとんでもない間抜けでも警備の騎士が一定間隔で配置されている。いくら舞踏会だからと女官がひとりも見当たらないということもけっしてない。

 誰かが意図的に人を遠ざけない限り。

 まさか、と思うと同時にリカルドはぞっと背中が寒くなる。それができる人物は、たしかに第一王子しかいないからだ。


 国王は良くも悪くも鷹揚で、だからこそ隣国につけこまれる形で開戦してしまった。

 グラスラウンド王国は月鉱石が再発見されたときから微妙な立場の国だ。

 それまでは酪農業と貿易中継地でしかなかった国が、魔力を蓄える石の利用価値が高まったことによって鉱脈を持つ資源国となったのだ。

 世界情勢すら動かす儲け話を手に入れて浮足だったところを隣国セラシナスに足元をすくわれた。

 この迂闊ともいえる事態の収拾をかって出たのが、第一王子だった。

 平民だけを軍として仕立てる徴兵を貴族中心に変え、貴族への徴兵要件を厳格化したのだ。それによって戦争が終わってみれば戦争功労者として勲章を受けたのは貴族の子息がほとんどだった。

 平民からは徴兵による犠牲を出さなかったことで、貴族からは国防を担うという伝統的な役割を果たしたと第一王子は称賛を受けた。

 この戦争でもっとも犠牲となったのは貴族の子息子女だ。

 家を継がない次男坊や三男坊、まだ幼い子弟の代わりに差し出された長女などが中心で、それらはもれなく前線に配置された。

 いくらでも死んでもよい者として。

 第一王子も戦場で指揮を執ったが、死ぬのは前線で戦う者たちだ。

 平民も徴兵されなかったわけではない。軍属として医者などが召喚されたし、税の滞納者から軽犯罪を犯した者まで、重犯罪者に恩赦をちらつかせたという話もある。

 これらを耳心地のいい言葉を並べて隠し、次期王として地位を盤石とした。

 それが第一王子の人となりであった。

 この人物であれば、ほんのわずかなことで人を動かして状況を作り出してもなんら不思議ではなかった。


 ネーヴェは短くなった煙草を携帯灰皿に放り込んで、深く息をついた。


「……フィオリーナの名前を手紙に出したのはわざとだ。私がフィオリーナに話を聞いて気付くことを織り込み済みで」


 ネーヴェ以外は違和感など感じることもできなかっただろう。けれど、ネーヴェなら気付いて激怒すると知って手紙を寄越したのだ。

 フィオリーナが選ばれたのはおそらく偶然だ。

 何の根回しをするでもなく、たまたま遅れてきた迷子の娘を泳がせただけ。それなら証拠も証言も残らない。

 迷子であるならどんな娘でも良かったに違いない。その娘をネーヴェがどのように扱っても、第一王子の仕掛けた罠だとは当のネーヴェ以外は誰も気づかない。


(ネーヴェがフィオリーナ嬢をここまで助けるのは理由があったのか)


 ほとんど接点もないような娘をこうまで手助けする意味がネーヴェにはあったのだ。


 ネーヴェは、この件に関わるときからすでにすべてを疑っていたのだ。

 このように第一王子がどんな手段を用いてでもネーヴェをこの国に留めておこうとするのは、ネーヴェの才能のためだ。戦争功労者である以上にネーヴェは魔術師として傑出している。かつてないほど魔術の需要が高まっているこの時代において、ネーヴェの才能を他国に亡命させるわけにはいかないのだ。

 だから人を駒のように動かしてでも、ネーヴェを国内に留まらせたのだろう。

 ただ第一王子にとって誤算だったのは、フィオリーナが古公爵家に連なる伯爵家の娘であったことだ。領地は散り散りになっているとはいえ古公爵家は現王家にとっても大きな存在だ。その系譜に連なる家は爵位の上下に関わらず重要な拠点を守る家として重用されている。

 彼女がその伯爵家の娘であったが故に、第一王子は第三王女を惑わしてフィオリーナを貶めなければならなかった。

 ネーヴェの手に届かせるために。

 ネーヴェは侯爵家の後継ではあるが現在は子爵だ。いくら迷子の娘を助けたからといって、伯爵家の娘と接点を持つことはない。

 よほどの理由──たとえば悪評の末、婚約を破棄されるような惨事にでも見舞われなければネーヴェは再びフィオリーナと会おうともしなかっただろう。

 ──そう、これは惨事だったのだ。

 ネーヴェにはすでに多くの首輪がつけられている。大貴族のリカルドやクリストフ、おそらくエルミスが何の弊害もなく平民となったことにも何かしらの取引があったはずだ。

 オルミ領、オルミの領民、カミルヴァルト領、魔術師の塔。

 ネーヴェに関わるすべての人間が彼の鎖となっている。

 その中に今回のことで古公爵家に連なるザカリーニ家が加わり、ネーヴェを繋ぐ鎖はいっそう太く、重くなった。

 ネーヴェにとって誤算だったのは、その縁となった娘がフィオリーナだったことだ。


(ほかの娘であったなら)


 リカルドもそう思わずにはいられなかった。

 他の娘であったなら、ネーヴェは常のとおり薄情になれた。

 せめてフィオリーナがもっと打算的な普通の女であってほしかった。

 ──ネーヴェの幸せなど願わない自分勝手な女であったなら。

 思えばネーヴェは初めからフィオリーナを手放すと言ってはばからなかった。

 オルミ領へ迎えたそのときから、フィオリーナが自分をこの地に繋ぐ鎖だと知っていたのだ。


(それでも)


 ネーヴェはフィオリーナの幸せを望んだ。

 望んでしまった。


(ネーヴェが怒るはずだ)


 ネーヴェはこの件に関わってからというもの、ずっと激怒していた。

 そうでなければこうも積極的にこの面倒な事態を自ら動いて収拾しようなどと考えもしなかったに違いない。

 フィオリーナが関わっていたことがすべての発端なのだ。


「……お前が望むなら、私はいくらでも手引きをするぞ」


 また煙草をくわえて火をつけようとしていたネーヴェは、リカルドを見て苦笑する。


「何を手伝ってくれるんだ。オルミ領の訴訟の件ならいくらでも手伝ってもらうが」


「この国を出るなら手引きしてやる」


 ネーヴェが承諾するならフィオリーナを連れていけばいい。彼女は否とは言わないだろう。

 リカルドを見定めるように見つめて、やがてネーヴェは煙草に火をつけた。


「……君が外見通り誇り高いことは知っているが、これはもう私が決めたことだ」


 細く紫煙を吐いて、ネーヴェは続ける。


「大事なものは失ってからでは戻らない。……これからもせいぜい家族を大切にするんだな、リカルド」


 軍人時代によく呼んでいた名前で言って、ネーヴェは静かに目を閉じる。


「私が止めたいのは、フィオリーナがこれからも私の鎖として利用され続けることだ」


 紫煙とともに呟かれる。


「──私は彼女を自由にしたい」


 協力してくれ、と言われてリカルドのほうが苦しくなる。

 怪物は大事な女すら手に入らないというのか。

 

 答えは出ないまま、やがて馬車は王城へ入場した。




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