宝石商が言うには
ネーヴェの言ったとおり、宝石商は翌日の午前にやってきた。
重そうなケースを二人がかりで運び込んで、外の馬車には他に護衛が二人もついているという。
「早くに連絡してくれて助かりましたよ」
そう言って、柔らかなはしばみ色の髪の男性は応接間のテーブルにケースを並べた。洒落たジャケットにステッチの入ったシャツ、ネクタイも落ち着いた色の洒落者だ。貴族相手の商売に慣れているのだろう。華美でも下品でもない装いは貴族たちに好まれそうだ。
彼のとなりで一緒にケースを並べている女性も、いかにも働く女性といった雰囲気で、ジャケットとスカーフタイのスーツ調に仕立てられた淡い藤色のドレスがきれいに結い上げられた亜麻色の髪によく似合っていた。
彼らはちょうど隣領のヒースグリットへお得意様への外商に来ていたという。
「売れ残った商品があったので、見ていただくのにちょうど良かったんです」
そう言って広げられたケースに並べられたのは、どれもまばゆい輝きを放つ宝飾品ばかりだ。いくつも宝石が連なった豪華なものが多い。
「そちらのお嬢様への贈り物……というわけではなさそうですね」
ネーヴェとフィオリーナが目を輝かせるというより、真剣に品定めしている様子に宝石商の彼は顔をひきつらせた。
「衣装に合わせて見繕ってほしいんだよ。こちらのフィオリーナ嬢に似合うものを」
ネーヴェの言葉にさっと宝石商の鑑定するような視線がフィオリーナに向けられる。けれどそれは一瞬のことで、彼はにこやかに席を立つ。
「申し遅れました、フィオリーナ様。私はオネスト・ファルケノと申します。ファルケノ商会より参りました」
となりの女性も彼にならって席を立つと、優雅にスカートをつまんで腰を落とした。貴族の女性の正式な礼だ。洗練された所作は板に付いていて、一朝一夕でできるものではない。彼女は貴族の家の出身なのだろう。
「私はエルミス・サウダリアと申します。同じくファルケノ商会より参りました」
自己紹介を終えると、さっそくオネストはフィオリーナのドレスを見る必要があると切り出した。
「お衣装に似合うものを選ばせていただきますので、一度拝見しても?」
もちろんそのつもりで即席のトルソーを作ってドレスを用意してある。
トルソーなどこの家にはなかったので、物置きから帽子掛けをネーヴェが持ち出してきて、毛布や布を巻いて家人みんなで工作した力作だ。
フィオリーナが「こちらです」と応接間に備えていた真っ赤なドレスを指すと、オネストたちはトルソーへ視線を向けた。
「ありがとうございます。では、少し失礼いたします」
オネストとエルミスは賢明にも手作りトルソーのことには触れず、二人でドレスを眺め回した。
やがて二人で席に戻ると、少し浮かない顔でオネストが口を開いた。
「……本当に、このドレスでよろしいのですか?」
「……ドレスに何か問題でも?」
フィオリーナが知っている中でも最新の流行りの型のドレスだが、もう古いのだろうか。
怪訝なフィオリーナに、オネストは「失礼を承知で申し上げますが」と続ける。
「このドレスは、お嬢様には少し早い……いえ、あまりふさわしくないと思います」
暗に似合わないと言われて、フィオリーナはあっと言い掛けて口元に手を当てる。ドレスの形は最新でも、フィオリーナが似合うとは限らない。そのことをすっかり失念していたのだ。よく考えてみれば、この赤いドレスのデザインは色も形もとても華やかだ。頼りなく痩身のフィオリーナではまるでドレスが歩いているように見えるかもしれない。
「このドレスを似合うようにしてあげてほしいんだよ。君たちの技量で」
フィオリーナたちのやりとりを黙って見ていたネーヴェは、横暴ともとれる態度で注文をつけた。こんな風に言うということは、彼もフィオリーナにこのドレスが似合わないと知っていたのだ。
「お言葉ですが、お嬢様がもっとも美しくなれるようにするためには、お似合いのドレスを着ていただくのが一番です。宝石はもちろん素晴らしいアクセサリーですが、コーディネートというものはドレスで決まるのです」
オネストは少し口調を尖らせてネーヴェを睨む。
「こちらのお嬢様を誰よりも美しく着飾ってさしあげたいのなら、ドレスの一着や二着買ってさしあげるのが紳士というものでしょう」
「このドレスで、という依頼だよ。オネスト。君は自分の仕事を放棄するつもりか?」
もはや舌戦になりかけた二人を静かに止めたのは、エルミスだ。彼女が右手を挙げたのだ。
「お二人共そこまでで。──フィオリーナお嬢様のお顔の色が優れません」
方々からドレスが似合わないと言われ、フィオリーナはうつむくしかできなかったのだ。
さすがに悪いと思ったのか、ネーヴェもオネストもその舌鋒を引っ込めた。
オネストたちの代わりに、エルミスがフィオリーナに向き合う。
「お嬢様にこのドレスがお似合いにならないとはけっして申しません。ですが、私どもといたしましては、もっと良くお似合いのものがあると思われたのです」
客商売である彼女がここまで率直に意見を言ってくれるのだ。ネーヴェがよくよく信用して呼んでくれた者たちなのだろう。
フィオリーナも彼らに事情を話した方が良い助言をもらえるかもしれない。思い切ってフィオリーナもネーヴェたちの話し合いに口を挟むことにした。
「……実は、面識のない方にこのドレスを着て披露しなくてはならないのです。ですから、どうしてもこのドレスでなくてはならないのです。どうにか、似合うようにしていただけませんか?」
フィオリーナの言葉にオネストとエルミスは考え込むように押し黙る。そんなに考え込まなくてはならないほど、このドレスが似合わないのだろうか。
「わたくしは似合うドレスを着たいのではなく、ドレスにわたくしを合わせていただきたいのです」
たたみかけるようにフィオリーナが言い募ると、オネストは「わかりました」と苦笑した。
「──申し訳ありません、フィオリーナ様。どのようにお嬢様に似合うようになるか思案していたのです」
「失礼いたしました」と口にして、オネストは胸に手を当て頭を下げた。
「ご不快な思いをさせたこと、お詫び申し上げます」
「では……」とフィオリーナがほっと息をつくと、オネストとエルミスは微笑んだ。
「はい。精一杯お手伝いさせていただきます。フィオリーナ様」
二人が納得してくれたところで、フィオリーナとネーヴェも交えてようやく話し合いとなった。
「お嬢様は痩身でいらっしゃるので、あまり大振りな宝石はお似合いにならないかと思います」
ドレスと宝石を見比べながら言うのはオネスト。
「小粒の宝石が並んだデザインが良いかもしれません。お嬢様のお化粧を工夫いたしましょう」
宝石とフィオリーナを見比べて提案するのはエルミス。
「いっそ誰だか分からないぐらいまで変装してしまっては?」
ネーヴェの提案にオネストとエルミスは不敬となるほど顔をしかめた。
「そういうところがあなたの良くないところです。どうして見た目に反してそう大雑把なのですか」
オネストがいささか脱線気味に指摘すると、エルミスは大きく頷いた。
「お顔立ちもお姿もすばらしいというのに、その時代遅れの姿で恥ずかしいとは思われないのですか。今時お年寄りでもその古めかしい装いはなさいませんよ」
二人の指摘にフィオリーナもネーヴェを観察してみる。
今日もネーヴェは分厚い眼鏡でやや猫背だが、日の光が透けた葡萄色の髪は繊細で美しい。しかし、その長身を包むのは時代遅れというほどでもないが、型落ちのズボンにシャツ、作業用とも思われそうなベスト姿だ。
ネーヴェは無精ではあるが服装は毎日アイロンのきいた清潔なものを身につけている。間違ってもけっして不潔ではないので、フィオリーナはオネストやエルミスほど酷評する気にはなれないが、おしゃれとは言えなかった。
「私のことより、今はフィオリーナのことだろう? 仕事を間違えないでくれ」
ネーヴェはうんざりしたように長い足を組む。その何気ない様子もさまになるから、オネストたちが惜しく思うのも分かる気がした。
「もちろんです。──フィオリーナ様、一度ドレスと宝石を合わせてみてはいかがでしょうか」
オネストの提案にフィオリーナも頷く。園遊会まで時間がないのだ。試してみた方が良いだろう。
「よろしくお願いいたします」
「では、さっそく」
フィオリーナはエルミスと共に、オルミ邸で借りている部屋へと向かうことにした。
当日ではないので、ちゃんと準備する必要はないが、いつのまにかやってきたアクアも手伝ってくれてドレスを運び込み、化粧といくつかの宝石を揃える。
「やはりお嬢様の瞳の色とドレスには、赤いガーネットがお似合いかと」
エルミスが見立ててくれているあいだにアクアに手伝ってもらって、真っ赤なドレスを着ることになった。まだサイズ直しが済んでいないので、アクアが待ち針で調整してくれている。
「硬質で上品な雰囲気を出したいのなら、ダイヤモンドもいかがでしょうか」
待ち針でドレスのサイズを直しながらそう口にしたのはアクアだ。
それならば、とフィオリーナもドレスに着替える準備をしながら手を挙げる。
「ありきたりですが、ルビーはどうでしょうか。情熱的な女性に見えないでしょうか……」
「どれをお付けになっても素敵だと思います。試してみましょう」
アクセサリーはたっぷりあるとエルミスは笑った。
ドレスを着る前に、とホーネットが持ってきてくれたのはサンドイッチだ。ジャムにチーズ、ハムに野菜、野菜の酢漬け、鶏肉と豆を煮込んだものまで、たっぷりと具を挟んだサンドイッチはどれも美味しそうだ。温かいコンソメスープはマグカップに注いであって、まるでピクニックのようになった。
軽食というには具だくさんのメニューは、きっとネーヴェたちにも出されたのだろう。アクセサリーを試す前に腹ごしらえをすることにして、フィオリーナのあまり広くはない部屋で皆でサンドイッチをつまむことになった。
フィオリーナが実家にいた頃にも、こうして夜会の準備をしたことはあるが、こんな風に一緒に食事をするのは初めてだ。
使用人はもちろん別で食事をとるし、家族であっても食堂以外で共に食べることは稀だ。
だから、まるで友人を集めて秘密のお茶会に興じるように食べるサンドイッチは、なんだか特別なもののように感じられて、しぜんと笑みが浮かんでくる。
そんなフィオリーナを見てか、エルミスも「ふふ」と笑った。
「楽しそうですね。フィオリーナ様」
集まってサンドイッチを食べているだけではしゃいでいるなんて子供のようだ。でも、やっぱり楽しくて素直に口にした。
「ごめんなさい。秘密のお茶会のようでつい楽しくなってしまって」
こんなことを考えてしまうなんて、やっぱりフィオリーナは子供なのだ。
けれど、エルミスはフィオリーナを笑わなかった。優しく微笑んだだけだ。
「本当ですね。私も、こんな風に誰かと食事をするのは久しぶりです」
エルミスはそう言って部屋を見渡した。
「椅子が足りなくて、いろいろなところに座って、食事だけを囲んで誰かと食べているだけで楽しくなりますね」
エルミスはこういう経験がたくさんあるのだろう。懐かしむような顔がとても遠くを見ているようで、フィオリーナは思わず声をかけた。
「エルミス様は、秘密のお茶会のご経験がおありなのですか?」
現実に戻ってきたようにエルミスは目をぱちぱちとさせると、今度は苦笑混じりに微笑んだ。
「秘密というには荒っぽい場所なのですが……私は北部戦線に従軍しておりましたので」




