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停留所が言うには

 平民の街へ行くには、フィオリーナのドレス姿は目立つということでもう少し地味なドレスに着替えるように言われた。

 アクアが用意してくれたのはフィオリーナの普段着よりもレースや装飾の少なく、袖口も動きやすいようにすっきりとした淡い紫色のドレスだった。こういったデザインのドレスにヒールではなく、編み上げの靴を履くのが新興貴族のあいだでは一般的らしい。

 新興貴族は平民の街にも頻繁に行き来するので、とくべつ目立つことはないが貴族であることはすぐに知られてしまうという。


「貴族であることを知られるのは悪いことではないのですが……」


 フィオリーナの着替えを手伝いながら、アクアは少しだけ言葉を濁した。

 貴族であることを特別視されるということは、それだけ何かに巻き込まれやすいということだろう。ネーヴェが着替えるように言ったのは、その危険を極力減らすためなのだ。

 フィオリーナは今まで生きてきた中で伯爵家の娘であることを特別だと言われたことはあるが、貴族であること自体を特別視されたことはない。周囲はすべて何かしらの貴族であり、その貴族に属する人々であるからだ。

 だから貴族相手の商人でもなく、どこかの領民でもない平民の街に触れることは初めてのことだった。

 着替え終えて応接間に戻ると、ネーヴェはのんびりと煙草を吸っていた。彼もここまで着てきたコートやジャケットから、どこか着古したようなものに着替えていた。それでもその長身と形の良い姿で見劣りすることがないから、この人はどの階級や立場でも変わりがないのだ。

 フィオリーナの姿を見ると煙草を灰皿に放り込んでゆっくりソファから立つ。


「こういうものは似合うとか似合わないという問題ではないと思っていましたが」


 しげしげとフィオリーナを眺めて心配そうに眉根を寄せる。


「似合いませんね」


「えっ」


 フィオリーナが声を上げると、となりで控えていたアクアが「旦那様」と怒ったように声を上げた。そんなアクアに「怒るな」と言って、ネーヴェは続ける。


「あまり目立たない新興貴族に見えるようにと思ったのですが、あなたが着るとどうしてもどこかの姫のお忍び姿にしか見せません」


 それは嬉しいのか嬉しくないのか、よく分からない評価だ。


「そのように見えてしまって良いのでしょうか……」


 フィオリーナまで不安になって着ているドレスを見下ろす。淡い紫色の生地は地味な色だが丈夫なもので、袖口の細いレースや胸元の細いリボンは質の良いものだし、動きを邪魔するような縫製でもなく着心地も悪くない。むしろ動きやすくてこのまま持って帰りたいぐらいだった。


「旦那様がおそばを離れなければ良いでしょう? わたくしは姿を消してお供いたしますから」


 見かねたようにアクアが言って、ネーヴェは渋々といったようにうなずいた。


「まぁ、おまえがいると目立つだろうから、仕方ない。それでいこう」


 アクアはネーヴェと同じく目立つ整った容姿だ。どんな服装でも目立ってしまうだろう。

 フィオリーナにもそれでいいかと尋ねてくるが、判断はネーヴェに委ねるしかない。おずおずとうなずくフィオリーナに手を差し出して、ネーヴェは苦笑する。


「では行きましょうか」



 ザカリーニ家の馬車では目立つので、一度家へと戻ってもらうことになった。頃合いを見て迎えにきてもらうよう頼んで、ここからは乗合馬車を使うという。

 停留所まで行く道すがら、ネーヴェはフィオリーナにいくつか約束をさせた。

 ネーヴェから離れないこと、はぐれた場合はアクアを頼ること。

 それから、なるべくお互いの名前を呼ばないこと。


「誰が聞いているか分からないのは、貴族の街でも同じでしょう?」


 名前を聞けば貴族であればいつ誰がそこにいたのか辿るのはたやすい。だから使用人たちはお嬢さまや旦那様と主人を呼ぶのだ。

 第九区画には決まった区間を走る馬車があって、貴族たちはそれで移動するという。これに乗れば平民の街まで行けるらしい。


「第九区画の貴族は馬車を持たない者も多いので、こうした馬車が走っているんですよ」


 乗り合い馬車は平民の街でも走っているらしいが、座席はついておらず立ったまま乗るという。

 立ったまま乗る馬車というものが想像できず困惑するフィオリーナに、ネーヴェは笑って答えた。


「座席は邪魔なんですよ。たいてい満員なので」


 大型の馬車のなかに掴まり棒がいくつかあって、それに人々はつかまって馬車の揺れをやり過ごす。乗り切れない乗客は御者台や乗り込み口の手すりにまでつかまって乗り込むらしい。

 フィオリーナは当然見たことも聞いたこともない光景だ。

 ネーヴェの屋敷からすこし歩いたところに停留所と書いた看板が立っていて、少し待っていると大型の馬車がやってきた。

 馬車はしっかりとした造りで、四頭立ての馬が引く立派な馬車だった。御者台には二人乗っていて、ひとりが降りてきて馬車のドアを開けてくれる。

 ネーヴェが先に乗り込んでフィオリーナを引き上げるようにして乗り込む。乗員らしい人にネーヴェがお金を支払って、フィオリーナたちが座席につくと外の御者がカンカンと鐘を鳴らす。そうしてゆっくりと馬車は走り出した。

 座席は、真ん中の通路で左右に分かれて五列あって、ひと座席ごとに二人ほど座れるようになっている。他に何人か乗客はいたが、どの人も貴族らしいというより平民の勤め人のようで、たしかにフィオリーナのような実家で姫と呼ばれているような貴族は浮いてしまうように思われた。

 ネーヴェは貴族として目立つというより、その容姿で目立つのであまりこの場だから浮いているようには見えなかった。きっとネーヴェがこういった空気に慣れているからだろう。

 馬車はあまり揺れなかったが、ガタゴトと音が大きい。大きな馬車であるため、車輪が大きいのかもしれない。大きな音なので会話を楽しめるような場所ではないのはフィオリーナでも分かった。

 そんなフィオリーナにネーヴェは小さな窓を指した。窓からは第九区画の屋敷やアパルトマンと呼ばれる部屋を借りて住む屋敷が建ち並んでいるのが見えた。近頃は他の区画でもアパルトマンが増えた。領地を持つ貴族でも別宅を構えずアパルトマンを借りる貴族もいるのだ。

 馬車はいくつかの停留所を経て、第九区画の門でも人を乗せて馬車は門の前で停まった。そのころには馬車の座席はほぼ満席で、ぽつぽつと通路に立つ人もいるほどになっていた。

 第八区画までの門は鉄格子の瀟洒な門だが、第九区画と平民の街を隔てる門はまるで城門のように大きく頑丈だった。

 開門を告げる鐘が鳴って、門が開かれる。

 馬車はゆっくりと大通りへと走り出した。



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