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書庫が言うには

 眠れないかと思うほどそわそわとしていたフィオリーナだったが、自室のベッドに入ればぐっすりと眠ってしまった。

 目が覚めれば昨夜のことが嘘のようにすっきりとしていて、朝日が昇ってすぐほどのネーヴェとの待ち合わせにもいつもより元気に出かけることができた。

 早い朝食のあとエントランスで落ち合うと挨拶もそこそこに馬車に乗り込む。


「今日出かけることはザカリーニ伯にも許可をいただきましたから」


 夕方までにはお返しします、とネーヴェは切り出した。


「明日は大仕事がありますからね。早めに帰って休んでください」 


 舞踏会は夜の開催だが朝から準備に追われることになる。けれど、それはネーヴェも同じことだろう。


「私は着替えるだけですよ」


 ネーヴェはそう言って笑うが、どこか緊張しているようにも見えた。

 やはり舞踏会にはあまり良い思い出がないのかもしれない。ここまで来て行かないとはもう言えない。だから、今度はフィオリーナがネーヴェを守らなければならないのだ。

 フィオリーナが覚悟を新たにしているうちに馬車は区画を過ぎていった。

 区画を行き来するには区画を区切る門でひとつずつ許可を得る必要がある。

 貴族ならば許可は身分を証明する馬車などで得ることができる。貴族はそうやって簡単に通り抜けることができるが、平民はその区画の貴族に招かれて許可証がなければ通ることができない。

 第二区画から第九区画までの七つの門は少しずつ通りを変えて構えてある。だから馬車が通る七つの大通りを渡って抜けなければならなかった。

 朝早くに屋敷を出たのはそういう事情もあって、第九区画に入る頃に朝の喧噪で街がにぎやかになっていた。

 仕事へ向かうのか忙しく通りを歩く人々を馬車から覗いて、フィオリーナは区画ごとに違う空気を実感していた。第二区画や第三区画の貴族は出かけるときは必ず馬車で移動するので、朝からひとりで通りを歩き回るようなことはしないからだ。まるで平民の街に紛れ込んだような雑多で活気のある空気は新鮮だった。

 馬車は第九区画の大通りを抜け、庭付きの屋敷が並ぶ区画に入った。このあたりは歩く人も少なく、馬車がようやく止まった屋敷の辺りは小さな林もある閑静な雰囲気だ。

 ネーヴェにエスコートされて馬車を降りて、改めて見た屋敷はオルミの屋敷のようにこぢんまりとしていた。エントランスは人がふたり立てばいっぱいで、二階も数部屋しかないようだ。

 ネーヴェとフィオリーナの訪問を計ったように屋敷の扉が開く。


「おかえりなさいませ」


 先に帰っていたらしいアクアがにこやかに出迎えてくれる。

 微笑んだフィオリーナの手をネーヴェがとった。


「ようこそ、我が家へ」

 


 ネーヴェに連れられて入った屋敷は、オルミの屋敷と同じく古めかしい家具に囲まれて落ち着いた優しい雰囲気だった。入ってすぐに応接間があって、二階に続く階段がある。

 オルミと違うところはといえば、妖精が暮らす庭が無いことだろう。

 応接間の窓から見えるのは小さな花壇と古木だけだった。


「私は書庫を見てくるので、好きに探検してください」


 ネーヴェはおざなりに羽織っていたコートをアクアに預けると、ジャケットのまま屋敷の奥へと向かってしまう。


「あの」


 思わず声をかけるとネーヴェが振り返ってくれた。


「書庫にお供しても良いですか?」


 フィオリーナの提案にネーヴェは苦笑する。


「本当に本の確認をするだけですよ」


「お邪魔はしませんので」


 食い下がるフィオリーナに、ネーヴェは「わかりました」と言ってアクアを呼んだ。


「何か飲み物を用意してくれないか」


「かしこまりました」


 アクアに見送られてネーヴェといっしょに書庫へと向かう。

 書庫は屋敷の奥に作られているようで、応接間やキッチンを通り過ぎて更に奥へ向かった。

 オルミの屋敷であれば、ネーヴェの部屋にあたるような位置だろうか。


「あなたも物好きですね。書庫についてくるなんて」


 ネーヴェの苦笑を見上げて、フィオリーナは微笑む。


「ネーヴェさん以上にこの屋敷に詳しい方はいないでしょう?」


 フィオリーナの答えにネーヴェは「それもそうですね」と笑う。

 廊下の突き当りの、両開きの扉の前で止まるとネーヴェは扉に手をかざした。淡く扉の鍵部分が光って、錠の上がる音がした。


「ここは私しか開けられない部屋なので、たまには部屋を開けてやらないといけないんですよ」


 そう言ってネーヴェは扉を開けた。

 書庫は暗く、ネーヴェは扉の脇のチェストに置いてあったランプを灯す。

 するとどういう造りになっているのか、それほど広くはない部屋に縦に三階建て分はあるほど連なった本棚が表れた。びっしりと本が並んだ吹き抜けの本棚には梯子がかけられていて、棚と棚とを繋いでいる。

 ネーヴェはランプをフィオリーナに預けて、本棚のはしごを昇った。

 その先にある板を開いたと思えば、光が部屋に差し込む。

 窓の鎧戸だったらしい。窓は大きくは開かないようになっていて、ネーヴェは慎重に窓を開ける。

 時間が止まっていた書庫の空気がゆっくりと流れ始めて、主の帰還に書庫が目を覚ましたようにも見えた。

 梯子は本棚に通るレールを滑るようで、横に移動するようだ。ネーヴェは梯子を伝って三つある窓を開けて降りてきた。 


「……すごい数の本ですね」


 フィオリーナが感嘆すると、ネーヴェは少し笑って壁を探って鏡のような板に触れる。すると鏡が複雑な文様に光って、書庫がさらに明るくなった。

 どういう仕組みか分からないが、天井の部分が淡い摺りガラスに変わったのだ。   

 光は本には直接届かないようになっていて、本棚の底、閲覧場所だけが明るくなった。

 ネーヴェは「ここにある本は」と歩きながら本棚を確かめ始める。


「自分で買った本もありますが、ほとんど譲り受けたものです。軍人時代の同僚や塔の教授がいらない本を寄越してくるんですよ」


 本を整理する際になっていらないかと連絡があるという。


「あとになってうちにその本があるからと読みにくる人もいますよ」


 まるで図書館だ。公共の図書館は王都やいくつかの都市にあるが、どれも許可が必要だったり図書館運営の会員にならなければ入れない。そういう図書館に本を寄贈する人も多いと聞くが、手続きが面倒なのでネーヴェに預けてしまうのだろう。ネーヴェならこうやって本を大切に保管していると知っているからだ。


「ここはしばらく風を通すので、外でゆっくり休みましょうか」


 そう言ってネーヴェはチェストの上のランプを消す。明るい場所で見るとランプには蠟燭は入っておらず、ガラスケースに小さな石が入っていた。宝石のようにカットされたこの石が光るのだろう。


「月鉱石のランプですよ。つまみを回せば光るように回路が組まれているんです。でも、魔力がなければ使えません」


 ネーヴェはそう言ってランプを提げると台座のつまみを少し回した。ガラスケースの石が明るく光り出す。


「このつまみを廻す回数で必要な魔力が違ってくるんです。多く廻せばそれだけランプは長く光ります」


「ねじまき式の時計のようなものでしょうか…」


 フィオリーナの感想にネーヴェは笑う。


「いい例えですね。まさにそのようなものです」


 ふたたびランプを消すとネーヴェはフィオリーナと連れ立って書庫を出た。


「書庫に火の元になるようなものは置けなくて、ハルディンフィルド製を購入したんですよ」


 火は使わないので燃えることはないらしい。


「本が増えてからこの家にあるランプは全部ハルディンフィルド製に変えたんです。だから、私が直接来るか魔力のあるオネストに家の管理を頼まなくてはならなくて」    


 アクアは一足先にこの屋敷に来てランプが動くか確認をしていたという。

 応接間ではアクアが紅茶を用意してくれていて、それを飲んでしばらくネーヴェと雑談をして過ごしているうちに日が高くなってきた。

 そろそろ書庫を閉じると言うのでついていこうとするが、ネーヴェはフィオリーナを止めた。

「興味があるなら、でいいのですが」と言葉を切って、ネーヴェは企むように笑う。


「平民の区画に行ってみませんか?」


 第九区画は平民の街ともっとも近い。


「シードルをご馳走しますよ」


 ネーヴェはクランベリーの畑でのことを覚えていてくれたのだ。

 フィオリーナは目を輝かせてうなずいた。


「行ってみたいです…!」




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