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落ち葉が言うには

 カスケードは三日間の滞在を予定していて、そのほとんどの時間をネーヴェやブラッドリーも交えて様々なことの意見交換に費やした。

 毎日さまざまなことを話していたが、カエルを食べないのは何故かという話は興味深かった。

 カスケードの調査では、カエルを食べる地域は思いのほか多いらしく、オルミ以外の土地では平民たちの貴重な肉料理になるのだという。けれど、オルミはカエルを食べる習慣はない。それどころか大事な家畜であるはずの羊が主な肉料理だ。他の貧しい地域の領では家畜を領民に分け与えることすらないというから、貧しいはずのオルミが特別だったのだ。

 このようにカスケードとネーヴェの議論は多岐に及んで、となりで話を聞いていたフィオリーナも興味深く聞いた。


 湖へ行った翌日も、他の地域の現地調査から戻ったと思えば屋敷の応接間でずっと話し込んでいて、フィオリーナが庭の散策をしようと通りがかったときにはちょうど風呂に関して話していた。


「オルミ領の周辺地域では、市井の人々は風呂に入る習慣がないのです」


 そう切り出したカスケードはこの小さなオルミ領に昔から風呂に入る習慣があることを挙げた。


「風呂の習慣が残るのは貴族が中心で、公爵家の影響が色濃く残る以南に多く見られます。このオルミ領の地域はちょうど境目にあたりますが、風呂よりサウナ習慣が中心になるのです」


 カスケードの指摘にネーヴェも感心したようにうなずいた。


「たしかにカミルヴァルト領では入浴するのは魔術師ぐらいで、一般的にはサウナが中心です」


「そういや俺も軍に入るまではサウナだったなぁ」


 調査の報告にと呼ばれたブラッドリーも昼間からワインをグラスに注ぎながらうなずく。


「魔導部隊のやつらがいちいち風呂に入ってたのは感染症対策か?」


 ブラッドリーの問いにネーヴェは「それもあるが」と続ける。


「魔術師にとって風呂は必要な習慣だからだ。元は神官の習慣の名残りだという魔術師のあいだで有名な話があるが、沐浴は魔術の残滓を身体から洗い流すために必要なんだ」


 ネーヴェは空になったワイングラスを眺めた。


「魔術は詠唱自体に力があるし、それを行使するために魔力が必要だ。魔術師は力ある言葉を身体の中で魔力といっしょに循環させて、命令を出現させる。だから魔術の規模や強さ、詠唱の長さに応じてどうしても魔力を帯びた術の残滓が身体に残る」


 だから、とネーヴェはブラッドリーやカスケードを見渡した。


「身体に溜まった魔術の残滓を排出させるのに、沐浴もしくは風呂が必要なんだ。魔力は水に溶けるからね」


「サウナじゃダメなのか」


 そう言うブラッドリーにネーヴェは「ダメだった」と答える。


「サウナのあとに水風呂に入るだろう? それが沐浴の代わりになるかと思ったが身体に熱を溜め過ぎると、残滓が魔力の経路に血栓みたいに溜まるんだ。その状態で水風呂に入ると頭痛と吐き気で倒れた」


 試したのかよと苦笑して、ブラッドリーは質問を続ける。


「じゃあ、沐浴ならどんな水でもいいのか?」


 ブラッドリーの質問にネーヴェはうなずく。


「真冬の滝壺に飛び込んだときは流れた」


 ネーヴェの答えに、ブラッドリーはさすがに呆れた顔をする。


「……そういやおまえはそういう奴だったな。絶対に誰もやらないことをやる」


「仕方がなかったんだ。大規模魔術を使ったあとで、放っておくと身体が内臓から腐る」


「腐るのか!?」


 さすがのブラッドリーも目を剥いて、カスケードも驚いているが、ネーヴェは平然とワインを注いで飲み干す。


「魔術は詠唱で魔力を燃やしているようなものなんだ。残滓は灰より使い道のない不純物だ。消化もできない燃えカスが身体に溜まり続ければ不調が出るのは当たり前だろう?」


「それはそうかもしれないが……」


 嫌そうな顔のブラッドリーに、ネーヴェは自分のこめかみを指した。


「魔力の残滓は身体に残っているだけで詠唱にも影響が出る。詠唱に影響が出れば余分な魔力を使うことになるから、自分の魔力で中毒症状を起こす魔術師は多いんだ。魔術は脳を必ず通すから、魔力でまず頭をやられる。そうなれば薬なしじゃ生きられなくなる」


 魔術というものは万能でもなければ、都合のいい便利な道具でもないらしい。

 けれどそんな事実よりもネーヴェは別のことを考えていたらしく、「そうか」と自分でうなずく。


「このオルミ領で入浴習慣があるのは、鉱山の影響で外部から持ち込まれたものだと思っていましたが、それ以前からあるのかもしれません」


 ネーヴェの思い付きに、カスケードも「なるほど」とうなずいた。


「調べてみる価値がありそうです。魔術師の習慣が古くからこの土地に残っているのだとすれば、住民が月鉱石の影響を受けずに済んでいる理由も分かるかもしれません」


「海側に古い伝承を覚えてる婆さんがいる。聞き取りしてみてもいいかもな」


 ブラッドリーも二人の話に乗ったところで、フィオリーナは給仕をしていたカリニに声をかけられた。


「お出かけですか?」


「……ごめんなさい。立ち聞きしていました」


 カリニにそう苦笑すると、


「散歩ですか?」


 そう言ってネーヴェがソファを立った。


「はい。……あの、お話に聞き入ってしまって」


 フィオリーナが苦笑して言うが、ネーヴェはそばまでやってきてしまった。


「構いませんよ。酔っ払いの思い付きを話していただけですから」


「でも…」


「散策ならお付き合いしましょう」


 少し歩きたいので、と言うネーヴェにうしろからブラッドリーが笑う。


「ついていきたいって素直に言えよ」


 からかい口調のブラッドリーに、ネーヴェはうんざりしたように振り返った。


「いい加減、エスコートっていう便利な言葉を覚えてくれ」


 ネーヴェはそう憎まれ口を返すが、


「私どもはお気になさらず。フィオリーナ嬢をエスコートしてください」


 カスケードもワインの入ったグラスを掲げて笑った。

 そう言われたネーヴェはあらためてフィオリーナを見下ろして、手を差し出した。


「エスコートをさせていただいても?」


 そうまで言われては断る理由もない。


「では、お願いいたします」


 フィオリーナも笑って、ネーヴェの手を取った。



 夏よりも日が落ちるのが早くなった。

 相変わらず屋敷の庭は好き放題に季節を無視して薬草が伸びているが、秋の日差しに染まると不思議と秋の森に見えた。


「教授とのお話は、楽しそうですね」


 そう言うフィオリーナに、ネーヴェは「そうですね」と笑う。


「久しぶりに学生に戻った気分ですよ」


 教授は見識深い博学な方ですからね、とネーヴェは言い、


「少しのあいだ魔術師の塔に住んでいたことがありましてね。あの頃の教授とのやりとりを思い出しました」


 そう言って伸びをするネーヴェは楽しげで、フィオリーナも思わず微笑んでしまう。


「塔でもあのように議論を?」


「ええ。アルフェド教授は十分常識的な方なので、めちゃくちゃな討論にはなりませんが」


 ひどい教授は酒盛りをしながら一晩中討論に付き合わせるのだとネーヴェは溜息をつく。


「朝にはみんな酔いつぶれて、議論の内容も忘れているんですよ」


 それはひどい討論会だ。けれどネーヴェはどこか楽しげに、懐かしそうに目を細めた。

 夕暮れを見つめる菫色の瞳は懐かしさをにじませるばかりで、それ以上は話さなかった。

 ネーヴェはまた塔の教授たちに会いたいとは言わなかった。

 もう会えない人を懐かしんでいるようにも見えて、フィオリーナにも寂しい心地が移ってしまったようにも思えた。

 二人揃って黙り込んでいたが、落ち葉を見ていたネーヴェがフィオリーナに視線を戻す。


「こうやって直接お会いして意見交換できるのは助かります。フィオリーナのおかげですね」 


 そんな風にフィオリーナに気を使ってほしくはなかったが、ネーヴェの思い出に土足で入るような真似はしたくない。


「……ネーヴェさんのお役に立てるなら、わたくしは悪女で良かったです」


 きっとフィオリーナが悪女の噂を立てられていなければ、あの夜会に参加することはなかっただろう。参加できなければカスケードに会う機会は得られなかった。


「では、私は悪女に魅入られた憐れな男というわけですね」


 フィオリーナが悪女の噂を持っていなければ、きっとこうしてネーヴェと庭を歩いていることもなかった。

 見上げると葡萄色の髪が深い赤ワインのようにきらめいた。

 人によっては血のようにも見えるだろうその髪に触れたいと思うのは、フィオリーナが魅入られているせいだろうか。

 菫色の目が楽しげに細くなる。

 当の悪女はもう菫色の瞳に魅入られている。

 互いに魅入ってしまったのに、それも人は憐れと言うのだろうか。

 庭に黄金色の落ち葉が舞う。

 ネーヴェのそばにいることが落ち葉が地面につくまでの幻想なら、いつまでも落ちないで欲しかった。



         ▽


 カスケードは三日間の滞在を終え、早々に帰ることになった。

 短かったが有意義な滞在だったらしく、カスケードは満足げだった。ネーヴェもまた教授に意見を聞きたいといい、再会を約束していた。

 カスケードはこれから大学へ戻り、その後奥様といっしょに王都へ向かうという。

 また王都で会えるかもしれない、と笑って帰って行った。

 教授を見送ったあと、オルミに手紙が届いた。


 ──王城からの招待状だ。



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