夕暮れが言うには
摘み取り作業はちょうど昼をまわるほどで終わり、ネーヴェはあらかじめ用意していた食事を村人たちにふるまった。ホーネットとアクアの支度でふるまわれたのは、サンドイッチに焼き菓子などで、あまり口にできないというこれらの軽食を子供だけではなく大人たちも大いに喜んでくれた。
ネーヴェは男性たちに囲まれてワインを注がれ、フィオリーナは女性と子供たちに囲まれながら軽食を楽しんだ。
その中で女性たちはフィオリーナにネーヴェのことを聞かせてくれた。
「あの人ったら本当にふらっとこの村に来たんだよ」
ネーヴェが村にやってきたとき、誰も彼が新しい領主だとは知らなかったという。
「仮役場を作って、鉱山を閉鎖して、本当にあんた何者なんだよって言われて初めて領主だって言うんだから」
「領主さまが来てそれほど何も変わらなくてね」
「変わったじゃないか。手紙や新聞が一か月待たずに来るのに」
「隣領の孫から手紙が来るよ。文字が読めなかったからこの年になってようやく覚えてね」
「ミレア、あの薬はどうなんだい? あんたンちの親が飲んでるんだろ」
貴族の娘同士のお茶会とは違って、この村の女性たちは大声で楽しそうに話す。わぁわぁとくちぐちに話し出すので、話の内容よりも笑い声だけが大きく聞こえた。
会話に入るよりも輪の外で聞いていたフィオリーナのとなりにミレアがやってきて、
「うるさいもんだろ」
大丈夫か、と笑うので、フィオリーナも笑って返す。
「皆さん楽しそうだから、わたくしも楽しいわ」
「そうかい」
それは良かった、とミレアは笑って、
「お嬢様もこんな井戸端会議をするのかい?」
そんなことを笑って言うので、フィオリーナも笑った。
「ええ、同じよ。噂話に女の子同士の秘密の話、そんなことばかりね」
思い出してみても、フィオリーナが参加していたお茶会も変わらなかった。
噂の的になってからは人前に出ることさえ苦しかった。
けれど、思い返せばお茶会で楽しい話もたくさん聞いたのだ。
「女の子とのおしゃべりはたくさん駆け引きが必要だから緊張するけれど、やっぱり楽しいもの」
噂話に実の無い雑談、女の子同士にしか分からない秘密の話。
それは何が出てくるのか分からないプレゼントのような、キラキラした包装の怖くて可愛いびっくり箱のようなものだ。
「そりゃそうだ」とミレアは笑う。
「旦那の愚痴に男の悪口、姑の小言に子供の自慢に盛りだくさんだからね!」
そう言うミレアと笑い合って、フィオリーナもいっしょに井戸端会議に耳を傾けた。
クランベリー畑のパーティは早くなった夕暮れに急かされてお開きとなった。
収穫したクランベリーは手伝ってくれた家々に分配されたが、それでも領主なのだからとネーヴェは荷馬車いっぱいに木箱を押し付けられた。
さすがのネーヴェも億劫そうにこめかみを揉んで、
「どうすればいいか、カリニにも相談してみます……」
ホーネットとアクアが荷馬車で帰ることになって、残されたフィオリーナはネーヴェに苦笑された。他に残っているのはネーヴェが連れてきた馬一頭。
「お手をどうぞ」
ネーヴェに差し出された手をじっと見つめて、フィオリーナも苦笑してその手を取った。
当然のように抱き上げられて馬の上に乗せられると、続いてネーヴェも一呼吸のうちに鞍に乗りあがる。
横乗りのフィオリーナを長い腕が囲み、静かに馬が歩き出す。
小高い山の上に畑からは鮮やかな夕焼けが見えた。空を焦がす夕焼けは清々しい秋の風も運んで、穏やかな一日の終わりを告げているようだった。
「……そういえば、ネーヴェさんはワインをお飲みになったのでは」
フィオリーナが夕焼けを眺めながら言うと、ネーヴェは後ろで苦笑する。
「断りましたよ。私からお酒の臭いはしないでしょう?」
そう言われてネーヴェの呼気を嗅ぐわけにもいかない。けれど、ネーヴェからはいつもの優しい薬草の香りしか漂ってこなかった。
「ミレアたちと楽しそうにしていましたね。何の話をしていたんですか?」
ネーヴェに問われてフィオリーナは思わず「ふふ」と笑う。
「ネーヴェさんのことを聞いていたんです」
「私の?」
ええ、と言って不思議そうなネーヴェに、フィオリーナは井戸端会議で聴いた話を披露する。
「ネーヴェさん、最初は領主だと思われていなかったそうですね」
ネーヴェは本当にある日突然、村はずれの古屋敷に住み始めたのだという。
大昔に貴族の建てたというその屋敷は荒れていて、どうしてそんな屋敷に人が住み始めたのかと噂になったらしい。
住み始めたと言っても荒れ屋敷を修繕する気配もない。寝起きするだけで煮炊きをしている様子もない。
「……食事を用意するのも面倒で、町の酒場で全部済ませていただけですよ」
苦笑するネーヴェの相打ちに、フィオリーナは笑ってしまった。
町の酒場で食事を済ませていたものだから、見かけない青年に村人たちは同情して何くれと面倒を見てくれたという。彼らもまさかネーヴェが領主とは分からなかったようだ。村人たちと妙に気安いのはそういう事情もあるのだろう。
「最近まで戦争帰りのただの復員兵だと思われていましたから」
新しい領主がたったひとりで酒場に通っているとは誰も思いも寄らなかったはずだ。
「あのころはそういう事情を持つ人も多かったので……身構えず受け入れてくれて私はありがたかったですよ」
オルミは鉱山として盛んだったこともある土地柄だ。よそ者には慣れていて、今暮らしている村人も別の土地から移住してきたという人が多い。
考え方も習慣も違う人々の集まりなのだ。
そんな土地でネーヴェは根気強く話し合いを繰り返したという。
「問題は山積していましたからね。私ひとりで解決できることなどありませんから」
詳しい仕事の様子などを知らないフィオリーナでも、ネーヴェがとても頭の良い人だということは分かっている。けれど、そんな人が自分ひとりでは解決できないという。
(この人は、本当に優秀な人なのだわ)
ネーヴェという人は、傲慢なほど優秀で忌避されるほど人心掌握に長けている。権力を握りたい人からすれば、目障りで仕方なかったことだろう。その悪意も利用して生き延びているのだから、様々な思惑が彼に降りかかってきて当然だ。
(わたくしはどうすればこの人の力になれるのかしら)
フィオリーナができることは少ない。それどころかネーヴェに助けられてばかりだ。
夕焼けから少し目をそらして、葡萄色の髪を見上げると澄んだ菫色の目と合った。
ネーヴェは目を細めて微笑む。
「変なことを吹き込まれていないようで安心しました」
「変なこと?」
返したフィオリーナにネーヴェは「ええ」とうなずく。
「やれ水路が壊れた、大衆浴場のボイラーが壊れた、牛が逃げた、夫婦喧嘩の仲裁に赤ん坊の子守りまでやらされましたからね」
村の便利屋ですよ、と苦笑するネーヴェにつられてフィオリーナも笑った。
「皆さん、ネーヴェさんに感謝していましたよ」
あの人はやっぱり変わった人だという口で、最後にはみんなネーヴェに感謝を口にしていたのだ。
ネーヴェがすべての村人に受け入れられているということはないのだろう。
けれど、少なくともフィオリーナはネーヴェに救われている。
大切な人が大切に思われていると知るのは、心地よいことなのだと今日はたくさん知ることができた。
「今日はネーヴェさんのことをたくさん聞けて、良い日でした」
そう言って笑うフィオリーナに、ネーヴェは深く溜息をついた。
「……あなたが悪女だということを忘れていました」
悪いことなどひとつも言っていないはずだ。
「わたくしがネーヴェさんのことを知るのは悪いことなのですか?」
フィオリーナが思わず口をとがらせると、ネーヴェは苦笑する。
「ええ、困ります」
どうして、と問う前に菫色の瞳が細くなる。
「可愛い悪女が、ますます可愛くなってしまうでしょう?」
可愛いと悪女が同居していいものなのかとか。
楽しげに笑うネーヴェが見られて良かったとか。
そういう雑音をかき消してしまうほど、夕焼けが赤くて良かったとフィオリーナは頭の隅で思った。
この夕日が、きっとフィオリーナの真っ赤になった顔を誤魔化してくれるはずなのだ。




