アイスクリームが言うには
執事のカリニはお菓子作りが趣味らしい。今日のお菓子は木の実のタルトだ。蜂蜜漬けの木の実がたっぷりのカスタードにのった逸品は、食感と味が絶妙だった。
「とても美味しいです」
フィオリーナの感想にカリニは満足げに目を細めて「ありがとうございます」と笑う。好好爺然としているのに、そうやって笑うと曲者の性格が見え隠れするようだ。
それに、これほど美味しいお菓子が毎日出されると、ついつい食べ過ぎてしまう。
(ドレスが入らなくなってしまいそうだわ)
嫁ぎ損ねたフィオリーナではあるが、一応見た目には気をつかっておきたい。
ただでさえ、このオルミ領はゆったりとした時間が流れているのだ。体型までゆったりしてしまっては、持ってきたドレスが入らなくなる。ある程度ならサイズを直すことはできるが布地にも限界があるのだ。
それに、ネーヴェたちとの計画のこともある。
フィオリーナを悪女に仕立てる計画だ。
ネーヴェと買い物に出かけた日から三日後、あのクリストフから手紙が届いた。
十日後の園遊会に出てみないかという誘いだ。
悪女となるには、もう少し協力者が必要だというのだ。その人に引き合わせるついでに、今のフィオリーナができる精一杯の悪女ぶりを見せて欲しいという。
その翌日、ドレスは協力者が見立ててくれたからという手紙と一緒にドレスが送られてきた。肩から胸元が扇のように開いているが、露出する部分はレースで覆われている蠱惑的なデザインだ。このデザインは王都で最近流行り始めたばかりの形だ。ただしこれは既製品といってもいいほどサイズの定まらない、外郭だけのドレスだ。これからこちらで手直ししなくてはならないし、靴も宝石も見繕わなければならない。
普通、園遊会へ行くなら一ヶ月から二週間前には招待状が送られるし、半年前からスケジュールを決めておく場合もある。主催する側はもちろん、参加する側も準備に時間がかかるからだ。
けれど、濃い赤のドレスはまるで赤葡萄酒のようで、たしかに悪女のイメージにはぴったりだ。
このドレスを選んでくれた協力者は、きっと抜群のセンスを持っている。どうにかして会っておきたい。
一緒に手紙を読んでいたネーヴェは、適当に手紙を畳むとフィオリーナに尋ねた。
「行きますか?」
ネーヴェは協力してくれるつもりなのだ。
ここでフィオリーナが頷けば、すべてが始まる。
「──はい」
ハリボテの悪女となるのだ。
しかし、どういった悪女になるのか考えなくてはならない。
仕事があるというネーヴェが戻ってくるまで、フィオリーナは庭を散策することにした。
庭は今日も穏やかに盛況だ。
あちこちで季節はずれの薬草が花をつけたり、新たな芽を出している。朝にネーヴェが水をやっているので、フィオリーナは散策だけを楽しむことにした。
様々な種類の草花が囲む小径を歩きながら、フィオリーナは物思いに耽る。
靴や宝石を新たにみつくろう猶予はない。フィオリーナが持っている靴と宝石で合わせなくてはならないだろう。
靴はなるべく良い物をと選んで持ってきたものがあるが、フィオリーナが持っている宝石は真珠のネックレスにアクアマリンのイヤリングだけだ。
どちらも母が若い頃使っていたものを譲ってくれたのだ。真珠の最高級品は価値は下がらないし、アクアマリンは純度の高い良い品だ。もしもどうしてもお金が必要になったとき、換金しやすように持っていきなさいと持たせてくれた。
ネックレスもイヤリングも、そのままのフィオリーナになら年相応に合うだろうが、悪女ならばどうだろうか。もっと派手な宝石でなければならないのではないか。
(そもそも、悪女と呼ばれる方ってどういう生活をなさっているのかしら)
浪費癖があるとか、浮気や不倫を繰り返すとか、とんでもないわがままだとか、内面の悪徳については思い浮かぶ。しかし、フィオリーナが目指すのは、ハリボテの悪女だ。
(でも、内面は外見に出るというし……)
浮気や不倫をする勇気はないが、わがままを言ってみるなどしてみた方が良いだろうか。
(ああ…だめだわ。わたくし一人では案も浮かばない)
そういえばせっかく日傘を買ったのに、持ってこなかった。
昼間は日差しが強いと言われていたのに。
庭の奥にある大きな木が見える。少し木陰で休めば、この暑さも落ち着くかもしれない。
フィオリーナがふらふらと踏み出すと、
「お嬢様」
涼しげな声に呼びかけられて振り返ると、この日差しの中でも涼しげな美女が待ちかまえていた。
いつの間に追ってきたのか、アクアだ。
「アクア……?」
「はい。お嬢様」
アクアはフィオリーナの手を引いて、木陰に入りかけていたフィオリーナを再び日差しの中へと引き戻した。
「あなた……今までどこに?」
アクアは三日前の買い物以来、屋敷の中では姿すら見えなかったのだ。
「申し訳ございません。わたくしは通いで務めておりますので」
「必要なときだけ呼ばれるの?」
「はい。本日も、旦那様にお嬢様のお手伝いをするよう仰せつかっております」
通いということは、カミルヴァルトの本家から寄越されている侍女なのかもしれない。そう考えれば、アクアの手腕もうなずける。
アクアの手は冷たくて、フィオリーナは日差しで火照った肌にさわやかな風が吹くような心地になった。
「お疲れのように見えます。屋敷へ戻りましょう、お嬢様」
そう手を引かれていくと、少し忘れかけていた問題が思い出されてくる。
内面から悪女を目指してみるという案だ。
「あの……アクア」
「はい」
何も知らないアクアが今日も美しい顔で振り返る。彼女にこれから口にすることが心苦しくて、フィオリーナは唇が震えそうだった。
けれど、これも悪女になるためだ。
「わ、わたくし、アイスクリームが食べたいわ! 今すぐ!」
──結果として、アイスクリームはすぐにフィオリーナの前に用意された。
季節を先取りしたデザートとして、カリニが明日のために用意していたのだという。アイスクリームは高級品だ。レシピさえあれば作ることができるとは知っていたが、フィオリーナは王都の夜会で食べたきりだった。
フィオリーナのわがままで出されたものだが、再会したアイスクリームはとても美味しかった。
「あっはっはっはっは!」
そして、夕食をとりに食堂へやってきたネーヴェに腹を抱えて笑われている。
フィオリーナはなんだか悔しくて口をとがらせてしまう。
「だ、だって……アイスクリームなんて普段は食べられないもので…っ」
「わがままを言おうと思ったんですよね?」
ネーヴェはまだ笑い足りないようだったが、フィオリーナの隣に立っているアクアに睨まれてようやくダイニングテーブルの椅子にかけ直した。しかしまだ収まらないのか、メガネのレンズ裏に指をつっこんで、菫色の目の端の涙をぬぐっている。いくらなんでも笑いすぎだ。
「いやぁ……アイスクリームがわがままとは」
繰り返し笑われてしまうとフィオリーナは情けなくて顔が熱くなっていくのを感じた。
「……悪女となるには、内面から試してみた方が良いのではないかと思って…」
「まぁ、良い考えだとは思いますよ。私もあんまり高い宝石などをねだられては、さすがに困ると思いますが」
貧乏貴族ですから、とネーヴェはテーブルに肘をついた。
それほど広くないダイニングテーブルは椅子は四脚しかなく、天板も大皿を五つ置けばいっぱいになるほどの円形だ。だから、長身のネーヴェが肘をついて身を乗り出すと、いくら対面に座っていてもフィオリーナにぐんと近くなってしまう。
「私のできる範囲なら、いくらでも願いを叶えますよ。フィオリーナ」
穏やかな菫色の瞳に見つめられると、いくらでもわがままを言ってしまいそうだ。
「まずは、宝石を確保できそうなんですよ」
「宝石を?」
ドレスに合うアクセサリーは園遊会へ参加するマナーの上でも大事な問題だった。
「ええ」とネーヴェはうなずいて、
「知り合いの宝石商に相談したんです。いくつか見繕ってくれるそうですよ。さすがに高額なので、貸し出しという形です」
「あまりくわしくないのですが……宝石の貸し出しというお商売があるのですか?」
フィオリーナが疑問を口にすると、ネーヴェは身を起こして椅子の背もたれにもたれかかった。
「商家相手にならそういう商売もやっているそうです。見栄えをよくしたいのは、貴族も平民も同じでしょうから」
大事な場面でそれなりの格好をしなければならないのは平民も貴族も同じだろう。貴族と取引をする商人などはもっと気をつかうに違いない。
「明日にでもここに来てくれるそうですよ」
「明日に?」
ネーヴェの言葉にフィオリーナは目を丸くする。オルミは辺境だ。宝石商を呼ぶにしてももっと時間がかかるので、こちらから出向くとばかり思っていたのだ。
「商談でヒースグリッドまで来ていたそうです。実家の方へ連絡をしたら、すぐに向かわせると返事をくれました」
ドレスが届いてまだ二日だ。時間は無駄にはできないとはいえ、ネーヴェはフィオリーナが園遊会への参加を決めてすぐ手紙を出したのだろう。この国の速達は高額だが、魔術を利用した転送になるので確実に早く届く。
ネーヴェはすぐ手配を始めていたのに、フィオリーナは悩んでアイスクリームを食べただけだ。
「申し訳ありません……わたくしのことなのに何もできなくて…」
「良かった」
落ち込むフィオリーナにネーヴェは微笑んだ。
「ちゃんと悪女になろうと頑張ってくれているんですね」
「それは…もちろんです」
誰であろうフィオリーナのための計画なのだ。フィオリーナが頑張らずに誰が協力してくれるだろうか。
ネーヴェを真っ直ぐに見たフィオリーナに、彼は苦笑した。
「……もしかしたら、嫌だと言えなくなっているのかもしれないと思ったんです」
悪女になろうというとんでもない計画だ。フィオリーナだけならば、こんなことは思いつきもしなかったし、今も悪評に思い悩んでいただけかもしれない。
けれど、ネーヴェはフィオリーナの状況を他人の目からきちんと見て、考えた上で提案をしてくれたのだ。
これが断れない理由ならば問題だろうが、フィオリーナは彼の考えに乗ったのだ。
「……わたくしにも、矜持があるのです。バカにされてばかりでは、さすがに腹も立ちます」
何もできないただの娘でも、他人の享楽に踏まれ続けていい道理はないはずだ。
「何も変わらないかもしれません。ですが……やってみたいのです」
フィオリーナがネーヴェを真正面から見つめると、彼は目を細めて笑った。
「わかりました。私もできる限りお手伝いさせていただきますよ」
それに、とネーヴェは続ける。
「あなたが目立ってくれると、私も助かるんです」
ネーヴェは親戚から押しつけられる婚約者を退けるために、フィオリーナに協力してほしい。だから、フィオリーナが他の女性を寄せ付けないほど強い女性だと知られるのは彼にとっても望ましいという。
「あなたを手伝うことは、結局は私の利にもなる。私はこのように打算ばかりですから、遠慮などしないでくださいね」
ネーヴェはまるで詐欺師が種明かしをするように言うが、フィオリーナを騙すつもりなら言わなくていいことだ。
フィオリーナを手伝ったところで、確実にネーヴェの思惑通りに進むとは限らない。
利益になるとは限らないことをやろうとしているのは、ネーヴェも同じなのだ。
(頑張ってみよう)
フィオリーナ自身だけのためではなく、迷惑をかけている家族やネーヴェのためにもなるのだと思えば、不思議と力をもらえる気がした。
でも、そんなことを言えばひねくれ者のネーヴェはきっと本音を隠してしまいそうだ。
だからフィオリーナは素直に微笑むのだ。
「はい。わたくしのできる限りの悪女になれるよう頑張ります」




