070 切り札は後から出した方が有利です
ペリアたちが時間稼ぎをする一方で、ラティナは例の飛行人形に乗り込んでいた。
調整のために、屋敷の外に出してあったのだ。
飛行の準備を整える彼女の元に、ラグネルが走ってくる。
足を止めた彼女は中腰になり、肩で呼吸するほどに疲れていた。
「ラグネル、大丈夫!?」
「え、ええ、私は大丈夫。でも、ごめんなさい……見つからなかったわ」
「そう……なら仕方ないわ。ペルレス抜きで飛ぶ」
コアのリミッター解除はこの人形でも行える。
ラティナ一人でも高速飛行は可能だ。
しかしそれには大きな問題があった。
(通常飛行はともかく、高速飛行を維持するには、とてもじゃないけど刻まれた術式だけじゃ冷却は間に合わない。さて、推進機関は私の炎に何秒耐えられるのかしら)
すでに結晶砲は装備済みだ。
しかし、このサイズでガルーダ相手にまともなダメージを与えられるとは思えない。
一応、通常の結晶砲とは異なる仕掛けも施してはあるが――
(搭載された結晶砲をどう活用したって、囮以上にはなれないでしょうね)
相手を見ればそれは一目瞭然だ。
空中戦に持ち込めば、あの図体の大きさでは大した加速はできないため、速度で勝ることはできるかもしれない。
だがそれも、ペルレスが氷の魔術で推進機関を冷却するのが前提の話だ。
冷却無しで、ほんの数秒間の加速を得ることができたとしても――
(ほんの数秒間の時間を稼ぐために、この私の命を賭ける? はっ……馬鹿らしいわ、そんなの)
ありえない。
あってはならない。
(それより私とラグネルだけ逃げて、ハイメン帝国に対抗しうる頭脳を残し、次の機会を待つほうが何万倍も利口じゃない)
だが、それには大きな問題がある。
(……ラグネルは失望するかもしれないけど)
それはある意味で、ラティナの命よりも大きな問題だった。
彼女はラグネルの顔を見つめる。
苦悩に揺れる瞳を見て、妻は何を感じたか――ふっと優しく微笑んだ。
「ラティナ、私はあなたの判断についていくだけよ。どんな選択だろうと、それが正しいって信じてるから」
「ラグネル……」
「ひとまず後ろに乗るわね、どんな道を選ぶにしろそれは必要でしょう?」
「全部お見通しってわけ」
「伊達に貴女から溺愛されてないわ」
人形に横にかけてあるはしごを、ラグネルは登る。
ラティナはうつむき、「ふっ」と笑った。
そのときだった。
小さな人影が、屋敷の前を通り過ぎていく。
思わずラティナは立ち上がり、大声で叫んだ。
「ペルレスッ!? あなたどこにっ!」
しかし彼女は目もくれずに、一直線にガルーダに向かって走っていく。
「行っちゃった……わね」
「急いでこっちに走ってきたってことは、おそらくレスと一緒に例の物の調整を行ってたんでしょう。でもまだ未完成のはずよ。一か八か賭けるにしても、成功率はほぼゼロに近い……だからペルレスは一人で走っていった……」
「何か策がある?」
「……そう信じたいわ」
ぼすっ、とシートに腰掛けるラティナ。
「帝国の関係者だから、希望はゼロじゃないはずよ」
せっかく登ったので、とラグネルも後部座席に座った。
しかし飛行人形はまだ動き出さない。
ペルレスを信じて、ギリギリまで待つことにした。
◇◇◇
一方その頃――
「だからあの時は腋で済ませたけど」
「今のエリスちゃんはあれだけじゃ満足できないってこと?」
「そういうこと。それに私たちは恋人だから何の問題も――」
「いやあるだろ! 順番が大切なんだよこういうのは!」
「でもキスはもう済ませてる」
「何ならもっと先に進んだことももうしたしね、私たち」
「だからってなあ!」
ペリアたちは、ガルーダの前で茶番を続けていた。
最初は自然な流れだったが、敵の足止めのため、意図的にやるようになってからは、どうしても不自然に演技っぽくなってしまう。
(これじゃあまるで三文芝居)
(見てて楽しいもんでもねえし、いつまでも続けられるもんじゃねえ!)
(ガルーダの目つきも変わってきてる気がする。もしかしたら、飽きてるのかも)
相手が何を考えて、ペリアたちを見て動きを止めたのかはわからない。
だが誰もが、それは長く続くものではないと肌で感じていた。
そしてその予感通り――再びガルーダは動き出す。
ゆっくりと、その巨大な翼を広げる――
「クソがっ、結局こうなるのかよ!」
「さっきの時間で多少は体力も回復した。あと二回ぐらいは耐えられるかもしれない」
「けど耐えたところでよぉ!」
「次を防いだら……無謀かもしれないけど、攻撃してみよう」
「私もそれがいいと思う。結晶砲で先陣を切る」
「話が通じてる様子もねえし、他に方法はねえな」
リュムと同じ、人間が体内に入り込んでいる状態なら、会話は成立するはずだ。
しかし相手の行動は、モンスターにしては不可解な部分が多い。
だからこそ不気味だし、一方で“もしかしたら活路が開けるかもしれない”という希望にもなる。
「……来る!」
ペリアは腕に力を込め、ぐっと絡んだ魔糸を引っ張る。
同時にガルーダも翼に力を込める。
一触即発――今にも人智を超えた暴風が吹き荒れようとした瞬間、
「待つですぅぅううううっ!」
少女の精一杯の叫びが響いた。
ブレードオーガとガーディアンの視線が、同時にそちらを向く。
「足元にいんの、あれペルレスじゃねえか!?」
「まずい、あの位置だと結界に押しつぶされる」
「何してるんですかペルレス様っ、下がってください!」
「ペリア、ハッチを開いてください! スピーカーを使って呼びかけるです!」
何を言っているのか、ペリアにもわからなかった。
確かに相手は帝国が所有していたガルーダだ。
人格だってあるかもしれない。
しかし、帝国の要人でもないペルレスが、なぜあの巨鳥を止められるというのか。
さすがにペリアでも“はいそうですか”と受け入れるわけにはいかなかった。
だが――
「おいペリア。あいつ……止まったぞ」
フィーネの声を受けて、ペリアは視線をペルレスからガルーダに移す。
翼を広げたまま、相手は一向に攻撃しようとしない。
そしてその視線は――明らかにペルレスに向いていた。
「やっぱりそうです……ガルーダの中身は、私のことを知ってるです!」
その言い方からして、彼女も確信は持てていなかったのだろう。
止められる可能性が少しでもあると思ったから、無茶をしてでもこうして最前線までやってきたのだ。
(それなら……可能性はある、のかな)
まだ半信半疑ではあったが、ペリアはハッチを開いた。
ペルレスはせり出す氷柱で身体を打ち上げ、飛び上がり、操縦席に乗り込む。
「ありがとです、ペリア!」
そして彼女は再び大声を出した。
「聞こえるです? 見えてるです!? 見た目は変わってるですが、私はペルレスです! ひょっとしてそのガルーダは、オルクスじゃないです!?」
「オルクス……?」
ペリアも知らぬ名だった。
フィーネやエリスも同様である。
しかし、ガルーダはその呼びかけに反応を見せた。
「……本当に、ペルレスなのか」
辺りに響き渡ったのは、女の声だった。
獣の身で、流暢な人の言葉を語る――リュムのときもそうだったが、目の前で見ていても違和感しかない光景だった。
「そうです、オルクスたちがモンスターの体に入ったように、私の脳は妹に……ラウラに宿ってしまったです。あの子の命を犠牲にして」
「そうか……死んだのか、あの子は……」
「あの日、帝国が過去に転移したせいで、オルクスの周りの人たちだってたくさん死んだはずです! 辛い思いをしたはずです! そんなあなたが、どうしてこの世界の人間に同じ思いをさせるですか!」
「私は……」
明らかな迷い。
広げていた翼はゆっくりと閉じられる。
ペリアはほっと胸をなでおろした。
ひとまず、命の危機は脱したようだ。
「そうだ……見てきたさ。空の上から、人々の営みがモンスターに押し潰されていく様を」
「帝国はこの時代の人々から、あまりに多くのものを奪いすぎたです。未来にいた自分たちにそんな権利なんて無いのに!」
「ああ……」
「オルクスは軍の人間でもないです。ただ巻き込まれて、ガルーダと一つになってしまっただけのはずです。だったら私たち、わかりあえるはずです。私がみんなを説得するですから、オルクスもこっちに――」
そう言って、手をのばすペルレス。
対して、オルクスと呼ばれたその巨鳥は、低い声で何もかもを諦めたように答えた。
「それはできない」
「どうしてですっ!」
「すまない……それはできないんだ。今の私は、あまりに無力だ……」
「オルクスっ!」
ペルレスの呼びかけも虚しく、オルクスは翼を広げた。
しかしそれは攻撃のためではない。
飛び立つためだ。
「ペルレス様、ハッチを閉じます。下がってください!」
「わ、わかったです……」
ガルーダに姿を見せるため、ゴーレムは開きっぱなしだった扉を閉じる。
そして再びガーディアンを中心に結界を展開した。
無論、吹き付ける風は先ほどに比べれば格段に弱く、問題なくマニングを守ることができた。
その間にオルクスは浮上する。
「もし私がこの場でお前たちと戦わずに済んだとしても――都に攻め込むというのなら、今度こそ戦いは避けられないだろうな」
「どういうことです? オルクスっ、どうして戦う必要があるんです!」
ペルレスの疑問には答えず、彼女は意味深な言葉だけ残して去っていく。
その姿は遠ざかってもなお大きく。
ペリアたちは完全に姿が見えなくなるまで、気を抜くことができなかった。
◇◇◇
ひとまずマニングを守りきった魔術師たちは、屋敷の会議室に集う。
もちろん問いただされるのは、突然“オルクス”なる人物に呼びかけたペルレスだ。
「そんな知人がいるなんてあたしらは聞いてないぞ」
フィーネは腕を組みながらそうぼやいた。
「申し訳ないです……思い出してはいたですが、話すほど帝国の中で力を持った人物ではなかったです」
うつむきがちにそう答えるペルレス。
「ペルレス様は、ガルーダに宿った人物は軍の人間じゃないって言ってましたよね」
「でもガルーダは帝国の所有物だったはず」
「あんなドでかいモンスター、軍以外が管理できるの?」
ペリア、エリス、ラティナが続けざまに言葉を重ねると、ペルレスは視線を落としたまま、みなの疑問に答えた。
「軍でも無理だったので、外部の専門家に頼ったです。ブリーダーを雇って面倒を見させてたです」
「ということは、そのブリーダーというのが……」
ペリアの言葉にペルレスはうなずき、再びその名を口にする。
「オルクスです。ブリーダーは何人かいたですが、その中でも一番長くガルーダの面倒を見てきたです。だから、帝国が過去に転移した時点で、ガルーダの近くにいる可能性が高いと思ったです」
「だから中身がオルクスかもしれないと思った、と。しかし、帝国はモンスターを適当に放って敵国を潰すだけじゃなく、手懐けたりもしてたんだな」
「オルクスの場合は飛行するモンスターを使ったレースに参加してたですから」
「モンスターが娯楽にも使われてたなんて……帝国の人間もとんでもないことを考える」
「エリスさんの驚きはもっともです。通常、モンスターは好んで人間を襲うような好戦的な個体が多いですから。それを躾けるには、相当な腕が必要になるです。そんな酔狂なことをしてたのは、オルクスが所属する団体ぐらいのものだったです。だからこそ、人気も高かったですけど」
「そりゃ帝国も頼るはずよね。うっかり生まれてしまった突然変異に、下手したら自分の国が壊されてたかもしれないんだし」
ラティナの語る仮定は、決して非現実的なものではない。
本気であのガルーダが暴れたら、国の一つや二つは軽く吹き飛ぶだろう。
それだけの威力が、あの翼にはあった。
現にマニング周辺の山はいくつか消えたし、他の部分も地形が変わっている。
そこそこ離れたユントーまで被害が及んでいないか、ケイトに頼んで確認しなければならないほどだ。
おそらく帝国も、ガルーダが育ち始めた最初の頃は『強力なモンスターが生まれるぞ』と喜んでいたに違いない。
だが常軌を逸した速度で成長するモンスターを前に、自分たちの手には負えないと確信し、藁にもすがる思いでオルクスたちに頼ったに違いない。
しかし、彼らにとって予想外だったのは、突然変異ゆえにその気性が一般的なモンスターより大人しかったこと。
そして、オルクスが身につけていた調教術が、気性の荒いモンスターを落ち着け、大人しくすることに長けたものだったことだろう。
結果として、ガルーダは脅しと荷物運搬ぐらいにしか使えなくなってしまったわけだ。
「問題は、そんなオルクスがどうしてハイメン帝国に従ってるか、ですよね」
「ペリアの言うとおりだ、軍人でもねえわけだからな。しかも、今まではあんだけの力を持ちながら戦いには参加しなかったわけだろ?」
「何かややこしい事情がありそう」
「私も驚いたです、オルクスはプライベートでは争いを好まない、優しくて真っ直ぐな、誰もが憧れるような女性でしたです。だからこそ、説得に応じてくれると思ってたです……」
「ちなみに、ペルレスとオルクスの関係って何なの? ただの知人にしては詳しいようだけど」
「友人だったです。二人で飲みに行ったりしてたです」
「妹さんの顔に反応するぐらいですから、彼女とペルレス様はとても仲が良かったんですね」
「そうです……まさかそんな身近な人間が生き延びてるとは思ってなかったです」
それは奇跡とも呼ぶべき偶然だった。
生き残った――というよりは、死に損ねたという方が正しい表現なのかもしれないが。
「どうにかしてこちらに引き込めたら、戦いは一気に楽になると思ったですが……」
「あの反応を見るに、おそらく現状では無理」
「私も不確定要素には頼るべきじゃないと思います。友達相手だと辛いかもしれませんが、撃破する方向で考えましょう」
「そう、ですね……」
「となると、重要なのはレスになるわけだけど――ねえ、どうしてさっきから黙ってるのよ」
レスは部屋の隅っこで縮こまり、気まずそうに顔を伏せていた。
「ご、ごめん……私が、も、もっと、ちゃんと出来てたら……」
「あんたはこれっぽっちも悪くねえよ」
「そうですよレス様、まだあの兵器は未完成もいいところなんですから」
「調整を手伝ってたのに、ほっぽりだしてオルクスに語りかけた私も悪いです」
「そ、それでも1%ぐらいの確率で放てたはず。私が、お、怯えて発射できなかったから……マニングは、滅びていたかもしれない……」
「だからと言って99%の確率で死んだら何の意味もない」
「エリスに同意するわ。レスを誰も責めたりはしない。あと自分で自分を責めるのもやめなさい、私みたいにもっと胸を張るべきよ」
「う、うぅ……面目ないぃ……」
慰めの言葉をかけられるほどに、レスは自責の念を強めていった。
長い前髪を揺らしながら落ち込む様は、まるで本物の幽霊のようだ。
おそらく今の彼女には、どんな声をかけても逆効果だろう。
自虐的な人間は、なかなか立ち直させるのが難しい。
「まあ要するに、その兵器ってのが完成すりゃ、オルクスにも勝てる可能性があるってことだよな」
「ペリア、どれぐらい完成できそう?」
「二日もあれば」
「二日ね……間に合うことを祈るだけだわ」
ラティナは頬に手を当て、渋い顔をした。
オルクスは明らかにハイメン帝国の切り札だ。
それは今まで彼らが、一度もあの圧倒的な戦力を使おうとしなかったことからもわかる。
しかも、あれだけ巨大な鳥なら王国の歴史書に一度ぐらい登場しても良さそうなものだというのに、ペリアはそんな記述を見たことすらなかった。
つまり、オルクスはこれまで一度たりとも王国を襲ったことがないのだ。
そんな相手が突如としてマニングを襲撃した――
考えられる理由は二つ。
操られているか、脅されているか。
だが今回、彼女はペルレスを見てあっさりと退いた。
それができる時点で前者の可能性は消していいだろう。
(おそらくオルクスは、スリーヴァあたりに脅されて従わされている。しかも、そう何度も使えない方法で)
逆らう可能性のある相手を、脅して従わせる――それはペリアが先ほど嫌った“不確定要素”だ。
参謀めいた行動を取るスリーヴァがそんな方法に頼る時点で、ハイメン帝国の底はそう深くない。
メトラ同様、ペリアもその事実に気づきつつあった。




