064 結局、誰が一番悪いんですか?
メトラは王城のバルコニーに出ると、眼下の町並みを眺めた。
前王が死に、国王はハイメン帝国と手を組んでいるというのに、この街で暮らす貴族たちは以前と変わらぬ毎日を続けている。
都は強固な結界に守られている。
誰かが犠牲になるにしても、どうせ自分たちより先にランクの低い人間が死ぬだけ。
いずれ王国は滅びる。
だがどうせ、その時に自分はもう生きていないのだから――ここで生きているのは、そんな無責任な人間ばかりだ。
「血も惨めならば、その生き様も見るに堪えない。醜いな」
吐き捨てるようにメトラは言った。
すると、彼の背後で何者かの足音が鳴った。
振り返ると、見知らぬ長身の女が立っていた。
髪は青の短髪。
目は猛禽類を思わせる鋭さだが、光が宿っていない。
表情も乏しく、全体的に気だるげな雰囲気が漂っている。
上下ともに体のラインが出やすい服を着ているため、女性らしい凹凸がはっきりと分かる一方で、脚や腕に引き締まった筋肉が付いているのも見て取れた。
「誰だ」
女はしばしメトラを見て黙り込んだ。
すると彼は苛立たしげに詰め寄る。
「王の問いに答えないつもりか?」
「王……そうか、あんたがメトラ王かい」
女性にしては低めの声だ。
覇気がないのも相まって、余計にそう聞こえる。
「生憎だが、私は王国の出身者じゃない。王様にひざまずく立場じゃないよ」
「ハイメン帝国の人間か」
「呼んでおいてスリーヴァは説明もしてないんだね」
「最後の将軍……空将オルクスだな」
「なんだ、そこは伝えてあったんだ。自己紹介の手間が省けて助かる」
スリーヴァは『もう一人仲間がいる、じきに来るはずだ』とは言っていた。
一方で、『いつ到着するかはわからん』とも。
(あまり協力的ではないようだな……)
メトラはオルクスを見てそう感じた。
話によれば、ソウルコアを受け入れ人の姿に戻れるようになったのも、彼女が一番遅かったらしい。
何でも、『モンスターの姿のままで構わない』と拒み続けたそうだ。
(これが最後の一人か。ハイメン帝国は想像より人材不足らしい)
物量はあるが、高い知能を有するのはほんの数人のみ。
たったそれだけの人間の意志に、世界中の人間が虐殺されたというのも虚しい話である。
(だが、私にとっては都合がいい。どうせどこかで切り捨てねばならない連中だ。最後は私の人形でペリアたちを潰せばいいのだから)
当然、メトラはハイメン帝国を信用などしていない。
いかなり気まぐれでメトラに力を貸しているのかはわからないが、彼らが最終的に王国の滅亡を期待していることは明らかだ。
「なああんた」
「私は国王だ」
「あんた最近、鏡を見たことはあるかい?」
最初から期待はしていなかったが、微塵も敬意を見せないハイメンの人間にメトラは若干苛立つ。
しかしここで噛み付くほど愚かではない。
今は人の姿をしているが、オルクスも恐ろしいモンスターなのだから。
「鏡が何だ?」
「私はこの体に戻ったのが久々でさ。この街にて鏡を見てね、驚いたよ」
彼女はため息を挟み、心底寂しそうに言った。
「まるで死体だ」
「……なぜ私を見る」
「かつての私にとって空は夢に溢れた場所だったのに、今では空の果てを知っている。以前、ガルーダに『お前はそんなに大きな翼があっていいな』と言ったことがあるけど、前言撤回だ。大きすぎるのも考えものだね」
「貴様、何の話をしているッ!」
すぅっと腕を持ち上げ、オルクスはメトラに人差し指を向けた。
そしてその“死体の目”で告げる。
「初対面で悪いけど、どうしても言わずにはいられなくてね。あんたの目、私を同じだよ。きっと夢に裏切られたんだ」
「何を……!」
「果たせばその先にはより素晴らしい景色が待っていると信じて。けど現実は――」
「無礼だぞ、女ァッ!」
ついにメトラは激昂し、腰に提げていた剣を抜いた。
本来、それは飾りだ。
携行するものでもないし、ましてや抜くものでも――
その刃が、オルクスの腕を落とした。
断面からじわりと血が滲み出し、ぼたぼたと床を汚す。
落ちた己の手首を彼女は無表情に見下ろした。
その間に、傷口から新たな手が生える。
「あーあ、痛いなあ。その装飾、宝剣だね。わざわざ研いで持ち歩くなんて、よほど報復が怖いと見た」
「黙れ」
「私はあんたと敵対したいわけじゃない、ただ忠告してるだけさ」
「何をだッ!」
「自覚はしときなよ。あんたが果たしたそれは、“扉”じゃない。“終着点”だ」
言うだけ言って、オルクスは去っていった。
残されたメトラは、剣の柄を握る手に力を込め、歯を食いしばる。
何かを壊したくなる衝動が湧き上がる。
だがそれをぐっと飲み込み、目を閉じ、深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着ける。
『メトラ、お前は立派な王になるんだぞ』
『この国の最後の王に』
『心を乱さず、穏やかに滅びを迎えるのだ。それが民のためとなる――』
瞼の裏に、いつかの光景が浮かび上がった。
「あの女め、知ったふうな口を……!」
結局、彼は破滅的な衝動は抑えきれず、拳を壁に叩きつけた。
残ったものは、虚しい痛みだけだった。
◇◇◇
オルクスはメトラと別れたあと、城内のある部屋を訪れた。
中にはティーカップ片手にソファでくつろぐスリーヴァと、窓から外を眺めるフルーグの姿があった。
「おや、やっと来たのかいオルクス」
「リュムは?」
オルクスはスリーヴァから離れた壁にもたれ、そう問いかけた。
「その体に戻ったのは久々だろう? 座ってくつろいだらどうだい」
「ねえ、リュムは?」
スリーヴァは「ふぇっふぇっ」と薄ら笑いを浮かべると、簡潔に答えた。
「死んだよ」
オルクスの目つきが鋭くなる。
「殺したな」
「死んだのさ、敵に負けて。戦争だからねえ、仕方のないことだよ」
そう楽しそうに語る老婆に対し、オルクスは軽蔑の念を隠そうともしなかった。
さすがのフルーグも、視線こそ外に向けられたままだが、眉をひそめる。
「まだ子供だったのに」
「百年経った」
「それでも、子供のまま縛り付けたのはあんたたちだよ、スリーヴァ、フルーグ」
「だったら皇帝陛下に文句を言ったらどうだい。ガルーダの翼なら簡単だろう?」
「そうするように皇帝を誘導しておいてよく言う」
「ふぇっふぇっふぇっ、こんな弱々しい老婆に力なんてないよ。選んだのは陛下自身さね」
スリーヴァは悪びれない――どころかリュムが死んだこの状況を楽しんでいる節すらある。
だからオルクスは嫌だったのだ。
人の身に戻るには、スリーヴァの作ったソウルコアを作るしかないのだから。
何より、そもそも彼女は人に戻りたいとは思っていなかった。
「ところでオルクス、来てくれたってことは……協力してくれるってことでいいんだね?」
「話を聞きに来ただけだ、人を喰えというのなら断る」
「喰えとは言わないさ、殺してくれればそれでいい」
「断る」
「そうかい……ならこういうのはどうかねえ」
己の体の前で掌を開くスリーヴァ。
オルクスは警戒し身構えたが、直後に胸に強烈な痛みを感じた。
「かっ……あ、が……っ」
そのまま膝をつき、崩れ落ちる。
スリーヴァは立ち上がりゆっくり彼女に近づくと、「ふぇっふぇっふぇっ」と肩を震わせ笑った。
「お前……こんな仕掛けを……!」
「最近、新鮮な被検体が手に入るおかげでソウルコアの研究が進んでねえ。遠隔操作も随分と簡単にできるようになったんだよ」
「は……逆らえば、殺すってのかい?」
「死ぬのは怖くないって顔をしてる。だったら操ろうじゃないか。人間を殺して喰らうように。生きたまま口の中に放り込んで、ぐちゅりと肉を潰し、ゴリゴリと骨まで噛み砕かせて味わわせてやるよ。そっちのが嫌だろう?」
「く……」
「自殺できればよかったのにねえ。かわいそうに、その体じゃあ自分で死ぬこともできやしない」
「お前がそうした」
「そうだよぉ、だから哀れむのさ」
「お前みたいな人間がいたから……帝国は負けた」
反抗的な目で見上げるオルクスは、的確に相手の“最も聞きたくない言葉”を射抜いた。
スリーヴァは反射的に頬の筋肉をひくつかせると、オルクスの頬をつま先で蹴りつける。
「帝国は負けちゃいないよ!」
老婆の放った蹴りとはいえ、常人のそれとは威力が段違いだ。
オルクスの口の端から血が流れる。
だが彼女はなおもにらみ続けていた。
それがよぽどスリーヴァの逆鱗に触れたのか、今度は頭を踏みつけ、床に何度も叩きつける。
「この世界に残る人間は、王国に残る家畜どもだけさ。全て帝国が支配している! これのどこが負けてるっていうんだい!? 帝国は勝った! 世界統一を成し遂げた! この私とガルザの力でねぇ!」
「っ……く、ぅ……なんて、むなしい……」
「まだそんなことを言うのかいッ! この帝国の恥晒しがッ!」
「お前の、ほうが……」
「私が恥晒しだって!? 違うねぇ、私は帝国そのものだ! 正しい帝国のあり方は私とガルザが決めるんだよ!」
「おいスリーヴァ、もうやめろ。見苦しいぞ」
呆れた様子でフルーグが止めると、スリーヴァは彼にも食って掛かった。
「あんたも帝国が負けたっていうのかい!? よりにもよって、軍を率いる将軍が!」
「そうは言ってない。だがここで内輪揉めをして何の意味がある」
あまりにまっとうすぎる意見に、スリーヴァの動きが止まる。
彼女は足元のオルクスを見て「チッ」と舌を鳴らすと、ようやく怒りをおさめた。
解放されたオルクスは立ち上がり、顔と頭の汚れを手で払う。
「オルクス、私も鬼じゃあない。心の準備をする時間ぐらいはやるよ。ふぇっふぇっ、だけど時間はあまりないからねえ。できるだけ早いうちに殺るんだよぉ?」
「下衆が」
「ふぇっふぇっふぇっふぇっ! その目つき、その罵倒、気持ちよくてたまらないねえ!」
すっかり元の調子を取り戻したスリーヴァの笑い声が響く中、オルクスは無言で部屋を出ていった。
再びフルーグはスリーヴァと二人きりになる。
オルクスの足音が聞こえなくなったところで、彼は口を開いた。
「……以前から思っていたが」
「何だい、フルーグ」
「帝国は、ずいぶん昔からお前の悪意に冒されていたのだな」
「ガルザは物分りのいい子だったからねェ」
皇帝ガルザは、スリーヴァに育てられたも同然だ。
彼は欲望のままに様々な国を侵略し、国土を広げてきたが――それは同時に、スリーヴァの欲望だったとも言えるだろう。
「望みは何だ?」
帝国軍の将軍であったフルーグは、それなりにガルザに近い立場の人間だった。
それでも、彼は皇帝の本心を知らない。
何を望み、何を求め、戦い続けたのかを。
だがスリーヴァこそが、あのガルザを作り上げた当人だと確信が持てた今、彼女に問えばその答えが見つかるだろう。
老婆は再びソファに腰掛けると、不自然に白い歯を見せ笑った。
「力に抗う人の強さが、人の輝きが見たい」
そしてまるで正義の味方のような、綺麗事を垂れ流す。
だが続く言葉はまるで逆――むしろ前フリがあったからこそ、落差によってより醜悪に思える、そんな本性だった。
「そしてそれが圧倒的な絶望を前に、ぽきりと折れる瞬間――まるで花が開くようにひときわ強い光を放つのさ。ああ、なんて愛おしい! 敵じゃあないがリュムも悪くなかったよ、オルクスもきっと素敵な光を見せてくれる。フルーグ、あんただってそうだろう? そういうものが見たいんだろう? だから強者との戦いを求めるんだろう!?」
歳不相応にギラギラとした目でまくしたてたスリーヴァ。
“そういうもの”だとわかってはいた。
わかっていたが――直視すると、『ああ、こんなにも見るに堪えないものか』と痛感する。
思わず引きそうになったが、しかしすぐに思い出す。
向きは違えど、自分も似たようなものだと。
「違うな、俺は戦いそのものを楽しんでいる」
「ふぇっふぇっふぇっ、そっちのほうがよほど醜悪じゃないか!」
「クハハ、まったくだな」
「過去だの未来だのどうでもいいのさ。大事なのは、私とガルザが全てを手中に収めていることだからねぇ。その上で、立ち向かってくる健気な少女の心を手折る――玉座でその光景が見られたら……ふぇっふぇっ、極上だろうねェ! 今からそのときが楽しみで仕方ないよ!」
「挑んでくるのを待つのか」
「万全を期した相手をへし折るから楽しいんだろう? 今日までじっくり育ててきたんだ、一番の食べ時まで待とうじゃないか!」
悪趣味だ――そう思ったフルーグだが、口には出さなかった。
相手は強ければ強いほどいい。
その点に関しては、彼も同じ考えだったから。




