060 一人で火、二人で炎、三人だったらたぶん無敵です!
「ふぇっふぇっふぇっ」
王宮の廊下に老婆の笑い声が響いた。
たまたますれ違った大男――フルーグは怪訝そうに彼女のほうを見る。
「急に笑うな。さすがの俺でも寒気がしたぞ、スリーヴァ」
「面白い報せが届いてね、これが笑わずにいられるものか」
スリーヴァも立ち止まり、フルーグのほうを向いてシワだらけの顔でニタァと笑う。
その笑顔もまた、彼女の気味の悪さに拍車をかけた。
「そういえばマニングにはリュムを向かわせたんだったな。まさかそれ絡みじゃないだろうな?」
「ちょっとした細工をしてたんだがねぇ」
「また悪巧みか。楽しむのは構わんが、そういうのは身内以外でやったらどうだ」
「身内……ねえ。そんな概念、とうの昔に置いてきちまったよ。残っているのは皇帝陛下に向けた情ぐらいのもんさ」
「息子に向ける愛情か?」
「ふぇっふぇっふぇっ、崇拝と言った方が近いかもねえ。あのお方なら、理想を体現してくださると」
スリーヴァは、皇帝ガルザの面倒を幼い頃から見てきた。
それは彼が即位してからも変わらず、側近として、皇帝に対して様々な助言ができる立場でもあった。
軍人であったフルーグ以上に“帝国”という国家に深く関わっている人物といえるだろう。
「ならばリュムに向ける情は無いのか?」
「かもしれないねぇ」
「彼女は今、どうなっている」
「終わっている」
スリーヴァが口を歪めると、不自然に白い歯がむき出しになる。
フルーグの眉間に皺が寄った。
「ふぇっふぇっふぇっ、そんな顔をするほどリュムと親しい間柄でもあるまいに。むしろ喜ぶべきだろう? このまま順調に行けばお前の望みは叶うぞ、フルーグ」
「……そうだな」
「まったく。もう百年もその肉体で生きておいて、人間じみた感傷も捨てられないでいるのかい?」
「俺のことを異常者扱いするのはやめてくれるか」
「違うのか?」
「異常者はあんただよ、スリーヴァの婆さん。百年なんて関係ない、あんたには最初から人間の心ってもんがなかった」
彼の指摘に、スリーヴァは不快になるどころか、むしろ嬉しそうに「ふぇっふぇっ」と笑った。
そして鋭い目つきでフルーグに向け言い放つ。
「そういうフルーグも同類さ、戦闘狂。せいぜい一緒に楽しもうじゃないか」
そう言い残し、その場を離れるスリーヴァ。
フルーグもまた、
「ま、それもそうか」
と笑って歩きだす。
人の気配がしない廊下に、二人分の足音が響く。
◇◇◇
「これが当事者がすることかあぁあッ! うわあぁぁあああああッ!」
マニングにリュムの咆哮が響き渡る。
相対するエリスとフィーネが思わず肩をすくめるほどのボリュームであった。
村の人々は避難しているとはいえ、こんなものを聞かされては肩を寄せ合い怯えずにはいられないだろう。
リュムの感情の高ぶりに呼応するように、全身から電撃が発せられ、まともに近づけない。
「どうやらこいつが原因らしいな」
フィーネの操る紅いブレードオーガ。
その足元には、ローブを纏った巨大な骨のモンスターの姿があった。
“リッチ”となったスリーヴァである。
エリスはもう動かないその怪物を見つめ、つぶやく。
「後方からの奇襲は成功した。それにしても……」
「ああ、あっさり倒されすぎだ」
結界を拡大したおかげで、マニングは隣接するFランクの村“ユントー”と繋がった。
フィーネはそちらのルートを使って、スリーヴァの背後を取ったのである。
だがその作戦は、あまりにうまくいきすぎた。
一撃で沈んだスリーヴァ。
そのときフィーネが感じた手応えは、まるで空箱を潰したようであったという。
「そいつの反応を見るに、骨の化物は偽物だな」
「二人で攻め込むはずが、実際は一人だった。仲間に……切り捨てられた」
「あんなババアが仲間なものかああぁあッ!」
「おっと、会話が成立しちまった」
フィーネは茶化すようにそう言うと、ブレードオーガの剣を構える。
ガーディアンも同様に拳を握り戦闘態勢をとった。
「だがなあ、1対1で拮抗してたんだろ? 2対1じゃ結果は知れてるぜ」
「理屈なんて知るもんか。あたしはあんたらを殺す。そんでスリーヴァもぶっ殺すッ!」
「生憎だけど、その役目は――」
「あたしらに任せてもらう」
同時に踏み込むエリスとフィーネ。
足元の木々がなぎ倒され、大地がざわめく。
「舐めるなあぁぁあああッ!」
リュムは再び全方位への雷撃を放つ。
がむしゃら――というよりは、挟み撃ちの形になったのでそうするしかなかったのだ。
だが収束していない雷は威力に劣る。
すでに結界とミラーコーティングの合わせ技で攻撃を防いだ経験があるのだ。
この程度の攻撃で、エリスたちが足を止めるはずもなかった。
「ブレイカー、発動」
破綻結界の白い拳が、雷光を貫き獣に迫る。
「バーサーク・レイドォッ!」
疾風迅雷の紅い刃が、雷鳴を切り裂き化生を襲う。
ようやく気持ちが落ち着いてきたリュムは、今のままでは二人の攻撃は防げないと悟る。
そこで雷撃の放出範囲を極端に狭め、さながら結界のように体を包んだ。
「極電磁――聖盾ッ!」
バチィッ! という音と閃光と共に壁に阻まれるエリスとフィーネの一撃。
だが弾かれはしない。
ガーディアンもブレードオーガも、大地をえぐるほど強く踏みしめ、その場にとどまった。
「まだまだ」
「この程度で止まると思うなよぉおおおおッ!」
フィーネの刃が聖盾に食い込む。
リュムの視線がちらりとそちらを向くと、本能的な防衛反応か、彼女を護るシールドに“ムラ”ができる。
刃の周辺だけ密度が高まったのだ。
(よし、止まった! これなら――)
リュムの瞳に希望が宿る。
ガーディアンの拳は、どうせまともに当たったところで大したダメージにはならない。
(このまま根比べを続けて、フィーネの集中が揺らいだところで一気にひっくり返してやる。確かに帝国は王国の装甲機動兵に破れた。けどあの頃のモンスターより、今のソウルコアを使ったあたしのがずっと強いんだからっ!)
現に、結界が弱まった今でも、ガーディアンの拳は押し止められたままだ。
結晶砲を失ったあの人形は、ただ結界が頑丈なだけで大した脅威ではないのだ――そんな甘えた認識を、エリスは許さない。
「腕部スティグマ起動」
操縦席でそう静かに彼女は宣言する。
するとガーディアンの拳が光り、その表面に術式が浮かび上がった。
だが、拳で魔術が発動するわけではない。
発動する場所は――術式が焼き付けられた、聖盾の表面。
そして向く先は、聖盾の内側。
「刺殺神殿」
割れて先端が鋭利になった結界が、シールドの内側に無数にせり出す。
「中に攻撃をッ!?」
驚愕するリュム。
さながら拷問道具のように、無数の針が彼女を突き刺す。
そのほとんどは皮膚を貫けずに砕けていくが、その都度新しい針がまた生えてくるのだ。
痛みで集中力が削がれるのはもちろん、じわじわと肉体も削られていく。
「ムカつく……ムカつくムカつくムカつくぅうううっ! 何であたしがこんな目に合わなきゃいいけないのよぉっ!」
リュムはガーディアンを甘く見ていた。
彼女は即座に聖盾を解除し、後ろに大きく飛ぶ。
「ちぃっ、逃げやがった!」
空振った刃の先端が、リュムの皮膚の表面をかすめる。
攻撃そのものは当たらなかったが、確かに傷は刻まれた。
「ちくしょうっ! 止められないっていうの……古い人間のっ、古い兵器ですら!」
「てめらが止まってるからだろ! 人間はいずれ追いつく、ペリアみたいな超人がいればなおさら早くな!」
「フィーネ」
「おうよ、行くぜ!」
エリスとフィーネの攻撃は、避けられて終わりではない。
前に駆け出した二人は交差して左右を入れ替え、再びリュムに接近する。
彼女とて、2対1の状況が劣勢であることは認識している。
この戦いにおいて大切なのは、相手に連携させないこと。
「まずは邪魔したあんたを潰すッ!」
ブレードオーガを狙い、角から雷が放たれる。
ブレードオーガはガーディアンに比べ、結界の強度が落ちる分だけ耐久性が劣る。
ガーディアンですら“辛うじて”耐えられた電撃。
まともに喰らえば、ブレードオーガ相手ならばミラーコーティングも突破できるだろうとの算段だ。
「そんなもんじゃエリスの結界は抜けねえんだよ!」
フィーネは足を止めず、迫る雷に向かって、両手で握った剣を振り上げる。
土を巻き上げながら放たれた斬撃は、相手の攻撃を真っ二つに切り裂いた。
「剣が結界を纏ってる!?」
先ほどガーディアンとすれ違った瞬間、拳のスティグマを利用し、剣に術式を刻印したのである。
使い捨ての術式だが、相手の意表を突くのに十分すぎる効果があった。
「来るなっ、来るなあぁっ!」
慌てて二撃目を飛ばすリュム。
焦りゆえの雑な攻撃は、戦いのプロフェッショナルであるフィーネを捉えることはできない。
今度は軽く飛んでかわされ、さらに距離が詰まる。
そしてリュムがブレードオーガに気を取られているうちに、ガーディアンはさらに近くまで迫っていた。
(ガーディアンがもうこんな距離に!? 結晶砲が消えて身軽になってるんだッ!)
彼女の計算はさらに狂う。
「今度こそ貫く――」
白の巨人が拳を繰り出す。
リュムは慌ててガーディアンに向け雷撃を発射、同時に飛んで後退。
空振る拳を見て安堵したのもつかの間、
「よそ見してんじゃねえぞ!」
すぐさま空中の彼女めがけて、ブレードオーガが刃をぶん投げる。
「そんなものでぇっ!」
回転しながら迫る紅纏鬼は角で弾かれた。
だが、フィーネが放ったのはただの投擲ではない。
“技”として確立された、れっきとした剣鬼術式の一つ。
(ぐぅっ、見た目より……重い……ッ!)
リュム自身も強い衝撃を受け、視界が揺らぐ。
着地に支障をきたすほどではないが、空中でわずかにバランスが崩れる。
その間にガーディアンは、弾かれ自分の方に飛んできた紅纏鬼の柄を握り、リュムが着地するであろう場所をめがけて駆ける。
(素人が剣なんて持ったところで――ッ!)
そう、本来なら大した脅威ではない。
むしろフィーネが剣を手放したことを喜ぶところだ。
しかし、リュムがそう考えていることを目つきで悟ったのか、エリスは操縦席でこうつぶやく。
「剣術は王の嗜み。最低限は身につけている」
しかも彼女のコーチは最強の剣鬼だ。
エリスの語る“最低限”の尺度は、世間一般で言うそれとは全く異なる。
「喰らえ、破綻結界の斬撃を」
足りぬ威力は、己の結界技術で補う。
光を纏った横薙ぎの一閃は、着地直後のリュムの胴体を電磁シールドごと深く傷つけた。
「ぐうぅっ、こいつ……ッ!」
「あたしもいるんだよなぁ!」
「剣士が素手でッ!?」
よろめくリュムのこめかみに、紅の拳が突き刺さる。
ぐらつく獣の巨体。
これで決着が付かない時点でリュムのタフさは相当なものだが、なおも二人の連撃は止まらない。
ガーディアンは手にした剣を放り投げ、ダメージによりシールドが弱まった相手に拳を叩き込む。
ブレードオーガは投げられた剣を握ると、その流れのまま切り下ろす。
(こいつらは……)
被害を最小限にしようと後ずさるリュム。
それを読んでいたガーディアンが再び殴りつけ、すかさずブレードオーガが斬りつける。
(こいつらはっ!)
リュムは再度後ろに大きく飛んで距離を取る。
それをわかっていたように、ガーディアンは拳で地面を叩いた。
大地に術式が刻まれる。
ブレードオーガがその上に立つ。
「私たちから」
「逃げられると思うなよぉおおお!」
魔術発動――せり出す結界の勢いを利用し、紅の剣鬼が逃げる相手を強襲する。
(連携どころじゃない。二人にしたら、いけないやつだっ!)
時既に遅し。
幼馴染として生まれ、家族を失ったあとも互いに支え合って生き、そして“天上の玉座”に所属してからもペアで動いてきたのだ。
無論、ペリアがいて初めて最強の状態ではあるが――圧倒的力による暴力以外の戦い方を知らぬ108歳の少女が、太刀打ちできる相手ではない。




