053 疑惑の果てはまだ見えません
ランスローは宣言通り、翌日の夕方ごろには術式図を提出した。
彼の仕事はそこまでだ。
もっとも、彼自身も潮時だとわかっているらしく、きっぱり身を引いたのだが。
屋敷に集まったペリアとエリス、そして上級魔術師三人は、テーブルに置かれた術式図を取り囲むように座る。
一方で、あまり魔術そのものに詳しくないフィーネとラグネルは、部屋の隅に立ちその様子を眺めていた。
「道具も場所も研究所より遥かにショボいってのに、相変わらずいい仕事するわね」
細かく丁寧に、かつわかりやすく書かれた術式を見て、ラティナは感心する。
上級魔術師相手に細かなコメントを残すなどという気遣いは不要なのだが、そこでも手を抜いていない。
「ぱっと見た限りでは、怪しい部分は無さそうです」
ペルレスは小さな体で椅子の上に立ち、図面を覗き込む。
「ほ、本当にランスローが裏切ってるとは……か、限らない、からね……」
「私たちに渡すのは図面だけです。これだけで私たちに危害を加えるのはかなり難しいです」
「ペリア、ランスローと話してるとき、怪しい言動は無かった?」
エリスに尋ねられ、隣に座るペリアは頭を捻って答える。
「怪しいと言える部分は特に無かった……けど」
「細かいことでも聞かせてほしい」
「ただの考えすぎなのかも。でも、ランスロー様はゴーレムちゃんがミスリルで出来ていることを重要視してる気がしたんだ」
「材質ですか。強度面での問題です?」
「加工の難しさに懸念を抱いてる様子でしたけど……」
「術式そのものに問題は見えてこない。となると、考えるより実際に作って試すのが早いわ。ファクトリーならすぐ作れるでしょう?」
「はいラティナ様、私は問題ありません」
「な、なら、外に移動、するのかな……?」
「その前に情報共有だけ終わらせておきましょう。小型コアの検査はどうだったの、レス」
「あ、そっか。う、うん、わかった」
「検査なんてしたの?」
エリスはラティナに尋ねる。
するとレスが懐から、先端に針のようなものが取り付けられた箱状の道具を取り出し説明する。
「こ、これをぶすっと刺すと、体内の異物や魔力の流れが見える」
「それで小型コアの居場所を探ろうってことか」
窓辺に立つフィーネが言った。
彼女はさらに言葉を続ける。
「でもよ、ヴェインの体内から取り出したコアのおかげで、レーダーでも検知できるようになったって聞いたぞ。ランスロー、あるいはあいつが連れてきた魔術師たちの体内にコアがあるってんなら、それでわかるんじゃねえのか?」
「フィーネ、それぐらいは相手も承知の上よ。私なら魔力波長を読み取られないように、隠蔽処理を施してから送り込むわ」
「で、でも、どんなに隠そうとしても、さ、さすがに体内に針を刺されたら……隠しきれないと思って」
「それでレスが検査して回ったのか。子供たちの世話もあるだろうに、大変だなあんたも」
「そ、それほどでも……」
「フィーネ、あんたレスにだけやけに優しいわね」
「逆だ逆、お前にだけ厳しいんだよ」
そう言って睨みつけるフィーネだったが、ラティナはすっとぼけた様子で彼女から目をそらした。
フィーネは思わず前かがみになって拳を握るが、ぐっと感情を飲み込む。
「でも……ランスローにも、付いてきた魔術師たちにも、コアが埋められた形跡は、な、なかった」
レスの発言が、話の流れを正常な方向へと戻す。
わざわざ魔術師たちをマニングに送り込んできたのだ。
これが罠ならば、必ず彼らに何らかの仕掛けが施してあるはず――ラティナはそう考えたわけだ。
「これは見つけるまでに骨が折れそうね」
「見つからない可能性もありますよね」
ペリアの言葉に、わずかに目を伏せるラティナ。
そうであってほしい。
しかし、この不自然なタイミングで、敵も上級魔術師を逃がすという大きなミスを犯すだろうか。
どうしてもラティナは、ランスローを完全に信用することができないでいる。
そしてそれは、この場にいる他の者たちも同様であった。
◇◇◇
その後、ペリアたちは外に移動して、実際にミスリルに術式を加工し実験した。
しかし大方の予想通り、不自然な場所は見つからない。
ランスローが語った通り、ゴーレムの機動性を大幅に向上させる魔術――それが刻まれているだけだった。
◇◇◇
それから二日後。
青空の下、ラティナは草むらに置かれたゴーレムの前に立ち、頭を抱えて唸っていた。
「そろそろ休んだら?」
「ラグネル……でももう少し、もう少しで何かが出てきそうなのよ……うぬぬ……!」
「ラティナはがんばり屋さんね、そういうとこも好きよ」
「ラグネルにそう言ってもらえるとやる気百倍だわ!」
彼女の様子を眺めるラグネルは、帽子を被って日陰で休んでいる。
魔術の話題になると置いてけぼりにされがちなラグネルだが、それでも真剣に研究を向かうラティナを見ているのは好きだった。
うまくいって子供のように喜んでいる姿も、あるいは今のように答えが見つからず悩んでいる姿も。
「どう見ても怪しい部分は無いのよねぇ、でもそれが怪しすぎるわ。私の勘が告げてるのよ、見過ごしたら大変なことになるって」
「ある意味で信頼してるのね、彼のこと」
「ええそうよ、伊達に上級魔術師のリーダーはやってないもの」
ラティナは、これはランスローからの挑戦状だと思っていた。
彼とて、こちらに複数人の一流の魔術師がいることは承知している。
その上で、“術式”という真正面からの勝負を仕掛けてきたのだ。
かなりの賭けである。
全身全霊で相手しなければ、たとえ複数人いたとしても負けるのはラティナのほうだ。
すると、近くの道にフィーネが通りかかる。
「お、一人でやってんのか……ってラグネルもいるんだな」
ふいに、彼女は足を止めて声をかけた。
軽く会釈するラグネル。
一方、振り返ったラティナは露骨に嫌そうな顔をした。
「うわ出た野蛮怪力大剣女」
「あんだとてめえ、やんのかコラ!」
その筋の人にしか出せない発音で凄むフィーネ。
「そういう野蛮なところが苦手なのよね」
「こっちのセリフだっつうの! ったく、あたしも手伝おうと思って来たってのに」
「あんたにできることなんて無いわよ。魔術は専門外なんでしょう?」
フィーネも剣鬼術式と呼ばれる魔術を使いはするが、それはラティナたちが使う魔術とは似て非なるものだ。
魔力を用いた剣術、とでも呼ぶべきか。
体内に存在する不可視のエネルギーである魔力。
それを具現化するまでのプロセスが、論理によるものか、あるいは感覚や技術によるものか。
そこに大きな違いがある。
「だからこそだ。ランスローだって魔術師に図面を見られることはわかってたはずだろ。だとしたら、使うのは魔術外にある知識なんじゃねえのか」
ゆえに、フィーネとラティナの“見えているもの”も大きく異なる。
二日も考えて何も見えてこなかったのだ。
違う視点から物事を見ることができる視点の存在――その重要性はラティナも承知している。
「……意外と頭良さそうなこと言うのね」
「意外は余計だ」
「で、何が気になるっていうのよ」
「空気の圧縮でふと思い出してな。ちょっとこれを見てみろ」
そう言ってフィーネは剣を抜くと、遠くにある岩のほうに振り下ろした。
もちろん、刃はまったく届いていない。
しかし岩は真っ二つに両断された。
「ふーん、それが空気の圧縮による現象だっていうの?」
「正確には、刃の曲面を利用して真空を作り出してるんだがな。この形状と、装甲に刻まれた術式のくぼみが似てるんだよ」
「術式に?」
訝しむラティナ。
彼女はゴーレムの横に置かれた、脚部装甲のスペアに歩み寄ると、ミスリル装甲に刻まれた術式に指で触れた。
確かに、刃の曲面を思わせる傾きが一部に存在する。
それはランスローの設計図に記された通りに刻まれたものだ。
彼女は頭ごなしに否定はせずに、フィーネの次の言葉を待った。
「空気を圧縮する……つまり一点に集めようとすれば、空気の流れが発生する。その流れが特定の曲面に沿って動けば、真空状態が発生することがあるんだ。結果として生じた刃が、周囲の物体を斬りつける。さっきのは、それをさらに応用して遠くに飛ばしたけどな」
それこそ、軽く剣を振るっただけで岩を破壊できるほどの威力である。
もっとも、その程度の風で傷がつくミスリルではないが――人間ぐらいならバター同然に引き裂ける。
ラティナはペリアが真っ二つに両断される幻視を想像し、わずかに眉をひそめた。




