038 今日はおやすみです!
その夜、家に戻るなり、ペリアはソファに飛び込んだ。
「終わったぁーっ!」
ぼふんっ、と顔面から柔らかな布に沈み、しばらく動かなくなる。
するとフィーネが彼女の尻の上に座り、跳ねるように上下する。
「あうっ、あうっ、あうっ」
「お疲れだな、ペリア」
「おーもーいーぞー」
「私も便乗」
その隣――太ももあたりに座るエリス。
「ふーたーりーはーむーりー」
潰れたカエルのように、かすれ声でうめくペリア。
我ながら子供のようなじゃれ合いに、思わず三人は苦笑いした。
フィーネとエリスは立ち上がると、それぞれ別の椅子に腰掛ける。
ペリアも体を起こすものの、その顔には疲れがにじみ出ていた。
「んもー、二人とも結構重いんだからね?」
「大丈夫、ペリアなら背負える。私たちの人生だって」
「そういう意味の重さじゃないよ?」
「それにしても、今日は大成功だったな。鉱山のみんな、ペリアに感謝しまくってたぞ」
「んふふー、私もあそこまでうまくいくとは思ってなかったよ。みんなが協力してくれたおかげだね。ありがとっ」
天真爛漫な笑顔に、フィーネとエリスの表情もほころぶ。
「鉱山のほうもうまく行ったし、明日からはあれを村全体に広げる計画と……あと、ドッペルゲンガー理論のほうを進めないと。かなりフィードバックも減ってきたんだよ」
楽しそうに明日からの予定を立てるペリア。
だがそんな彼女を見つめるエリスは心配そうだ。
「……ペリア」
「ん?」
「明日は休むべき」
「だな」
フィーネもエリスに同意する。
ペリアだけが首をかしげた。
「何で? 私は元気だよっ」
「そうは見えない」
「見るからに疲れてんぞ、お前」
「そんなぁ……体力落ちちゃったのかな。前はこれぐらい平気だったのに」
ぺたぺたと彼女は自分の顔を触る。
もちろんそれだけでわかるはずもないが、フィーネとエリスから見れば、ペリアの疲労は一目瞭然であった。
「前も平気ではなかった。慣れてしまっただけ」
「つうか、研究所での奴隷みたいな扱いから逃げてここにきたんだ。もっとのんびり行こうぜー」
「そっか……この感じ、疲れてるんだね、私。わかった、明日は休む!」
ぐっと両手を握って決意するペリア。
そもそも、ただ休むだけなのだから、そこまで意気込む必要あないのだが――ワーカーホリックな彼女にとっては、それは一大決心なのである。
「そして私も休む」
「あたしも休みだ」
「三人とも休み――つまりはっ!」
「そういうこと」
「ああ、そうなるだろうな」
三人は互いの顔を見てうなずきあうと、声を揃えて言った。
『朝から夜まで家でごろごろする日ッ!』
実に中身のないやり取りだが、自分たちさえ楽しければそれでいいのである。
すると、そこでフィーネが不敵に笑う。
「……いや、違うのかもしれねえ」
「えっ? どういうこと、フィーネちゃん」
「あたしたちはもっと高い次元を目指せるはずだ」
「なるほど、フィーネの言う通りかもしれない。ペリアならわかるはず」
「私ならわかる……? はっ、まさか……!」
ようやくペリアも気づいた。
そう、何も明日から始める必要は無いのだ――
「朝じゃねえ。ごろごろはすでに始まってるんだッッ!!」
フィーネは熱く宣言した。
「つうわけで飯くおうぜ飯ー」
「作るのめんどくさぁーい」
「昼の残りでいい」
「鉱山のおっさんたちがくれた肉があるからそれでよくね?」
『さんせーい』
こうして、彼女たちの怠惰な休日が始まったのであった。
◇◇◇
一方その頃、王都の牢獄には捕らえられたヴェインの姿があった。
牢屋の隅で膝を抱え、爪をかじりながら怨嗟を撒き散らす。
「なぜだ……なぜ僕がこんなことに……いつになったら出られるんだ……!」
相変わらず、己の非を認める様子はなかった。
すると、彼の牢屋に足音が近づいてくる。
ヴェインが顔を上げると、そこには威厳ある存在感を纏う金髪の男が立っていた。
「メトラ王子!」
立ち上がり、鉄格子にしがみつくヴェイン。
彼は声を荒らげた。
「あなたはなぜ僕を裏切ったのですか! なぜ僕がこんな場所に入れられなければならないのですかぁっ!」
メトラは表情一つ変えずに、乾いた感情で言い放つ。
「出なよ、ヴェイン」
「メトラ王子……?」
彼の手には鍵が握られており、牢の扉が開かれた。
「なんだいその顔は。私が、直々に、君を助けにきたんじゃないか。言うべき言葉があるんじゃないのかい」
そう、メトラは彼を見捨ててなどいなかったのだ。
それどころか、自ら牢獄まで足を運び、救いに来てくれたのである。
ヴェインの目に涙が浮かぶ。
彼は崩れ落ち、地面に額を擦り付けるようにうずくまりながら言った。
「ああ……王子、疑ってしまい申し訳ありませんでした。やはり王子だ! 王子しかいない! ありがとうございます、ありがとうございますっ!」
崇拝とも呼ぶべき感情を向けられ、メトラはようやく笑みを浮かべる。
だが口元を歪めたその表情には、邪悪さがにじみ出ていた。
「くくく……だがヴェイン、私はもう王子ではないんだ」
「と、いいますと?」
メトラはヴェインから見えない位置まで移動する。
そこで、何かを蹴飛ばした。
ヴェインの前に、ボールのように転がって来たのは――
「ひっ……こ、これは……アーサー王……!?」
国王の生首である。
戻ってきたメトラは、その髪を無造作に掴んで拾い上げると、一切悪びれずに言い放つ。
「私が殺した」
むしろ、誇らしげですらあった。
さすがにヴェインも戸惑いを隠せない。
「それは……一体どういう……」
「言葉通りだ。平和ボケした無能な王を私が殺した。今日から私がこの国の王になる」
「メトラ王子――」
彼の瞳に浮かぶものは、涙と、困惑。
だがそれは一時的なものだ。
すぐに口角を吊り上げ、そして瞳に淀んだ闇を宿す。
恐怖と信仰が入り混じった、いかにも人間らしい感情であった。
「い、いえメトラ王! あなたは素晴らしいお人ですっ! どこまでもついていきます!」
媚びへつらうように、上ずった声でヴェインは言う。
大根役者ではあるが、メトラの機嫌取りとしては及第点のようだ。
「そう言ってくれると思っていたよ、ヴェインならね」
「王城はどうなっているのです? 他の警備は!」
「見ればわかる」
メトラに案内され、牢獄を出るヴェイン。
彼が王と共に城まで戻ると、そこに漂う血の臭いに気づいた。
(皆殺しだ……まさかメトラ王にここまでの力があろうとは!)
あたりに漂う死の気配。
ヴェインはあまり戦場に出るタイプではないが、そんな彼でもわかるほどに、それは濃密であった。
そして玉座の間に近づいたとき、柱の影から剣を持った兵士が姿を表す。
「王だけではない。みな……みなお前のせいで死んだぁッ! その罪、命をもって償えぇぇえええッ!」
彼は憎しみを胸に、殺意の刃をメトラに向けた。
対するメトラは、軽く手を前にかざし――
「死ね」
一言、そう告げる。
すると手のひらから黒い帯のようなものが放たれ、兵士の胸に侵入。
そのまま心臓を握りつぶした。
「がっ、あ――」
口から血を吐き出しながら、絶命する兵士。
「メトラ王、今の……力は……」
「ふ……」
ヴェインが訪ねても、メトラは不敵に笑むだけだ。
結局、答えを得られぬまま玉座の間に入る。
そしてメトラは、かつて自らが殺した父が専有していた玉座に腰掛け、足を組んだ。
「見ろヴェイン。この玉座、なかなかに座り心地がいいぞ」
血まみれの部屋で、一切の迷いも葛藤もなくそこに座るメトラを見て、ヴェインの恐怖はさらに膨らんでいく。
彼から見たメトラは、もはや自分と同じ人間だとは思えなかった。
「どうした。何を恐れている。私はお前を助けた、その意味がわかるか?」
「それは――」
「お前は選ばれたんだ。新たな王国で、私の手足となる許しを得たのだ。さあ笑え。笑って喜べ」
「っ……」
息を呑むヴェイン。
するとメトラの顔から表情が失せる。
彼は今までとは違う、冷たい声で告げた。
「笑えと言っているんだ」
ヴェインは、心臓を握りつぶされるような痛みを感じた。
魔術を使ったのではない。
精神的な圧迫感、そして圧倒的なカリスマが、触れずして彼を殺そうとしたのである。
もはや従う以外の選択肢はなかった。
たとえ奴隷扱いであろうとも、生きていられるだけで幸せなのだ。
「はっ……ははっ……あははははっ……あはははははははっ!」
声を上げて笑うヴェイン。
「そうだ、笑え! ははははっ! 素晴らしいぞこの開放感! この超越感ッ!」
共にメトラも嗤う。
「ここには今、正しい血のみがある! 正しい考えのみがある! 楽園じゃあないか。天国じゃあないか。この世で唯一、人が生きることを許される場所としてふさわしいとは思わないか!?」
「ははっ……は……唯一……?」
ヴェインが首を傾げると、玉座の影からまた別の笑い声が聞こえてきた。
「ひっひっひ、血の匂いが染み付いた玉座……人の歴史の縮図のようですなあ、陛下」
「だ、誰だっ!」
影から現れたのは、ローブをまとった老婆であった。
「紹介しよう。謀将スリーヴァ、私に力を与えた者にして――ハイメン帝国の参謀だ」
「ハイメン……王よ、その名は……その国は、100年前に滅びたはずです、モンスターによってッ!」
ヴェインの疑問はもっともだ。
彼の言う通り、ハイメン帝国はかつて存在した国であり、今はもう存在しないのだから。
対するメトラはこう答える。
「そう、ゆえに“真なるハイメン帝国”とでも呼ぶべきか。名は同じ、体も同じ、地も血も同じ、しかし異なる国である」
おそらくそこに虚偽はない。
だが理解できるかどうかは別の話だ。
もっとも――メトラも、ヴェインに理解してもらおうとは思っていないようだが。
「100年前、ハイメン帝国は我らに結界の術式とコアを与え、限られた命だけが残ることを許可した」
「それが……100年前の真実……」
「そう。私はそれを素晴らしいことだと思うよ。人は選別されるべきだ。より優れた血のみが残るべきだ。そうだとは思わないか!?」
「……は、はっ。僕もそう思います。血こそが全て。高貴な人間が全てを支配すべきです!」
そこに関して、ヴェインが拒むことはない。
まったく同じことを考えているからだ。
「わかっているじゃあないか。それでいい、それでいいんだ。父は血を拒んだ。平民どもと共に滅ぶことこそが、王国の正しい道だと幼い頃から私に説いてきた。そんなものっ、そんなものぉッ!」
メトラは立ち上がり、腕を振るう。
「クソッタレだ! ゴミだ! 血まみれになって他の家畜と同じように肉塊になるのが正しい形だあぁぁっ! だから私はそれを執行した! 正しさを! この力で!」
たった二人に向けられた、王の演説。
それを直に浴びたヴェインが、感動しないはずがない。
「おお……メトラ王……」
「どうしたヴェイン」
「素晴らしい……このヴェイン、感銘を受けました。あなたこそが真の王にふさわしい!」
「そうだろうそうだろう! やはりお前ならば! お前を生かしておいてよかった、ヴェイン! 都は神聖なる地だ! 何人たりとも! それを汚すことは許されない! つまりィッ!」
「つまり――!?」
「殺さねばならない。平民の分際で、我々の真似事をするペリア・アレークトを」
ペリアこそが、最大の敵。
メトラはそう認識していた。
ペリアさえいなくなれば、もはや彼の王国を邪魔できるものは誰もいないだろう、と。
「王よ……その役目、ぜひ僕にお任せください」
「ふふふっ、いいぞ。任せてやろう。ただし――」
「……ただし?」
「スリーヴァ、例のものをあいつに渡せ」
「ひっひっひっ……」
老婆は不気味に笑いながら、ヴェインに近づく。
そしてその手のひらに、冷たい球体を置いた。
「これは……中で何かが渦巻く球体? いや、10メートル級のコアに似ているのか……?」
「それは、モンスターコアと同等の力を持つもの。人の身でありながら、モンスターと同等の力を得ることができる代物だ」
「おぉ、素晴らしい!」
「ヴェインよ、それこそがお前の高貴な血にふさわしい、高貴なる力だ」
「高貴なる……力……!」
ヴェインの暗い欲望が満たされていく。
由緒ある貴族である自分を虐げ、馬鹿にしてきたペリア。
事実はさておき、彼の中ではそういう認識なのだ。
ゆえに絶対に許してはならない。
いかなる手段を使ってでも、自らの手でペリアを殺すことこそが――自らの血の素晴らしさを証明することに繋がるのだから。
「その力をもって、ペリア・アレークトを殺し、マニングの地を血で染めるのだ!」
「はっ。その命令、必ずや完遂してみせましょう!」
牢屋に閉ざされていたときの、情けない表情とは違う。
漆黒の決意を胸に、ヴェインは新たな戦いへと繰り出すのであった。
◇◇◇
ヴェインが去った後、玉座の間には無数の死体と、メトラ、そしてスリーヴァだけが残った。
メトラは再び玉座に腰掛けると、肘をついて、退屈そうに物思いに耽る。
そんな彼に、スリーヴァは語りかけた。
「ひっひっひ、よろしかったのですかな?」
「何がだ」
「あれを生身の人間に使ったことはありません。どうなることやら」
「ならば今回でデータを取ればよかろう」
ヴェインに渡したコア――それは、テラコッタたちの住んでいた村で遭遇した、あのドッペルゲンガーに使われたのと同じものだ。
少なくとも、無機物にモンスターと同等の力をもたせることができる。
では、それを人間に使えばどうなるのか。
その結果は、ヴェインが示してくれるだろう。
「あの男も高貴な血筋の人間ではなかったのですか? うぇっひっひ」
「くくっ、面白い冗談を言うのだな。あれが本気に聞こえたのか?」
メトラは心底小馬鹿にするように言った。
「高貴な血筋とは王家だけだ。それ以外は平民と同じゴミだな」
「それはそれは、素晴らしい理屈で」
「不満でもあるか?」
「いいえ、人間らしく、醜い、我欲にまみれた素晴らしいお言葉です。墓の下でも念仏代わりに唱えたいぐらいですよ。ひっひっひっひっ」
「……ふん、気味の悪い女だ」
メトラはスリーヴァを信用していない。
だが一方で、スリーヴァのほうも同じ気持ちだろう。
互いに己の欲望を満たすために利用しあう。
彼らの狂気は相乗効果を生み、より多くの人間を巻き込もうとしていた。
 




