023 自己像幻視は独り歩きできない
僕のおじいちゃんは、有名な人形遣いだった。
王国の色んな場所を巡っては、人形劇をたくさんの人に見せてきたらしい。
だからおじいちゃんは滅多に家に戻ってこなかったけど、帰ってきたときに聞く旅の話が好きだった。
けどそれ以上に楽しみだったのは、おじいちゃんの練習風景を見れるところだ。
僕は勝手に、それを『僕たちだけの人形劇』と思い込んで、毎日のように見ていた。
やがて、僕は人形魔術の練習をはじめた。
元々魔術の才能はあるほうだと言われてたから、すぐにある程度は人形を操れるようになった。
けど、おじいちゃんに追いつくのはまだまだだ。
僕の目標は、いつかおじいちゃんと一緒に劇をすること。
それを叶えるには、もっともっと、誰に見せても恥ずかしくないぐらい腕を磨かなきゃ。
そう、思っていたんだけれど――
ある日、おじいちゃんは旅に出なくなった。
一日の大半をベッドの中で過ごし、会話すら少ない。
不治の病に冒されてしまったのだ。
おそらく、そう長くはもたない――母にそう聞かれて、僕は絶望した。
残された少ない時間をおじいちゃんと過ごしたくて、僕は部屋に入り浸った。
すると、おじいちゃんは言った。
『人形劇の時代はもう終わった。子供も減ったし、その少ない子供たちも興味を示さない』
悲しかった。
旅の話はいつだって楽しかったのに、それが都合のいい場所だけ切り取った、僕のためのおとぎ話だと知ってしまったから。
『でもなぁ、おじいちゃんは諦めたくないよ。まだあると思うんだ、人形劇でみんなを笑顔にできる方法が』
そう言っておじいちゃんは、僕に一冊のノートを渡した。
『……こんな形で託すのは本意じゃないが。頼んでもいいかい、テラコッタ』
人形劇を広めるためにはどうしたらいいか。
操者を増やせばいい。
人形劇に新たな楽しみを見出すためにはどうしたらいいか。
観客も参加させればいい。
そんなおじいちゃんの考えが綴られたノートには――『ドッペルゲンガー理論』というタイトルが書かれていた。
その数日後、おじいちゃんは死んだ。
◇◇◇
あれから五年の月日が流れた。
十八歳になった僕は、酒場で働きながら、人形遣いの鍛錬と、理論の研究を続けていた。
「コッタちゃん、こっちに酒もってきてくれ酒ぇ!」
「はーい、すぐに持っていきますね!」
「コッタちゃーん、俺には笑顔ちょーだーい!」
「有料ですけどいいですかー?」
ウェイトレスの仕事も嫌いじゃない。
幼い頃からの知り合いが多かったし、店主さんも優しかったから。
お酒を運んで戻ってくると、僕は一息つく。
そこに店主のおじさんが近づいてきて、
「今日もよく働いてくれるね」
とねぎらいの言葉をかけてくれた。
「コッタちゃんが来てくれてから、うちの店も随分と明るくなったよ。どうかな、もっと時間を増やしてみるっていうのは」
「すいません、僕にはやりたいことがあるので」
「……人形遣い、だっけ」
「はい、おじいちゃんに追いつかないといけませんから」
迷いなく言う僕だけど、おじさんはあまり納得言っていない様子だった。
「なあコッタちゃん。人形遣いなんて時代遅れだよ、仮におじいさんの跡を継げたとして……コッタちゃんに得るものはあるのかい? それより、うちで正式に働いたほうが稼ぎもいいし、マローネだって――」
店主がそういいかけたとき、お客さんが僕を呼んだ。
「コッタちゃーん、注文いいかなー!」
「はーい、すぐにいきまーす! ごめんなさいおじさん、僕いかないとっ」
スカートをひるがえし、僕はお客さんに駆け寄る。
おじさんの心配そうな視線を背中に感じながら。
◇◇◇
店の営業が終わると、僕は暗い帰り道を一人で歩く。
足取りは軽かった。
酒場にいる間にも、研究は頭の中で進んでいる。
部屋に戻ったら試したいことがいくらでもあるのだ。
このモチベーションは、最近聞いたニュースのおかげでもある。
マニングという鉱山村で、巨大な人形がモンスターを打倒したという、にわかには信じがたい話題だ。
僕だって半信半疑だけど、かなり信憑性の高い話らしい。
まさか戦闘用に人形を使うなんて、僕も想定してなかったけど――僕もがんばらなくちゃな、という気持ちになってくる。
思わず駆け出しそうになるが、その気持ちをぐっとおさえ、歩幅広めで歩いていると――
「ねえ、いいですよね?」
「えー……この前も買ってやったばっかだろ?」
「まだほしいんです。それとも私のこと、嫌いになっちゃいました?」
――腕を組んだ二人組の男女とすれ違った。
女性のほうと目が合う。
長いウェーブした金色の髪がふわりと揺れる。
美しくも鋭い瞳が、絶対零度の視線を僕に向けた。
マローネだ。
彼女は僕と同い年で、家も隣同士だった。
いわゆる幼馴染というやつである。
幼い頃はよく一緒に遊んでいたし、おじいちゃんの劇も二人で見ていた。
何年か前までは、僕の夢だって応援してくれていた気がするけど――いつからこうなったのだろう。
「あれぇ、テラコッタじゃないですか」
「マローネ……」
「まだあの酒場で働かせてもらってるんですね。もったいない」
「……」
「ご両親、悲しんでましたよ。いい年して、まともに働かずに、しょうもない夢を見て――」
「……ごめん、僕、急いでるから」
僕は会話を放棄して、その場を立ち去った。
店主のおじさんよりもずっと冷たい視線が、僕の背中に突き刺さる。
ああ、どうして。いつから。何が悪くて、こうなってしまったのだろう。
◇◇◇
「ただいま」
家に戻った僕がそう言っても、誰も返事はしなかった。
部屋に荷物を置いて、離れに向かう。
するとたまたま母と鉢合わせた。
「……ただいま」
「おかえりなさい。遅かったわね」
「いつもと変わらないよ」
「そう? ならいいけど。下らないことやってないで、早く寝るのよ」
そう言って、母は去っていく。
僕は無視をして離れに向かう。
わかっていた。
みんなががっかりしていることぐらい。
幼い頃、僕は神童と呼ばれていた。
魔術の才能が特に秀でていたのだ。
きっと素直に魔術師になっていれば、冒険者になっていれば、普通の職業とは比べ物にならないぐらい稼げていただろう。
だけど僕は、その才能のすべてを人形魔術に注ぎ込んだ。
おじいちゃんと僕の夢を叶えるために。
酒場のおじさんもそう。
母もそう。
父もそう。
そして、マローネだってそう。
みんなみんな、『もったいない』と思っている。
あるいは、おじいちゃんが僕に託した夢を、憎いとまで――
◇◇◇
僕は机に向かい合い、ノートを開いた。
術式、人形の構造、魔糸の形状、細さ、弾性、動き――細かな数値を書き込んでいく。
記録が終わったら、部屋の人形に指先から魔糸を伸ばし、実践。
失敗したら、そのデータを取って再び書き込む。
毎日、空が白むまでそれを続ける。
五年間、一日だって欠かさなかった。
未だ研究は完成していなけれど、着実に進んでいる実感はある。
嗚呼、けれど時の流れは残酷にも、僕自身も大人にしてしまって。
没頭していても、たまに思うのだ。
仮にこの研究が完成したとして――何の意味があるのだろう、と。
果たして、僕がかけた時間の分だけの価値があるのだろうか、と。
「駄目だ。次」
その思考を頭から追い出して、ひたすらに反復作業を続ける。
それを繰り返していると、ふと思うのだ。
人形は僕なのかもしれない、と。
それはいい。
気づけば僕は人形で、意識もなくなっていて、そういう風に振る舞っているだけで。
そうなれば、表面上は僕は僕だけど、もう苦しみを味わうこともない。
僕が人形になれば。
僕が、僕が――
「面倒だなあ、人間って生き物は」
僕は“僕”の声を聞いて、そちらに視線を向けた。
緑の短めの、けれどふわっとボリュームのある髪。
疲れた目。
愛想笑い。
小柄な体型。
そこには、“僕”が立っていた。
「嫌なら辞めればいいのに。ほしければ奪えばいいのに。どうして人は言い訳を繰り返して、回りくどい方法ばかり選ぶんだろう」
僕は笑う。
そういえば、長いことあんなふうに笑っていないことを思い出した。
確かに彼女の言う通り、僕は、自分が笑えない人生を、なぜ無理に続けているんだろう。
「だから、不幸になるのに」
そう言って、“僕”は手のひらに炎を灯した。
その炎はまるで液体のようにどろりと溶けて、床に落ちた。
ボウッ、と燃え上がる。
その幻想的な風景を見て、僕はこれが夢だと思った。
徹夜ぐらい平気なはずなのに、それだけ気づかないうちに摩耗していたんだろうか。
「僕はそうはならないよ」
“僕”は笑う。
「やりたいことをやる。成すべきことを成す。安心して、“僕”。もう苦しむ必要はないんだ」
”僕”は嗤う。
「君はここで死ぬんだから」
炎が、木造の離れを包んでいく。
熱が僕の体を包んで、立ち上る煙が僕の意識を奪って。
最後に瞳に焼き付いたのは、”僕”の笑顔だけ。
いや、違う。
昔、おじいちゃんに聞いたことがある。
『何でドッペルゲンガー操法なのか、って? ドッペルゲンガーってのは、自分そっくりな幻覚のことなんだ。人形をもうひとりの自分のように扱う――そういう意味で付けたんだが、不吉かもしれないなあ』
そうだ、そうやって、少し申し訳無さそうに話していた。
『なにせ、ドッペルゲンガーを見た人間は、死ぬっていわれてるんだから』
確かあれは、おじいちゃんが命を落とす直前のことだった――




