019 よくわかりませんが……少し心が軽くなりました
エリスとペリアが結界の拡大を完了した頃、フィーネはオーガとデリシャスボアの解体作業を手伝っていた。
ペリアたちと一緒にいたいのはやまやまだが、専門分野が違うのである。
「にゃははははっ、ケイトにはこれが金塊の山にしか見えないにゃーっ!」
欲望丸出しのケイトの笑い声を聞きながら、無心でオーガの皮を引き裂くフィーネ。
まあ、ここまで硬い相手と戦うことも滅多に無いので、修行と思えばこれも楽しい。
今のうちに剣の腕を磨いておけば、いつかペリアの役に立てる日が来ると思えば、なお楽しい。
もっと言えば、フィーネが全力で剣を振るって引き裂けない物体というものが、結界内にはほぼ存在しないので、そういう意味でも彼女の心は満たされていた。
三時間ほど作業を続け、休憩に入る。
ペリアたちと一緒に昼食を取るべく、ゴーレムが待機する広場に向かおうとしたフィーネは、ギルドの前でふと足を止めた。
窓ガラスの向こうに、通信端末と向き合う宮廷魔術師三人の姿が見える。
気になった彼女は、寄り道をすることに決めた。
「ですから、先ほど申し上げたとおりです!」
リーダーらしき中年の男性が声を荒らげる。
フィーネは横目で心配そうにその様子を観察する受付嬢に声をかけた。
「何やら騒がしいな」
「フィーネさん! こんにちは、昨日はお世話になりました」
「あんな雑魚魔獣ならいつでもあたしを頼ってくれ。で、ありゃ何なんだ?」
受付嬢は、一度彼らをちらっと見ると、フィーネに耳打ちをした。
「上司からの連絡だそうです」
「向こうから連絡がきたのか?」
「はい、ですが何やら揉めているみたいで……かれこれ10分は話し続けてます」
三人の上司ということは、おそらく通信相手はヴェインだ。
ペリアを連れ出すことに失敗した彼らが怒られているのか。
だがその割には、三人のほうも反抗しているようだが――
フィーネはしばしその場に留まり、彼らの会話に聞き耳を立てた。
◇◇◇
「だから、私は今日にはそちらに到着すると言っているんだ! それを出迎えろ! お前たちにそれ以外やるべきことはないッ!」
『申し訳ありません』
「僕が聞きたいのは謝罪ではなく“はい”の一言だ!」
ヴェインは、マニングに近いマーチのギルドで声を荒らげた。
受付員や冒険者たちは奇異なものを見る視線を向ける。
それもそのはず、ヴェインは上級魔術師しか纏えないローブを堂々と着ているのだ、そんな大物が、こんな場所で何をしているのか――誰だって興味が湧くというものである。
「そもそも、なぜ辞める? この僕の部下という誉れ高い地位にありながら、なぜそのような発想が頭に浮かぶ? それが理解できない!」
『見たからです』
通信機の向こうで、中年の研究者は言った。
「何を!?」
『巨大人形を繰り、何十体ものモンスターと真っ向から戦うペリア・アレークトの姿を』
それは――彼らにとって、かなりショックな出来事だったに違いない。
オーガを一体倒したというだけで、王国が揺らぐような大事件だ。
それを、20体も。
しかもそのほとんどを拳による接近戦で仕留めたというのだ。
遠くから見ているだけでも、足がすくむような恐怖だったというのに――
「チッ……それは事実なのか。だがなあ、ペリアは平民だ! しょせん、あの女はその人形の力を使っているだけに過ぎない。当然、貴族が操ればより優れた戦果を!」
『あの戦いの前では、平民や貴族などという区分は無意味です』
「何だと……!?」
『私は……いえ、私たちは、自分たちがどれだけちっぽけな存在なのかを知りました。あんなものと戦おうだなんて、まずそんな発想自体が浮かばないのです! それを、彼女はあんな近くで――おかしい、イカれている、あれが本当の意味で、宮廷魔術師として選ばれるべき人間だというのならば! 私は、私は――!』
「黙れ、黙れ黙れ黙れえぇっ! ペリアを擁護するどころか、貴族を否定するその物言い、許されるものではないぞ!」
『許されまいがそれが現実なのです、ヴェイン様!』
「ええい、話にならん! お前たちはそこで待機しておけ。今から僕がマニングに向かう。ペリアを連れ戻す。お前たちも一緒に王都に戻ってもらう。処罰を考えるのはそれからだ。いいな!」
『ですがヴェイン様っ!』
「うるさぁぁぁぁいっ!」
ヴェインは殴るようにボタンに拳を叩きつけ、通話を終了した。
その体勢のまま、肩を上下させ呼吸を整える。
すると彼は周囲の視線に気づいたらしく、冒険者たちに向かって吠えた。
「汚らわしい視線を向けるな平民どもがッ! 僕は貴族だぞ、上級魔術師だぞ! ひれ伏すのが常識というものだろうがッ!」
そう叫ぶヴェインを見て、ギルドにいる者たちは『イカれた男だ』『目を合わせちゃいけない』と距離を取る。
しかし、そうもいかない男性が一人いた。
ギルドの事務員は、恐る恐る彼に近づき、肩を叩いた。
「気安く触れるな平民ッ!」
「申し訳ありませんっ! ですが、次の通信がありますので……」
「チッ……」
事務員を睨みつけ、その場から離れようとするヴェイン。
だがすぐに呼び止められた。
「お待ちくださいっ、次の通信もあなた宛てです」
「何だと? どこからだ!」
「王立魔術研究所のランスロー様からです」
相手を聞いて断ろうと思っていたヴェインだが、上級魔術師のリーダー格からの連絡となると、応じるしかなかった。
しぶしぶ端末の前に立ち、ボタンを押す。
「こちらヴェインだ」
『おやヴェイン君、随分と応答が早かったね。30分は待つつもりでいたんだが』
「無駄話はいい、要件だけ伝えてくれ」
『わかった。ではヴェイン君、今すぐに王都に戻ってくるんだ』
ヴェインは、自分で急かしておきながら「はっ」と鼻で笑った。
「無理な相談だ。ペリアを連れ帰るという使命がある」
『失敗したんだろう?』
「部下に連れ戻させる予定だったが、どうやらペリアが帰りたくないと駄々をこねているらしい。ははは、やはり平民というのは度し難い生き物だな
『ヴェイン君、もういいんだ』
「何も良くはない。ペリアには身の程を教えてやらなければ」
『ふぅ……身の程を知るのは君の方だと言っているんだよ』
ランスローは、怒りを感じさせる低い声で言った。
その言葉を聞いた途端、ヴェインは周囲の温度が急に下がったような感覚に陥った。
はじめてだ。
いつもニコニコと笑ってばかりの優男が、ここまで敵意をむき出しにするのは。
彼はさらに言葉を続ける。
『結界の管理区域に残された魔力の波長が、君のものと一致した』
「……は?」
『マニングの結界消失は、君の手によるものだと判明したんだ、ヴェイン・ハーディマルム』
「ま、待て、そんなはずは……!」
確かに王子からよくわからない魔道具を受け取りはした。
それを使えばペリアを殺せるとも言われた。
だが、管理区域になど足を踏み入れていないし、そもそも結界が消えるものだということすら知らなかったのだ。
それを知っていたのはメトラ王子だけで――
(つまり、僕は王子に裏切られたのか……!?)
強い強い絶望が、ヴェインの胸に去来した。
同じ高貴な血を持つものとして、互いに尊重しあい、互いに信頼しあっていたと思っていたのに。
『まさか君がここまで愚かだとは思っていなかった。ペリア君を部下にしたことだってそうだ』
「なぜそこであの女が出てくる!」
『彼女は平民であるにもかかわらず、宮廷魔術師になれた。それはなぜだかわかるかい?』
「平民のガス抜きだろう! 今の腑抜けた王族が考えそうなことだ」
『違う。当然、王の許可は出たけれど――彼女はそれだけ優秀だったんだよ。上級魔術師に名を連ねる未来が確定しているほどに』
「なるほど、だから僕という優れた魔術師の下に――」
『ペリア君なら、君の研究室のレベルを引き上げてくれるだろうと期待していた』
真実は――ヴェインが考えていたのと、まったく逆だった。
冷や汗がこめかみを伝う。
ショックのあまり、反論の言葉すら浮かばず、彼は小刻みに浅い呼吸を繰り返す。
『ハーディマルム家は、王族に次いで大きな力を持つ貴族だ。だから君は上級魔術師になれた。実力が伴わないまま、十二という限られた椅子の一つを専有した』
「は……はは……ランスロー、冗談でもそんなことは……」
『もっと正直に言うとね、ペリア君を見ることで、君に実力不足を自覚してほしかったんだよ。あらゆる属性を操り、なおかつ人形魔術を人間を対象にするまで極めた彼女を見てね。何ならペリア君に席を譲って身を引いてほしいぐらいだった。けれど君の愚かさは……想像を遥かに超えていた』
「……っ、ランスロー、黙れ! それ以上僕を侮辱することは許されない!」
『すでに迎えが到着しているはずだ。王都に戻るんだ、ヴェイン君』
ローブを纏った宮廷魔術師が二人、ギルドの扉をくぐった。
彼らは早足でヴェインに接近すると、その両脇を掴んで引きずろうとした。
「誰だお前たちは……さわるなっ! 離せぇっ! ふっ、ふざけるなあぁっ! 僕は上級魔術師だぞ!? ハーディマルム家だぞぉっ!? 焼き尽くされたいのかああぁぁっ!」
ヴェインの体から炎が発せられ、あたりを焼き尽くす。
しかしその紅色は一瞬で幻のように消えた。
二人の魔術師は、上昇した温度を強引に魔力で押さえつけて無へ還したのだ。
無論、彼らは上級魔術師ではない。
ただの宮廷魔術師である。
ヴェインの表情が絶望に歪む。
彼とてわかっていた、実力が他の上級魔術師たちには及ばないと。
それでも、ハーディマルムの名があれば、血があれば、十分に補える――なぜなら血筋は何よりも尊重されるべきものだから。
貴族として当然の価値観だ。
共有する者は多い。
王子だって同意してくれていた。
なのに――
「なぜだぁっ! なぜこうなる! 平民は人であって人ではないっ! 人間は貴族の血を引くことで、初めて人足り得るのだッ! なぜそれがわからなあぁぁぁいっ! ランスロォォォオオッ!」
貴族のみが王都に入ることを許される。
王都は人類にとって最後の地だ。
やがて人はモンスターに滅ぼされる。
だが貴族だけが王都という方舟に残り、生き残ることを許される。
それが確定した未来ではなかったのか。
そう、それは決してヴェインだけが持つ思想ではない。
少なくない貴族がそう考え、狭い土地で食料を自給自足するための、プラント研究にも投資していた。
しかし、彼らの未来予想図は、すでに崩壊を始めていたのである。
ペリアの――ゴーレムという、モンスターに対抗しうる手段が生まれたことで。
そして皮肉にも、そのトリガーを引いたのは、他でもないヴェイン自身なのである。
「嘘だ……嘘だぁっ! 僕はっ、僕はハーディマルムの長男でぇっ! 高貴な血筋でえぇっ! こんなこと許されるはずがない! お父様はなんと言っている! 王子は! 国王はぁっ! 答えろぉ! クソッ、離せっ! 離せぇっ! 離してくれえぇぇぇぇぇえええっ!」
ヴェインの叫び声が虚しく響く。
彼は魔術によって拘束されると、馬車の荷台に投げ込まれた。
やがて口も塞がれたのか、声も聞こえなくなり――二頭の馬は、王都に続く道を走り出した。
◇◇◇
マニングのギルドにて、三人の宮廷魔術師は通話を終えると、しばしその場に立ち尽くした。
「言っちゃいましたね」
「後悔はないよ。君たちもよかったねえ、若いうちに過ちに気づけて」
「でも室長は……」
「ははっ、どうにか就職先を探してみるよ。これでも経歴だけは立派なんだ」
中年の男性は自虐めいてそう言うと、二人を率いてギルドを出ていった。
フィーネは彼らの行く先を目で追う。
このまま消えるというのなら、もう手を出す必要はない。
だが――ギルドから出たところで、彼らは偶然にも、ペリアとエリスに鉢合わせてしまった。
「あ……」
「……ペリア君」
ペリアは驚き、魔術師たちは気まずそうな表情を見せた。
フィーネとエリスが殺気立つ。
すると中年の魔術師は、真っ先に頭を下げた。
続いて、残りの二人もペリアに詫びる。
「申し訳ない!」
「へ? え、あの……え?」
ペリアは急な出来事に困惑し、エリスと彼らを交互に見た。
だがエリスも困り顔である。
フィーネと違って、どういう心変わりがあったのか知らないからだ。
「その、ここで謝っても、二年分には全然足りねえけど……すげえ、悪いことをしたと思ってる」
「あー……はい」
「もう関わらないから。嫌な思いはさせないから!」
「宮廷魔術師もやめるつもりだ」
「ええぇっ! そうなんですか!?」
「そこまでのことをやってしまったんだよ、私たちは」
そう語りかける男の顔を見て――ペリアは思う。
(はじめて見る顔だ)
きっとそれは、彼が初めて、ペリアに“平民”というフィルターをかけずに向けた表情なのだろう。
他の二人の同様に。
そして、だからこそわかってしまう。
(そっか、今までは……やっぱり、悪意があったんだ……)
素を知ったからこそ、以前の邪悪さがわかる。
厳しく接していたのは、ペリアのことを想っていたからではない。
この国を、人々を救おうとして働いていたわけでもない。
ただただ、宮廷魔術師という地位に立ち、甘い蜜を吸うために――
だがしかし、嘆くことではない。
経緯はわからないが、彼らはそれを恥じた。
そして遠路はるばる、マニングまで来てペリアに謝罪してくれたのだ。
実際は、ペリアを連れ戻すためにここに来たのだが、彼女はそれを知らない。
「伝えたいことは、それだけだ。では、私たちは失礼する」
そう言って、魔術師たちは背を向けた。
長居してもペリアに嫌な想いをさせるだけという自覚があるのだろう。
離れてゆく彼らの背中を、ペリアはどこかぽやっとした顔で見送る。
「……エリスちゃん」
「ん?」
「あの人たち、何があったんだろうね……って、エリスちゃんに言ってもわからないか」
ついエリスに聞いてしまい、はにかみ恥じらうペリア。
エリスはそんな彼女がかわいくて――ではなく、全てを察した上で優しい声色で告げた。
「きっと、ペリアの魅力に気づいて、己の過ちに気づいたんだと思う」
「それは違うと思うな」
「ふふふ、そうかなあ」
彼女はそう言って穏やかに微笑む。
解せないペリアが「うーん、うーん」と唸っていると、
「よおエリス、ペリア。ちょうどよかった。飯行こうぜ飯!」
フィーネも上機嫌に合流した。
「あっ、フィーネちゃん! ギルドにいたんだ。お仕事お疲れ様っ」
「その言葉が聞けただけで働いた甲斐があったってもんだ!」
彼女も全てを知っている。
だが、伝える必要はないと感じていた。
裏で行われた、棘だらけのやり取りは知らないままでいい。
そのままで――都合のいい優しい結末が、真実になるのなら。
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