016 デリシャスでした!
ペリアはすぐに宿まで運ばれ、治療を受けた。
意識は混濁しており、酸欠状態。
肌が露出した部分は軽度、手足には重度の火傷。
脱水症状まで起こしている。
回復魔術だけでは全てを癒やすことは難しかった。
エリスとフィーネはつきっきりで治療を行った。
二人とて体力は消耗しているのだが、ペリアに関わることならば、多少の疲れなどないも同然。
途中、ペリアがうわ言のように「エリスちゃん……フィーネちゃん……」と名前を呼ぶと、二人のやる気はさらに燃え上がった。
そして一時間ほどかけて治療は完了する。
終わった途端に緊張の糸が切れ、二人にどっと疲労が押し寄せてきた。
そのまま彼女たちは、ペリアの手を握ったまま眠りに落ちる。
様子を見守っていた村人は、その背中にブランケットをかけ退室した。
静かになった部屋に流れる音は、三人の寝息だけだった。
◇◇◇
「陛下、お呼びでしょうか」
玉座の間に呼び出された王子メトラ。
彼は父であり、国王であるアーサーの前にひざまずいた。
「おお、メトラよ、来てくれたか。お前を呼んだのは他でもない」
「マニングの結界消失に関する件ですね」
「知っておったか」
「部下より報せを受けました。マニングは一度、モンスターの襲撃を受けて切り捨てが決定した地域。結界の不具合でしょうが」
「それがなあ、管理区域に侵入者の形跡が残っていた」
「何と、王族以外は立ち入ってはならない聖域に!?」
メトラは思わず立ち上がり、大げさに驚いて見せた。
アーサーは玉座に腰掛けたまま、困った様子で顎を撫でる。
「うむ、解錠術式を解読できるものは王族以外におらぬ」
「上級魔術師ならば、あるいは」
「彼らの中に裏切り者がいるとでも?」
「陛下はご存知ですか、結界の消失したマニングがその後、どうなったのか」
「いや、まだそこまでは報告を受けていないが」
「まだ確定しておりませんが……モンスターを退けたあと、新たな結界が張られたとの情報が入ってきております」
「何、新たな結界だと!?」
これにはアーサーも驚きを隠せなかった。
王国の各エリアをドーム状に包む結界の存在は、いわば王族の権威そのものである。
それがモンスターから身を守る唯一の手段だからこそ、王族は絶対的存在であり続けられたのだ。
「結界術式もまた、王族のみが識ることが許される領域。それがあの場に展開されたということは――」
「結界消失もそのものの手によるものだと?」
「つまり、王族の権威を貶めるための自作自演です」
「考えすぎではないか」
「ペリア・アレークトは研究所から追放された身。半壊状態の天上の玉座も、その焦りから次の手柄を欲しがっていることは間違いありません」
「追放? ヴェインがマニングに向かわせていたと聞いたが」
メトラは半笑いで、呆れたようにその疑問に答える。
「それはただの言い訳です。実際は、ペリアに難癖を付けた挙げ句に追い出したのですよ」
「なんと愚かな……ではあの巨大な人形は?」
「彼女が趣味で、個人で作ったものでしょう」
「そんなものでモンスターを撃破したというのか!?」
「だからこそ、危険なのです。彼女はたった一人でこの国をひっくり返すだけの力を持っている! 一刻も早く対処すべきです!」
「うむ……」
熱弁するメトラとは対象的に、アーサーはあまり乗り気ではない様子で腕を組んだ。
そんな父の表情に、眉をひそめるメトラ。
「陛下、よもや放置するつもりでは」
「そのようなつもりはない。だが、必要なのは対処ではなく、交渉ではないかと思ってな。彼女はマニングを守るために戦ったのではないのか?」
「それでは甘いのです、お父様ッ! あなたがそのような弱腰では、この王都はどうなるのです。優れた血を引く貴族たちは! 彼らの地位を守るのが王の役目ではないのですか!」
彼は“父親”に向かって感情的に呼びかける。
しかし父は変わらなかった。
「……メトラよ。もう良いではないか」
「お父様?」
「100年だ。人類は逃げ場のない閉塞感の中で、数を減らしながらそれだけの月日を生きてきた。そして未来に待つものは人類の終焉だけ。そこに風穴が開くかもしれぬというのだ――」
優しく、諭すように語る彼に、メトラは冷たく言い放った。
「お願いです、お父様――私を失望させないでいただけませんか」
「メトラ……これ以上、身勝手なエゴのために、人類を犠牲にはしてはならぬ」
「……どうやら、これ以上言葉を交わしても無駄なようです。失礼いたします」
メトラはアーサーと目も合わせず、玉座の間を出ていく。
父は息子の背中を心配そうに見送った。
部屋から出て、大きな扉を兵士が閉じると、メトラは人の居ない廊下の隅まで移動して、大きく息を吐き出す。
「何の意味がある。民が救われ、人類が増えたところで、世界はさらに腐るだけだ。命は選別されなければならない。それこそが、人類にとっての真の救済だというのに……!」
拳を握り呟く彼は、その瞳に野心の炎を宿していた。
◇◇◇
ペリアが目を覚ましたのは、翌日の早朝のことである。
「……んぅ、ふぅ……んーっ……ん?」
体を思い切り伸ばそうとしたペリアだが、その手が誰かに握られていることに気づく。
そこにいたのは、ベッドに突っ伏して眠るフィーネとエリスだった。
二人はペリアが起きたことに気づくと、ぱちりと目を開いた。
「おはよ、二人とも」
にへらと笑ってペリアが言うと、二人は何度かまばたきをして彼女を見つめた。
そして、その瞳にじわっと涙が浮かぶ。
最近、二人が泣き顔をよく見てる気がするなぁ――と思いながら、ペリアはぽやっーっと脳天気な表情を浮かべた。
「軽すぎるんだよばかやろぉっ!」
「心配させすぎ!」
フィーネとエリスは同時に吠えた。
死にかけた直後の目覚めとしては、気が抜けすぎである。
「あはは……怒られちゃった。うん、今回ばかりは私もびっくりしたよぉ。モンスターがいきなり喋るんだもん」
「そこかよ! 投げられたところに驚けよ!」
「あれはもう、わけがわかんなくて。意識ほとんど飛んじゃってたし」
「なにはともあれ、ペリアが無事でよかった。本当に、本当に」
エリスは握った手を頬に当て、その体温を感じるようにこすりつけた。
フィーネはその行動を見て、改めて自分が手を握っている事実を思い出したのか、頬を赤らめる。
だが、『握っていたい』という欲求のほうが上回ったらしく、紅潮しながらも手を離そうとはしなかった。
そんな彼女たちの様子に、でれでれと頬が緩むペリア。
しかし彼女は、ふいに思い出す。
「……あ。そうだ、ゴーレムちゃんは!?」
「熱は冷めたようだが、まだ建物の上に乗っかったままだぞ」
「家がクッションがわりになって、損傷は少ないみたい」
「少ないってことは壊れてるんだよね!? 血で汚れちゃってるし、早く修理しないとっ!」
「ばっかお前、それより先に自分の身を案じろ!」
「でもゴーレムちゃんがぁーっ!」
「さすがにそれは行かせない」
フィーネとエリス、二人がかりでベッドに押し倒されるペリア。
さしものペリアでも、彼女たちには勝てず、起き上がりかけた体は、ぼふんと押し戻された。
「うぅ、ゴーレムちゃぁん……」
「でも実際、ペリアが動けないだけで修理もできないのは不便」
「つったって、あんな巨大なもんを弄るには、かなりデカい工房が必要になるぞ? 今のマニングじゃ人数的にも、敷地の広さ的にも無理がある」
「将来の課題ということで。幸い、結界に関しては広げられそうだから」
「あ、結界! まだ維持できてるの?」
「うん、簡易術式だけど、今のままでも数日は問題ない。調整すれば恒久的に展開し続けることも可能」
「さすがエリスちゃん!」
「ふふ……」
ペリアに褒められて、ご満悦なエリス。
「あたしもペリアに褒められるようなことしてみてえなあ」
「なら料理の腕を奮うといい」
「料理? ああ、デリシャスラビットか!」
「ペリアの英気を養うためにも、食事は重要。あまり時間をかけても腐らせるだけだから」
ペリアが寝ているうちに、外はすでに暗くなりはじめていた。
だが、今からでも削いだ肉を焼くぐらいならできるだろう。
「でも、そのためにはペリアを外に出さなきゃなんねえよな」
「大丈夫。窓の外は広い、そこから出してもらえばいい」
「はーい。血液採取ついでに、血抜きは倉庫内で済ませてるから安心してね」
「どうなってんだよペリアの倉庫……」
そもそも、あんなに巨大なモンスターの体をまるまる収めている時点で広さが異常だ。
ペリアはすぐ横の窓にぺとりと手をつけると、倉庫内に収めたデリシャスラビットの死体を外に解き放った。
ずしいんっ、と半分に引き裂かれたモンスターが突如として外に現れ、たまたま通りがかった人が腰を抜かして驚いている。
「生身で見るとでけー」
「迫力満点、ついでに血の匂いも満点」
「騒ぎになる前にとっとと移動させるか」
フィーネは窓から外に出ると、毛皮をむんずと握りしめ、素手でずるずると肉を引きずっていった。
馬鹿にならない重さがあるはずだが、それでも彼女は軽々運ぶ。
「相変わらずすごい力持ちだねー、頼りになるなあ」
「ゴーレムに出番を奪われていたから、フィーネも心なしか生き生きしてる」
フィーネの周りに、早起きな鉱夫たちが集まり始めていた。
交わす会話はここまで聞こえてこないが、おそらく彼女が『今日はご馳走だ』とでも言ったのだろう。
鉱夫たちは『うおぉぉおおっ!』と手を天に突き上げ喜んでいる。
そんな様子を見て、ペリアがつぶやいた。
「まだ食べられるかもわからないのにねー」
それは最も重要な部分である。
あそこまで盛り上がっておいて、実は食べられませんでした、なんてことになったら鉱夫たちがあまりに不憫だ。
「フィーネ、たぶんそのこと忘れてる」
「そ、そうかも……」
「私が伝えてくる」
「お願い!」
エリスも窓からフィーネを追って部屋を出ていく。
二人は言葉を交わすと、フィーネはその場で剣を取り出し、肉を削いで手に握る。
そしてエリスが光でそれを焼くと、フィーネはワイルドに食らいついた。
口いっぱいに肉を頬張り、顔を膨らませながらもっきゅもっきゅと咀嚼するフィーネ。
彼女はごくんと飲み込み、ぐっと親指を立てた。
再び鉱夫たちが『うおおぉおおっ!』と歓喜する。
どうやら、デリシャスラビットは、名前の通りちゃんとデリシャスだったらしい。
◇◇◇
さすがにあれだけの大きさだと、解体と調理にも時間がかかる。
調理された肉がペリアの部屋に届いたのは、ちょうどお昼ごはんのタイミングだった。
再び眠りにつき休んでいたペリアは、その香ばしい匂いで目を覚ました。
皿に盛られた肉――その味付けは塩だけだったが、その名に恥じぬおいしさだ。
鶏肉に近い食感で、歯ごたえはそれなりにある方だが、脂身は少ないわりにジューシーで、噛むと肉汁がじゅわっと溢れ出してくる。
匂いも薄いため、非常に食べやすい。
とても野生動物の肉とは思えないほどだ。
また、肉は噛んでいるうちに少しずつ甘みが出てきて、それがわずかに加えられた塩味と合わさり、絶妙な味わいを生み出している。
戻ってきたフィーネ、エリスと一緒に食事を終えたペリアは、上着をめくりあげてへそを出すと、わずかに膨らんだ腹をぽんぽんと叩いた。
「いやー、食べたねぇ」
「ペリアのお腹、かわいい」
「あはははっ! 撫でられるとくすぐったいよぉ!」
すかさず、すべすべの生肌を味わうエリス。
彼女は無邪気にいたずらをするような表情をしながらも、その目はわずかに血走っているようにも見える。
「ふぅ、こんだけうまいなら根こそぎ狩っちまいたいぐらいだなぁ」
「あ、そうだ。フィーネちゃん、あの体をバラしたんだよね? 生殖しそうな雰囲気はあった?」
「そういや無かったなぁ、体の構造からしてオスだと思ったんだが」
「ウサギが大きくなったモンスターなら、スライムやオーガみたいな魔力から生まれた存在と違って、モンスター同士で交配して増えるんじゃないかと思ったんだけど」
「あれだけ体が大きいと、妊娠の負担は相当なものになる。ウサギはお盛んなので有名だけど、あの図体じゃそうはいかない」
「じゃあどうやって増えてんだ?」
「現状は、生殖によらない方法、としか言いようがないかなあ。お肉がおいしいからって狩ってたら、あっという間にいなくなっちゃうかもね」
「ま、そんときゃそんときだろう。他の肉がうまいモンスターを探せばいい」
「デリシャスバード」
「ふふっ……急に言うのやめろってエリス、思い出すから!」
「でもあの鳥、明らかに特別な感じだった。意外と拳将とやらの仲間だったりして」
エリスの言葉に、フィーネは思い出す。
あの青いオーガが自ら口にしたその名を。
「拳将フルーグ……って言ってたよな」
「へ? そんなこと言ってたの、あのモンスター。喋ってたのは聞いたけど」
「それどころか、あたしが名乗ったら、ペリアとエリスの姓も言い当てやがった。知ってたんだよ、あたしらのことを前から」
「あいにく、心当たりはない」
「私もー、人違いじゃないかな。故郷を滅ぼしたモンスターとは姿が違ってたし」
ペリアたちの村は滅ぼされたが、そこには特別な理由があったわけではない。
三人の両親はごく普通の農民だったし、三人が今の力を手に入れたのは幼い頃から切磋琢磨を続けた成果なのだから。
「それより私は安心しちゃったな」
「どこに安心する要素があったんだよ」
「だって、あれって50メートル級じゃないんだよね? 特別なモンスターなんでしょ?」
「あいつの言葉を信じるなら、そうなる」
「ゴーレムちゃんで思いっきり頭を殴ったのに、全然ダメージが無くて落ち込んでたんだ。計算上は脳をある程度は潰せるはずだったのに。でも相手が普通じゃないなら、もう落ち込む必要はないっ!」
「前向きすぎんだろ……」
「ふふ、ポジティブなのはいいこと」
「とはいえ、次もあいつに負けるわけにはいかないから、ゴーレムちゃんは強化しないとね」
「オーガのコアは外に放置されたまんまだが――全部20メートル級だよな。あれでゴーレムを強化できんのか?」
「ふっふっふーん、私の頭の中には、コアに頼らないゴーレムちゃんの強化案が存在しているのだー! けどその前に、せっかく取ってきたんだし、例の鉱石を調べないとねっ」
「ああ、鉱石のことすっかり忘れてた」
「今日は忙しくなるぞー……あ、いいんだよね、今日は」
「私たちとしては休んでてほしいけど」
「さすがに二日も縛り付けとくのは無理だな」
ゴーレムの可能性や未知の鉱石、そして手に入った大量のコア――それらを使ってやれることはいくらでもある。
ペリアは好奇心に胸を沸き立たせながら、「やったー!」と元気いっぱいにベッドから飛び出す。
そして足を引っ掛け、見事に転んだ。




