第三話
「えっ、じゃあ見学は出来ないんですか」
「はい、申し訳ございません」
「いえ、軍事施設ですし、ガイドさんが謝る事でもないですよ」
一通り、市街地を巡った後は自由行動(と言っても予め申し込みをして許可された所だけ)の筈だったのだが、私が許可を得ていた筈のマンチュリア人民軍から突然、『軍事演習の準備のため』として拒否されてしまった事を彼女が教えてくれた。
「いや、うーんでも困ったなぁ。このまま日本に帰ったら仕事にならないし…」
「仕事?観光で来たのでは」
仕事と聞いて、怪しい人物を見る目で私の事を見始めた彼女に対して、私は慌てて名刺を差し出した。
「アー、観光の人ではなく、雑誌の記者さんでしたか」
「まあ、仕事半分、観光半分ですが」
「でも、雑誌の記者さんなんてすごいです」
「まあ、一般紙じゃなくてミリ系ですけどね」
「ミリケイ?」
首を傾げた彼女に対して私は軍事系雑誌の説明をした。私が記者として働く雑誌では、近年外国に対して門戸を開き始めた、マンチュリア社会主義共和国人民軍の特集を行なう事になっていて、まだ若手の私が抜擢されたことに驚きながらも喜び勇んで引き受けたのだが、この分だと何もできずに終わりそうだった。
「あの、この後、他に予定はありますか、その、良ければお連れしたい場所があるのですが」
「あー、えっといいですよ」
そう彼女に告げられたのが2日ほど前の事、その後、私はホテルで特にする事のないまま缶詰めでいたのだが、彼女が何を言おうとしていたのか分からず、悶々とした日々を過ごしていた。
そんな日々を終えた私は、今日は彼女に連れられて新京郊外のとあるキブツに来ていた。話を聞くとここは彼女の生まれ故郷だそうだ。
何でまた生まれ故郷に?と疑問が無いわけでは無かったが、入ってすぐに彼女が私を連れてきた訳が分かった。
「これは三式砲せ…いや、搭載砲が明らかに違う、つまりこれはチハを基にした…」
「ティーハです」
「はい?」
「チハじゃなくてティーハです」
いきなり戦車とご対面して、興奮状態のまま早口で独り言をしゃべっていた私の言葉を彼女が訂正した。
どうやらこの三式砲戦車に似た車両の名前はティーハと言うようだった。
『おう、帰ったのか。ん?あの男は誰だ』
『もう、お父さん。ちゃんと連絡したでしょ。この人は日本の雑誌の記者でティーハを見せたくて、ここに連れてきたの』
『日本の、そうかそうか』
奥から出てきた男性と彼女が楽しそうに会話をしていたが、生憎と私にはその会話の内容を知る事が出来なかった。彼女たちは恐らくはイデッシュ語と思われる言語で会話していたのだから。
「どうぞ、お上がり下さい」
私は彼女に招かれるまま家に入り、そこであのティーハに纏わる話を聞き始めた。
マンチュリア社会主義共和国として独立した満州地域だったが、別にスターリンは善意でユダヤ人国家を作り上げたわけでは無かった。国家の基盤となる工業設備を全てソビエト本国へと持ち去った上で、ソビエト連邦のみならずその勢力圏全体からかき集めたユダヤ人の棄民場所として活用するつもりだったのだ。大日本帝国の河豚計画より、ドイツ第三帝国のマダガスカル計画の方が実態としては近いといえるだろう。
それでも、当初は特に問題は無かった。特にキブツは全社会主義国の模範として喧伝され、ソビエトや中国と言った周囲の社会主義国家はマンチュリアを『もっとも共産主義国に近い社会主義国』と賛美し、理想の国家と持て囃し、実際に自らの母国でも実践しようとしたほどだった。
しかし、理想の国家にも、やがて現実の波が押し寄せてくる。
50年代末から始まった中ソ対立によって、マンチュリアと中国の国境付近での緊張が俄かに高まり始めたのだった。
マンチュリア側はソビエトに対して兵器供与を要請したが、ソビエト側からの反応は芳しいものではなかった。ソビエトはカリーニングラードと同様の封鎖区域に指定されていた遼東半島とそこに繋がる鉄道路線さえ守り切れればいいのであって、必要以上の装備をマンチュリアに与えた結果、国外のユダヤ人(つまり西側)と結託して反乱などを起こされたらたまったものではなかった。
その為、軍備も必要最小限のものが求められ、旧日本軍や満州国軍の使用していた兵器やソビエト国内で旧式化した兵器が供与されていた。ソビエトとしてはその方針を変えるつもりは無かった。
そこで、マンチュリア人民軍は独自に改造兵器を作る事にした。目をつけられたのは大量に余っていた帝国陸軍の97式中戦車チハだった。
まず、砲塔を取って、代わりに新しい砲を取り付ける事となった。ただしこれにはかなりバリエーションがあったようで帝国陸軍の90式野砲やT-34-76に搭載されたF-34 76㎜戦車砲、戦後に開発されたD-56T 76mm戦車砲など多岐にわたった。
また、信頼性が低く、低出力の三菱製ディーゼルエンジンはソビエト製エンジンに換装された。
これらの改造車両の総称としてチハが訛ったティーハという呼び名で呼ばれる事になった。