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第二話

ちょっと背景解説が長くなり過ぎました。次回はチハが出る…筈です。

バスは新京の中心部を走り、名所を通るたびにガイドが解説をしてくれている。基本的に日本統治時代の建物は残っているのだが、城のような外観の関東軍司令部はスターリンゴシック様式の人民軍司令部に建て替えられており、新京神社もシナゴーグに変わっていた。

わざわざ関東軍司令部を建て替えさせたのはスターリンの指示だったようで、他の満州国の施設が手つかずで残っている中でのこの指示からはスターリンが満州国の真の支配者を関東軍だとみなしていた事がわかるようで面白かった。満州国時代の建物が多く残る中に聳え立つスターリンゴシック式の建物、そしてユダヤ教のシナゴーグはこの国が確かに満州国とは違う国である事を示していた。



1945年9月2日の第二次世界大戦の終結は同時に米ソ間の新たなる戦いの始まりだった。


まず、スターリンはドイツ及びオーストリア占領からのフランスの除外を提案した。

フランスの軍事的貢献度が少ないというのがその理由だったが、社会主義陣営に敵対する資本主義国の占領参加国を少しでも減らそうというのがその狙いだった。


これに対して、イギリスとアメリカは拒否を表明し、そしてもちろんフランスは激怒したが、それを受けたスターリンは『デンマークの同志たちへ』と題した演説を行ない、ソビエト連邦が必要ならばドイツや東欧のみならず北欧までも赤化する準備がある事を仄めかした。

ドイツ第三帝国が最後の拠点を置き、ソ連軍の占領下にあるフレンスブルグはデンマークとの国境の町だったから、後は実行に移すだけだった。


こうして、ドイツ及びオーストリア占領からのフランスの除外が決定され、さらに占領担当地域についてはソビエト連邦が東部ドイツに加えて北ドイツもその占領下に置く事に決まった。

しかし、アメリカもソビエトのそうした動きを黙ってみていたわけでは無く、イギリスと共に自らが占領していたオーストリアの占領担当地域においてクルト-シュシュニックによるオーストリア国政府を設立させ、ソビエトと親しかったカール-レンナーの影響力を東部に限定する事に成功する。

一方、ドイツ及びオーストリア占領から除外されたフランスではフランスの威信を高める為にも植民地に固執するようになる。


もしも、アメリカがミッドウェー海戦に敗北しなければ、ヨーロッパにおけるソビエト連邦の影響力は格段に低いものになっていたはずであり、それどころかソビエト連邦がドイツ占領に加わることも無かったのではないかと言うのがとある歴史家の見解であり、それを基にした仮想戦記も出版されている。


アジアにおいてソビエトはイラン北部にクルド共和国とアゼルバイジャン自治共和国を打ち立てた。

また、朝鮮半島は英米中ソ四か国による分割統治となった、これはアジアにおいては四か国による分割統治という原則を維持する事によって北海道や東北地方をソビエトの統治下におこうとしたものだったが、このような見え透いた考えにヨーロッパで辛酸を舐めさせられたアメリカとイギリスが乗るはずもなく肝心の日本列島に関しては『ソビエトの対日戦における貢献度不足』を理由に樺太全島の占領のみに終わってしまい、日本本土上陸作戦の陽動のために占領されていた千島列島に関してもソビエトへの割譲はなされなかった。まさに完璧な意趣返しだった。

中国では国民党と共産党の内戦が続いていた。この内戦に際して共産党側はソビエトに対して満州の支配権を明け渡す事を要求したが、ソビエトはこれを拒絶した。スターリンはある目的のために満州を活用しようとしていたからだった。


代わりにソビエトからは共産党への膨大な軍事援助が行われた。これに対してアメリカは国民党に対して同じく膨大な軍事援助を行なうと共に1950年には上海攻防戦においてアメリカ人を含む多数の外国人が犠牲になった事を理由に中華地域への介入を開始、かつて対日戦で少数が投入されたダグラスTB2Dスカイパイレートなどのレシプロ機やF-84サンダージェット、F-86セイバーなどが空を舞い、陸ではM26パーシングやM46パットンが共産党軍のT-34-85やIS-2と激戦を繰り広げた。

そのころの満州はといえば世界から忘れ去られていた。満州にあった重工業施設の多くは既にソビエトによって持ち去られており、特に見るべきものは無かったからだ。精々45年ぶりに旅順に拠点を置いたロシア人の様子を見る為にマメに偵察機が飛ばされていたぐらいだった。


満州にはソビエトや占領下にあった東欧諸国とドイツから次々とユダヤ人が送られてきた。彼らはかつて日本人開拓団が耕していた大豆畑などに入植しキブツと呼ばれる共同体を作っていった。

この、キブツは元々パレスチナ地域のユダヤ人入植地に多く見られた社会主義的な共同体だが、パレスチナ地域でのユダヤ人国家建設は、ユダヤ人社会にそうした社会主義的傾向が見られ、またイラン北部には現実に民族自決を掲げたソビエトの傀儡国家が打ち立てられていたことから、中東に対するソビエトの影響力拡大を警戒するイギリス及びアメリカによってユダヤ人はヨルダン王国内で高度な自治を保証されるに留まり、イェルサレムは国際管理とされた。

この決定により中東ではスエズ運河国有化を巡る対立によりエジプトが社会主義化した他は概ね親米政権が続くことになる。そうして、行き場を失ったユダヤ人もまた満州へと移り住んでいった。


こうして、満州地域はユダヤ人国家、マンチュリア社会主義共和国として独立する事になる。



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