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 それから、私はバートさんの恋人になった。

 パンの配達は変わらず続けている。

 違うことと言えば、仕事が終わった後にも魔術書店へ行くようになったこと。

 そして、お店の奥まで入れるようになったこと。

 お店の奥は休憩用のスペースになっているらしくて、お茶を沸かして休めるソファが置かれていた。


「ソニア。お菓子があるけど食べるかい?」

「いただきます」


 ソファに座ると、バートさんがクッキーとお茶を出してくれた。

 そのときお店の扉が開く音がして、バートさんが振り返った。


「お客さんが来たみたいだ。ゆっくりしていて良いからね」


 そう言ってバートさんはお店の方へ戻っていった。

 今日のお客さんは年配の人のようで、多分よく来る常連の人なのか、バートさんと話す声が微かに聞こえてきた。

 バートさんのお店は、お客さんの数はそれほど多くはないけれど、来る人は長くいることが多い。

 この前来たような失礼なお客さんは珍しい方で、よく来るお客さんはむしろバートさんに礼儀正しく、長く話し込んでから帰ることがほとんどだった。

 その間、私はこの休憩スペースで過ごす。

 一人だと暇になってしまうけれど、ここは魔術書店なので置いている本も全て魔術書で、一般の本は一冊もない。

 魔力がない私は魔術書を読んでも意味が分からないものだし、バートさんもお勧めはしないと言っていた。

 お店の方からは、バートさんの穏やかな声が微かに聞こえてくる。

 バートさんの話し方はいつもゆっくりで、とても柔らかい。

 その声の響きは、まるで春の陽だまりのように耳に染み渡る。

 目をつむると、本当に春の柔らかな日差しに包まれているような、穏やかな心地良さを感じた。

 鳥の囀りと。

 暖かな春風の足音と。

 降り注ぐ木漏れ日の煌めき。

 そんな心地良さに包まれているような、不思議な感覚に浸る。


「――ア。――ソニア」


 耳元で名前を呼ばれる声がして、はっとした。


「えっ……私、眠っていましたか……?」

「気持ち良さそうだったから、起こすのが忍びないくらいだったよ」

「ごめんなさい……」


 いつの間にかソファに座ったまま眠っていたらしい。

 そんなに眠っていた覚えはないのに、お客さんの気配はすでになく、天井近くにある小窓の向こうは薄暗くなっているのが見えた。


「多分、そのソファのせいだよ。眠りやすくなっているから」

「確かにとても落ち着く気分になりました。柔らかくて座り心地が良かったからでしょうか?」

「そんなところかな。もう暗くなってしまったから、家まで送っていくよ」


 バートさんは仕事中に着けているシンプルなエプロンを外した。

 魔術書店が閉店した後に、バートさんはいつも私を家まで送ってくれる。

 けど、本当はもう少し一緒にいたい。


「あの……、もう少し一緒にいても良いですか……?」


 勇気を出して言うと、バートさんはエプロンを外す手を止めて、それから眉を下げて笑った。


「君みたいな若いお嬢さんを遅い時間まで連れ出しては、家族に心配をかけてしまうよ」


 バートさんの声は、まるで子どもに言い聞かせるようだった。

 この国の成人年齢は十八歳だから、私も成人しているのだけど、それでもバートさんからみれば子どもなのだろうか。

 恋人なはずなのに少し落ち込んでしまう。

 そう思って俯いていると、上からバートさんの声が降ってきた。


「かわりに、今度一緒に出かけようか?」

「えっ?」

「次の休みの日にどうかな?」

「い、行きたいです!」


 思わぬお誘いに、顔を上げて大きな声で返事をしてしまった。

 バートさんが驚いたような表情をしている。

 けれど、すぐにいつものように穏やかな笑顔を向けてくれた。

 それだけで私の気持ちは一気に浮上して、すごく嬉しくなってしまう。

 家まで送ってもらった後、すぐに自室へ駆け込んで持っている服を全て広げた。

 初めてバートさんと一緒に出かけるので、どれを着て行こうか迷ってしまい、気がつけば眠る時間をとっくに過ぎるほど悩み続けていた。







 バートさんと初めて一緒に出かける当日は、よく晴れて気持ちの良い日だった。

 ちょうど近くでお祭りが開かれるので、そこへ行くことになった。

 仕事中のバートさんは真っ白いシャツにその上からエプロンを着けているけれど、今日はエプロンではなくて茶色の上着を羽織っている。

 私はぎりぎりまで悩んだ結果、少しでも大人っぽく見えるように、落ち着いたグリーンのワンピースを選んだ。

 けど、バートさんは私を見ても特に何も言わなかった。

 一応分かっている。

 バートさんはお喋りではないし、気の利いた台詞を言う性格でもない。

 私も年頃なので何か言って欲しいという気持ちがあったのも本音だけど。


「良い天気で良かったね。けど、少し眩しいくらいだ」

「たまには外に出ないといけませんよ」

「はは、本当にそうだね」


 バートさんは雲一つない青空を見上げて、眩しそうに目を細めた。

 普段はお店の中ばかりにいるので、あまり外に出ないらしい。

 だから私の格好よりも、太陽の眩しさの方が気になるのも仕方がなかった。

 けれど今日は本当によく晴れているので、最近寒い日が続いていた分、外出日和となって良かった。

 暖かな日差しのおかげか、周囲の木々にも芽がつき始めている。

 陽気に誘われたのかお祭りに来ている人も多いようだった。


「見て回ろうか」

「はい」


 私たちも人の流れに乗ってお祭りを見て回ることにした。

 けど、お祭りをやっている広場の中に入った瞬間、バートさんは立ち並ぶお店の中に魔術道具を見つけると、吸い寄せられるように足を止めてしまった。


「これは珍しい魔術道具だなあ……」


 そう言いながら、食い入るように見つめている。

 魔術書を読んでいるときもだけど、バートさんは一度興味を持つと周囲が目に入らなくなる。

 案の定、私のことなんかすっかり忘れてしまったように、目の前の魔術道具を熱心に眺めていた。

 周りのお客さんの顔ぶれが変わるくらい時間が過ぎた頃、ようやくバートさんは私のことを思い出したのか、はっとした様子で振り返った。


「あ、ソニアっ……」


 あまりにも慌てた様子だったから、私は思わず笑ってしまった。

 するとバートさんは不思議そうに目を丸くしていた。


「ソニア? 怒ってないのかい? 君のことを放っておいてしまったのに……」

「バートさんが夢中になると他が見えないことくらい知ってますから」


 バートさんが魔術道具に夢中になっていた間は、確かに一人で暇になってしまったけれど。

 けど、魔術のことになると他が目に入らないくらい真剣なところも、私が好きなバートさんの一つなのだから怒れるわけがない。


「けど、せっかく一緒に出かけているのに、本当にごめん。そうだ、お詫びに何か欲しいものはないかい? 装飾品のお店もあるようだから……」


 バートさんは焦りながら周囲を見回す。

 こんなに話すところも珍しいし、その姿を見ながら私は意を決して口を開いた。


「じゃあ……手を繋いで欲しいです」


 恥ずかしかったけれど勇気を出して言うと、バートさんはまた目を丸くした。

 けれど、顔をくしゃりと笑わせて、私の手を握った。


「それではお詫びにならないよ」


 初めて繋いだバートさんの手は、思っていたよりも大きかった。

 男性の手だ。

 本をめくる長い指先をいつも綺麗だと思っていたけれど、細長いと思っていた印象からは想像もできないくらい力強かった。

 自分から手を繋ぎたいと望んだのに、落ち着かなくなってしまうほどだった。


「何か食べようか。ソニアが好きなものを選んで良いよ」

「本当ですか? じゃあ、向こうに屋台がたくさん出ていたので見に行きましょう」


 バートさんと手を繋いだまま歩き出す。

 まだ緊張して落ち着かなかったけれど、ふと周りを見回すと、恋人同士らしき人たちはみんな手を繋いでいた。

 他の人から見たら、私たちも恋人らしく見えるのだろうか。

 そう思うと少し緊張がほぐれた。


「バートさんは魔術道具も好きなんですか?」

「ああ。魔術書も魔術道具も、力の分だけちゃんと応えてくれるからね」


 私は魔力がないのでその言葉の意味はよく分からなかった。

 でもバートさんは魔力があるのだし、魔術書も魔術道具も好きということは、魔術師のように魔法を使えるのだろうか。


「バートさんも魔法って使えるんですか?」

「使えるよ。見たい?」

「えっ? 見せてくれるんですかっ?」


 思わず反応すると、バートさんが小さく噴き出した。

 自分がはしゃぎ過ぎてしまったことに気づいて恥ずかしくなる。

 けど、魔法を見られる機会なんてめったにないから、やっぱりはしゃいでしまう。


「良いよ。ここでは目立つから、今度ね」

「楽しみにしています」


 魔法には色々あると聞いたことがある。

 バートさんはどんな魔法を使えるのだろう。

 そんな想像をしながら歩いていると、良い香りが漂ってきた。

 屋台で珍しい料理を買って、一緒にベンチに座って食べて、その後は大道芸や楽団の演奏を見て回った。

 そうしている内に時間はあっという間に過ぎて、空の色が徐々に変わってきた。


「あ。ソニア、少し待っていて」

「はい」


 バートさんは急に足を止めると、立ち並ぶお店の一つに消えていった。

 また魔術道具でも見つけたのだろうか。

 そう思って待っていると、予想より早くバートさんは戻ってきた。


「はい。これ、お詫びに」

「え?」

「今日の服装に似合うと思って」


 そう言ってバートさんが出したのは、葉っぱの形をした髪留めだった。

 今日着ているワンピースと同じ色。

 何も言われないから興味なかったとばかり思っていた。


「これ、私にですか……?」

「ああ」

「ありがとうございます。すごく嬉しいです」

「気に入って貰えて良かった」


 バートさんから贈り物なんて初めてで、嬉しくてさっそく髪につけてみた。

 鏡がないので自分からは見えないけれど、バートさんに尋ねると似合っていると笑顔で言って貰えてますます嬉しくなった。

 再び手を繋いでから、オレンジ色に染まる空の下を一緒に帰った。

 今日はお祭りが開かれているので、私が働いているパン屋やバートさんの魔術書店のある通りは普段より人が少なかった。

 けど、バートさんの魔術書店まで近づいたとき、お店の前に人だかりがあるのが見えた。


「バートさん、お店の前に誰かいるみたいですよ」


 お店の前にいる人たちは、街の人という雰囲気ではなくて、仰々しいマントを羽織っていた。

 そのマントには、お城の騎士団と、魔術師団の紋章があった。

 そんな人たちがなぜバートさんのお店の前にいるのだろう。

 そう思っていると、人だかりの内の一人がこちらに気づいて振り返った。


「エセルバート・サンダーズ氏でしょうか?」

「そうですが、うちに何かご用ですか?」


 硬い表情をしているその人たちがバートさんの名前を言ったことに、私の心の中から不安が湧き出た。

 理由は分からないけれど、言葉にはできない不安が内側から音を立てているようだった。

 繋いでいたバートさんの手を思わず握りしめたとき。


「国王陛下よりご命令です。ぜひ貴殿に解読していただきたい魔術書があるので、どうか王城へご同行願います」


 国王陛下と王城という言葉に、私は息が止まりそうになった。

 驚いて隣を見上げると、バートさんは今までに見たことのない厳しい顔つきをしていて、何だかとても遠い存在の人に見えた――。







 それから、魔術書店の扉には臨時休業の看板がかけられたままになった。

 毎日朝と夕方に様子を見に行ったけれど、お店は出入りした気配もなく変わらなかった。


「バートさん……」


 扉のガラス越しに暗いままの店内を見つめながら名前を呼んだ。

 けど返事はない。

 零した溜息でガラスが曇っていく。

 どうして急にお城の人たちが来たのだろう。

 なぜバートさんを連れて行ってしまったのだろうか。

 考えても分からない。

 バートさんは帰ってきてくれるだろうか。

 そんな不安を感じながら、バートさんの魔術書店を見つめた――……。





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