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Scene08 心を盗み見る猫の苦悩

 僕は猫。雄の黒猫。他の生き物の言葉と心が分かる魔法猫。

 産まれた時には何も考えちゃいなかった。兄弟たちと一緒に、母親のおっぱいを巡って互いの頭を踏んづけ合っていた。

 暮らしていたところがそもそも物陰だったし、何より僕らは最初から真っ黒だったから、影について考えなかったのだと思う。

 母親も僕が魔法猫だと気付かなかったようだ。

 僕が他の猫と違うということに気付いたのは、まだ自分で食事を調達できるようになったばかりの頃で、退屈しのぎに他の若い猫たちとじゃれていた時のことだ。

「ニィには何で影がないの?」

 影というものは、光に照らされると持ち主から伸びて、くっ付いて一緒に動くものだ。何のためにあるのかは分からないけれど、どんな生き物でも生き物じゃなくても持っているのが普通だ。でも、魔法猫には影がない。

 影っていうのは、子供の動物が母親から離れた後の最初の遊び相手だ。

 中には、影も生き物だと思っている頭の悪い奴も居るけれど、僕には影が何も話さないし、考えないことが分かっていたから、「それは生き物じゃないよ」って教えてあげたんだ。

「どうして私の考えていることが分かったの!?」

 友達の仔猫たちは尻尾に噛みつかれたみたいに飛びあがった。それから、彼らの僕を見る目が、大きな生き物に迫られている時みたいな色に変わって、聞こえてくる心の色が星の無い夜空のように変わるのがはっきりと分かった。


 僕はそれ以来、自分に影がないことや、他者の心が分かることを隠すことにした。

 なるべく独りで、独りぼっちで居るようにした。考えは声ほどに遠くには届かないことが多いから。強く考えると、遠くまで届くようだったけれど。

 色んな生き物の声が、考えが、嫌でも頭に流れ込んでくるんだ。攻撃しようとしていたり、自分を利用しようとしていたり、本当はそんなこと考えてもいないくせに耳障りの良いことを言ったり。

 でもさ、それが分かれば仲良くなるのも簡単そうに思えるだろ? 僕もそう思うし、実際そうだろう。

 だけど、どうしても僕にはそれができなかった。相手の求めに応じて親切にしてやったり、面倒ごとを避けることはできても、それ以上の付き合いを求めることはできなかった。

 相手の心の色が変わってしまうのがとても怖かったんだ。

 僕は生まれた町から出て、行けるところまでまっすぐ進んだ。そのうちに海にぶち当たって、あの港町に行きついた。

 港町は路地裏はほとんど他の町と変わらない様子だった。喧嘩と警戒の嵐。

 でも、港に近い場所はずいぶんと変わっていた。

 誰も彼ものんびり暮らしていた。頭の中でも大したことを考えていなかったし、食事を確保するのも信じられないくらい楽だった。

 パイプを燻らせながら釣り竿を垂れている人間の横に行ってひと鳴きすれば、新鮮な魚を投げてもらえるし、お腹いっぱいで日向ぼっこしているところに無理やり食べ物を寄越されることもあるくらいだ。

 でも僕は、隠れるところの少ない港には天気の悪い日にしか近寄らなかった。影のことがあったからね。

 天気が良い日は路地裏だ。天気が良いと、路地裏暮らしの連中も太陽の下に出たがるから、よその町の路地裏よりはそれなりに暮らしやすかった。

 逆に天気が悪いと港は風と雨が酷いから、人や動物は引っ込むことが多い。

 あんまり姿を現さないとよそ者として敵意を向けられるし、親切はやり過ぎると相手がそれを当たり前だと思って面倒を押し付けてきたり、引っ付かれたりするから、その辺りの加減を覚えるのが大変だった。

 僕の頭には色んな噂話が集まって来る。ネズミの隠れ家の場所も、頭が破裂しそうなくらいにややこしい人間たちの暮らしぶりも、誰が誰をどう思ってるかとかも全部ね。

 野良の動物と飼われ者の違いとか、普通の動物と魔法猫の違いとかも分かったし、生き物は頭の大きさで考えていることの複雑さが変わることも理解した。

 ネズミは前に説明した通り、ちょっと足りない頭をしているし、虫の考えには言葉じゃなくて色くらいしか存在しない。

 ……ひとつ例外。犬は猫より頭が大きいけど、考えていることは単純だ。

「嬉しい!」「楽しい!」「お腹が空いた!」「怒ったぞ!」こんな調子。気楽すぎて腹が立っちゃうね。港の猫だってもっと脳みそを有効活用しているんだぜ? あれで居て中々詩人ならぬ詩猫が多いんだ。

 それで僕はある日、魚が何を考えているのか知りたくなって海に近づいたことがある。

 海は大きな水の塊だ。ずっと遠くまで続いていて、塩辛くて、深くて、疲れてしまったら沈んで死んでしまう恐ろしい海……。

 それは現在の僕の見解で、身体に対して頭が重たかった頃はそうは考えていなかった。

 大きくて、ゆっくりと波が揺れていて、たくさんの美味しい魚をくれる、とても素敵な場所だと考えていた。

 魚は案の定、何も語らなかったし、虫くらいにしかものを考えていないようだった。港の海に現れる生き物のほとんどがそんな調子だったし、水中だったら影の心配も、食事の心配もしないで済むように思えた。


 まあ、飛び込むよね。


 笑うなよ。あの時の僕にはナイスな考えに思えたんだよ!

 実際はそうじゃなかった。海は塩辛くて顔じゅうが痛くなるし、ずっと泳ぎ続けるのは大変だし、呼吸ができないし、魚には自分よりも大きなものも居るようだったし、尻尾を巻いて逃げることにしたんだ。

 だけれど、どうも様子がおかしい!

 僕は岸のほうへ向かって泳いでいるはずなのに、どんどんと舟やボラードが小さくなっていくじゃないか。あべこべだ。

 地上から見た海は穏やかで平坦に見えたのに、実際に入ってみると常に転がされているようだし、水面は陽に照らされて暖かいのに、もがく足の先は冷たい。何もかもがあべこべ。

「このままだと、海に呑み込まれちゃう!」

 死ぬ、というよりそんな感じだった。僕はなりふり構わず「助けて!」と繰り返し叫んだ。

 猫語で、犬語で。カモメ語もネズミ語も使った。それから、人間語も。


 身体の全部が海の冷たいところまで沈んだ時、急に何かにがっしりと捕まれて、身体が海中から引き揚げられた。

 最初に頭によぎったのは鳥が魚を上手に捕るシーンだ。食べられるのに違いはないけれど、海を相手にするよりはどうにかなる気がした。


「ありゃ、猫じゃないか。確かに子供の声だと思ったのに」


 聞こえてきたのは人間語だ。

 僕はどうやら人間に捕まって、舟の上に来たらしかった。


 ごつごつした岩みたいな身体の、顔や腕じゅうが毛むくじゃらの漁師だ。

 彼はどうやら僕の人間語の救命の訴えを、本物の人間の子供の発したものだと勘違いして助けてくれたようだった。

 彼はしばらくは本当に人間の子供が居ないかと探し続けていたけれど、そのうちに安心色のため息を吐いた。

 それからもう一度僕を掴んで、何だか酸っぱい臭いのする服で僕の濡れた毛皮をごしごしとやった。これはちょっとありがた迷惑。

 舟が岸に戻り、僕は港の地面に乗っけられた。まだ揺れている気がして気分が悪かった。

「もう海に落ちたりするんじゃないぞ」

 漁師は言った。

 僕は野良猫だったけれど、人間や飼い猫の流儀も良く知っていたから、命を助けられたお礼を言うべきだと思った。


「ありがとう」


 もちろん人間語で。


「このいたずら猫めが!!」

 漁師は目をまんまるにして、心を真っ青にしてそう叫んだ。

 僕はあまりの剣幕に驚いて、何度かまた海に落ちそうになりながらも走って逃げた。

 落ち着いてから何度か漁師の様子を窺ったけれど、彼は頭を掻いて聞き間違いだと片づけているようだった。


 その一件で、僕はひとつ新しいことを覚えた。

 人間語を使って人間を驚かせたり、食事をせしめるのに利用したりすることだ。

 もちろん、物陰から姿を見せず、自分が猫だと悟られないようにこっそりとね。

 人間を騙すのは楽しかった。

 それに、良いことをしている気になれたんだ。だって、人間ってたいていは悪辣な考えの持ち主で、嘘ばっかりついているんだぜ。

 神様やらキリスト様やらって言って懺悔とやらをしているくせにさ!

 ……でも、本当のところを言うと嫌いじゃない。

 嘘つきだけど、僕には本心が分かるし、嘘だって使うべきタイミングがあるのだから。

 魔法猫である僕にはできないことだし、ちょっと凄いなとも思う。

 魔法猫はどうも嘘をつくことができない。理由は知らない。無理矢理に嘘を言うことはできなくはないけれど、誰でも分かるくらいバレバレになってしまう。大体は舌を噛んじゃう。

 影がないことと何か関係があるのかな?


 ……ま、ともかく魔法猫で隠し事がしたいときは、最初から疑われないようにするか、ただ黙っているのが賢いって訳だ。


 さて、過去のことはいい。そんな感じに上手くやって来た僕だけれど、ここに来てまた窮地に陥っている。


 僕はウィネバに魔法猫だって見抜かれてしまった。他の生き物の言葉が分かるのが知られたまでは良かった。僕も彼とは友達……親友になれそうだと思った。

 しかし、考えが読めることまで知られてしまったのだ。舌を噛んででも嘘をつけばよかったかもしれない。

 今さら遅いけど。僕には嘘をつく習慣はないんだよ。

――“心を読まれる”。

 それは自分の縄張りや巣穴にずっと他人が出入りしながら暮らしていたのに気付くようなものだ。

 彼の感情の色の変化を受けてはっきりと思い出したのは、あの仔猫の頃の、友達が僕を見る目、それと心。

 ふたたび海に呑み込まれるような気がした。

 僕は逃げ出したくなった。


 だけどウィネバの心と声は、仔猫たちとは全く違う色を示した。

 真っ赤な恥辱と、めちゃくちゃな方向の敵意。

 でも分かるさ。怒るよな。恥ずかしいよな。

 彼が母親をどのくらい尊敬していたのかとか、エマ婆さんをとても愛していたこと。

 未だに港の家に心が引っ張られるから、それから逃げるためにサーカスにくっ付いてきたこと。

 あとは、彼が井の中の蛙というか、家の中の飼い猫状態で、外に出てから散々苦労して、自信家の彼が自分の力不足を認めなきゃいけなかったこととかも、全部筒抜けなんだもの。

 これだけなら僕はサーカスを捨てて去ったに違いない。そのほうがお互いにとってベターだろう?

 だけれど、赤と一緒に僕へと向けられた強烈な落胆が、飼い犬を縛る鎖のように首に絡みついて逃げられなくしたんだ。

 それは、とても悲しい色をしていた。あの色は何色というのだろう。


 ウィネバのほうも、僕やサーカスから離れることはしなかった。

 彼はたびたび「言うことを聞かないとネズミたちを食っちまうぞ」って脅しながら、僕にいろいろなことをやらせた。

 彼自身は本当に食べてしまう気もなかったようだし、僕も普通に頼んでくれても良かったのだけれど、もうそれを言い出すことはできなかった。

 彼が望んだのは『シルク・ドゥ・スクィーク』との仲介。

 彼はずっとずっと怒っているけれど、それでもサーカス団の連中が何を話しているのかが気になるらしく、通訳のためにたびたび僕と口を利いた。

 それから、食事の調達をやらされて、毛づくろいをやらされて、ネズミや犬、猿たちに、『強くて賢いウィネバ様の英雄譚』を語る役目を仰せつかった。それは半分くらいは嘘だったから苦労した。


 ウィネバが変わっていたのは、僕の正体を知ったときの反応だけじゃなかった。

 彼は僕を召使いのように使役しながらも、いつまで経ってもそれを「当たり前だ」とか「楽しい」と思わなかった。

 理由は分からない。だけれど彼は満足もしなければ、飽きもしなかった。

 表面上は僕らは上手くやった。他のメンバーからしたら、単に猫が一匹仲間入りしただけというだけの話だ。

 ウィネバは尻尾の先以外は見てくれが良かったし、その大仰な抑揚をつけた演技は団員や観客ネズミからも受けていた。

 特に面白がられたのは、人間の物まねだった。これは団員のネズミ、特に道化師役のクラウンやオーギュストは感動して、彼に弟子入りしたくらいだ。

 彼はそれなりに楽しそうだった。ただくっ付いて来ていただけの時よりも。だけれど、心の中には常に“怒り”があった。


 一方的で歪なラポール(関係)。それはある点では僕だけの特権で、黙っていれば苦しむのは僕だけで済むものだった。

 だけれど、それにウィネバを仲間入りさせたことで、僕の心は着実に影を得始めて来ていた。


 ……サーカスを離れよう。港町でも、魔女狩りの町でもない、どこか遠くへ。


*** *** ***

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