Scene05 親切な黒猫ニィの苦労
僕にとって、港町というのはずいぶんと退屈なところだった。
魔法を抜きにしたって大して苦労をしなくても食事を手に入れられたし、周りにいる猫のほとんどがやる気のない連中ばかりだったから。
「のんびりやるのが猫の本性だ」って港の連中は言っていたけれど、人間のほうが言うにはこの街の猫が変わっているのであって、飼い猫はちゃんと走り回ってネズミを捕まえて、野良猫は人間が来たらサッと隠れるのが本当のところらしい。
それでも気質ものんびりした奴が多いから、親切をするのは悪くはなかった。
もっとも、退屈しのぎに親切をしてきてやっただけで、本当は僕も根はそれほど親切な奴じゃないと思っている。路地裏のほうの猫や、野良犬に対しては意地悪をすることもあったしね。
だから僕は港と路地裏を行ったり来たりの生活だった。
だけれど、もういい加減今の生活には飽きちゃったから、よそへ行くことにしたんだ。
僕の親切は退屈しのぎのためだと思っていたんだけれど、どうもそうじゃなかったのか、港町を出てからも他の生き物のためにあれこれしている気がする。
やれやれ、港の猫連中の気楽さが羨ましいよ。
僕はネズミのサーカス団にくっ付いて街を出た。
ネズミたちは最初は警戒していたものの、チーズをプレゼントして、それから急に飛び込んできた野良犬を追っ払って、半野良の有名猫ウィネバにネズミを追い回すのを止めさせたら、心から気を許してくれたようだった。
文句を言っていた仮面のネズミも、仮面で隠れた分以上には信用してくれたようだ。
僕は野良猫だけれど、やっぱり自分から頼んで彼らの仲間入りをしたのだから、何かお返しをしなきゃならないと思った。
彼らのためにできる事はたっぷりとあった。
まず、近づいて来る外敵連中を察知して追っ払ったり、素早く逃げるように促したりしてやった。
彼らは「ちゃんと警戒をしている」とは言っていたけれど、やっぱり背が低いのと脳みそが小さいせいか、僕の目には仔猫よりも迂闊で、薄氷を踏みっぱなしに映った。
僕が通りを抜けるときに鼻や耳で物音を調べたり、魔法で人間の進行方向を察知したりしている間に、彼らはちょいと立ち上がって鼻を鳴らすだけで済ませて行ってしまうんだ。
いちおう警戒しているふうを装っているけど、頭じゃ何にも考えていないんだぜ!
港に棲んでるネズミはもうちょっと気をつけていたんだけれどね。
人間のさんざめく広場を歩くときだって、大きな足の間を縫って好き勝手に移動して、目の前に靴が落ちて来てから慌てて逃げる始末だしさ。
見ていてハラハラして仕方がない……というか、何匹かは踏んづけられて死んじゃってた!
僕は広場を抜けた後に、ネズミたちを集めて「お葬式は要るかい」って聞いたら、「また産まれて来るので平気です!」なんて言うし。
僕ら猫も多産だから、人間などと比べればドライなつもりだったけれど、仲間の死を悲しみもしないのは意外だった。
まぬけのネズミが踏み潰されたときは、さすがに僕も彼らと一緒になって笑っちゃったけれど。
これがもっとおかしいのが、危険を招くまぬけのネズミは死んじゃったほうがかえって群れが安全だと思っていたのに、代わりのまぬけのネズミが現れたってこと。
団長は「ネズミの群れはそれぞれ役割があって、チームとして活動しているのです!」と豪語していた。
だからって“まぬけ役”は要らなくない?
それでも、珍しいネズミや芸を覚えたネズミは貴重だって認識しているらしく、彼らは危険の少ない群れの真ん中のほうに位置するように工夫をされていた。
団長だけは逃げ足や警戒に自信があるし、なにより役目だったから先頭を行っていたけれどね。彼は頭立っているだけあって、ネズミの中では賢いほうではある。
だけれど、仲間入りをしたばかりの僕としては、団長が死んで入れ替わりでもしたら追い出されたりするかもしれなかったから、移動中は僕の頭に乗っけることにした。
こうすれば団長は高いところから遠くまで見渡せたし、僕も先頭に居られたし、都合が良かった。
「ニィ! あっちに靴が歩いているよ! そっちの路地に野良犬が行ったよ!」
僕は魔法で他の生き物の言葉や心が分かったから、団長に教えてもらうまでもなかったのだけれど、彼は彼の仕事に一生懸命だったから、好きなようにさせておいた。
このサーカスにおいて“役割”っていうのはずいぶんと大切にされているようで、何もしない野良猫や、ネズミを追い払った振りをする飼い猫ばかりを見てきた僕から見れば、彼らの群れの仕組みは新鮮で気分の良いものだったから。
それから、毎日行軍を終えて休む前に、これまで人間から手に入れた知識をネズミたちにたっぷりと教え込んでやった。
そのうちにそれが僕のいちばんの役割になったのだけれど、ネズミたちとは話が通じないところが多くてずいぶんと苦労をした。
ネズミっていうのは変わっていて、名前についてあまり重要に考えていないようだった。人間の言葉が分からないのだから、人間の作った物の名前を知らなかったりするし、ネズミはあんまりたくさん生まれてたくさん死ぬものだから、それぞれに名前を付ける習慣もないようだった。
街灯を「支えられた太陽」だなんて呼んでいたり、街の広場のことを「ネズミを踏み潰すためのたくさんの靴どもの巣」だなんて呼んだり、長ったらしくて仕方がない。
まずはそれらについて教えてやった。
それでも半端に知識を持っているから、僕は会話をしているとこんがらがって大変だ。
“靴”のことは知っているかと思えば、靴は街道を行き交う動物みたいなものだと思っていたらしく、それが人間の履き物だって分かっていなかったし、“仮面”をつけているネズミが居るかと思えば、人間の“服”についてはさっぱりだ。
服ってのは着けたり外したりできる毛皮みたいなものだ。キミは知ってた?
さいわい、ネズミたちは頭が良いようだったから、僕が教えてやるとすぐにそれらを覚えてくれた。
僕は魔法で誰の言葉も理解できるし、考えていることも分かるから、嘘ですら簡単に見抜くことができるのだけれど、それでも話が通じないっていうのは初めての体験だったよ。
これまで、魔法猫であることを隠すために無闇に他の生き物と会話をしないようにしてきたけれど、それはどうやら正解だったみたいだ。
長ったらしいちぐはぐな言葉を訂正してやったけれど、僕は彼らにひとつ、長ったらしいものを与えた。
『シルク・ドゥ・スクィーク』。ネズミのサーカス。
ネズミたちはすぐに死んだり産まれたりするから、それぞれに名前を付けて覚えるのは大変だ。だけれど、群れをひとつの生き物としてみれば、なるほど彼らの習性にも納得がいく。
だから、彼らの群れに固有名詞を与えてやった。
僕は、彼らの旅の話を聞いていると、それが人間のサーカスや芸人の公演にそっくりだということに気付いたんだ。ちゃんとピエロ役とかも居たし。
この前、団長が僕との馴れ初めをサーカスの公演の時に語っていたけれど、あれは内容自体に嘘はないものの、表現の一つ一つについては僕が教えてやるまでは存在しなかったものも多い。
観客ネズミに通じるように、ちょいとアレンジをしているって訳だね。
言葉の他にも、僕が人間から聞きかじったり、劇場に潜入して見て覚えたことを教えてやったから、『シルク・ドゥ・スクィーク』はいっそうサーカスとして立派なものになった。
街から街へ興行を重ねる度に、サーカスは進化した。それは技術的なおはなしだけじゃなくって、観客たちの中からも僕と同じように入団希望をする者が後を絶たなかったからだ。
入団してきたのはネズミだけじゃなかった。捨て犬のケンピや飼い主から逃げてきた猿のボーヤンもそうだ。今では二匹も群れに混じって大行進をしている。
僕は通訳ができたし、入団希望者の中にネズミを騙して食べようなんて考えている者が紛れ込んでいてもすぐに見抜けたから、この二匹は正真正銘に安全だ。
ケンピは気の良い奴で、僕と同様にネズミを頭や背に乗せても厭そうにしない。
どうやら彼は、暮らしが苦しくなって手に余った飼い主……飼い主の男の子の父親が無理矢理に捨ててしまったらしく、人間がときおり恋しくなるようだった。
人間に尻尾を振って餌を貰ってきたりもすれば、ぼーっと人間の子供たちのやり取りを眺めていることもある。
ボーヤンは元々色々な芸を仕込まれていた猿で、芸自体は嫌いじゃなかったらしいのだけれど、上手くやれないとぶたれるようになってしまい、それで逃げだして来たらしい。
こちらはネズミとはべったりではなく、彼らがドタバタチューチューしているのを眺めるのが楽しいようだった。
盗みや軽業の腕は当然団でいちばんだから、どこからか持ってきた食べ物の欠片をネズミの群れに投げてはご満悦の表情を浮かべていることがよくある。
二匹ともネズミとは言葉を抜きにしても上手くやっているし、通訳である僕が必要だったのは入団の際の説明の時だけだった。
もっとも、ケンピとボーヤンはよく喧嘩をしているけれどね。
ケンピはボーヤンが嫌いじゃないようだけれど、ちょっと間が抜けていることが多くて、ボーヤンはそれが癪に障るみたいだ。
ほらまたケンピがボーヤンの尻尾を踏んだ。
さて、もう一匹、これは入団希望者じゃないのだけれど、僕たちのあとをくっ付いてきている動物が居た。
灰色の毛並みにグリーンの瞳。港じゃ珍しかった猫らしい体格をした猫。元飼い猫のウィネバだ。
どうも彼は、港町を追い出されたみたいだった。
どういう事情なのかは、彼を追い回した人間に聞いてみなければ分からないけれど、ウィネバはもう港町に戻る気はないようだ。
それでも、行く当てがあるわけでもなく、行く町々でもうまく溶け込めず、ずっと『シルク・ドゥ・スクィーク』のあとをついて回っていた。
入団希望でもなければ、団員のネズミを追いかけるつもりもなく、僕に興味はあるようだったけれど、話しかけるつもりも好意的な印象を持っている訳でも、かといって攻撃してくる様子もなかった。
ウィネバが何を考えているのかは読めたけれど、それが何を意味しているのかまでは分からなかったんだ。たぶん、彼自身もまだ分かっていないんじゃないかな。
団員たちも他の生き物に慣れてきたし、今さら灰色猫が一匹増えたところで、どうってことないだろうから、今度折を見て彼に声を掛けてみようかと思う。
ウィネバは走り回るのは好きだったみたいだし飼い猫の経験もあるから、ひょっとしたら立派なサーカス猫になれるかもしれないからね。
ただ着いてくるだけなんて退屈だろうし、きっとそのほうが彼にとっても良いと思うから。
……なんて考えていた矢先!
僕たちはある大きな町で大事件に巻き込まれてしまったのだ!
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