Scene22 猫とサーカスと大団円
「リベルテ、マラン、ワーリー。お前たちはもうお仕舞いだ」
僕は宣言した。
「お前! アタシたちを殺してしまおうってのかい!?」
自由を愛する女リベルテが言った。
……彼女の心は僕たちへの怒りではなく、最大の不自由である死に向かうことへの悲しみと恐怖で溢れていた。
悪い人間ではあるけれど、僕たち猫に一番近い位置に居る女だ。
「もうお仕舞いだあ!」
泣き叫ぶマラン。
……彼はウィネバよりも足が速くて頭の切れる男だった。今彼の頭の中では様々な思い出がもっと早いスピードで駆け巡っている。
別れた奥さんと子供のことを思い出しているらしい。でも、手癖が悪くて追い出されて、それからリベルテに拾われたらしい。
それ以降、ほとんどは悪事だが記憶の三人は随分と幸せそうだ。
彼の心からは家族への謝罪とお頭への感謝が溢れている。
「……」
僕たちの一番の敵のワーリー。彼は……間違いなく虐殺者ではあったけれど、今の心模様は、“仲間の命の為”一色だった。
「落ちる! 落ちるう!」
とうとうワーリーの後ろに居たふたりの上半身が背中向きに窓の外へと押し出され始めた。
もうじき彼らは真っ逆さまだ。健康な猫でさえ助からない高さ。人間が頭から落ちたらどうなるかは分かり切っている。
僕は……。僕は……。
「みんな、ちょっと待って!」
気付いたら声を上げていた。動物たちの押し込みが弱まり、室内は静まり返った。
「助けてよ! 助けておくれよ! もう悪さしないからさ!」
「意地悪したことも謝るから!」
「……もう、蹴らないから」
命乞いが機械室に響く。
必死だからか本心だからか、悪党どもの心に嘘はない。
「おいニィ! まだそんなこと言ってるのか! どうせ今だけだぞ、心変わりするもんだ!」
ウィネバが群れから飛び出し僕の横に着地した。
「でも、彼らの心や思い出が……」
「そんなもん、殺された仲間たちにもあったし、遺されたおれたちも同じだぞ」
「……ごめん。独りじゃ決心がつかないんだ」
「仕方のない奴だな。じゃあ、ふたり揃って最後の一声を掛けようぜ」
親友は僕ににやりと笑ってみせた。
うん、大丈夫だ。
彼とならきっとできるだろう。
「じゃあ……いち、にの、さんで!」
リベルテ、マラン、ワーリー。お前たちは悪い奴だったけれど、僕は忘れない。
「オーケー。それじゃ、いーち……」
その時、機械室外から愛らしい声と一緒に胸の切なくなるような不安の色の風が流れ込んできた。
「ニィ~? どこぉ~? もう、何がどうなっちゃってるの? 頭がふらふらするわ」
ディアの声だ。でも、今は大事な決断の時なんだ。
「にぃ~の」
ウィネバが掛け声を続ける。
「……私、また独りぼっちになっちゃうの?」
ディアが泣いている!
あっ、これ無理だ。
「ごめんウィネバ! 僕、ディアのところに行ってくるね! あいつら適当に落としといて!」
僕はぴょんと機械の上から跳ぶと、群がった猫たちを踏み台にしてすぐに愛する猫の元へと駆けた。
「っておいいい!? ……仕方ねえ! どのみちディアがここに来たら台無しだ! 猫ども! やっちまえ!」
僕の後ろでウィネバの号令。動物たちの掛け声。それから、人間たちの汚い悲鳴が上がり、それはすぐに小さくなって消えた。
――ベチャン!
***
やれやれ、あの馬鹿猫は。
まあいいさ。目的は達成されたんだからな。これで大きな問題のひとつは片付いた訳だ。
その夜。夜といっても白夜だが、とにかく町はお祭り騒ぎになった。
三人組が石の畳に汚い花を三輪咲かせた後、集まって来たのは町の人間たちだ。
彼らは事情は理解できなかったみたいだが、とにかく悪党どもからの解放を喜んだ。
花を片付けるついでに、ほったらかしにされていた街の汚れも清掃され、それから人間たちの間でもパーティが始まった。
人間たちはまだ疲れている様子だったが、久しぶりに笑顔で酒を飲んでいたし、猫や犬には食事を直接分けてやるくらいに気前も良かった。ネズミたちも今晩だけは食べこぼしを堂々と漁っても許されているように見えた。
ほら見てみろよ、あのオッサン。酔いつぶれて道端で寝てら。
おれには心や感情は読めないが、同じ行き倒れでも前とは明らかに違うってのは分かる。
あっちでは若い男女がダンスを踊ってら。人間でもあんな器用な動きができるもんなんだな。
すっかりハッピーだな。飲みすぎるなよ、人間。
……さて、おれは色惚けた猫にたっぷりお説教をして、それからケツを蹴飛ばして再び演説の為に壇上に上がってもらった。
「みんな、今日は良くやってくれた。今回の戦いでも傷ついた者が出てしまった。敵を倒したとはいえ、犠牲になった者たちは戻らない。さあ、友たちに勝利を捧げよう!」
「ばんざーい! 猫も犬も、ネズミもばんざーい!」
動物たちの大歓声。互いに互いを褒め、認め合っている。
「えーっとそれから、団長がこの戦いの功労者として僕のことをみんなで胴上げしろって言うんだけれど……」
ニィは気後れしたように言った。
「なんだ、照れてるのか?」
おれは笑った。良いじゃねえか。みんな身体はくたくただけれど、猫一匹胴上げする元気くらいは残ってるだろう。
最後の号令ではちょいと格好が悪かったが、女が理由だろうがなんだろうが、きっちりとケジメをつけれたことはニィにとって大切なことだと思うしな。
「……よっしゃ、魔法猫をみんなで胴上げだ!」
おれは叫んだ。猫たちの間から歓声が上がる。
「待って待って!」
ニィが止めた。
「何でだよ! お前はまったく興醒めな猫だな!」
いい加減怒るぞ。
「みんな、聞いてくれ。胴上げに相応しいのは僕じゃない。本当に胴上げされるべき英雄は……ずっと僕を励まして、言葉も通じないのに種族の間を駆けまわって命を懸けた彼、僕の“大親友”ロシアンブルーのウィネバだ!!」
ニィは力いっぱいそう宣言した。
「お、おい何言ってんだお前……」
それから多分、犬語やネズミ語でも繰り返しやがった!
「よっしゃー! みんな、あいつをお手玉だーっ!」
「英雄ウィネバ! 俺たちの誇り!」
次々と群がってくる動物たち。ワンワンニャーニャーチュウチュウうるせえ!
さすがのおれも為すすべなく何度も宙へと放り投げられちまった!
「ばんざーい! ばんざーい!」
万歳三唱の波に溺れそうになるおれ。
確かにおれは頑張った。働きだって、頭脳だって、度胸だって英雄に相応しいだろう。
こいつらがおれを英雄扱いして胴上げするのも当然っちゃ当然だ。
だが、英雄コールについちゃ感動は薄かった。
おれの喜びは、我が親友黒猫のニィが動物どもに向かっておれを“大親友”と呼んでくれた時に天辺に来ていたからだ。
その時に、ずっと引っ掛かっていたものがスッと溶けるのを感じたんだ。
大親友……へへっ。良いじゃねえか。
胴上げが済んでふらふらと動物どもの乱痴気パーティにもみくちゃにされていたら、件の大親友がこの場を後にするのが見えた。
奴にとって悪党どもを排除するのはあくまで最後の舞台の前座だ。
これからが正念場だぞニィ。
***
僕はディアを彼女の家に待たせていた。
未だ盛り上がり続ける白夜の街を駆け抜ける。
彼女の家は散々な荒れ模様だった。ソファやテーブルは毛だらけ、食器棚はひっくり返って床を危険な砂漠に変えているし、戦死したネズミの死骸もちらほら転がっていた。
僕は二階の、ディアの飼い主夫婦の寝室を訪れた。
「ディア。お待たせ」
僕はベッドの上に不安を漂わせながらちょこんと座っている白猫を見つけ出した。
「おかえりニィ」
彼女からは安堵の感情が漂っている。
「キミの家、すっかり滅茶苦茶にしちゃったね」
「仕方ないわ。あいつらにどこかへ連れ去られたり、乱暴されるよりはよっぽどマシよ」
――でも、ここじゃもう落ち着けないわ。
「どこか他所で暮らしたほうが良いかも知れないね」
「そうね」
――また時計台に行こうかしら。
「時計台も、人間がずっとサボってた掃除を再開しちゃってたよ」
「そうなの」
――残念だわ。本当、人間って嫌な奴。
「しかたないよ。時計台も元々、人間が自分たちの為に作ったものだし」
「そうね」
――みんな勝手ね。あそこで寝泊まりするハトだって居るのに。この前は、入り口にツバメが巣を掛けるのを見たわ。
「ねえ、ディア。僕はキミに話さなきゃならないことがあるんだ」
「なあに?」
疑問の色のみ。
「話すのが怖いのだけれど、僕はどうしても言わなくちゃいけない。キミを幻滅させるかもしれないけれど、それを言わなきゃ、僕はずっとキミを騙したままで嘘の愛になってしまうから」
――回りくどいわね。
「実は他の生き物の言葉が分かって話せる以外にも、もうひとつ魔法があるんだ」
「そうなの? どんな魔法?」
彼女の心に浮かんだのは好奇心だ。
僕は、深呼吸して一拍置いてゆっくりと伝えた。
「他の生き物の考えてることや心の色が分かってしまう魔法だよ」
「ふうん」
――本当かしら? 私が今お腹が空いているのもお見通しなのかしらね。
僕は彼女の為にパーティからくすねて来たイワシのオイル漬けを引っ張り出した。
白猫はクスクスと笑った。
――便利ね。
「……相手が心を閉ざしてない限り、嫌でも聞こえてしまうんだ。嘘をついているかだって、秘密だって。喧嘩していても聞こえちゃうかもしれない」
「ニィ。私は魔法猫よ。魔法猫は嘘をつくのが苦手だって教えてくれたわ」
――それに、私は棄てられてからずっと一匹でやって来たの。隠す相手が居なければ秘密だって持てないわ。
「良いのかい。こんな僕が傍に居て」
「構わないわ」
「本当に?」
「本当にって、私は魔法猫よ」
「でも、雌猫だろう?」
「何それ。失礼ね」
ディアは腰を上げた。
それからニ、三歩こちらへ歩み寄ると立ち止まった。
「ちょっと気が変わったわ。やっぱり、半々かしらね。私に寄り過ぎると惚けちゃうから。しゃんとしてるあなたも見ていたいもの」
――私の気が全部変わっちゃわないように、気を付けてよね。
「うん。もちろんだとも」
僕は肺の中に空気を送り込み、息を止めてディアに近づいた。
「私の言ったこと、ちゃんと聞いてなかったの?」
少し怒ったディア。彼女は一歩引こうとした。僕はちょいと急いで彼女の前まで行く。
僕は彼女の鼻先に自分の鼻先をくっつけた。それから離れて、古くなった空気を吐き出した。
「どうだい?」
――おかしくなってないわ。どうやったのかしら?
「ちょっとしたコツがあるんだ。キミの魔法は匂いに似てるものらしい。これなら、キミといてもあまり不便しないで済むかもね」
僕は大したことないという風に尻尾を振った。
ディアの心の中では、僕への尊敬とか歓びとか、心地良いものが踊っている。それは心を覗かなくてもようく分かった。
何故なら彼女も激しく尻尾を振っていたから。
「改めてお願いするよ。ディア、僕のお嫁さんになってください」
白猫は返事をしなかった。言葉ではね。
僕たちは、お互いにもう一度鼻をくっつけ合った。
ああ、幸せだ。
僕はこの時ばっかりは心が読めることを感謝した。
だって、100%絶対に相手が幸せで自分を愛してるって分かるなんて、これ以上のことはないだろ?
「……あなたが心の読める魔法猫なら、私の飼い主だった人たちがどうしてあんなことをしたのかも、分かるのかしら?」
ディアは訊ねた。
「分かると思うよ。彼らがそのことについて考えてくれれば」
僕は彼女の力になりたい。でも、僕独りじゃ不十分かもしれない。
「ねえ、ニィ。私、お願いがあるのだけれど……」
……。
***
ずっと昔に世界のどこかにあったという影のない国。
太陽も見えないほどに光り輝き、夜を迎えない不思議な国。
そこに暮らすものは誰しも自分の影を持たなかった。
しかし、魔法猫の夫婦が誕生したその翌日、居住者たちは影と眠りを取り戻したのじゃった。
町に長い間腰を落ち着けていたサーカス集団と共に、魔法猫もまた旅へと出て行ったのじゃな。
それからの彼らがどうなったかって? それはワシにも分らん。
彼らが町から出た時にはもう飽きて違うことをしとったからのう。
ただ、「ネズミが宙がえりをしていたのを見た」とか、「ネズミとおしゃべりができる灰色猫が居た」とか、「白黒の猫が自分たちと同じ色をした仔猫を100匹連れて歩いていた」とかそういった取るに足らない風の噂くらいは聞こえてきたがの。
……それに、どちらかというとこの件については、ワシよりもお主のほうが詳しいじゃろ?
港町から影のない国へ、ずっとサーカスと共に旅をしてきたツバメのお主のほうがの。
*** *** ***
おしまい!




