Scene20 シルク・ドゥ・リュミエールの大舞台
ただいまより開演いたしますのは『シルク・ドゥ・リュミエール』の初舞台、世界最初今世紀最後の大舞台でございます。
この影のない国の動物たちをかき集めて作ったサーカス団。その錚々たるメンバーのご活躍を篤とご覧くださいませ。
司会進行を務めさせていただきますのは先輩サーカス団『|シルク・ドゥ・スクィーク《ネズミのサーカス》』の団長であり、この団の取りまとめ役でもあるヒゲの団長ネズミでございます。
それでは、賑やかし担当のネズミ君たち、バックミュージックを。始めは静かに、そろーりそろーりと……。
「すみませーん」
ドンドンドン……。
「ごめんくださーい。誰か居ませんかー?」
ドンドン……。
「リベルテ、マラン、ワーリー! 居るんだろう!?」
――ドン!
「うるせえな! 誰だ俺たちの名前を呼ぶのは!?」
屋敷の勝手口に現れたのはいかにも悪辣な顔をした人間の男。手先が器用で知略に長ける男、ヴォルールが一味のマラン。
「誰も居ねえ……って猫?」
扉の前には一匹の黒猫。
それから、屋敷を囲むようにずらりと並ぶ瞳と尻尾たち。
悪党の登場に合わせて大合唱。
――ニャア~~~~ッ!!
「何だってんだ!? こんなにたくさん集まりやがって」
「キミたちにはこの国から出て行って貰うよ。そして、白猫のディアを返してもらおう」
「ね、猫が喋った……!?」
「どうだい。同じ魔法猫なら、僕のほうが使えると思わないかい?」
「へっ!? ……そうだな、お前の言う通りだ。だが馬鹿な奴だな。とっ捕まえてお頭からご褒美だ!」
マランがニィに向かって掴み掛かります。しかしニィはひょいと彼の腕をかわすと大きな声で叫びました。
「突入ーっ!」
どっと押し寄せるのは猫の群れ。白黒三毛ぶちトラなんでもござれの毛皮の塊。悪党の開けた扉に向かって雪崩れ込みます。
「うわっぷ! やめろ! 踏んづけるな! 助けてーっ! お頭ーっ!」
憐れマランは猫の海に沈んでしまいました。
「喧しいねマラン。何をやってるんだい?」
騒ぎを聞きつけて現れたのはヴォルールたちのお頭リベルテ。乱暴者のワーリーも一緒でございます。
「猫が! 猫が人間の言葉を!」
「そんな訳がないだろう……って何だいこれは!?」
屋敷に次々と侵入してくる猫の群れ。足の踏み場もありません。事情の知らぬネズミから見たら地獄そのものでしょう。
「リベルテ!」
猫の群れからニィが飛び出し花瓶台の上に乗っかりました。
「わっ! 猫が本当に口を利いた!?」
「そうさ。僕は魔法猫のニィ。キミたちはこの町にとって余計者だ。みんなの為に出て行って貰うよ」
「出て行けだって? はんっ! 猫のくせに人間様に生意気な口を利くんじゃないよ。でも、出て行ってやってもいいね。この町は退屈だからね。それに魔法猫が二匹も捕まえられりゃ、よそのほうが楽しいことが出来そうだからね!」
「ディアはどこだ?」
「誰が教えるもんかい!」
「……ふーん? やっぱり二階に居るんだね。ネズミたちの下調べ通りだ。魔法に掛からないように籠に入れて吊るしてあるのか。考えたね。リベルテ、ディアを使って他の人間を操ろうと企んでいるようだけれど、それはやらせないよ」
「コイツ、もしかしてアタシの心を読んだのかい!?」
「正解、僕は人語を解するだけじゃなくって、心も読める魔法猫なのさ。本当は少し迷っていた。キミたちに崇高な計画があったらどうしようかってね。でも、その心配は要らないようだ」
「何をごちゃごちゃと! マラン! ワーリー! コイツをさっさと捕まえるんだよ! 白猫なんてどうでも良くなった! コイツが居れば世界征服だってできちまうよ!」
「そんなこと言っても、猫だらけで動けませんぜ!」
「かき分けるんだよ! 蹴飛ばせ! 踏んづけちまえ!」
「……」
廊下中にびっしりと詰まった猫の群れ。さすがの悪党どもも動けない様子です。
猫の群れからまた一匹、ぴょんと飛び出してまいります。天井近くまでの大ジャンプ。灰色の猫、ロシアンブルーのウィネバです。
「……前に殺し損ねたヤツだ」
ワーリーは見上げます。
そんな彼の顔にウィネバは優雅に着陸。
「こいつはお返しだ」
それから、ありったけの力を込めて両手両足でバリバリと引っ掻きました。
うーむ、会心の一撃というやつですな。まぬけネズミ三十匹くらいはまとめて殺せそうな爪捌きですな。
ワーリーは慌ててウィネバを取っ捕まえようとしましたが、彼の乱暴な腕は自身の顔を叩いてしまいます。
「……クソッ。この猫!」
「よく聞けワーリー。その灰色猫からの伝言だ」
「……猫の伝言?」
「『お前は動物たちを殺し過ぎた。それと、この前はよくも蹴飛ばしてくれたな』だとさ。これから猫裁判を行って、お前を裁く!」
「裁判? 何だいそりゃ?」
――にゃあ!
猫たちはひと鳴きするとピタリと動きを止め、大男に注目しました。
「判決を言い渡す。動物虐殺罪でワーリーを死刑、その仲間二人を国外追放の刑に処する!」
――にゃあああっ!!
猫たちの不気味な合唱。
猫たちの波が大男に集まり、その巨体を持ち上げました。
「ちょっと! 死刑だなんて! ワーリーはアタシの仲間なんだよ!」
「ふうん。でも、彼らのほうはキミのことを仲間だなんて思ってないみたいだけれど」
ニィはそう言って人間のような笑いを浮かべました。
「マラン、ワーリー! 本当かい!?」
リベルテがふたりを睨み声をあげます。
慌てて首を振るふたり。
「フン、どっちでもいいさ。アイツらがどう思ってようと、アタシはアタシ。アタシはリベルテだ。アタシの子分はアタシが好きに決めるのさ。ワーリー! 今助けてやるよ!」
リベルテは構わず大男のほうへと向かいます。これには我らがニィもちょっとたじろいだ様子でした。仲間割れを狙う予定でしたからな。
「マラン! アタシはワーリーを助ける。アンタは2階へ上がって白猫を確保しな!」
「了解です! 黒猫はどうしやす?」
「コイツは『白猫を助けに来た』って言っていたからね。アンタが白猫を持ってれば逃げやしないよ。後で町の外で落ち合おう。信じてるよ、マラン!」
マランは命令を受けると猫をかき分け二階へと向かいます。
「信じてるのはこっちも同じだ! ウィネバ、ディアを頼む!」
ニィが声を張り上げると、灰色の疾風が階段を上がる悪党に向かって吹きました。
「痛ーーいっ! なんで俺ばっかりっ!」
マランがお尻を押さえて悲鳴をあげます。
「人間のケツっぺたってのは美味しくねえな」
ウィネバが齧り付きながら言いました。
一方、ワーリーも猫たちによってお手玉のように弄ばれてました。これでは自慢の怪力も形無しですな。
「にゃあ! にゃあ! 悪党を落とせ! 時計台の天辺から突き落とせ!」
猫たちのコーラスです。わたくしには何を言っているかは分かりかねますが、背筋が震えるのだけは確かです。
「……チクショウ。浮いてたら自由が利かねえ!」
「何て酷い猫たちだい! こらっ! 待ちなーっ!」
リベルテはそう言い残すと、猫の群れに担ぎ出される大男を追いかけて行きました。
……。
さて、こちら舞台を移しまして二階のテラス。軽々と柱を登って現れたのはいっぴきの小猿。
ボーヤンが何やら窓枠をガタガタ弄りますと、ガチャリと音を立てて鍵が開きました。泥棒仕込みの鍵開けの腕前はばっちりですな。
彼の開けた窓へ向かって灰色と茶色二色の川がちょろちょろちゅーちゅー流れて来ます。皆さんご存知ネズミの軽業衆にございます。
部屋にはシャンデリアに繰りつけられたロープに吊るされた、金ぴかの鳥かごがひとつ。中にはアンニュイでメランコリーな表情の白猫ディアが押し込められております。
「さてさて困ったぞ。助けに来たのはいいが、ディアに触ってしまうとまた前のように骨抜きにされてしまう。ニィたちから受けた大任をどうして果たそうか」
忌々しそうに籠を睨むボーヤン。
すると、ネズミの群れから一匹、目立った奴が飛び出しました。
「お猿さん、私にネズミたちの指揮をとらせて頂戴。私はシルク・ドゥ・スクィークの副団長を務める女よ。みんなからの信頼は篤いの」
進み出てきたのは白ネズミ。自称、世界でいちばん美人なネズミでございます。
「何だ、この白ネズミ。何か考えがあるのか?」
ボーヤンにはネズミ語が分かりません。首を傾げて彼女のやることを見守ります。
ネズミたちは美ネズミの命令に従ってカーテンをよじ登り始めました。
それから彼らは互いに互いを支え合い一本の橋のように繋がりながら天井を伝い、シャンデリアまで到達しました。
そのネズミブリッジを伝って現れたのは、動物界でも屈指のデンジャラスな奴。火打石の欠片と油を使って火炎の芸をする火吹きネズミです。
「そうれ燃やせ! ロープを焼き切るんだ!」
元・仮面のネズミが叫びます。
火吹きネズミの口から炎がにょきり。真っ赤な火炎に包まれるロープ!
「火勢が強いぞ! それじゃ屋敷が火事になっちまう。もうちょっと弱めろ!」
元・仮面のネズミの命令に従って火力が弱められ、蛇の舌先が舐めるようになりました。
ロープがちりちりと焼けていきます。
「いいぞ! 火勢はそのまま、慎重に慎重に!」
そのうちにロープは焼き切れ、金色の籠が宙に放たれました。
「落っこちちゃう!」
ボーヤンは目を覆いました。
ディアを入れた籠はネズミたちの群れの上に急降下。
「お前たち、そこは落下地点だと教えただろう!?」
元・仮面のネズミが声をあげます。
下のネズミたちがサッと波が引くように逃げます。ですが、いっぴきのネズミがそこに残っておりました。
彼は逃げ遅れたのでしょうか? ああ、何てまぬけなネズミ!
……いやいや、彼はネズミでいちばんの力持ち。力自慢のネズミでございます!
彼は二本の足で立ち上がると、落ちて来た猫入りの鳥かごに潰されることもなく、それをがっしりと受け止めたのです。何という怪力!
「うおっ! 重てえ! だけど案外いけるもんだな!」
ネズミたちから上がる大歓声。
「へっへっへ。デカい動物たちに紛れてろくに役に立ててなかったが、とうとう俺の出番が来たって訳だ。……ん? 何だか、尻尾の付け根がむずむずしてきたぞ?」
怪力ネズミが鼻をひくひくさせたかと思うと、急に眼がとろけたようになってしまいました。
「こらーっ! 怪力ネズミ! 猫なんかに惚れるんじゃないの! ほらっ、このプリティでビューティフルなお尻を見て頂戴」
美ネズミが魔法に掛かった怪力ネズミに向かってお尻をふりふり。
なるほど、自分の美貌で対抗して正気を保たせようという訳ですな。
しかし残念。世の中そんなに甘くはありません。魔法は何といっても魔法ですから。
わたくしの片腕、美ネズミの作戦は失敗。怪力ネズミはそのまま籠を持って逃げ去ろうとします。
ま、どのみち外へ助け出すのですから変わらんのですが。
「上手い事やったな、ネズミたち! よし、俺が部屋の扉を開けてやるよっ!」
ボーヤンが扉に先回りします。
「まて、ボーヤン! 扉の外に気配がする!」
我らが副参謀の元・仮面のネズミが警告をしました。まあ、お猿には分からんのですが。
「いてて、チクショウ。あの猫。散々引っ掻くだけ引っ掻いてどっか行きやがった……。ありゃ、扉がひとりでに開いたぞ……」
マランです。味方の泥棒と敵方の泥棒が鉢合わせ。
「げっ! あれは意地悪な人間!」
「ボーヤン! てめえ、俺たちに育ててもらった恩を忘れて、魔法猫を盗み出そうってのか!?」
マランの顔が怒りに歪みます。彼はこぶしを振り上げました。
ボーヤンはきっと怖くなったのでしょう。わたくしからみても瞳の奥が震えるのがようく分かりましたとも。
さて、ここでわたくしの英断。団長、断腸の思いで命令を下します。
「全軍突撃ーっ!」
我々ネズミが人間を相手にして勝てる道理はございません。貴重なネズミも平凡なネズミも、命がけで奴に飛びつきました。
「痛え! 痛え! 勘弁してくれ!」
高く持ち上げたこぶしもそのままに、彼の身体が灰色と茶色に覆われていきます。
その光景を見たボーヤンの瞳から、恐れの波が消えました。
ボーヤンは鼻息荒くその辺に置いてあった“はたき”を拾い上げると、マランの肩によじ登って頭をぼこすかぶん殴りました。
「ひぇっ! ごめんっ! ごめんよっ! 悪かったってば! お頭と一緒になって虐めたことも謝るからっ!」
我ら小さな生き物の大勝利!
哀れで矮小な人間は堪らずに逃亡することでしょう。
……と、思ったのですが!
「だけど、それとこれとは別だ! お頭は俺を信じてるんだ!」
マランはそう言うと鳥籠に残ったロープの切れ端を掴み、猿や群がるネズミに構わず走り出したのです!
狡すっからい悪党は根性を見せました。顔や手にはひっかき傷、足には噛み痕、服はボロボロの頭にたんこぶ。
彼は満身創痍で籠を引きずりながら脱出してしまったのです!
さしもの怪力ネズミの腕力も人間の力には敵いません。すっぽ抜けて有象無象のネズミの群れの中へと退場です。
わたくし、予想外の出来事に慌てました。
猫たちが悪党どもを引き離しているうちに仕事を済ませ、そのあとじっくりと人間どもを料理する予定でしたからな。
「ニィに知らせなければ!」
このわたくしネズミの長は、駆る馬ならぬツバメの手綱をとり、サッと窓から飛び出して泥棒の後を追いかけたのです。
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