表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/22

Scene02 立派なネズミ団長の感謝

 やあやあ皆さん初めまして!

 わたくしがネズミの……えーと何だったかな?

 チーズ? カヌレ? ビスク?

 ……そう、シルク! 『シルク・ドゥ・スクィーク』!


 わたくしがかの有名なネズミのサーカス団『シルク・ドゥ・スクィーク』の団長でございます。

 え? 何? 御存じない? そりゃ当然でしょう!

 結成されたのはチーズが腐るちょっと前ですし、このサーカスの呼び名を“偉大なる黒猫のニィ”に考えていただいたのも、つい最近のことでございますから。

 我々“クマネズミのサーカス団”は、生まれ故郷を追い出されてきた流れ者ばかりが集まってできたものでございます。

 例えば、力自慢で猫に喧嘩を吹っ掛けるのを趣味にしたせいで、自分以外の家族がみんな死んでしまった者。

 例えば、美ネズミ過ぎて、群れの雄どもから求婚され過ぎて疲れてしまった者。

 例えば、産まれたときから見てくれがへんちくりんで捨てられてしまった者。

 それから、普通のネズミの暮らしに飽き飽きしてしまった者などが集まっております。

 奇妙な連中ではございますが、どいつもこいつも一芸に秀でており、猫や人間から逃げるのもお手の物な軽業集団にございます。

 我々は町を渡り歩いて他のネズミ連中に芸を披露して回っておりまして、その見返りに食事や寝床などを提供していただいております。

 いくら流れ者の軽業師とはいえども、飲まず食わずでは死んでしまいますし、巨大な靴や夜を輝くあの恐ろしい一対の宝石の真ん前で眠るようなことなんてできませんから。


 さて、そういうわけでこの港町へ興行にやってきたのですが、どうにもこうにもこの港町というやつは、にっくき猫が多いのでございましょうか。それに加えて空にはカモメ!

 食べ物は豊富でネズミの住み易い小屋や倉庫にも事欠きませんが、どこもかしこも先客でいっぱい。商売をすれば食うには困りはしないでしょうが、いかんせん落ち着いて芸を披露できる場所なんてありはしませんでしたな。

 ともかく我々は各々で食事にありついた後に集合し、ねぐらを探して夜の街をうろつくこととなったのであります。

 靴の行き交う道を照らす支えられた太陽……ええとガス灯。ガス灯が見えなくなるくらいに夜霧の酷い夜でした。

 我々は、靴や爪や、くちばしがいつ飛び出してくるか分からない中をおっかなびっくり彷徨い歩いていました。

 すると乳色の中にボヤっと黒い影が浮かび上がったのです!

 我々ネズミ、猫のシルエットを見紛うことなんてございません。面舵いっぱい、やれ逃げろとくるり反転いたしました。

 しかし濃い霧のせいで、すでにどこから来たのかもわからず、どこへ行くのかも分からない有様で、海に行けばこれから朝でカモメが起き出すし、靴の通り道で固まっていればぺしゃんこだし、壁の隙間にゃ猫の先客いるかしらと、まさに五里霧中の様相。

 我々、幾多の困難から逃げ延びてきたネズミのサーカス団。とうとうここで解散かと、ネズミのキリスト様に十字を切ったそのときでございます。


「ねえ、変わったネズミたち。僕はキミたちを追いかけようなんて考えちゃいないよ」


 黒い影が口を利いたのです!

 それも、猫語ではなくネズミ語のクマネズミ訛りで!


 我々はおったまげました。あまりにも吃驚しすぎて、身体のくっ付いた珍しいネズミ兄弟が珍しくもなくなりそうになりました。

 影はこちらに悠々と歩いてきます。ネズミは猫が自分を追ってくる姿もたいへん見慣れておりますから、それと気付いたら尻尾も残さず逃げだしている筈なのですが、彼の動きはコソ泥のようでも、狩人のようでもなかったものですから固まるしかなかったのです。

 ミルクの中から現れたのは見事な黒ベルベッドとふたつの満月。

 それから黒猫は口を開きましたが、聞こえてきたのはやはり「ニャー」ではなく「チュウ」だったのです。


「ここら港の野良猫には、進んでネズミを捕ろうって勤勉さはないよ。そういうのは飼い猫が義理でやるものだから」


 まさか! 猫が! 我々の! 言葉を!

 我々は騒然としました。

 しかし約一匹、うちのサーカスでいちばんのまぬけのネズミ……まぬけといってもクラウンやオーギュストのことではありません。それは賢くないと務まりませんから。つまり本当にただのバカ。そのバカが「キミはおっきなネズミなのかい?」なんて訊ねたのです。


「まさか。でも、仲間に入れてもらえるなら興味はあるかな。キミたちは、余計者や変わり者の集まりなんだろう? それでいて退屈が大嫌いな?」


 さて、そう返されて、サーカス団を率いる団長たるこのわたくしがぶるぶる震えているだけでは欠格欠損甚だしいものですから、普通のネズミよりもふた回りも濃くて黒いヒゲをピンと伸ばして言い返してやったのです。


「とって食べない?」


「食べないよ。飼い猫だってそうそう食べやしない。追っ払うのが関の山さ。この街の連中は、人間のくれる魚の切り身やチーズで舌がすっかり肥えちゃってるからね。チーズも食べ飽きた。欲しい?」

 そう言って黒猫は首をかしげました。

 変わったことを言う猫だ! わたくしは胸を張って訊き返してやりましたよ。

「ほんとに?」

 仲間たちの間からも「チーズ!」という声があがりました。念のために言っておきますが、わたくしが訊き返したのはチーズの件ではございません。仲間の身の心配であります。

 しかし黒猫さんは霧の中に一度引っ込んだかと思うと、我々の群れの真ん中へと青白いお月様みたいなチーズを転がしてくれたのです!

 それも巨大な!

 本当に大きかった! 床に落ちた食べかすや、“ネズミ挟み殺し”に乗っかってるような大きさではありません!

 実際、力自慢のネズミがどっこいしょと受け止めなければ、お葬式の準備が要ったことでしょう。これについては黒猫さんはすかさず謝っておられました。


 しかし、それだけでネズミの大敵で天敵で仇敵である猫が信用を勝ち獲ることなんてできません。

 わたくしはヒゲにチーズをくっつけながらこう言ってやりました。

「ネズミの腹にチーズを詰めてから食べる料理じゃないだろうね!」って。

 黒猫は大笑いです。笑い声はネズミ語ではなく猫語で聞こえてきたので、フルムーンチーズに夢中になっていた我々はたまげてひっくり返ってしまいました。

「考えたこともなかった。試してみるのも悪くないかもしれないけど、そのチーズは塩っ辛くて好きじゃないんだ」

 猫はまたも笑いました。

「それに、キミたちは変わったネズミなんだろう? 試すなら、その辺の港に棲んでいる何のとりえもないネズミで試すさ。仲間に入れてくれよ。チーズで足りないなら、魚の切り身もくすねて来るからさ。オリーブオイル漬けなんてどうだい?」

「オリーブオイル?」

 わたくしは首をかしげました。

「人間がそう呼んでる、食べれる油のことさ。何にだって名前はあるだろう? そのチーズにだって“ロックフォール”って立派な名前があるんだ」

「名前? チーズとか、猫とかネズミとかカモメとか、靴とかかね?」

「そうだよ。僕はニィ。黒猫のニィだ。キミの名前は?」

 さて困りました。我々ネズミの間には、名前……ええと、ニィさんは固有名詞とおっしゃっていたかな? その、固有名詞なんてものは無かったのですから。

 ですから、とりあえずは“役職”を名乗ることにしたわけです。

「わたくしは、ヒゲが立派な団長ネズミです」

 自慢のヒゲにくっ付いたチーズを掃除して、胸を張って名乗りました。

「ふうん。そうか、そういうことか。じゃあ、団長さんって呼ぶよ」

 ニィはわたくしを見て言います。それから、チーズに満足して興味を猫さんに向け始めた連中の顔をそっと舐めるように眺めてから続けました。

「貴女は猫でも食べるのを戸惑う美人ネズミで群れの副リーダー、キミは僕にも力負けしない怪力ネズミ、あっちは猫の尻尾をゴム縄跳びくらいにしか思ってないネズミ、むこうの二匹はバカのフリをしている賢いネズミで、そっちはただのバカ」


 なんと、なんとなんとまあ!


 黒猫のニィ様は、我々サーカス団の面々の呼び名を言い当てたのです。それも、本当のところよりもちょっと贅沢な呼び名で!

「じゃ、じゃあアイツの名前は?」

 ゴム跳びネズミが未だチーズに夢中な一匹を指して訊きました。あれは、“楽器演奏のできる騒がし担当のネズミ”です。

 ニィはチーズに群がるネズミどもを見てちょっと思案するそぶりを見せましたが「食事の邪魔をするのはマナー違反だよ」とだけ答えました。ごもっとも!

 チーズをくれて、我々の言葉を話せて、追いかけて来ない上に、マナーまできちんとできている。それでいて物知りで、我々の仲間に入りたい!

 彼が居ればいろいろなことを教わったり、敵猫やカモメの心配も不要になるかもしれません。

 それに、これまでわたくしの心臓をすくみ上らせてきたはずのふたつの満月は、どうも見かけよりもずっと暖かいもののように思えてきたものですから、この立派で寛大なネズミ団長は「歓迎いたしますぞ」と答えようとしたのです。

 ですが、ネズミたちの間から反対の声がひとつ上がりました。

 反対をしたのは仮面のネズミ。

 彼は、入団前に何度も火事で棲み処を焼きだされた不運の星の下に生まれついており、普段は無口ですが、口を開くとクラウンとオーギュストを合わせたくらいの聡明さを発揮する者でした。

「火つけ猫じゃないだろうな」

 彼の顔にくっ付いた仮面は、火事で負った火傷を隠すためのものです。

「キミはまたそんなことを言って! 猫がそんなことをできるはずがないだろう。火を扱えるのは人間と、乾いた森やヒースくらいのもんだってことは、赤ん坊ネズミでも知っているよ!」

「でも確かに私は見たんだ。あの茶トラが火を起こすところを」

「彼は茶トラか? 真っ黒焦げ……失礼。王様の葬式に着るような……これもまた失礼。ともかく、とても綺麗な毛並みの黒猫じゃないか!」

 仮面のネズミはときどき馬鹿なことを言うのです。わたくしが反論すると美ネズミが「あの毛皮を是非とも触ってみたいわ」と味方をしました。ちなみに美ネズミは真っ白です。

「仮面の彼の言うことに嘘はないよ。それに、その猫と出会う心配も、もうない。団長の言う通り、僕にだって火は扱えないよ。火はすべてを変えて飲み込む、恐ろしくもワクワクするものだ。キミの心配もよく分かる」

 ニィが言います。仮面のネズミはいつもその話で仲間に馬鹿にされているもので、違った反応を受けて、ちょいとたじろいだようでした。

 しかし、仮面ネズミは片側だけになったヒゲを振ります。

「いいや。チーズは旨かったが、猫に関わるのは反対だ。危険がないとも限らない。今まで私の危険察知能力でどれだけ団が助かってきたと思っているんだ? ここは慎重に慎重を重ねるべきだ」

 仮面のネズミは譲りません。彼は団いちばんの知恵者、参謀というやつでしたから、他のネズミもざわざわとし始めました。

「ええと、黒猫殿。非常に申し訳ないのだが……」

 わたくしは団長ですから。たとえニィが危険でなくとも、団を分裂の危機に晒すわけにはいきません。残念ながらお断りを申し上げようとしたのです。

 するとさっきまでこちらを見ていたはずのニィは霧の向こうに目を凝らしていました。

「来る……」

 彼がそう言ってすぐ!


 霧の薄くなったところから、別の猫が飛び出してきたのです!


*** *** ***

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ