Scene18 苦労猫ウィネバの奔走
おれは今日も時計台の機械室を訪ねた。
おれが部屋に入ると中に居た黒猫と白猫はこちらを一瞥したが、すぐに団子に戻って互いの身体に頭を埋めてしまった。
「おい、ニィ。前も言ったがよう。ちょっとだけでも良いから、出られないか?」
ニィはノーリアクションだ。
おれは彼に用事があった。正確にはおれたちがだ。
この影のない国にやって来た三人の悪い人間。女ひとりに男ふたり。奴らはおれたち動物たちだけでなく、町の人間にとっても害悪だ。
誰しもが縮こまって生活しなきゃならなくなっていたし、それは連中が来る前はおろか、この町が光に包まれる前よりも酷いものだと猫たちは言っていた。
この町の猫は、港の野良猫と違って骨のある連中で、野良も飼いも集まってこの件についての会議を繰り返し開催している。
そして最近、町中の動物たちと協力して例の三人組を町から追い出すことを決定した。
おれは、この決定をニィに団長ネズミや、犬の知り合いの多いケンピ、それから猿のボーヤンに伝えてもらうための伝言役を引き受けていた。伝言の伝言。パシリのパシリ。だが、絶対に切れてはならない糸であり、大切な“役割”だ。
しかし、事情を話してもニィはすっかり惚けてしまって、話を聞いているのか聞いていないのかすら分からない有様だ。
そこでディアにも「自分の住まいから人間を追い出せるチャンスだ」って説明したのだが、「私はもう、あの家は要らないわ。それに人間を追い出すなんて無理よ。怖いわ」と至極もっともな返事が返って来た。
それまで微睡んでいたニィもやっと口を開いたかと思えば「ディアが嫌ならやめておこう」なんて言った。
おれは腹が立って久々に走りたくなり、時計台をうるさく駆けまわった。
「埃が立つからやめてよ」
「おれはお前たちのどっちかを蹴飛ばしたいのを我慢して、その代わりに走り回ってるんだよ」
ニィはちらりとこちらを見た。「分かってる」ってことだろうな。本当はこいつが心を読めることまでばらしてやりたいところだが、それはおれがやっても仕方がないことだし……。何よりニィに嫌われたら協力も得られなくなる。
だが、町や他の動物全員のことを天秤に掛けるとそうも言っていられない。事態は差し迫っているのだ。猫サイドは野良も飼いも意見がまとまった。あとは他の動物の意見を聞くだけなのだ。その返事もおおかた予想がついているが、きちんと足並みを揃えなければならない。
ふん縛ってでも連れて行きたいところだが、ディアのあの魔法が厄介だ。魔法の効き目さえ切れれば、説得の余地はある。というか、おれの信じるニィならば、まず何とかしてくれるだろう。
しかし、ベタ惚れの上に魅了の魔法に掛かったニィは、どうやらおれの思考を読んだようで、ディアを促して二匹揃って機械の隙間に移動。蹴飛ばされても動かないぞと言わんばかりに固く身を寄せ合ってしまった。
何か別の方法を考えなくては。
おれは賢い頭をフル回転させて、時計台の機械室を歯車のようにぐるぐると徘徊した。
……が、駄目だ。狭い隙間というものは猫やネズミなどの暗がりの生き物にとって、子供にとっての母親くらいに安心できるような存在なのだ。
加えてあの魔法が拍車を掛けている。あれでは手を出せば俺も団子の仲間入りだ。
それも悪くないだろうが、おれにはまだ使命がある。
おれは部屋の中をきっかり二十四週してからすごすごとその場を後にした。
おれにはこのあと葬式の予定があった。近所の顔見知りの猫が一匹またやられたからだ。白猫だ。白猫は特に被害に遭っていたし、必ず命を落としていた。それに、ネズミたちも最近は顔ぶれの入れ替わりが早い。
団長ネズミが最近、ヒゲの太いネズミを集めてチュウチュウやっているのも見かけた。
自称美人の白ネズミは白猫よろしくどこかへ引き籠って姿を見せていない。仮面のネズミはおれに何かを言いたいのかたびたび姿を現したが、生憎おれにはネズミ語が分からないときている。
実を言うと、ここのところおれにもネズミ語が分かるようにならないかと、注意深く連中の声に耳を傾けたり、チーズやソーセージを見せて、なんて言ってるか判別しようとしたりしてる。
目は無くはない。将来的には通訳だってできるだろう。さすが、おれは賢いだけある。
だが、おれがネズミ語をマスターするよりも、町の動物が皆殺しにされる方が早いってのは考えなくても分かることだ。
おれよりも賢い猫といえば大賢者スクーターだが、あいつは遠い町に居るし、町の間には険しい自然の世界が待っている。
仮におれならば一人でも突破できるとしても、彼に助力を求め引き返している間にこの町がどうなっているかは分からない。
結局、時間がないのだ。
時間、時間、時間! 人間でもないのに、どうしておれたち動物が時間に煩わされなければいけないんだ!
おれは時計台を見上げて、偉そうに針を広げている文字盤に向かって唾を吐きかけてやった。
唾は届かず落ちて来て、おれの顔に引っ掛かった。
葬式を終えて、とぼとぼと路地をうろつく。相変わらず路地らしくない、真っ白で明るい道だ。
だが、ゴミ箱の上で昼寝をする猫も、猫の目を盗んだつもりになって横断するネズミも、何でもいいから食い物にありつきたがっている野良犬の姿も見えない。
耳を澄ませても鳥のさえずりすら聞こえない。今は夜なのだろうか? 町の人間は相変わらず時計に従ってぼんやりと暮らしを続けているから、大通りに出れば何となくの時間は分かるだろう。……だから何だって言うんだ。
おれは狂った犬相手でも良いから、喧嘩をしたくなった。
生憎、喧嘩相手なんて居ないが。ここに港のデブ猫がでかいケツを並べてくれていたらどんなにありがたかったことか。
「知らないってば!」
声が聞こえた。人間語だ。意味は分からないが、怖がっているように聞こえる。エマ婆さんがネズミに文句を言うときに似た色だ。
「痛いっ!」
次は悲鳴だ。
おれは警戒して、住宅の勝手口の階段の影に身を潜めた。
しばらくすると、大きな男がどすどすと足音を立てておれのまえを通り過ぎて行った。
あれは、“動物蹴飛ばし人間”だ。
身体がデカくって、他の人間にも乱暴を働いている。この町ではあいつを怖がらないものはほとんど居ないだろう。
ケンピの恋人も、さっきの葬式の主役もあいつにやられた。
おれは身体がぶるぶると震えるのを感じた。
ビビっているんじゃない。
おれがもし賢い猫でなければ、とっくのとうにあいつの首根っこに噛みつこうとして、引き離されて逆に首の骨をへし折られているだろう。
おれ一匹でどうにかなるなら、猫が集まって会議をすることもなかったし、猫の中から自発的にネズミや野良犬にも協力を仰ぐなんて案が出るはずがない。時計台だって訪ねなかった。
……だけど、どうしても、その場を逃げ隠れするだけでやり過ごすなんて堪えられなかった。
おれはこっそりと、全神経を集中させて、蹴飛ばし人間の後をつけることにした。
奴は町中をきょろきょろしながら歩き回り、人間を見つけると何も言わずに胸倉を掴んで何かを言った。
おれが理解できたのは“猫”という部分だけだ。
どうやら、奴は町の人間たちに“猫”について訊きまわっているらしい。
ほとんどの人間は震えあがって首を横に振ったり、ぼんやりしていて奴が何者か気付くのが遅れてぶん殴られていた。
だが、ひとりの人間が、長々と返事を返し、殴られずに済んだ。
その人間の話には“猫”の他に理解できる言葉が混じっていた。
“ディア”だ。
おれは冬の朝に目覚めた時のような感覚を背中に覚えた。
あいつは、ディアを探している?
さっきの葬式を思い出した。死んだ白猫は飼い猫だった。それなりの雌猫で、それなりに飼い主に忠実だったから、それなりにネズミを殺していた。
だが、葬儀にはネズミたちの影もあった。誰かが誰かを追いかけるようなことは起こらなかった。
奴らはひょっとしてディアを見つけるために白猫を殺しているのか?
おれは動揺しちまって、気配を殺し損ねる恐れがあったから、奴から十分な距離を置かざるを得なかった。
それでも奴は聞き込みを続け、人間たちを殴っていたから、ディアについて満足な情報は得られていないのだろう。
路地、肉屋、酒場、そのほかの仕事場。あちらこちらで聞き込みをしていた。
そのうちに、奴は広場のカフェに向かった。
「ようワーリー。何か良い情報は掴めたか? こっちは素寒貧だぜ」
別の男だ。こっちは痩せていて、蹴飛ばし人間よりは背が小さい。
蹴飛ばし人間も今度は掴み掛からないで普通に会話をしている。初めて見かけたが、多分噂の三人組のうちのひとりだろう。
三人の人間のうち、動物たちの間で問題になっているのは、一番出歩いて乱暴をするそこの大男だけだ。仲間だから、当然全員まとめて出て行って貰うつもりだがな。
今のうちに顔をしっかりと目に焼き付けておこう。
「……マラン。おで、20人殴った」
「そうかい、そりゃご苦労なこって。俺は3人目で飽きちまったよ。俺は殴ってねえぞ? あーあ。あの日記、ただの小説なんじゃないかと思うんだけどねえ。貴族の遊びって奴じゃねえの?」
「……魔法猫の話をしたのはマランだ」
「そうだけどよー。もう十日も探し回ってるんだぜ? この白くて眩しい町で。何だか目がちかちかしちまうし、いくら寝ても寝た気がしないしよう」
「……寝るのは気持ち良い」
「そうだよなー。お頭も寝てばっかりだしよ。リベルテだか何だか知らないけど、自由過ぎってのも考え物だよな」
「……お前もあまり探してない」
「探してるって。俺は聞き込みよりも、家々の鍵を開けて忍び込んで、魔法猫のディアがどこか別の家の飼い猫になっていないか調べて回ってんだよ」
「……おで、お頭に怒られる」
「ワーリーは良いよなあ。お頭に怒られるの、好きなんだろ? 歪んでるよな。褒められても怒られても嬉しそうにしやがってさ」
「……」
「俺は怒られるのは御免だから、これで機嫌を取るね」
細いほうの男は両手を見せて笑った。奴の手の指には、キラキラした宝石や指輪が沢山ついていた。
あれは人間の“アクセサリー”とやらだ。エマ婆さんもああいうのを大切にしていた。人間の雌、女ってのはああいうのが好きらしい。宝石はおれも綺麗だと思う。
「おや、噂をすればなんとやらだぜ」
ふたりの男が揃って顔を向けた。おれもそっちを見る。女が向かってきている。
あれがボスだ。初めて見たが、ひと目で分かった。この町で、おしゃれそうな恰好をして堂々と胸を張って歩くような女なんて居ないからだ。
「久しぶりに外に出たけど、眩しくって敵わないわねえ」
「お頭、お出かけですか?」
「動かないと美容に悪いからね。運動がてらカフェに食事にね」
「おい! うちのリベルテ様が食事をご所望だ!」
細い男が店の奥に向かって叫んだ。
「申し訳ありません、そろそろ閉店のお時間で……」
元気のない人間が出てきた。ウェイターって奴だ。
「あら、そんな時間かい? ずっと明るいもんだから分からなかったよ。残念だねえ。食事をしたかったのにねえ」
女はため息をついた。
「おい、ちょっと時計を貸せ」
細い男がウェイターの胸を指で突っついた。
ウェイターに何かを出させると、それを奪って弄くってから返した。何をしたんだ?
「これでまだ、1時間は店を開けていられるな?」
「時計をズラしては困ります、お客様!」
「なんだよ、気に入らねえってのか? あとで時計台で合わせ直せばいいだろうがよう」
細い男は何か文句を言っているようだ。
「……お頭、お腹空いてる」
乱暴な男がこぶしを振り上げた。
「あー、はいはい。やめやめ。何だか食事をする気も失せたよ。外は臭いが酷過ぎる。誰も掃除をしないんだから。ワーリー、マラン。何か食材を集めてきておくれ、たまにはアタシが料理を振る舞ってやるよ」
「ほんとですかい!?」
「……わーい」
ふたりは嬉しそうだ。ウェイターは店の中へと逃げて行った。
「ま、それは良いとしてさ。白猫のディアはまだ見つからないのかい?」
ディア。ディアと言った!
「まだですねえ」
「……一匹間違って蹴飛ばした」
「お前、サラッとやばい告白してるんじゃねえよ。ちゃんと先に確認してから殺せよ」
「……大丈夫、目は黄色かった」
「はあ……。ワーリー、もうちょっと考えて行動しなきゃ駄目だよ。回転はともかく、あんたはしっかり考えればマランよりもよく気が付く男なんだからさ」
「……へへ」
「ちぇっ、お頭はワーリーに甘いんだから」
「オトコってのはオンナが育ててやるものなのさ。それもやり方は一辺倒じゃ駄目だ。マランにだって特別なコト、してやってるだろう?」
「へへ、そうですね、お頭」
連中は歩き出した。どこへ行くんだろうか。帰るのか、それとも別の用事か。
おれは談笑をしながら歩く三人を追跡した。住宅の屋根に上り、上から少しづつ先回りしつつ監視を続けた。
「おや、何か変なのが居るよ」
女の声と同時に、おれは連中の行く手に“良くないもの”を見つけた。
人形の服を着た生き物が、石ころを裸の人形に向かって投げて遊んでいる。
あれは、ボーヤンだ。
彼はもう、ああいうことを繰り返すだけの馬鹿になっちまった。だが、この件が片付けば、あいつも自信をもって元の狡猾でユーモア溢れるサーカスの花形に返り咲けるはずなんだ。
「おもしれえ、猿が人間の真似して処刑ごっこか?」
「……猿は美味くない」
「猿かい? 懐かしいねえ。私も昔、飼おうとしたことがあったんだけどねえ。全然芸を覚えないから逃がしてやったよ」
「逃げられたの間違いでしょ。お頭、ボーヤンのこと虐めてたじゃないですか。せっかく俺が泥棒の技術を教え込んでやってたのに」
……ボーヤン? 何であの男から彼の名前が出て来るんだ?
「思い出すねえ。あいつは元気にやってるかしらねえ。鍵開けや盗みを仕込むのは結構楽しかったんだけどねえ」
「……こいつ、ボーヤンに似てないですか?」
「馬鹿言うんじゃないよ、私のボーヤンはもっとプリティな顔をしてたよ。それにもうちょっと小さかったし」
「成長したら顔も身体も変わる気がしやすが。……ま、猿の違いなんて分かりませんや。おい、おサル。俺が手伝ってやるよ。その人形をギロチンの刑にしてやる」
細い男がボーヤンの人形に手を伸ばした。
まずい。ボーヤンは人間が怖いんだ。これまでは刺激するとビビって動けなくなっていたが、最近は一周回って狂暴に……。
「痛ぇ! こいつ、引っ掻きやがったぞ!」
男は顔をしかめて手を引っ込めた。
「あれぇ!? やっぱりボーヤンじゃないか! その爪捌きは忘れちゃいないよ!」
女が声をあげた。
するとボーヤンはぶるぶると震えて、毛を逆立てて、顔を真っ赤にして、それからカモメを引き裂いたような怒りの声をあげて、人形にぶつける予定の石を女の顔に向かって投げつけた!
女は悲鳴を上げた。
「こいつ、私の顔に傷をつけたよ……!」
女は顔を抑えながら、低い声で呻いた。血だ。
「捕まえろ。殺すんじゃないよ」
女が続けて話した時には、細いほうの男によってボーヤンは捕らえられていた。
「予定変更だ。食事の前の余興だよ。ワーリー、この馬鹿猿の手足のいっぽんいっぽんを私の前でへし折っておくれ。それから、マラン。お前、鍵開け道具もってたろう? それで舌を引っこ抜いて目玉をほじくり出しな」
おれは、女が長々と何かを話すのを聞き終わらないうちに駆け出していた。
もう我慢が出来なかった。連中が何を言っているのかは、ネズミの鼻先くらいも解読できなかったが、これから起こることの結末は考えなくても理解できた。
それでもこの身体は……この猫の中でも一番素晴らしいロシアンブルーの短毛は颯になり、すべての森をかき集めたようなエメラルドの光は矢のように流れた。
結末を変えられるかは分からない。馬鹿な猫だ。
おれは自分でも不気味と思える唸り声を発して、ボーヤンを拘束している手に向かって飛び掛かっていた。
そして、ネズミをかみ砕くよりも遥かに強い力を込めて奴の手に食らいついた。
男は悲鳴を上げて、おれを無理やり引きはがした。牙が抜けるかと思った。
それから宙に放られたかと思うと、身体の中身が全部外に出そうな痛みを覚えた。
一瞬視界に映ったのは人間の靴だ。
蹴飛ばし人間にやられたか。屋根の上から見た景色にそっくりじゃねえか。
痛みで身体が返事をしない。着地は無理だろう。
知ってるか? 人間の整えてくれた地面ってのは、凄え固いんだぜ?
地面がゆっくりと近づいた。おれは仔猫の頃に母親に教えてもらった話の全てを思い出した。それから、エマ婆さんとの飽き飽きするが幸せだった毎日も。
思い出たちは地面に敷き詰められた石よりもたくさんで、それはあっという間に通り過ぎて行った。
まるで川の流れのように、ざーっと。
おれは死に間に合うか分からなかったが、旅の初めに出逢った変わり者の黒猫について考えた。
最期に鼻先をくっつけてくれるのがあいつだったら、おれはきっと幸せだったろう。
それが、何だよ。この硬そうな地面ときたらさ。
おれとキスするどころかずっと横に流れていやがる。地面すらもおれと鼻先を合わせてくれないってのか?
それに、なんだか嫌な臭いをさせやがる。
……死の臭い?
いや、違うな。半分は正解だが。これは、むかつく犬の息の臭いだ。
そうか、猫が野良犬を嫌うのは、死がこんな臭いをさせるからなんだな。
ちぇっ、まあいいさ。本当なら尻尾の先を噛みちぎられたときに、終わってたんだからさ。これでも、運が良いほうなのさ……。
そうしておれは、久々の闇の中に呑まれて行ったのだ。
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