Scene14 大団長ネズミの見解
どうかね、そこの玉乗りネズミ君。わたくしのヒゲはばっちり決まっているかね?
あっ、こら! リンゴに乗ったままこっちに来るんじゃない!
わたくしは貴重な団長ネズミだよ。まぬけと違って代えが利かない! ぺしゃんこになったらどう責任を取るんだね?
よろしい。それで、ヒゲはどうかね? ばっちりかね? うんうん、よろしい。
……えっへん! わたくしがかの有名なサーカス団『シルク・ドゥ・スクィーク』の団長です。
我々ネズミのサーカス団は、港町で猫の仲間を加えてから、犬や猿などの団員も従えて、今や立派な動物のサーカス団でございます。
種族の谷間も越え、言語の峻山も越え、時には空腹や習性という名の大河を越えて繋がれた絆は、あの恐ろしい狼の一団にも対抗しうるものと自負しております。
苦しい旅を終えて辿り着いたのは影のない国。白昼と白夜を繰り返す眠らぬ町でございます。
到着したての頃は、この町が野生と負けず劣らずの危険地帯に思えましたとも。我々ネズミは闇と狭所で命を繋ぐ生き物ですからな。
それでもやはり猫も人間も我々の敵でないと分かれば、この高き空と広き自由を享受しない理由がありません。
ここが、我々爪弾き者の群れの行きつく先、最初で最後の理想郷だったのです!
……と思ったのですがな。けっこう退屈ですな。すぐに飽きた。公演してなければヒゲの手入れくらいしかやることがない。
まあ、曲芸ネズミ連中は役割や練習がありますから、そこそこ楽し気にやってるようなので、団長が暇というだけでね……。
そこでです!
わたくしは新しく、分団……あるいは『シルク・ドゥ・スクィーク』の兄弟とでも申しましょうか、もうひとつサーカスをこしらえようと考えた訳です。
この町に蔓延っております退屈ネズミどもを集めまして、新たに芸を仕込むのです。本家である我々と違って、他の動物は団員に居りませんが、まあニィをはじめ彼らは特別ですからな。
この町のネズミ共も、筋は悪くありませんでした。数が多ければ珍しいネズミも居るようで、そういった馬鹿者や不具者を集めれば見世物としてもまずまず。
順調で快調ではございますが、すぐに分団が独り立ちしてしまえば、わたくしは退屈に逆戻りでしょうな。
その次は、その辺りに暮らす犬猫に芸を仕込むのも面白いかもしれませんな。
あるいは、鳥を手懐けて空を飛んでみるというのも。ほら、あそこに見えるのはツバメでございます。おーいツバメよ。また戻って来いよ! 団長の乗り物にしてあげるからなーっ!
そうしてどんどんサーカスの輪を世界中に広げて、世界生き物サーカスの大団長に!
いやでもしかし、それだけの動物が居ると翻訳が大変だ。これ以上ニィに負担をかけても申し訳ないし……。
あっ、こら! そこのヒゲネズミ! キミだよ。キミはヒゲが立派なだけで全然団長然としておらんね! それでは新しい団を任せられないよ! もっと威張って。胸を張って! 声高らかに!
……などと広場で空想片手に素人共を鞭打っておりましたら、急に土煙と共に“白猫率いる生き物の群れ”がドタバタと駆けて来た訳でございます。
何やら皆さん楽し気な表情をしてキャーキャー言っとるじゃありませんか。
わたしを追いかける田舎娘ネズミのようですな!
どうかね、白猫さん。うちのサーカスに入らない? 翻訳とか、できない?
「もう、またネズミ!」
白猫はわたしたちを踏んづけないように、ぴょんと跳躍して白い空にお腹を晒して通り過ぎていきました。
すると不思議なことに、わたくし、急にその白猫のことが愛おしくなってしまいました。
あの、とてもおいしそうだけれど、齧って欠けさせるのが惜しい、綺麗で巨大な満月のホールチーズくらいに!
訳も分からないうちに稽古は中断、わたくしだけでなく練習に勤しんでいたネズミどもも大行列に加わって、みーんな一緒に“白猫チーズ”を追いかけた訳です。
おっとこれは失礼。彼女の名前は“チーズ”ではございません。
見目麗しき細雪の毛皮に、凍えるような視線を送るはアクアマリンの瞳。我々ネズミまでも虜にする恐ろしき魔女“白猫ディア”でございます。
そう。魔女というだけあり、ニィが言うにはあれは魅了の魔法をもった魔法猫とのこと。本来ならネズミは不倶戴天の敵である猫に惚れるはずがございません。
わたくしも、彼女の尻尾を追いかけてはおりましたが、振り返ったその瞳に睨まれる度に心根は真冬に引き戻されておりましたからな。
あの白猫は首輪を着けておりました。飼い猫です。それにあの身のこなし。ウィネバほどではないでしょうが、何匹もネズミを手に掛けてきたに違いありません。
この時は追う側でしたが、逆の立場になれば我々は一網打尽でしょうな。白に包まれた影のない国は、黒猫にとっての暗闇と同じように味方をしたでしょうから。
そんな恐ろしい白猫ではございますが、どうも我らがサーカスの定礎たる団員、黒猫ニィが魔法抜きで一目惚れしてしまったそうで、最近は『シルク・ドゥ・スクィーク』はその噂で持ちきりでございます。
「あの賢そうな黒猫が阿呆になったって!?」
「五十代目のまぬけネズミは彼に決まり? いや、まぬけ猫?」
「私は団員にまた猫を増やすのは御免だよ!」
「あの白猫は気に入らないわ。なによ、あのブサイク! 魔法で惹きつけるなんてズルしちゃって!」
「俺はあの白猫に惚れたね。あの軽業。一度でいいから宙返り対決をしてみたいもんだ」
「恋~~~。それは小さな物語~~~」
と、まあネズミの団員たちは好き勝手を言ってはおりますが、恩人であり輩であるニィを応援するのは当然のことですから、何かしら協力しようということになりました。
ですが、いくらこの町が平和だとはいえ、身内ではない猫には不用意に近づきたくはありません。もっと悪いことに、“あの魔法”がございます。どうせ同じ魔法ならば彼女も通訳猫だったら良かったのですが……。
そういう訳で、彼女が棲んでいると思われる家を探すお手伝いをチューチューコソコソといたした訳です。この偉い団長の言うことは、この町のネズミも従うようになっていましたから、彼らにも手伝わせましてね!
ほどなくして、白猫ディアの棲み処が判明いたしました。ああいう小綺麗な猫に相応しい立派な人間の巣だそうです。お金持ちという奴ですな。あのメイドがホウキを振り回すような! 地下にワインとチーズを蓄えているような!
ま、今ではそういうものにも用無し、何の変哲もないただの人間の家です。いくら大きくても、この高い空や広場には比べ物にはなりませんでしょうから。
ひとつ変わった点があるとすれば、彼女は人間と暮らしておらず、どういう訳かいっぴきぼっちでその家に棲んでいるようなのです。
まあ、事情は分かりませんが、そのほうが我々にとってもニィにとっても用事は済ませやすい訳ですから、取るに足らない話でございますな。
ニィはせっかく居場所が分かったというのに、「また振られたらどうしよう」とか「心臓が破裂しそうだ」とか言って、なかなか彼女を訪ねようとしませんでした。
あんまりうじうじやっているものだから、わたくしも少々腹立たしくなりましたし、野次馬ネズミたちは「早くチュウしろ」と喧しく騒ぎ立てました。
そのうちに猿のボーヤンが抜け駆けをして引っ掻き傷を作って帰ってきたり、ウィネバがうじ虫猫のお尻を蹴飛ばしたりしてで、ようやく彼は重い腰をあげて、白猫を訪ねたのでした。
結果としては……。ふたつのひっかき傷と数発のパンチやキックとを引き換えに彼女の名前を訊きだせたので、まあ、上々ではないでしょうかな?
あ、今お笑いになられましたな?
ちゃんと上々だというに足る理由がございます。
名乗りの後に拒絶の一撃を頂いたのならば、それでピシャリと関係をお仕舞にしたいという意思表示でございましょうが、順序は逆。
ニィの必死なアプローチの末に彼女の口から“ディア”という名を引き出すことができた訳ですからな。
“次”を予定していなければ名乗りに意味なんてございませんでしょう?
帰って来た時点では、ニィは我々に結果を伝えることもなく、人間の子供のように目から涙をぼろぼろこぼして、にゃあにゃあうるさくしておりました。
灰色猫のウィネバが慰め、その際に“次のチャンス”を示唆されたようで、その後ニィは一気に晴れ模様になり、我々のところへ飛んできてそれを報告してくれた訳です。
まったく、こういった形でネズミ騒がせをする猫なんて聞いたことがありません。
“次”はきっちり用意されていたようで、ニィは足繁く彼女の家や、ときおり時計台を訪ねることができました。
ニィの顔や前足は生傷が絶えることはなかったのですが、彼は傷を新しく作る度にそれをペロリとやりながら、白い空を見上げて彼女の名を呟き、幸せそうにため息をつくのでした。
ニィがすっかり腑抜けてしまったため、通訳の役割もろくに果たせない始末。わたくし、少々不満でございます。
あの灰色猫、ウィネバが居るから多少は我慢できていますが。
彼は猫語しか話せませんが、長らくいっしょに居ればお互いの言葉や何をして欲しいかくらいは多少分かるようになるものです。
通訳とまではいきませんが、一部の団員とコミュニケーションが取れるくらいにはなっていました。
いっぽう、ニィは随分と不器用になったものです。
我々と会った当初は、あれ以上に器用で親切で立場を弁えた猫は存在しないかと思われたのですが、どうやらディアに対してはまったくの逆の態度で接しているようで、あれが“恋”というものかとこちらもため息をつきたいくらいです。
男女の仲など、もっとすっぱりさっぱりでよろしいかと思いますぞ!
この団長ネズミのように!
ほら、ご覧ください。あっちでチューチューキャーキャーやっとります雌ネズミの群れは、全部わたくしのファンでございます。あと二十日かそこらにはわたくしの子供が100匹は産まれるでしょう。
その辺り、猫や人間はずいぶんと面倒なようですな。やれやれ。
さて、娘っ子たちを待たしておりますので、わたくしはこれで。
***
もう! 団長ったら信じられないわ! この世界一美しいネズミを放って、あんな田舎のハツカネズミなんて追いかけ回しちゃって!
その上、この私に“あの白猫のこと”を話せだなんて! 失礼しちゃうわ!
あのブサイクな白猫にも本当に、はらわたが煮えくり返りそうなんですけど!
私は努力して自分の美貌を維持しているっていうのに、あの魔女猫は魔法で誑かしちゃって! それも、猫だけじゃなくってネズミまで!
本当にもう、不公平! 私って可哀想だわ!
……ま、それでも私はネズミですからね。色白で、身体もちょっと弱いし。そんな可哀想な役回りは自身の領分と弁えてますわ。
団長が盛りに行っちゃいましたので、続きは副団長たるこの私、美ネズミがお話いたします。
はい、オペラネズミさんと楽器ネズミさん、バックミュージックよろしくお願いしますわね。私の語りはエレガントでなくっちゃ!
……オペラさん、その曲じゃなくて、もうちょっとおどろおどろしいのはありません? 今からお話しすることって、恐ろしくって不気味なことですからね。
ダンスネズミさんたちも、タップダンスじゃなくって、ゾンビっていうの? おばけみたいな踊りにして頂戴ね。何なら、まぬけネズミを使って本物の死体で演出してくれてもけっこうよ!
……。
はい、準備ができたところでお話しいたしますわ。
ニィがブス猫と逢引きをするようになってから、十日くらい経った頃です。
普段はブサイクは身を弁えて表に出ないようにしているらしいのですけれど、唐突に私たちサーカス団を訪ねてきました。
ブサイク魔女は魔法が効果を及ぼさないよう遠巻きに、こちらを見て澄まして座っていました。
その姿は辺りの白と溶け合ってほとんど見えませんでしたけど、白の中に浮かぶふたつの青いネズミ殺しの目は今思い出してもゾッとしますわ!
ニィは鼻を鳴らして匂いを嗅いだかと思うとすぐにブス猫に気付き、近寄って何やら猫語でおはなしを始めました。「にゃあにゃあごろごろにゃーご」とうるさいこと!
ニィやウィネバの猫語には慣れてまいりましたけれど、どうもあのぶっさいくな白猫のきっしょく悪い声だけは心臓を掴まれそうな思いがします。
おはなしは随分と長いようで、私はストレスで死んでしまうかと思ったほどです。
ニィはブサイクに起こった出来事を私たちに伝えました。
「どうも、ディアの棲み処に誰かが出入りしてるみたいなんだ。人間が。それも、この国の外から来た者が数人。それでディアは居づらくなって出て来たそうだよ。これは彼女じゃなくって僕の意見なんだけれど……サーカスに置いてあげてくれないかな?」
とんでもない!
これに関しては私を始め、団長や他のネズミもノーのサインを出しました。ニィの親友でさえも渋い顔です。
何しろあの魔女は他者を誑かす邪悪な魔法の持ち主ですもの! あんなのに居つかれてしまったら、サーカスの公演どころか、日常生活にも支障がでてしまいますわ!
ニィは私たちの反対意見を伝えるかどうか悩んでいたようですけど、白猫のほうはやはり女というだけあって勘が良いようで、私たちを一瞥すると立ち去って行きました。
あの寂しそうな背中ときたら!
ざまあ見ろ! 豚のケツ!
あーははははは!
……しかし、ざまあ見たのは白猫だけではなかったのです。
災いのハンマーは、この『影のない国』の“全ての生き物”に振り下ろされたのですわ。
町の様子は一変いたしました。ディアが魔法で生き物を誑かしたからではないのです。彼女は時計台に引き籠っていましたから。
人間たちですわ。例の、外から来た、人間たち!
男ふたりと女ひとり。人間の見てくれの良し悪しなんてわかりませんけど、きっと三人ともブサイクでしょうね。
でも、行動に関しての良し悪しについては、どんな生き物だって共通するところがありますから、あの連中が“大悪党”だということは私でもすぐに分かりました。
すべての動物に共通するタブー。それは、無為に他者を傷つけたり、縄張りを侵したり、奪ったりすること。
もちろん、生きる上では誰しもが行うことです。しかしそれは、必要な時、必要な分だけです。それを得るためには奪う側も命がけですからね。
もっとも私は、他のネズミに貢がせてるから、経験がご・ざ・い・ま・せ・ん・け・ど!
連中は道を大股で歩き、ネズミを踏み潰し、鳥を蹴散らし、犬や猫のお腹を蹴飛ばして回ります。他のふらふらとした人間たちへは、胸倉を掴んでは大声で怒鳴り散らして乱暴狼藉。挙句、好き勝手に他の人間の巣に出入りしては中の物を持ち出す始末。
私たちはこれまで、堂々と広場に集まって公演をすることができていたのですけれど、観客たちは怯えて、すっかり路地裏に引っ込んでしまって商売あがったり。
それどころか、私たちもあの連中が恐ろしくって出歩くことすらままならない状態になってしまいましたの。
ご説明させていただいた通り、連中は動物たちだけでなく、他の人間にとっても害悪でした。
ここに暮らす人間たちは、みんなふらふらのぼんやり屋ばかりですけど、死んでいる訳ではございませんから、やられっぱなしではありません。
ときおり連中に立ち向かって、捕まえたりやっつけたりしようとしたのですけれど……もちろん、外から来た連中が勝利を納めました。
増えるのは怪我人と死人ばかり。人間の文化には明るくありませんが、彼らは仲間が死ぬと追悼とお葬式をなさるそうですわね。憐れな黒い服を着て、仲間の死体を桶に入れて土に埋めてしまうのですって。
トラブルが繰り返されると、町の人間たちも不満が溜まるようで、彼らの仲間同士での喧嘩も頻発、今まで放っておかれていた私たちも八つ当たりで再び追い回されるようになりました。
追われるだけなら、前と変わらないので平気なのですけれど……。
この闇も影も覆う白い空!
徐々に動物たちは姿を消していきました。
特別に立派で逞しいサーカスの私たちはまだ大して数を欠いておりませんが、時間の問題でしょう。特に、この美ネズミは見つかってしまえば、地の果てまで追い回されるのに違いありませんわ!
ああ、恐ろしい! ああ、憎らしい! あの“幸せ泥棒”め!
あの楽園のようだったこの国が、一気に地獄へと変容してしまったのです。
外から来たたった三人の人間のせいで……。
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