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Scene01 退屈な黒猫ニィの独白

 僕の名前はニィ。まっくろなベルベットのような毛皮を持つ黒猫だ。

 人間の……あの慌て者のモルガンさんの家の蔵にあるチーズを拝借して、皆さんご存じの意地悪な魚屋のジャン=ポールから脂のたっぷりと乗ったキャビオを収奪せしめてきたところさ。

 仕事は実に簡単だった。あくびが出るくらいにね。

 何故って、顔中に集まるアンテナを総動員することも、このしなやかで逞しくて立派な四本の足も、この闇に溶ける毛皮も、僕たち猫が生まれながらにして持っている警戒心も使う必要が無かったからさ。

 「じゃあ、人間におべっかを使って食事をねだったんだろう」だって?

 失礼な。僕が人間に媚びたりすることなんて無いよ。 

 そんなことをしなくたって、ちゃんとこの町で立派に暮らして行けている。

 それに、猫におべっかを使うのは人間のほうだし、ネズミだってそうだし、他の猫たちは僕を頼るし、あの腹立たしい臭いのする犬だって目じゃない。

 どうしてって?

 焦らないでよ。こっちは食事前だよ。チーズを嗅ぎつけたネズミに気をつかったりしなきゃいけなくなったり、キャビオの甘い脂が酸化でもしたら、せっかくの御馳走が台無しだ。


 ……うん。チーズは見立て通りなかなかの発酵具合。キャビオのほうも口に溶けるようでセシボン。

 ジャン=ポールは意地は悪いが仕事の腕は確かだ。あのイヤらしい目つきで品定めをして、ほんの僅かなコインで漁師たちからこんなに立派な魚をせしめて来るんだからね。

 以前に港でジャン=ポールが漁師と商談をしているところにばったり出くわしたことがあったけど、口じゃ「こんな痩せた魚じゃ猫も盗みに来やしない!」なんて言っておきながら心の中じゃ、いつも腹を空かせているチビのチエリみたいに涎の湖を作っているんだからお笑い草だよね。

 漁師のほうは漁師のほうで、ずいぶんへいこらとジャン=ポールに従っていたけれど、この町の魚屋がジャン=ポールしかいないことを恨みに思ってはいるものの、さっさと丘に戻って葡萄酒で一杯やることに押し流されちゃってまあ。いっつもこんな調子。


 ……ごちそうさまでした。こんな見事な食事でも、最近は食べ飽きてきた気がするな。

 何だい? 僕がどうやって簡単に食事にありつけたのか、まだ分かってないの?

 僕は黒猫、彼らは人間。それに、涎の話も葡萄酒の話も頭の中ことだろうに。


 ま、いいさ。教えてやるよ。


 それはね。僕が“魔法猫”だからさ。


 これは秘密だぜ。

 猫たちの間だけの秘密。それもごく一部しか知らない、とっておきの秘密だ。

 僕たち猫の中には、魔法が使える猫が混じってるものなのさ。このくらいの小さな町だと、魔法猫同士が出会うことはあまりないけれど、大きな町だと当たり前に固まって暮らしていたりはするね。そのくらいは魔法猫が混じってるものさ。

 どんな魔法が使えるのかっていうと、これは猫によるとしか言えないね。

 火をボウっと起こすことができたり、風になってしまうことができたり、百万回生まれ変わることができたり、運命の糸を弄くって不幸や幸福を起こすことができたりね。

 僕の魔法は「他の動物の言葉を理解して話せて、考えていることも分かる」って代物。

 魔法にしちゃ地味だって? 気にしてることを言うなあ。でも、そのおかげでモルガンさんが急ぎの用事で夜まで帰らないことも分かったし、ジャン=ポールの奥さんの声を真似て家から追い出すこともできたんだから。

 心臓を夜中の医者の呼び出しみたいにドンドン叩くことも、タールみたいになるまで隠れることもせずに仕事を終えられるんだもの、これ以上に便利な魔法はないよ。


 それに、派手な魔法が必ずしも良い結果を招くとは限らないんだ。


 火を起こすことができる猫には会ったことがある。そいつは町を渡り歩きながら、あっちこっちに火を点けて回っているらしかった。

 気の違った猫だとか、意地悪な猫ってわけじゃない。

 あいつは火の虜になってしまったというだけ。正確には自分の魔法の虜に。

 僕たち魔法猫は、魔法を願って手に入れるわけじゃない。欲しくても手に入らないし、要らないと思っても消えてくれるものでもない。

 生まれながらなんだ。あいつにとっては火が使えるのが当たり前で、それで狩りをしたり野良犬を追っ払ったりしたし、傷んだ肉や魚をステーキにしなくちゃならなかった。

 だけど、その火の魔法のおかげで他の生き物たちには嫌われていたから、一か所に留まることができなかったし、炎のせいでいつも鼻やヒゲがダメになっていたものだから、普通の猫式の方法に頼ることができなかったんだ。

 それで、あいつはずいぶんとガックリきているみたいだった。

 僕は自分が魔法猫であることは隠していたし、あいつがどこにどうして火を点けるかも分かっていたから、わざわざ口は利かなかったけれども、仲良くなっておけば良かったなって後悔している。

 あいつは港のことがよく分かってなかったみたいで、風向きだとか、湿り気だとかを読み違えて、すっかり仕事をしくじったんだ。

 最期は自分の放った火に巻かれて、僕よりも真っ黒な黒猫になってしまった。

 元々尻尾の先が焦げていたけれど、それを除けばまったく美人で珍しい茶トラの雌猫だったのに。

 僕が獲物をインテリジェントに手に入れて、彼女がそれをステーキにする。退屈なときは面白い炎で犬に意地悪ができるし、彼女は僕のお陰で落ち着いてひとつの町に住みつける。

 良いアイディアだと思ったんだけれど、結局は名前も聞けず仕舞いだった。

 あいつがもうひとつ魔法を、水の出る魔法でも使えれば良かったのかな? いや、僕が使えるべきだったか。

 今さら考えても仕方のないことだけれどね。

 そもそも魔法なんてないほうがいいかもしれないし、それが必ずしも猫の役に立つものとも限らないから。

「世界のどこかで誰かがくしゃみをすると、必ず自分もくしゃみをしてしまう」とか、「何を口にしてもマタタビみたいに幸せの味がする」とか。そんな魔法もあるんだぜ?

 ふたつめのほうはずいぶんと羨ましい話に聞こえるけど、毛づくろいをしてもマタタビの味がするわけだから、どうなるか分かるだろう? 隣町に居るイーヴルって呼ばれてるハゲ猫がまさにそれ。

 飼い猫だから食事には困らないらしいけど、飼い主の人間もお酒が大好きなもんだから、年がら年中ふたりで酔いつぶれて床にくたばってるらしい。出歩いたとしても毒や食べられないものも同じ味がするから、かなり危ないって話だ。

 いくらハッピーでも、それは御免被りたいね。

 ちなみに、くしゃみ猫のほうは産まれてすぐにダメになっちゃった。あんまりな話だけれど、母親にとっては七匹が六匹になっただけだから、多すぎるよりはマシだったのかもしれない。


 魔法猫の苦労はまだある。どんな魔法猫でも、常に人間に気を付けて生きなきゃならない。人間に魔法猫だって気付かれれば「魔女の使いだ」と言われて叩き殺されてしまうから。

 僕の場合は「自分から話さければ気付かれないでしょう?」と思うだろうけど、魔法猫にはひとつ、普通の猫とは違う特徴があるんだ。


 ひとつは「影が無い」こと。


 お日様の下を歩いたって、夜の街灯に照らされたって影が落ちない。

 人間たちの間では影が無い猫は魔女の使いだって知られているし、猫たちの間では魔法猫は好奇の対象だから、影が無いのを知られるととにかく面倒だ。


 何が面倒かって……もうひとつ。魔法猫は「嘘がつけない」こと! ……というかとても下手糞なんだ。無理に嘘をつこうとしても舌を噛んでばれちゃう。


 こっちは人間への心配じゃないかもしれないけれど、あいつらって動物にも普通に人間語で話掛けるし、僕は人間語でも返事ができるから油断はできない。

 猫同士のことにしたって、どんな魔法が使えるのか訊ねられたら困る。だってそうだろう、自分の考えてることが分かっちゃうなんてさ! 気持ちの良いものじゃないだろ?

 言わないのは嘘にならないから、「他の動物の言葉が全部分かるんだ」っていいところだけの答えで済ませることもできるけど、もしも「他には?」なんて訊かれたらオシマイ!

 心も読める魔法猫だってバレちゃったら、猫仲間からも魔女狩りだぜ?

 だから僕は、なるべく自分の身体を光の下に晒さないようにしなきゃいけない。

 もともと猫は暗がりや狭い場所が好みだし、この黒い毛皮は闇に良く馴染むから言い訳にも苦労しないけれどね。

 何より、他の動物の考えていることが聞こえてくるから、さっさと逃げたり隠れたりもできるし、今のところ危険な場面に出くわしたこともないし。

 もしも危険に出くわしたって、魔法抜きに耳も鼻もヒゲも立派なものだし、運動だってこの町じゃそう右に出る奴は居ないから、それほど心配はしてないけど。

 僕の人生……猫生にとっていちばんの敵は退屈だね。こっそり暮らすのに飽き飽きし過ぎて背中にキノコが生えそうだよ。ちょっとくらい危険なほうがいいくらいだ。

 いや待てよ。そもそもちょっとの危険だってあり得ないかも。僕はこの町じゃ猫仲間からも尊敬されているし、人間たちからだって好かれているからね。

 嫌われなければ多少のことは大目に見てもらえるだろう?


 他者の考えていることが分かるってのも便利だ。相手がどうして欲しいか分かるから先回りしてやってやれるし、面倒ごとからはさっさと逃げてしまえるからね。

 この港町のだいたいの猫からは「ニィはやたらと勘の良いヤツ」で通ってる。

 他の動物の言葉も分かるから、助けてやれば感謝される。魔法猫のことは猫とごく一部の人間しか知らないし、あとは猫より馬鹿で生きるのに必死な動物ばかりだから不思議にも思わないさ。


 ところで猫たちは、半分は人間を大嫌いで半分は人間をまあまあ好きって考えている。

 前半は野良ぐらしの猫の意見で後半は飼い暮らしの猫の意見だ。僕は野良なんだけれど、実は人間は嫌いじゃないって考えている。


 飼い猫が人間を好きなのは当たり前だ。寝ていても食事が出て来るんだからね。たまにネズミを追っ払って、撫でさせてやるだけでいい。

 でも、人間のほうは偉そうだし、魚は独り占めするし、ネズミの喜ぶような穴はほったらかし、食べかすも残したまま、それに犬を飼うヤツまで居る始末!

 特に野良猫は箒でつつかれるし、蹴飛ばされるし、食事のために人間とやり合うこともしばしばだし、嫌い合うのは当たり前。

 だけれど僕は、本当はほとんどの人間は猫のことが大好きだ知っているし、盗みを見られなければ嫌われることもないし、猫嫌いには近づかなければいいだけだから、人間を嫌いにならないってわけ。

 でもどうしてだろうな。人間ってのはどうも分からないところが多い生き物だ。

 僕たち猫は、魔法が使えなくっても、お互いの考えていることは大体分かるものだ。思考が読めるって話じゃなくて、気持ちの問題でね。

 仔猫がおっぱいを欲しがってるのか、舐めて欲しがってるのかなんてすぐ分かるし、歩きかたで急いでるのか、緊張しているのかも分かるし、相手が自分を警戒しているかどうかなんて顔を見ればすぐ分かる。

 分からなくても、首を伸ばして頬を擦り合えば万事大丈夫だ。

 ……僕にはあいにく、そんな必要も機会もないのだけれど。

 喧嘩にしたって毛を逆立ててギャアギャアやるのは盛りの付いた若いオスくらいのもの。まあ、僕も若いオスなんだけれど、これも例外だね。

 それが人間ときたら、自分の子供のことすら分からないときている!


 あれは路地裏の影の中から、街の雑踏を眺めて暇を潰していたときのことだ。

 親子がいたんだ。母親は買い物帰りのようで紙袋を両腕で抱えて歩いていて、小さな男の子があとをちょこちょことついて行っていた。

 母親は旦那が帰ってお腹を空かせているのが心配で、早足で歩いていた。

 そうすると、小さな子供は置いてけぼりになるわけで、背丈のふたつ分くらい離れたくらいでぐずぐずやりだした。

「いつもはひとりで歩きたがるくせに、お母さんを困らせようとしないで」奥さんは子供を叱った。

 叱ると足が止まるから、その度に子供が追い付いて泣き止むのだけれど、やっぱり早く歩いて距離が開いてしまうものだから、また泣き出すわけだ。

 昼寝の最中なら腹のひとつも立ったけれど、僕は暇つぶしに眺めていたから、ちょいと人間の男の子が可哀想になった。

 彼の泣いている理由は至極簡単なものだった。「いつも眠る前に抱擁とキスをくれるはずの母親がそれをやり忘れたものだから、今日はほんの少し離れるのでさえ耐えれない」ということなのだ。

 この辺のことは僕みたいな魔法猫じゃなくっても気付くし、猫はおろか、ネズミですらちゃあんと分かっているっていうのに。人間ってのはどうして馬鹿で、見ていて飽きないものなのだろうかね?


 そうそう、ネズミで思い出した。

 僕は今、あるネズミの一団を追いかけているんだった。追いかけるといっても、食べたり追い払うためじゃない。

 何やら面白そうなことを考えている連中で、人間以上に良い暇つぶしになりそうな気配がするんだ。

 このヒゲに懸けて、あれを追いかければ退屈とはおさらば間違いなしだ!

 何が面白そうだって? 説明してやりたいけれど、時間がないね!


 そういうわけで、おしゃべりはここまで。


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