小説っぽい文章を書くよ!
まず、簡単な自己紹介からしたいと思います。
作者は高校生です。しかも、ただの高校生ではありません。小説が滅茶苦茶苦手な高校生です。どんな人気作家の作品であっても、大抵3分で投げ出します。ライトノベルでさえも、読破出来たためしがありません。
そのため、小説の技法とか全く知りません。であるにも関わらず、拙作に文章評価5ポイントついた事が嬉しくて、誰に頼まれた訳でもないのにこんな文章を書いています。
だから、プロでもなんでもない人間がこんなもの書くなよ、と思う人は、ここでブラウザバックしてください。
また、『小説っぽい文章を書くよ!』などと銘打ってはいますが、他の方が書いた小説の書き方講座のように、人称がどうとか、そこまで丁寧に説明していないので悪しからず。あくまで、「文の形をそれっぽくする」ための講座だと思って頂きたいです。
それでは早速始めていきましょう。
①同じような形の比喩を使わない!
直喩、隠喩、擬人法…。比喩って色々ありますよね。それに、小説のような文章を書く際には、必ずと言っていい程必要になってくるものでもあります。だからこそ、比喩が上手いとなんかそれっぽくなる…気がします。多分。
それで、どうすればこの「比喩」が上手くなるかなんですが…私見では、とにかく頻繁に同じ形の比喩を使わない事が大切です(ある程度文と文が離れていれば、同じ形でも構いませんが)。
別に、一々直喩だの隠喩だのを使い分ける、なんて難易度が高い事をする必要はありません(出来たら格好いいですけどね)。直喩、直喩ときて、また次も直喩だっていいんです。
では、同じ形の比喩を使わない、とはどういう事なのか、例文を用いて説明していきます。
例)怪物は、ピストル星雲を閉じ込めたような目で僕を見た。僕は、潰れたヒキガエルのような声を出して後ずさった。
「ような」が二回続くと、なんだかくどい…。それでは、こう書くとどうでしょう。
例)怪物は、ピストル星雲を閉じ込めたような目で僕を見た。僕は、潰れたヒキガエルに似た声を出して後ずさった。
閉じ込めた「ような」も、ヒキガエルに「似た」も、直喩ですよね(これで間違ってたら恥ずかしい)。つまり直喩続きな訳ですが、何だか少し文章がさっぱりしたように感じませんか?
同じ形の比喩を使わない、という事はつまり、この「ような」に当たる部分をひたすら言い換える事です。「似た」じゃなくたって「如く」でも「みたいな」でも、何だって構いません。とにかく言い換えを意識します。
言い換えの言葉が思い付かない時は、最悪「ような」を「ように」に変えるだけでも幾分マシになります。作者は偶にそうやって誤魔化しています。
②自分が使い慣れた文章表現をする!
これ、凄く大事だと思います。例えば、先程作者は「ピストル星雲を閉じ込めたような目」という比喩を使いましたが…これは私が、文芸あーぱー脳故の決断です。だって、(知りもしないのに)この部分を純文学風にしようとして「笹紅のような、玉虫色の光沢を持った目」とか書いてしまったら、どうなるでしょうか。
例)怪物は、笹紅のような、玉虫色の光沢を持った目で僕を見た。僕は、潰れたヒキガエルに似た声を出して後ずさった。
結局怪物の目が何色なのかよく分からねぇ!しかも後に「潰れたヒキガエルに似た声」とか描写しちゃったから、なんか纏まりがない!笹紅とかオシャンティーなのに、ヒキガエルで台無し!汚い!…そうは思いませんか?
作者は、純文学や、江戸時代の化粧・文化に、余り明るくありません。なのに、こんな比喩を無理して使うから、とっ散らかった文になるのです。何だったら、純文学や江戸よりはまだ詳しい、宇宙っぽい比喩を使った方がマシでしょう。ヒキガエルと合わせて、なんか理科っぽく纏まりますしね。
勿論、人によっては宇宙よりも純文学に詳しい事もあるでしょう。その時は、怪物の目も、僕の無様さも、それ風に描写すればいいのです。
とにかくここで私が言いたいのは、「特別な拘りがない限り、自分が詳しくない分野の知識をむやみに引っ張り出してこない」という事です。これは、言葉の誤用を避けるため以外に、文章を綺麗に纏めるため、という意味もあるのです。小説の文は、ちょっと背伸びする位で丁度いいと思います。
③一つの文中で同じ助詞を多用しない!
助詞。は、が、の、と…等々、色々な種類がありますよね。こちらも比喩と同じく、小説、いえ、文章全般に必要な要素です。助詞がなければ、どんな名文もカタコト外国人風に早変わりですから。だから、助詞も文章を読ませる上で大切になってくる…筈です。多分。
それで、同じ助詞を多用しない、とはどういう事なのか。まずは駄文から見ていきましょう。
例)僕は反対したが、イヤミな生徒会長と取り巻きは断固として聞かず、結局その予算案は通ってしまった。
「は」と「と」が多いですね。この文章から、何処かもだもだと進まない印象を受ける人も多いと思います。では、次の文はどうでしょうか。
例)僕は反対したが、イヤミな生徒会長や、その取り巻きが断固として聞かず、結局その予算案は通ってしまった。
少しもだもだとした印象が改善されたのではないでしょうか。しかし結局「は」自体は、文中に二つとなっています。ここで大事なのは「『は、が、の』は一文の中に同じものが2個くらいあってもOK」という事です(あくまで作者の主観ですが…)。所謂、主語や体言の後ろに付く助詞ですね。
勿論、「は、が、の」だって3回も4回も使ったらくどいものです。しかし、「と」や「を」なんかが、一つの文中で2回使っただけで鬱陶しくなってしまうのに比べれば、「は、が、の」は比較的扱いが楽な助詞でしょう。
因みに、敢えて同じ助詞を何度も用いる事で、登場人物の葛藤などを演出する手法もあるようです。しかし、私はやはりそちらの方面に明るくないので、ここで詳しく述べる事はしません。
④近い文章中で同じ漢字を使う際は、違う読み方をさせる!
さて、重箱の隅を突くような内容になって参りました。これは最早作者個人の細かい拘りなのですが…取り敢えず例文からどうぞ。
例)想い人と二人、連れ立って歩く。青白い月明かりに照らされた彼女は、女神のように美しい。そうして僕が見惚れていると、彼女が唐突に口を開いた。「月が綺麗ですね」
あんまくどくないじゃん、と思う人もいるかも知れませんね。確かにこれは、滅茶苦茶文章に拘る人以外は、そんなに気にする事ないのです。でも、上の文を読んだ時「月」を「つき」と読ませるのが続いて、なんだかしつこいな、と思った人は、少し意識してみるといいかも知れません。
例)想い人と二人、連れ立って歩く。青白い月光に照らされた彼女は、女神のように美しい。そうして僕が見惚れていると、彼女が唐突に口を開いた。「月が綺麗ですね」
こう書いてみると、少しだけ文が引き締まったと思いませんか?まあ、本当に少しですけど…。この「読み」については、和語と漢語を組み合わせるといい感じになると思います。④については、特に長文を書いていると効果が分かりやすいかも知れません。良ければ試してみてくださいね。
番外編:同音異義語を使う!
④で挙げたテクニック(?)の仲間として、敢えて同じ読み方をする語を並べる、というものもあります。
例)想い人と二人、連れ立って歩く。青白い月光に照らされた彼女は、女神のように美しい。そうして僕が見惚れていると、彼女が唐突に口を開いた。「月が綺麗ですね」…それって。やった、僕にも恋のツキが回ってきたのかも知れない。
言うまでもない事ですが、ここでは「月」と「ツキ」を掛けています。こういう文は、言葉がバチっと嵌ると気持ちいいですよね。短歌に詳しい人、謎かけが得意な人なんかは、試してみては?
さて、ここまでダラダラと「それっぽい文章の書き方」を説明してきた訳ですが、いかがだったでしょうか。
このエッセイが、何か貴方のためになったのなら、幸いです。