第3話 高校1年生 夏
ミーンミーンミンミンミーン
「あぁぁぁ一…。」
「やめろぉ、光輝ぃ、俺までだるくなる。」夏真っ只中、蝉の声が脳内にこだまする。この学校にはクーラーがない。ここら辺一体の地形は谷状になっているため風も吹かない。教室にある扇風機2台では流石に限度がある。そんな自然サウナ状態の教室で、俺と光輝、二人で机に突っ伏していた。
「あっ、死ぬ...。」
「死ねぇ。」
ああ、悲惨だ。
汗でベトベトのワイシャツの第二ボタンを外し、下敷きで胸元をパタパタと仰ぐ。
「なんで、俺ら残ってんのぉ?」
「ボケたのか?家庭科の課題ぃ。」
「あぁ、あの鬼畜ババァの課題かぁ。」
「おい光輝、口が悪いぞ〜。」
「だって型紙からとって作るんだろ?洋服。」
「あぁ。」
「俺らは家庭専門学校の生徒かよ…。」そう言ってまた光輝は机に突っ伏す。蝉の声と合唱部の歌声、そして運動部による練習中の掛け声。こうやって静かに耳をすませてみると様々な音が聞こえてくる。窓から入ってくる風に心地よさを求め、ひんやりと冷たい机に体を委ねる。
「...」
「光輝?」
「...」返事がない。
「寝たのか...。」この暑さの中よく寝れるなと思いながら体を起こし、作業を再開させた。
シュッシュッシュッ
紙の上でえんぴつが踊る。定規に沿って流れていく。型紙が終われば帰れる。提出は午後6時まで。
ミーンミーンミーン
誰もいない教室に2人。蝉の大合唱にもなれてくる。古い扇風機の回る音と光輝のいびき。時間は.....。時計を見る。
えぇっと〜、12時から始めたから....
2時間かかってんな…
光輝はまだ寝てるのか…
俺も寝ようかn...
「たのもぉー!!!!」ドアを破壊しかねない勢いで瑞希が入ってきた。
「わぁ!!」光輝が俺が驚く前に飛び起きる。その勢いで腕をぶつけたらしい。痛みでもがいていた。
「はいはーい、今日の居残りは2時まで。」
「はぁ?今日の最終下校は7時だろ!?」
「今から私の仕事を手伝ってもらいます。」
「俺らは課題があるんだよ。」
「あら、型紙が終わってるなら大丈夫なはずよ。」
「奏が全部やってくれたんだ。ありがとう。」光輝は机から立ち上がり頭を下げた。
「後でジュースおごれよな。」
「てなワケで、今から音楽室に来てもらいます。」そう言いながら瑞希が手をパンパンッと叩き話を戻す。
「ええ〜、だりぃよ。」
「俺は部活が...」
「光輝は部活いっていいいわよ。奏は来なさいよ。」確かに吹奏楽部に入った俺が、音楽室関係の仕事を拒否する権利はない。
「じゃあ荷物まとめて、早くしてよね。」そう言って瑞希は廊下へと駆け出して行った。
まだ外は十分に明るい。セミの大合唱祭もまだ開演中だ。早く済ませれば3時までには終わるわな。
「じゃあ奏、またな。」とっとと荷物をまとめた光輝がエナメルバックを光らせながら廊下へと出る。
「じゃあな〜」俺は答える。
よし!行くか!
俺も教室を出る。
音楽室の前に荷物を置く。いつも吹奏楽部はここに荷物を並べ活動をする。音楽室の広さが入部人数に見合ってないためである。今日は俺のを合わせふたつしか置かれていない。俺と瑞希の分である。
「失礼します。」適当に流しながら中に入る。俺は絶句した。
「何だこのがらくたっていうか、楽器の部品の量は!」
「あっ、やっときた。片付けるの手伝って。」
それはゴミ屋敷のような有様だった。足の踏み場もないとはまさにこの事である。シンバル、錆びたサックスフォン、弦のついてないエレキギターやヴァイオリン、そしてカスタネットやタンバリンなどの小さな楽器の数々。すべて埃まみれで今にもくしゃみが出そうである。
「どうしたんだよこれ...」
「倉庫にたくさんあってさぁ。なんか先生が全部持ってきちゃったんだよね。」
「全部捨てればよかったじゃねーか。どうせ使ってないんだろ?何年も...」
「お金かかるんだってさ。だから使えるものと使えないものを判別してから捨てろって。」
「はぁ〜、なかなかこの量は…」
「だから手伝って欲しかったの!」
3時までに終わるってのを撤回。こりゃ7時までかかりそうだ。
それからずーっと作業を続けた。途中でカスタネットやトライアングルをつかって演奏してみたり、壊れかけの楽器を分解してみたりと脱線はしたものの、5時にはほとんどが片付いていた。
「よっしゃ、ここまでやれば大丈夫っしょ!」少しの妥協を理解し、瑞希も頷く。
「さて、帰りましょうか。」
「そうだな。」
気づけばヒグラシのバラードソングへと合唱祭は変わっていた。
二人で田んぼの畦道を通る。瑞希は自転車を押していた。
今、俺らが帰ってる道は、山々に囲まれた限界集落のど真ん中にある道だ。周りを見渡しても田んぼしかない。まるで海の様だ。青々とした稲が夕日に照らされオレンジ色に輝き、風が吹くと波が生まれ俺達の目を奪う。
「あのさぁ、今日片付けた楽器あるじゃない?」
「おう。」
「あのうちいくらかもらえないかしら?」
「先生に頼んでみろよ。」
「大丈夫かなぁ。」
「いや、そもそも倉庫にずっと眠ってた楽器だろ?今更学校側が必要とはしないだろ。」
「そっか。」
「なんであんな埃まみれな楽器が欲しいんだよ。」
「いや、伝統を感じたいというか...」
「訳わかんねぇぞ。」
「今の吹奏楽部があるのはきっとあの楽器たちを使ってた先輩がいたからでしょ?」
「まぁそうだな…」
「でもあの楽器の殆どを捨てることになっちゃうじゃない。」
「うん...」
「だから音楽室に飾りたいの。伝統を引き継ぐって感じで。」
カラカラカラカラと自転車のタイヤが回る音がする。きっとあの汚い楽器たちが、今まで倉庫に“保管”されていた理由は今こいつが言ったことと同じなのかもしれない。過去に練習に明け暮れ、部活に青春をそそいだ先輩たち。大事にしていた楽器たちは後輩へとつなぐタスキのようなものであり、自分たちがいたという証だった。確かにそう思うと簡単には捨てられないな。
「確かに捨てたくねぇな...」
「でしょ!」
「で、その楽器をどこに飾るんだよ。」
「後ろのロッカー。」
「いいじゃん。」
「そして、練習前にみんなで拝むの。」瑞希は片手で自転車を押しながら、もうひとつの方の手で拝むようなポーズをして見せた。
「宗教かよ!」
二人で吹き出す。
大きな二人の笑い声は日の沈む帰り道にこだましたのだった。