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なんで①が読めないのよ? リライト版

作者: 絵里子

 なんで①が読めないのよ? リライト版

 前回のシリーズで、至らない点がいろいろあるようなので、リライトしてお送りします。

 インターネットの歴史は極端に短いので、書くことも限られています。

 楽しく読んでいただければ、幸いです。


 一:冷戦が生んだインターネット

  わたしたちの日常は、インターネットが欠かせないほどになっていますが、初期のインターネットは研究者などの限られた人しか利用できず、一般人が広く使うようになり始めたのは、1990年以降なんです。

 インターネットは1969年にアメリカの軍事目的の研究・実験のために構築された、アーパネットがインターネットのはじまりといわれています。当時、アメリカは冷戦状態にあり、敵国から核攻撃を受けても動き続けるネットワークが求められていました。


 ところが、アーパネットは軍事関連研究のネットワークだったため、これに接続を許可されない大学があつまり、ユーズネットをはじめました。

 1983年には軍事目的のネットワークがアーパネットから分離し、アーパネットは純粋な学術研究ネットワークになりました。


 その後、いろいろあって、1995年にアメリカのインターネットは完全に商用化されました。

 ちなみにUnixゆにっくすは1969年、AT&Tのベル研究所で開発されました。ちなみにAT&Tは通信会社です。最初の公式にUNIXと名付けられたバージョンのOSは、1970年に PDP-11/20 上で動作しました。UNIXの載ったコンピュータが、半角カタカナに遭遇すると、暴走します(80年代の話です。)

 

 二:冷戦とコンピュータ


 ざっと95年までの話を書けば、それまでのことなんですが、この背景には米ソの核開発競争、ということを思い出さねばなりません。ご存じの通り、水爆は一発で日本人を全滅させる兵器で、アメリカは50年代の時に核開発をしているソ連に対抗するために、この水爆実験をビキニで強行しました。そのため、死の灰の被害に遭った日本のマグロ漁船第五福竜丸船員の話は、たぶん聞いたことがあるかもしれませんね。マグロの風評被害により漁船員のなかには人生が終わったとヤケになり、賭博に走って家庭は崩壊してしまったようです。

 今から見ればその水爆実験も小さな実験でしたが、その宣伝効果は抜群で、ソ連との核開発競争は激しくなるばかりでした。フランスでは、肌を露出する水着を、その爆発的な魅力を称して、ビキニと称しました。

 それにつれて、ネットが動かなくなっては、戦争の指揮ができない、という実質的な問題が沸き起こり、そのためにアーパネットができたわけです。

 この核実験のための計算機に、ENIACえにあっくという機械が作られました。

 関わったのは、フォン・ノイマンというひと。

 天才というよりマッドな技術者で、デジタルコンピュータという形にこだわり、いまのコンピュータの基礎を作りました。

 

 三:デジタルとはなにか。


そもそもコンピュータは、0か1かしかわかりません。

スイッチが入っている(1)か、入っていない(0)か、ですね。これをデジタルといいます。

それなのに、2017年現在、動画も出来りゃ、録画も録音も写真も画像処理も

アニメもつくれる。

 1950年代のENIAC時代から見ると、月とすっぽんです。

 ノイマンは、このENIACを、気象予報に使えるから開発したい、と海軍に売り込みました。

 気象が作戦に及ぼす影響を知っている海軍は、多額の投資をしたと言うことです。


五:死のゲーム


さて、その後コンピュータの研究はさらに進み、平時からも核戦争の危機にそなえる、ということが常識になってきました。第四次大戦などというものは存在せず、最終戦争と呼ばれるようになり、戦争の後には老人や精神障碍者、身体障碍者はほうちしていろという冷たいコンピュータの結果が出たりしました。

 『ラブ&ピース』の反戦ブームが起こったときには、このような倫理観のかけらもないような結果を出すコンピュータを作る連中を、「死のゲームにいそしんでいる」という批判もあったようです。


 アーパネットが研究者以外に使われるようになると、電子メールでコンピュータを利用することが多くなってきました。最初に作られたバーチャル上のグループが、「SF愛好家」でした。賢明にもアーパネットはこれを排除せず、その後、ネットのさまざまな利用法が発明されていくことになるのです。



付記:

 前回のシリーズでのミスの訂正です。

1:ジャストシステムはワープロをつくっておりません

 パソコン用ワープロで有名です。

 当初は管理工学研究所の「松」が有名でしたが安かったので「一太郎」が主流になりました。

 ちなみにタイプライターそのものは19世紀からありました。

 和文タイプライターは、1915年 杉本京太、「邦文タイプライター」を発明

特許庁「杉本京太の代表的発明(邦文タイプライター)」をつくったのが最初とされています。

 ジャストシステムは、NECの「文豪」や富士通の「オアシス」などの技術をもとに、パソコン用のワープロソフトを作ったようです。もとはオフコン用の漢字システムを作っていました。


2:ジョブズはパソコンを作ってはいません

アップル社の最初はスティーブ・ウォズニアックが作ったappleⅠで、ジョブズはエンジニアというよりもプロデューサーといえます。

ジョブズがいなければアップルもマックもiPodもiPhoneもできなかったでしょう。


ビルゲイツはMS-DOS以前にマイコン用ベーシックで有名でした。

ほとんどのパソコンが使用していました。

 ちなみにマイコン用のベーシックを使ったことがありますが、いまのOSウインドウズのほうがずっといい! すごいぞゲイツ。


PS

パソコンの歴史じたいを調べてみたいひとは、「パソコンの歴史」という本があるということなので、

それを参考にしてください。


PS2

この記事は、「極端に短いインターネットの歴史」という本の翻案です。ネタの大半は、この本から引用しています。(一部使用していないものもあります)。

インターネット黎明期のことをもっと知りたい方は、この「極端に短いインターネットの歴史」をよんでみてください。いろいろ、面白いことが書いてあります。


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[良い点] なかなか読み物としてのパソコン史ないんだよね きたいしてます 目指せ書籍化コミック化 アニメ化 ETVならあり [一言] ご参考までに コンピュータ偉人伝http://biograph…
[良い点] 続きが楽しみです 漢字コードまで遠いがんばってください
[良い点] ビキニの由来を初めて知った! [一言] 1995年といえば 奥田民生が「コーヒー」をリリースした年だ。わしが大学二年。まだノートにアイデアを綴っていた。卒論でワープロを使ったが、まだインタ…
2017/09/02 20:47 退会済み
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