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第20話 温泉

「ふわ……」

 岩を削って作られているらしい、大きな湯船に入って肩まで浸かると、思わず声が漏れた。少しぬるめのお湯は、体にじんわりとしみ込んで、疲れをゆっくりと溶かしていくかのようだった。

 岩に背中を預け、ぼんやりと空を眺める。雲一つ無い快晴だ。陽が沈むまでには、まだ少しかかるだろう。少し時間が早いためか、今ここにいるのはレナだけだ。

 しばらくの間、動くことも、何かを考えることもしない時間を堪能する。ふと気が付くと、(まぶた)が落ちかけ、いつの間にか頭は後ろに倒れていた。アップにまとめた髪が、押し付けられてぐしゃりと潰れている。はっとしたように顔をあげ、一度ぎゅっと目を瞑る。お湯の中をじゃぶじゃぶと進んで、湯船の端に向かった。

 両手を岩に重ねて置き、その上にあごを乗せながら、目の前の景色を眺める。レナたちが泊まった宿の温泉は、建物の中にあるものと、この露天風呂の二つだけだ。ローザが言っていたような、色んな種類のお湯は無い。その代わりに、露天風呂からの眺めはとても良かった。

 サイスの端にあるこの場所からは、海と背の高い山脈に囲まれた、キルグライス王国の北半分が一望できる。平原が多いアデュリア王国と違い、どこもかしこも山と森だらけで、合間にぽつぽつと農村が点在している。海はそのさらに向こう、王国の北東側に広がっている。

 遠くに見える大きな港町は、王国と同じ名前の首都、キルグライスだろう。大きいとは言っても、城とその庭の占める割合が高く、人口はグラントよりもかなり少ない。新鮮な海の幸と山の幸が両方堪能できるということで、食通の間ではちょっと有名な場所らしい。

 近くに目をやると、サイスから伸びる二本の街道が目に入った。北東へ進めば山を下りて首都まで繋がる道、北西はさらに山岳地帯を進む道だ。レナたちが向かうのは後者の方で、まだまだ山道を歩かなければならない。十分に体力を回復させておかないと、魔獣に会うまでに力尽きてしまいそうだった。

 体の力を抜くと、顔がずるずるとずり落ちて、頬が手についた。やっぱり、もうちょっと体力付けなきゃだめかな、とレナは思った。ハンターとしての訓練は毎日やっているが、精霊使いとしてはどうしても魔法の練習に力を入れざるを得ない。

 今使える魔法の精度を上げるのも重要だし、新しい魔法にチャレンジすることも重要だ。特にレナは、ギルドの講師から、もしかしたら治癒の魔法が使えるようになるかもと言われているのだ。ある魔法が使えるかどうかは運の要素が大きいのだが、挑戦する価値はある。

 またしても落ちそうになる瞼を、苦労して押し上げる。寝ぼけた頭の中を、様々な思考や、思考未満のイメージが、泡のように浮かんでは消えていく。

 不意に、学者のアドルフとの会話を思い出した。彼は、精霊なんて存在しないと言っていた。そんなわけ無いとは思うのだが、確かに、精霊の存在を他人に証明するのは難しい。目の前に出して見せることはできないからだ。

 ギルと初めて話したのは、いつのことだっただろう。少なくとも、ハンターになるよりもずっと前の話だ。

『シグルドの本を買ってもらった頃だぞ』

 そうだったっけ。それならまだ小さかった頃だ。もうはっきりとは覚えていない。

 ギルが精霊と呼ばれる者であるかどうか、長い間分からなかった。本で読んだ知識からそうじゃないかとは思っていたが、確信を持てたのはハンターズギルドで調べてもらってからだ。聞いてもギルは教えてくれなかったし。

 早く治癒魔法を覚えたい。そうすれば、パーティにもっと貢献できるだろう。治癒系は難易度が高く、例え使えたとしてもごく初歩、自然治癒力を高める魔法ぐらいまでのことがほとんどだが、それでも十分だ。魔獣と戦っている最中にその場で怪我を治すことができれば、生存率は一気に上がる。

 精霊使いが襲われている、というエリオットの言葉を思い出す。過剰に心配しても仕方ない。でも、自分は狙われているのだろうか?

 今の私って、すごく無防備なんじゃ。ふと、そんなことを考えてしまった。護身用のナイフも無いし、助けを呼んでもヒューとエヴァンには届かないだろう。

 不意に、ぱしゃ、とお湯が跳ねる音が耳に入った。レナはびくりと体を震わせた。一気に目が覚める。

 水音は、ゆっくりと近づいてくる。誰かが露天風呂に入ってきたようだ。早く相手を確認しなきゃと思うのだが、振り向くのが怖い。

「……っ!」

 意を決して、勢いよく向き直る。

 そこに居たのは、小さな女の子だった。うつ伏せで、顔をお湯につけてぷかぷかと浮いている。ブロンドの長い髪が、お湯の中に広がっていた。

(あれ?)

 この子、どこかで見たことがある気がする。どこだったかな、と思い出すより前に、女の子が顔を上げた。

 ばちっと目が合う。そこにあったのは、人形のように虚ろな表情だ。

「あっ!」

 レナは目を見張って立ち上がった。顔を見て思い出した。以前にグラントの川辺で会った女の子、スロゥだ。

 彼女はレナを見ると、くるりと身を翻した。そのままばしゃばしゃと音を立て、湯船から出て行こうとする。

「ま、待って!」

 咄嗟(とっさ)に相手の手を掴んでしまった。スロゥはぐらりと体勢を崩す。なにやってるんだ、私。とレナは自分で自分の行動に驚いた。

「……怒られる」

 じたばたしていたスロゥが、力の緩んだレナの手を振りほどく。転びそうになりながら湯船の外に出ると、ぱたぱたと走り去っていった。

 怒られる、というのは、知らない人と話していたらという意味だろうか。誰かと一緒に来ているのかもしれない、というか、たぶんそうだろうとレナは判断した。さすがに、一人でこんな場所まで来れる年齢ではないはずだ。

(変な人だと思われたかなあ……)

 レナはしょんぼりとして、肩まで浸かり直した。あの子のことは何故か気になる。危なっかしくて放っておけないからだろうか。仲良くできたらいいのだけれど。

(……もしかして私、子供と話すの向いてないのかも)

 そんな結論が頭に浮かんでしまって、レナは大きくショックを受けた。泣きそうなほどに目元を歪めると、口元までお湯に沈んだ。

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